「み」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「み」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 152 件
みいちゃんはあちゃん(みいちゃんはあちゃん)
周りの意見や流行などに左右されやすいこと。また、そのような人。ミーハー。
ミイラ取りがミイラになる(みいらとりがみいらになる)
人を連れ戻しに出かけた者が帰って来ないことのたとえ。また、説得しようとした者が、逆に相手に同調してしまうというたとえ。
見得張るより頬張れ(みえばるよりほおばれ)
世間体を気にするより実利を考えることのほうが大切だということ。体裁を考えて食べたい物を我慢するより、遠慮なく頬張ったほうが得であるとの意から。
見栄も外聞もない(みえもがいぶんもない)
人の評判や世間体を気にする余裕もないさま。
見得を切る(みえをきる)
大げさな言動をとって、自分の自信のほどを強調すること。 「見得」は歌舞伎役者が、芝居が最高潮に達した時に目立つ表情や演技をすること。
見栄を張る(みえをはる)
人からよく思われようとして、無理に外見を飾り立てたり、体裁を取り繕ったりすること。
見掛け倒し(みかけだおし)
看板だけが立派で、実情が伴わないこと。 見かけはよくても、内容が乏しいこと。
見掛けばかりの空大名(みかけばかりのからだいみょう)
見かけは豪勢だが、中身は貧弱なことのたとえ。
味方見苦し(みかたみぐるし)
味方ばかり贔屓(ひいき)する行為は、不公平で見苦しいということ。
身から出た錆(みからでたさび)
自分が犯した悪行の結果として、自分自身が苦しむこと。
身から出た錆は研ぐに砥石がない(みからでたさびはとぐにといしがない)
自分の過ちや行いが原因で生じた災難は、他人を責めることができず、受け入れるしかないということ。
身が軽い(みがかるい)
からだの動きが軽快な様子。 また、責任や負担などがなく身軽な様子。
右から左(みぎからひだり)
受け取った金品をすぐ別の人に渡してしまうことのたとえ。
右と言えば左(みぎといえばひだり)
こちらが右といえば左と答えるように、人の言うことにいちいち反対すること。
右に出る者がない(みぎにでるものがない)
一番すぐれていて、その人に優る者がいないということ。昔、中国で右を上席としたことから。
右の耳から左の耳(みぎのみみからひだりのみみ)
何を聞いても聞いたはしから忘れてしまうことのたとえ。右の耳から入って、すぐに左の耳へ抜けてしまう意から。
右を見ても左を見ても(みぎをみてもひだりをみても)
どの方向を見ても。
三行半(みくだりはん)
夫が妻に書いた離縁状。転じて離縁することをいう。昔、離縁状は三行半に書く慣習があったことから。
神輿を上げる(みこしをあげる)
座り込んでいた人が立ち上がるたとえ。また行動をおこして仕事にとりかかること。「輿」と「腰」を掛けたことば。
操を立てる(みさおをたてる)
志を堅く守って変えないこと。 また、女性が貞操を守り通すこと。
見ざる聞かざる言わざる(みざるきかざるいわざる)
自分に都合の悪いことや人の欠点は、見たり聞いたり言ったりしないということ。「見ない」「聞かない」「言わない」を、三匹の猿が両手で各々の両目、両耳、口をふさいでいる像や絵で表現する。打消しの「…ざる」と「猿」を掛けたことば。
見知らずの口叩き(みしらずのくちたたき)
自分の身のほども知らずに、大きなことを言うこと。
微塵もない(みじんもない)
そのような気持ちなどが全くない。すこしもない。
身過ぎは草の種(みすぎはくさのたね)
商売や職業などの暮らしを立てる方法は、草の種のように種類が多いということ。 「商売は草の種」「世渡りは草の種」「世渡りは草の種」「身過ぎは草の種」ともいう。
水到りて渠成る(みずいたりてきょなる)
学問を究めれば自然に徳が備わってくるということ。また、時期が来ればものごとは自然に成就するということ。 「渠」は溝のことで、水が流れれば自然に溝ができるとの意から。
自ら彊めて息まず(みずからつとめてやまず)
自分から進んでつとめ励んで、それを怠らないことのたとえ。「彊」はつとめること、「息まず」は休まない意。
自ら卑うすれば尚し(みずからひくうすればたっとし)
へりくだって驕らない人は他人から尊敬され、自然と尊くなるということ。
水が合わない(みずがあわない)
その土地の環境や風土にうまく馴染めない様子。 また、所属している組織の体質に馴染めない様子。
水清ければ魚棲まず(みずきよければうおすまず)
あまりにも心が清らかで真面目な人は、逆に人から敬遠されて孤立してしまうというたとえ。水が清らかすぎると、餌もなく隠れる所もないので魚が棲みつかない意から。
水際立つ(みずぎわだつ)
他と比較して、ひときわ目立つさま。
水心あれば魚心(みずごころあればうおごころ)
相手が好意を示せば、こちらもまた好意を持つ。 先方の出方次第で、こちらの態度が決まるということ。 もとは「魚、心あれば、水、心あり」で魚と心、水と心が一語化したものといわれる。 魚が水に好意を示せば、水もその魚に好意を持つであろうという意味から。 「水心あれば魚心」「網心あれば魚心」ともいう。
水と油(みずとあぶら)
水と油が混じり合わないように、二つのものが調和しないこと。互いに性質が合わないこと。
水に絵を描く(みずにえをかく)
無駄な苦労をすることのたとえ。 水に絵を描いても残らないことから。
水に流す(みずにながす)
過去のいざこざを、すべてなかったことにして和解することのたとえ。
水に慣れる(みずになれる)
その土地の環境や風土になれること。 からだがその土地の水に馴染むことから。 「慣れる」は「馴れる」とも書く。
水の泡(みずのあわ)
努力してきたものがすべて無駄に終わることのたとえ。
水の泡となる(みずのあわとなる)
水の泡がはかなく消えるように、努力のかいもなく、まったく無駄に終わることのたとえ。
水の滴るよう(みずのしたたるよう)
若々しくて美しいようすの形容。
水の月取る猿(みずのつきとるさる)
自分の能力をわきまえず、欲張ったまねをして失敗することのたとえ。 猿が水に映った月を取ろうとしたとき、枝が折れ水に落ちて溺れ死んだという故事から。 「猿猴が月」「水の月取る猿」「月の影取る猿」ともいう。
水の低きに就くが如し(みずのひくきにつくがごとし)
水が低い方へ流れていくように、物事のなりゆきは止めようとしても止められないということ。
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)
人は交友関係や環境しだいで、良くも悪くもなるというたとえ。 「方円」は四角形と円形のこと。水は容器の形によって四角にも丸くもなるということから。
水も漏らさぬ(みずももらさぬ)
警戒が厳重で、まったく隙がないようす。
水を打ったよう(みずをうったよう)
多数の人が、いっせいに静まりかえるようす。
水を得た魚のよう(みずをえたさかなのよう)
その人の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
水を差す(みずをさす)
物事にけちをつけたり、親しい間柄を裂くようなことをすること。
水を離れた魚(みずをはなれたうお)
水から出た魚のように、頼りを失って自由がきかないことのたとえ。
水を向ける(みずをむける)
自分の思い通りに、相手が関心を持つようにしむけること。
店を畳む(みせをたたむ)
商売をやめて廃業すること。
店を張る(みせをはる)
自分の店を出店して商売をはじめること。
身銭を切る(みぜにをきる)
必ずしも自分が支払う必要のない費用をあえて自分の金銭で支払うこと。
味噌に入れた塩は他所へは行かぬ(みそにいれたしおはよそへはいかぬ)
他人に尽くすことは、一見無駄のように見えても、結局は自分のためになるということ。 味噌に入れた塩は、混じって見えなくなるが、味噌の味を調えるための役に立っているとの意から。
味噌の味噌臭きは食われず(みそのみそくさきはくわれず)
いかにも専門家のようにふるまう人は、真にその道の達人とはいえないということ。 いかにも味噌だという味噌くさい味噌は食べられたものではなく、上等な味噌には味噌臭さがないとの意から。
味噌も糞も一緒(みそもくそもいっしょ)
見た目が似ていれば、良いものも悪いものも同じように扱うこと。すべてをごちゃまぜにしてしまうこと。 「糞も味噌も一緒」「糞も味噌も一つ」ともいう。
味噌を擂る(みそをする)
お世辞を言ったり気に入られるように振舞ったりすること。
味噌を付ける(みそをつける)
失敗して面目を失うことのたとえ。
未曾有(みぞう)
今までに一度も無かったこと。
三度諌めて身退く(みたびいさめてみしりぞく)
繰り返し主君をいさめても聞き入れられない時は、潔く辞職するのが賢明だということ。
三度肘を折って良医となる(みたびひじをおってりょういとなる)
人は多くの苦労を重ね経験を積んで、初めて円熟した人間になれるということ。 医者は自分のひじを何度も折り、苦痛や治療を経験して初めて良医になることができるとの意から。
見たら見流し、聞いたら聞き流し(みたらみながし、きいたらききながし)
見たり聞いたりしたことは、みだりに口外しないほうがよいということ。
道が開ける(みちがひらける)
問題を解決する方法がみつかること。 また、進むべき方向がわかって、希望が持てるようになること。
道草を食う(みちくさをくう)
目的地にそのまま向かわず、途中で寄り道をしたり他のことに時間を費やしたりすること。 馬が道端の雑草を食べて、歩みが止まってしまうことから。
道に遺を拾わず(みちにいをひろわず)
世の中が太平で人々が満ち足りた暮らしをしていることのたとえ。 「遺」は落ちている物のことで、人々が落ちている物を拾おうとしないほど太平であるとの意から。 「道に遺ちたるを拾わず」ともいう。
道は邇きに在りて遠きに求む(みちはちかきにありてとおきにもとむ)
無駄に高遠なものや難しい理論を求めて、近くの真理を見落としてしまうこと。 「邇き」は近きの意。 真理は近いところにあるのに、わざわざ遠いところにそれを求めようとすることから。
道を付ける(みちをつける)
あとに続く人のために、先立って糸口をつくること。
三日にあげず(みっかにあげず)
間をおかないで。度々。 高い頻度を表す言葉。
三日見ぬ間の桜(みっかみぬまのさくら)
桜の花があっという間に散ってしまうように、世間の移り変わりは激しいものだということ。 もとは江戸時代の俳人大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から。 この句は「桜が散ってしまうこと」ではなく「桜が咲きそろうこと」を詠んだもの。 単に「三日見ぬ間の桜」ともいう。
三つ叱って五つほめ、七つ教えて子は育つ(みっつしかっていつつほめ、ななつおしえてこはそだつ)
子どもは少し叱って多くほめ、たくさん教えて育てるのがいいということ。
三つ子に剃刀(みつごにかみそり)
非常に危険なことのたとえ。 「三つ子」は、三歳児のこと。 三歳児ほどの幼い子に剃刀を持たせるとの意から。
三つ子に花(みつごにはな)
そぐわない人に大事なものを預けて安心できないことのたとえ。また、ものの値打ちがわからない者に優れた物を与えても何の役にも立たないことのたとえ。 幼い子に花を持たせてもすぐにめちゃくちゃにしてしまうとの意から。
三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)
幼い時の性格は、年をとっても変わらないということ。
見つめる鍋は煮立たない(みつめるなべはにたたない)
待っている時間は非常に長く感じられることのたとえ。 鍋が煮立つのを見ながら待つと、なかなか煮え立たないとの意から。
三つ指、目八分(みつゆび、めはちぶ)
正しい行儀作法のこと。お辞儀をする時は親指・人差し指・中指の三本の指を床について頭を下げ、物を運ぶ時は目の高さより少し低くして両手で差し上げるのが正しい作法とされるところから。
満つれば虧く(みつればかく)
何事も頂点に達したあとは、必ず衰え始めるというたとえ。 月は満月のあと徐々に欠けていくことから。 「満つれば虧く」ともいう。
見ての極楽、住んでの地獄(みてのごくらく、すんでのじごく)
外から見るのと、実際に体験するのでは大違いであることのたとえ。 はたから見ると極楽のように見えるが、実際に住んでみるとまるで地獄のようだとの意から。 「見ては極楽住んでは地獄」ともいう。
見て見ぬ振り(みてみぬふり)
実際にその場を目撃したにもかかわらず、見ていなかったかのように振る舞うこと。 また、他人の過ちなどを見逃すこと。
身で身を食う(みでみをくう)
自分で自分をだめにすることのたとえ。 自分で自分のからだを食べるとの意から。 「身で身を詰める」ともいう。
見所がある(みどころがある)
将来性があり、期待できることのたとえ。
源清ければ流れ清し(みなもときよければながれきよし)
清らかな水源を持った川は、下流も自然に清らかになるように、上に立つ者の行いが正しければ、下の者の行いも正しくなるということ。
身に余る(みにあまる)
人から与えられた待遇などが、自分の能力以上であること。身分に相応しくないこと。
醜い家鴨の子(みにくいあひるのこ)
みんなから容姿が悪いとか、愚かだとか言われていても、大人になってきれいになったり、偉くなったりする子どものこと。アンデルセンの童話から。