「と」を含む故事・ことわざ・慣用句
「と」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1576 件
避けて通せ酒の酔い(よけてとおせさけのよい)
酔っ払いには、かかわらないほうがよいということ。
与太を飛ばす(よたをとばす)
ふざけて、いい加減なことを言うこと。でたらめなことを言うこと。
余桃の罪(よとうのつみ)
主君の寵愛が気まぐれであてにならないことのたとえ。 昔、中国の衛(えい)で弥子瑕(びしか)という美少年が食べかけの美味な桃を主君に献上し喜ばれたが、寵愛を失ってからはそれを理由に罰せられたという故事から。
世に問う(よにとう)
世間に問題を提起し、その評価を尋ねること。
余の辞書には不可能という言葉はない(よのじしょにはふかのうということばはない)
自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。
夜目、遠目、笠の内(よめ、とおめ、かさのうち)
夜見るとき、遠くから見るとき、笠に隠れた顔の一部をちらりと見るときは、人の顔が実際より美しく見えるということ。女性について言うことが多い。
寄る年波には勝てぬ(よるとしなみにはかてぬ)
いつまでも若いつもりでも、加齢による体力や気力の衰えには逆らえないということ。
夜となく昼となく(よるとなくひるとなく)
夜も昼も関係なく。いつでも。
来年の事を言えば鬼が笑う(らいねんのことをいえばおにがわらう)
来年のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
理屈と膏薬はどこへでも付く(りくつとこうやくはどこへでもつく)
体のどこにでも付く膏薬のように、理屈はつけようと思えば、どんなことにでも、もっともらしくつけられるということ。
理の当然(りのとうぜん)
理屈から考えて、当たり前のこと。
流言は知者に止まる(りゅうげんはちしゃにとどまる)
確かな根拠のない噂が広まっても、知恵のある人はそれを他人に話さないから、噂はそこで止まるということ。
竜と心得た蛙子(りゅうとこころえたかえるこ)
子どもに対する親の見込み違いのたとえ。 将来は竜になると期待していたわが子も、やはり蛙の子にすぎなかったとの意から。
竜の髭を撫で虎の尾を踏む(りゅうのひげをなでとらのおをふむ)
恐ろしい竜の髭を撫でたり、虎のしっぽを踏んだりするような、大変危険なことをするたとえ。
良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)
賢者は自分の才能や知識をみだりにひけらかしたりしないことのたとえ。 「良賈」はすぐれた商人の意。 すぐれた商人は商品を店の奥にしまっておくため、一見商品が乏しいように見えることから。
遼東の豕(りょうとうのいのこ)
世間知らずが、つまらない事を自慢して得意になることのたとえ。遼東では珍しいとされた白頭の豚が、河東ではありふれたもので、君子に白頭の豚を献上しようとした男が、その事を恥じて遼東に帰ったという故事から。
猟は鳥が教える(りょうはとりがおしえる)
何事も実際に行っているうちに覚えて、身に付けていくものであるということのたとえ。 鳥を撃つこつは、実際に猟をするうちに覚えるもので、いわば獲物の鳥が教えてくれるようなものだということ。
悋気嫉妬は女の常(りんきしっとはおんなのつね)
女はやきもちを焼くものだということ。「悋気」はやきもちの意で「悋気」と「嫉妬」を重ねておもしろく言ったもの。
綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)
一度出た汗が二度と体内に戻らないように、君主が一度口にした言葉は取り消したり改めたりできないということ。「綸言」は君主のことば。
類は友を呼ぶ(るいはともをよぶ)
気の合う者、似た者同士は自然に寄り集まって仲間になるということ。
坩堝と化す(るつぼとかす)
その場に集まった多くの人々の興奮が高まって熱狂した状態になること。
礼儀も事による(れいぎもことによる)
礼儀作法を守ってさえいればいいというものではなく、事と場合によっては、礼儀が二の次になることもあるということ。
例によって例の如し(れいによってれいのごとし)
目新しいことや変わったこともなく、いつも通りということ。
輦轂の下(れんこくのもと)
皇居のある地のこと。「輦轂」は天子の乗り物のことで、天子の乗る車の下の意から。
蠟燭は身を減らして人を照らす(ろうそくはみをへらしてひとをてらす)
自分の身を犠牲にして、他人のためにつくすことのたとえ。
碌でなしが人の陰言(ろくでなしがひとのかげごと)
役に立たない者が他人の悪口を言うこと。
路頭に迷う(ろとうにまよう)
収入源や住居などを失って困り果てること。
路傍の人(ろぼうのひと)
特に関わりのない人。 同じ道を通っているだけの人という意味から。
ローマにいる時はローマの人がするとおりにせよ(ろーまにいるときはろーまのひとがするとおりにせよ)
土地によって風俗や習慣が違うから、自分が住む場所のそれに合わせて生活するのが処世の手段だということ。
若い時旅をせねば老いての物語がない(わかいときたびをせねばおいてのものがたりがない)
若い時に旅をしておかなければ、年をとってから人に話す話題がないということ。
若い時の苦労は買うてもせよ(わかいときのくろうはこうてもせよ)
若い時の苦労は将来役に立つ貴重な経験となるから、自分から進んで苦労するほうがよいということ。
若い時は二度ない(わかいときはにどない)
若い時代は二度とやってこないから、何でも思い切ってやってみるのがいいということ。
我が面白の人泣かせ(わがおもしろのひとなかせ)
自分が面白くて楽しんでいることが、人に迷惑をかけていることがあるということ。
我が口に甘ければ人の口にも甘し(わがくちにあまければひとのくちにもあまし)
自分の好むことは他人もまた好むものである。 自分がよいと思うことは人にも施すべきであるということ。
吾が心秤の如し(わがこころはかりのごとし)
私の心は、秤(はかり)のように公平であるということ。 どちらか一方に偏ったり、私情を交えたりしないという意味。
我が事終わる(わがことおわる)
自分が関わっていることが全て終わること。なすべきことがないこと。
我が事と下り坂に走らぬ者なし(わがこととくだりざかにはしらぬものなし)
自分に関することとなれば、下り坂で自然と早足になるように、自ら進んで走りまわるということ。
我が好きを人に振る舞う(わがすきをひとにふるまう)
相手の好き嫌いを考えずに、自分の好みを人に押し付けること。
我が亡き後に洪水よ来たれ(わがなきあとにこうずいよきたれ)
自分が死んだ後なら、洪水でもなんでも来てよい。今さえよければ、あとはどうなってもかまわないということ。
我が仏尊し(わがほとけとうとし)
自分の信じるものや大切にしているものが、番尊いと信じこむことのたとえ。 「我が寺の仏尊し」「我が家の仏尊し」ともいう。
我が身の事は人に問え(わがみのことはひとにとえ)
自分のことはわかりにくいから、人の意見を聞くのがよいということ。
我が身を立てんとせばまず人を立てよ(わがみをたてんとせばまずひとをたてよ)
自分の身を立てたいと望むなら、まず人を引き立てるように心がけよということ。
我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)
自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。
我が物と思えば軽し笠の雪(わがものとおもえばかるしかさのゆき)
つらいことも苦しいことも、自分のためだと思えば苦にならないものだというたとえ。 笠に降り積もる重い雪も自分のものだと思えば軽く感じられるということ。 江戸時代の俳人、宝井其角の句「我が雪と思へば軽し笠の上」から。
禍を転じて福となす(わざわいをてんじてふくとなす)
自分の身にふりかかった災難を上手く利用して、結果的に自分の有利になるように取り計らうこと。
忘れたと知らぬには手がつかぬ(わすれたとしらぬにはてがつかぬ)
忘れたとか知らないという者には、何を言っても無駄であるということ。
私としたことが(わたしとしたことが)
注意していた上で起こした失敗などを悔やんでいう言葉。
話頭を転じる(わとうをてんじる)
話題を別の方向へに移すこと。話題を変えること。
笑いが止まらない(わらいがとまらない)
予想外の利益によって、嬉しくてたまらない様子。
笑い事ではない(わらいごとではない)
関わりのない人から見ると大した問題ではないが、関係者にとっては非常に深刻である様子。
笑いは人の薬(わらいはひとのくすり)
適度な笑いは心や身体に良いということ。
藁苞に黄金(わらづとにこがね)
容器が粗末でも中に価値があるものが入っていること。 または、外見からでは真価をはかることはできないということのたとえ。 藁包みの中に金が入っているとの意から。
藁で束ねても男は男(わらでたばねてもおとこはおとこ)
藁で髪を束ねるような貧しい暮らしをしていても、男にはそれなりの値打ちがあるということ。
破れ鍋に綴じ蓋(われなべにとじぶた)
どんな人にも、似合いの相手がいるというたとえ。また、似たもの同士が一緒になればうまくいくということ。 「綴じ蓋」は修理した蓋のこと。 割れた鍋にもふさわしい蓋があるという意味から。
我を非として当う者は吾が師なり(われをひとしてむかうものはわがしなり)
自分の欠点を注意してくれる人は、誰でも自分にとっての先生だということ。
和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)
人々の和こそが、世の中でもっとも尊く大切なことだということ。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条にある言葉。
