「る」を含む故事・ことわざ・慣用句
「る」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2361 件
老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
経験を積んだ人は方針を誤らないというたとえ。 老馬はいろいろな道を知っており、迷うことがないということから。 中国、斉の桓公が山中で道に迷った時に、老馬の歩みに従って無事に帰り着いたという故事から。
追風に帆を揚げる(おいてにほをあげる)
勢いに乗って物事が順調に進むたとえ。 追い風に帆を揚げれば船は早く進むことから。 「順風に帆を上げる」ともいう。
老いてはますます壮んなるべし(おいてはますますさかんなるべし)
年老いてもますます元気で意気盛んでなければならないということ。
お伺いを立てる(おうかがいをたてる)
目上の人の判断を仰いだり、意見や許可などを求める。また、神や仏からのお告げを願うこと。
往生際が悪い(おうじょうぎわがわるい)
諦めなければならない状態なのに、未練がましく執着しているさま。 「往生際」は、死に際の意。
負うた子に教えられて浅瀬を渡る(おうたこにおしえられてあさせをわたる)
人は時には自分より経験の浅い年下の者から物事を教わることもあるというたとえ。背中に負ぶった子に浅瀬を教えられて川を無事に渡るとの意から。
王手を掛ける(おうてをかける)
成功や勝利まであと一歩の状態になる。 「王手」は、将棋で直接王将を攻める手のこと。
大当たりを取る(おおあたりをとる)
商売や芝居などの興行が、大成功を収めること。
大きな顔をする(おおきなかおをする)
偉そうな顔つき。また、平然とした顔つき。
大台に乗る(おおだいにのる)
金額や数量が目安となる大きな境目を超すこと。 もとは株式用語で、株式市場での百円を単位とする値段の区切りを「大台」、十円を単位とする区切りを「台」という。
大手を振る(おおでをふる)
何の遠慮も気兼ねもなく、堂々と。
大所の犬になるとも小所の犬になるな(おおどころのいぬになるともこどころのいぬになるな)
どうぜ人に仕えるなら、勢力・権力のある相手の下につけというたとえ。
大鉈を振るう(おおなたをふるう)
思い切って、予算を削減したり人員を整理したりすること。
大盤振る舞い(おおばんぶるまい)
盛大に、人にご馳走したり物を与えたりすること。
大船に乗る(おおぶねにのる)
信頼できるものに任せすっかり安心しきったようす。難破する心配のない大きな船に乗ったようだということから。
大風呂敷を広げる(おおぶろしきをひろげる)
大げさなことを言うこと。また、ほらを吹くこと。
大見得を切る(おおみえをきる)
大げさな言動をとって、自分の自信のほどを強調すること。「大見得」は歌舞伎役者が、芝居が最高潮に達した時に目立つ表情や演技をすることで、大げさな言動で自分を誇示するということから。
大向こうを唸らせる(おおむこうをうならせる)
役者が大向こうにいる観客の賞賛を受けること。また、一般大衆の人気を得ること。「大向こう」は、舞台の正面後方にある観客席のことで、転じて芝居好きの観客のこと。その芝居通を唸らせるような演技をするということから。
大目に見る(おおめにみる)
少しくらいの欠点や過失を厳しくとがめず寛大に扱うこと。
奥歯に衣着せる(おくばにきぬきせる)
思ったことをはっきりと口に出さず、曖昧な言い方をすること。
奥歯に物が挟まる(おくばにものがはさまる)
思っていることを率直に言わず、曖昧な表現をすること。
臆病風に吹かれる(おくびょうかぜにふかれる)
臆病な気持ちになること。怖じ気づくこと。
お蔵になる(おくらになる)
予定されていた作品や企画などの発表が取りやめになること。
後れを取る(おくれをとる)
相手に先をこされること。 また、相手よりも劣った状態になること。
螻蛄になる(おけらになる)
金がまったくなくなること。無一文になること。 「螻蛄」は昆虫のケラのこと。 ケラが両前足を上げている格好が、お手上げをしている人の姿に似ていることから。
お声が掛かる(おこえがかかる)
目上の人から招待されたり特別な計らいを受けたりすること。
瘧が落ちる(おこりがおちる)
熱病にかかったかのように何かに夢中になっていた状態から、急激にさめて冷静になること。 「瘧」は、マラリア性の熱病のこと。
驕る平家は久しからず(おごるへいけはひさしからず)
驕り高ぶって滅亡した平家のように、贅沢を尽くし勝手気ままにふるまう者は、長く栄えることなく早く滅びてしまうというたとえ。
奢る者は心常に貧し(おごるものはこころつねにまずし)
贅沢な生活を好む者は、満足することを知らず、満たされずに常に不平不満の気持ちを持ち続け、その心は貧しいということ。
お里が知れる(おさとがしれる)
言葉遣いや立ち居振る舞いから、その人の生まれや育ちがわかるということ。 よくない意味で用いられる。
お座敷が掛かる(おざしきがかかる)
芸者や芸人などが客に呼ばれること。 また、会合や宴席などに招待されること。
教うるは学ぶの半ば(おしうるはまなぶのなかば)
人に教えるということは、自分の知識をより深めなければならないから、半分は自分の勉強になるということ。
推して知るべし(おしてしるべし)
考えてみれば容易にわかる。言うまでもない。簡単に推測できる。
お釈迦様でも御存知あるまい(おしゃかさまでもごぞんじあるまい)
誰も気がつかないだろう、誰も知らないだろうを強調していう言葉。 何でもお見通しのお釈迦様でも知らないだろうとの意から。 「お釈迦様でも御存知あるまい」ともいう。
お釈迦になる(おしゃかになる)
製造過程で失敗し、製品をつくり損ねてしまうことのたとえ。 また、壊れたり不具合が見つかったりして使い物にならなくなることのたとえ。
お相伴にあずかる(おしょうばんにあずかる)
同伴者として、もてなしを受けること。 「相伴」は主客と一緒に行ってもてなしを受けること。
おじが甥の草を刈る(おじがおいのくさをかる)
目上の者が目下の者のために奔走させられることのたとえ。また、物事の順序が逆なことのたとえ。
おじゃんになる(おじゃんになる)
予定していたことや進行中の物事がだめになる。 昔、鎮火の合図として半鐘を二回「ジャンジャン」と鳴らしたことからきた言葉とされる。
おじを見ると荷が重い(おじをみるとにがおもい)
助けてくれそうな人を見たとたん、力が抜けて依頼心をおこし意気地がなくなることのたとえ。自分で荷物を運んでいる時、伯父(叔父)を見たとたんに荷物が重く感じられるということから。
押せ押せになる(おせおせになる)
仕事や日程などが立て込んで、進行が遅れたり先延ばしになったりすること。
遅きに失する(おそきにしっする)
遅すぎて何の役にも立たない。手遅れである。
怖気を震う(おぞけをふるう)
恐怖におそわれて身震いすること。
お高くとまる(おたかくとまる)
気位が高く、人を見下した態度をとること。
お題目を唱える(おだいもくをとなえる)
口先だけで、もっともらしいことを言うこと。
おだてに乗る(おだてにのる)
人からおだてられていい気になり、軽率な行動をとること。
お陀仏になる(おだぶつになる)
死ぬこと。また、物事が途中でだめになること。 阿弥陀仏を唱えて往生するとの意から。
おだをあげる(おだをあげる)
勝手なことを言って気炎を上げること。
お猪口になる(おちょこになる)
傘が風にあおられて、開きがさかさまになること。
落ちをつける(おちをつける)
物語や笑い話などの結末を効果的に終わらせること。
押っ取り刀で駆けつける(おっとりがたなでかけつける)
大急ぎで駆けつけること。 緊急のときには、刀を腰に差す余裕もなく手に持って駆けつけるとの意から。
お釣りが来る(おつりがくる)
十分に足りていて、余りが出ること。
男が廃る(おとこがすたる)
男としての名誉や面目が失われること。
男心と秋の空は一夜に七度変わる(おとこごころとあきのそらはいちやにななたびかわる)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男になる(おとこになる)
一人前の男に成長すること。 また、立派な行いをして世間に認められること。 古く、元服するとの意で言われた言葉。
男冥利に尽きる(おとこみょうりにつきる)
男としてこれ以上の幸福はないということ。「男冥利」は男に生まれた幸せ、「尽きる」はこれ以上はないという意。
男を上げる(おとこをあげる)
立派な行いをして世間に認められ、男としての面目を高めること。
男を売る(おとこをうる)
男気のある行動によって世間で評判になること。
男を下げる(おとこをさげる)
不名誉なことをして、男としての面目を失うこと。
落とし前をつける(おとしまえをつける)
失敗や無礼などによるもめごとの後始末をすること。 「落とし前」は、もとは店と客が交渉して、折り合いがつくところまで商品の値段を下げること。
お情けより樽の酒(おなさけよりたるのさけ)
口先だけの同情よりも、実際に役立つ援助や品物のほうが助かるということ。 「情け」の「さけ」に、酒屋の「酒(さけ)」を掛けた語呂合わせ。
同じ羽の鳥は集まるものだ(おなじはねのとりはあつまるものだ)
同じような趣味や考え方の人間は、自然と集まって仲間になるということ。
お縄になる(おなわになる)
犯人がつかまること。 昔、捕らえた罪人を縄でしばったことから。
鬼が出るか蛇が出るか(おにがでるかじゃがでるか)
どんな恐ろしいことになるか予測できないことのたとえ。 からくり人形師が観客の興味をあおるためにいった言葉。 「鬼が出るか仏が出るか」ともいう。
鬼に瘤を取られる(おににこぶをとられる)
一見損害を受けたようで、実際は利益になることのたとえ。「こぶとりじいさん」の昔話にもとづくもの。
鬼にもなれば仏にもなる(おににもなればほとけにもなる)
相手次第、出方次第で、鬼のようにこわい存在にもなれば、仏のようにやさしい存在にもなるということ。
尾に鰭付ける(おにひれつける)
あることないことを付け足して物事を大げさに言うこと。 本体に余計な尾や鰭を付け足すことから。 「尾に尾を付ける」ともいう。
鬼も角折る(おにもつのおる)
悪人がふとしたきっかけで、善いことをしたり真人間になったりすることのたとえ。 鬼が邪悪のシンボルである角を折ることから。
己に克ち、礼に復る(おのれにかち、れいにかえる)
理性と意思の力で欲望に打ち勝って、人として守るべき礼に従って行動すること。 「[[克己復礼*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1487.html]]」ともいう。
己に如かざる者を友とするなかれ(おのれにしかざるものをともとするなかれ)
自分をより向上させるためには、自分より劣った者を友として交際すべきではないという教え
己の欲する所を人に施せ(おのれのほっするところをひとにほどこせ)
自分が他人にしてもらいたいことは、人にもしてやりなさいということ。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
己を責めて人を責めるな(おのれをせめてひとをせめるな)
自分の責任でさせたことを、人のせいにするなということ。徳川家康の遺訓から。
己を虚しゅうする(おのれをむなしゅうする)
自分の我をすてて、謙虚で素直な気持ちになること。
己を以て人を量る(おのれをもってひとをはかる)
人はとかく自分を基準にして、他人のことを判断しがちだということ。
斧を掲げて淵に入る(おのをかかげてふちにいる)
物の用途を誤ること。また、適時適所でないこと。 水中では役に立たない斧を振りかざして淵に入っていくことから。
お鉢が回る(おはちがまわる)
順番がまわってくること。「お鉢」は飯びつのこと。人の多い食事の席で、自分の所に飯びつが回ってくる順番になることから。
お払い箱になる(おはらいばこになる)
使用人が辞めさせられること。 また、要らなくなったものが捨てられること。 伊勢神宮にある「お祓(はら)い箱」は、中の札が毎年取り換えられて古い札は捨てられることから。 「祓い」を「払い」に掛けて言ったもの。
尾鰭を付ける(おひれをつける)
事実ではないことも付け加えて、話を大げさにすることのたとえ。 魚の本体に尾や鰭を付け加えるとの意から。
溺れる者は藁をも摑む(おぼれるものはわらをもつかむ)
危険が差し迫っているときは、頼りにならないものにまで頼ろうとするということ。 溺れかけている者は、水に浮かぶ藁のような頼りないものにもすがりついて助かろうとするとの意から。
お迎えが来る(おむかえがくる)
死期が近づくこと。あの世へ行くこと。 仏が浄土から迎えに来るとの意から。