「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 574 件
存養(そんよう)
人が生まれた時から持っている善の心を失わないようにしながら育てること。
象牙の塔(ぞうげのとう)
学者の現実離れした生活態度や、その研究室などをたとえていう言葉。フランスの批評家サント・ブーブが、詩人・作家ビニーの態度を評した言葉。もとは芸術至上主義の人々が俗世間から逃れ芸術を楽しむ境地のことを言った。
俗に言う(ぞくにいう)
世間で言う。一般に言う。 正式ではないが一般的に言われているとの意味を表す言葉。
太鼓も撥の当たりよう(たいこもばちのあたりよう)
こちらのやり方次第で相手の出方も違ってくるというたとえ。 太鼓はたたき方ひとつで、音の強弱がかわるとの意から。 「撥」は「桴」や「枹」とも書く。
高く買う(たかくかう)
相場より高い値段で買うこと。転じて、人物の能力や行いなどを高く評価すること。
薪を抱きて火を救う(たきぎをいだきてひをすくう)
害を除こうとして、かえって害を大きくしてしまうことのたとえ。火を消そうとして薪を抱えて火元に近づき、逆に火の勢いを強めてしまうということから。
竹を割ったよう(たけをわったよう)
さっぱりしていて、わだかまりのない気性のたとえ。竹が一直線に割れることから。
蛸は身を食う(たこはみをくう)
資本や財産を食い減らすたとえ。蛸は空腹になると自分の足を食うといわれるところから。
立ち仏が居仏を使う(たちぼとけがいぼとけをつかう)
立っている者が、座っている者に用事を頼むたとえ。自分で出来ることを無精して人にさせるたとえ。「居仏」は、座像の仏のこと。
掌を返すよう(たなごころをかえすよう)
てのひらを返すように物事が簡単に出来ることのたとえ。 または、言葉や態度などをがらりと変えることのたとえ。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。
たまに出る子は風に遭う(たまにでるこはかぜにあう)
普段しないようなことをすると、失敗したりひどい目に遭ったりするというたとえ。 めったに外に出ない子がたまに外出すると、その日に限って大風が吹くとの意から。
玉を転がすよう(たまをころがすよう)
音や声が高く澄んで美しい様子の形容。
短兵急(たんぺいきゅう)
だしぬけである様子。いきなり。 「短兵」は短い武器のことで、それを持って急に攻めるとの意から。
大根の皮取らぬ阿呆、生姜の皮取る阿呆(だいこんのかわとらぬあほう、しょうがのかわとるあほう)
大根は皮をむかないとまずい。生姜は皮をむくと食べるところが少なくなる。物事の適正を知らない愚か者のたとえ。
出しに使う(だしにつかう)
自分の利益のために、他のものを利用する。出しにする。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
断腸(だんちょう)
はらわたがちぎれるほど、悲しく苦しいこと。
力山を抜き、気は世を蓋う(ちからやまをぬき、きはよをおおう)
勇壮な気性のたとえ。 山を引き抜くほどの大きな力と、世界を覆い尽くすほどの意気があるとの意。 敵に取り囲まれた四面楚歌の状況で楚の項羽がうたった詩「垓下歌」の一節。 「抜山蓋世」ともいう。
地から湧いたよう(ちからわいたよう)
今まで影も形もなかったものが、急に現れるさま。
血が通う(ちがかよう)
事務的、形式的ではなく、人間らしい思いやりや優しさがあること。
竹帛の功(ちくはくのこう)
歴史に残るような偉大な功績。「竹帛」は昔中国で竹を削った札や帛に文字を書いたことから書物や歴史の意。
血で血を洗う(ちでちをあらう)
血縁関係にある者同士が血を流し合うような争いをすること。 また、暴力に対して暴力、悪事に対して悪事で争うことのたとえ。 「血を以て血を洗う」ともいう。
血と汗の結晶(ちとあせのけっしょう)
たいへんな苦労や努力を重ねた末に得た成果。
血の出るよう(ちのでるよう)
たいへんな苦労や努力をするさま。
血の滲むよう(ちのにじむよう)
たいへんな苦労や努力をするさま。
茶に酔うたよう(ちゃにようたよう)
知っているのに知らないふりをすること。 お茶を飲んで酒に酔ったふりをするとの意から。 「茶に酔うたよう」ともいう。
忠言、耳に逆らう(ちゅうげん、みみにさからう)
忠告の言葉は耳が痛く、素直に聞き入れられにくいということ。
宙に迷う(ちゅうにまよう)
物事が途中で止まって終わりが分からなくなること。
長広舌を振るう(ちょうこうぜつをふるう)
滞ることなく、長々としゃべり続けること。 「長広舌」は「広長舌」が転じた言葉。
調子が合う(ちょうしがあう)
互いの性質や考え方などが合致していること。
長袖よく舞い、多銭よく賈う(ちょうしゅうよくまい、たせんよくかう)
素質と条件に恵まれた者が有利で、思い通りに事が運べるというたとえ。 長袖の着物を着た人は舞うと美しく見え、多くの金銭を持つ者は商売がしやすいとの意から。 「賈う(かう)」は、「商う(あきなう)」ともいう。
長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)
見栄を張った多くの贈り物より、たとえわずかでも真心のこもった贈り物のほうが尊いということ。 金持ちが一万もの灯明をともすよりも、たとえ一灯でも貧しい人の心のこもった灯明のほうが値打ちがあるとの意から。 阿闍世王が釈迦を招いた時、帰り道にたくさんの灯火をともした。それを見て感激した貧しい老婆が、やりくりして一本の灯火をともした。すると、王の灯明が消えたあとも老婆の灯火は朝まで光り続けたという故事から。 「貧者の一灯」ともいう。
帳尻が合う(ちょうじりがあう)
決算で収入と支出が正しく合うこと。または、物事の辻褄が合うこと。
地を掃う(ちをはらう)
すっかり無くなってしまうこと。 ほうきで地面を掃いたように何も残っていないとの意から。
狆が嚏をしたよう(ちんがくしゃみをしたよう)
ひどく醜い顔つきのこと。 「狆」は、顔が小さく目鼻がくしゃくしゃ集まった感じの小型犬。 略して「[[狆くしゃ*https://kokugo.jitenon.jp/word/p33494]]」ともいう。
辻褄が合う(つじつまがあう)
話の内容などに、矛盾がなく一貫していること。
土一升金一升(つちいっしょうかねいっしょう)
土地の値段が非常に高いことのたとえ。 土一升が金一升に相当するとの意から。
土に灸(つちにきゅう)
いくらやっても効き目のないこと、無駄なことのたとえ。
粒が揃う(つぶがそろう)
集まっている人や物がどれもすぐれている様子。
冷たい戦争(つめたいせんそう)
武力は用いないが、国同士が激しく対立している状態のこと。特に、第二次大戦後のアメリカと旧ソ連の対立をいう言葉。冷戦。また、表面には現さないが、両者が激しく張り合う緊張状態のたとえ。
釣りする馬鹿に見る阿呆(つりするばかにみるあほう)
魚釣りをする人間も、それを見ている人間も、どちらも無駄な時間を過ごしている、と釣り好きをあざけった言葉。
吊るし上げを食う(つるしあげをくう)
その場にいる大勢の人たちから厳しく責め立てられること。
鄭家の奴は詩をうたう(ていかのやっこはしをうたう)
ふだん見聞きしていることは。自然に覚えるというたとえ。「鄭家」は、中国後漢の学者である鄭玄。鄭玄の家の雇い人は習いもしないのに詩経をうたうということから。
手功より目功(てこうよりめこう)
手先の熟練より、物を見る目を養うことが大事だということ。
手酌五合、髱一升(てじゃくごごう、たぼいっしょう)
手酌では五合しか飲めないが、若い女性の酌では一升でも飲んでしまうということ。「髱」は日本髪の後ろに張り出している部分で、転じて、若い女性の意。
手酌貧乏(てじゃくびんぼう)
手酌で酒を飲むのは、いかにも貧乏くさく、やはり酒は人からついでもらって飲むのがいいということ。
手千両(てせんりょう)
手先が器用なことや手に技術を持っていることは、千両にも匹敵する値打ちがあるということ。
轍鮒の急(てっぷのきゅう)
危機が差し迫っていることのたとえ。 「轍」は車輪の跡、わだちのこと。 「鮒」は魚の鮒(ふな)のこと。 車輪の跡にできた枯れかけの水たまりにいる鮒という意味から。
手に据えた鷹を逸らしたよう(てにすえたたかをそらしたよう)
一度手に入れた大事なものを失うことのたとえ。 大事に飼い慣らした鷹に逃げられてしまうとの意から。
手に取るよう(てにとるよう)
実際に手で触れてみるかのように、はっきりと分かる様子。 目の前にあるかのように、はっきり見えたり聞こえたりする様子。
手の切れるよう(てのきれるよう)
紙幣が新しく、しわ一つない様子。まっさらなお札のたとえ。
泥裡に土塊を洗う(でいりにどかいをあらう)
汚さや醜さがの程度が甚だしいことのたとえ。 または、意味のないことや理解ができないことのたとえ。 土の塊を泥の中に入れて洗うということから。
木偶の坊(でくのぼう)
役に立たない人や、気の利かない人をののしって言うことば。「木偶」は木彫りの人形のことで、転じて役に立たないひとのこと。
伝家の宝刀(でんかのほうとう)
先祖代々その家に伝わる大切な刀。転じて、いざという時に使う切り札のたとえ。
田父の功(でんぷのこう)
無益な争いをしている間に、第三者に利益を横取りされてることのたとえ。 犬が兎を追いかけている間に、両者とも力尽きて死んでしまった。 それを通りかかった農夫が自分の獲物として手にいれたという故事から。
桃源郷(とうげんきょう)
俗世間を離れた平和な別天地のこと。 中国晋の時代、武陵の漁師が川を水源までさかのぼり、桃の花が咲き乱れる林に迷い込むと、秦の時代の戦乱を避けた人々が平和に暮らす理想郷があったという説話から。 「武陵桃源」「桃源」ともいう。
東西を失う(とうざいをうしなう)
方角がわからなくなること。どうしたらよいかわからず途方に暮れること。
東道(とうどう)
主人となって客をもてなしたり、案内をしたりする人。 または、道案内をする人のたとえ。 中国の春秋時代、鄭の国が晋と秦の軍に包囲された時、鄭の国の燭之武は秦の王に「鄭の国を滅ぼすよりも、東方へ行く際の案内役にしたほうが得になる」と説いたという故事から。
蟷螂が斧を以て隆車に向かう(とうろうがおのをもってりゅうしゃにむかう)
弱者が自分の力を考えずに強敵に向かうこと。無謀な行いのたとえ。 「蟷螂」はかまきり、「斧」はここではカマキリの前足こと。 「隆車」は大きな車のこと。 かまきりが前足を上げて、大きな車に立ち向かうとの意から。 単に「蟷螂の斧」ともいう。
遠くの火事、背中の灸(とおくのかじ、せなかのきゅう)
遠くの大事件より自分に関係する小事のほうが気にかかるというたとえ。
時に遇う(ときにあう)
好機に巡り合って幸運を掴むこと。
時を争う(ときをあらそう)
わずかな時間も無駄にできないほど、事態が差し迫っている。急を要する。
時を失う(ときをうしなう)
好機を逃すこと。よい機会を失うこと。
床を払う(とこをはらう)
敷いていた布団を片付けること。 または、寝込んでいた人の病気が治ること。 「床を払う」ともいう。
年を追う(としをおう)
ある傾向が時間と共に強まり続けたり、弱まり続けたりすること。
年を食う(としをくう)
年を取ること。年老いること。
取って付けたよう(とってつけたよう)
言動などがわざとらしく不自然な様子。
捕らぬ狸の皮算用(とらぬたぬきのかわざんよう)
当てにならないことを当てにして計画を立てることのたとえ。まだ捕まえていない狸の皮の価格を計算することから。
銅臭(どうしゅう)
金銭にとりつかれた人。金銭で立身出世した人をそしることば。
同舟相救う(どうしゅうあいすくう)
仲が悪い者同士や見知らぬ者同士でも、いざという時は助け合うことのたとえ。 同じ舟に乗り合わせた人々は、舟が沈みそうな時は力を合わせて助け合うとの意から。
どこで暮らすも一生(どこでくらすもいっしょう)
どんな所で暮らしても人の一生に変わりがないから、どうせなら楽しく暮らせる所に住みたいということ。
度を失う(どをうしなう)
ひどく慌てて冷静さを失うこと。
丼勘定(どんぶりかんじょう)
収支を帳簿に細かくつけずに、大雑把に金を使うこと。 「丼」は、昔、職人などが身につけた、腹掛けという作業衣の腹部にある物入れのこと。 そのどんぶりに無造作に金を出し入れしていたことから。
貪欲は必ず身を食う(どんよくはかならずみをくう)
強すぎる欲望は身を滅ぼすという戒め。
内助の功(ないじょのこう)
夫が外で十分働けるように、妻が家庭で陰ながら夫を助ける功績のこと。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生(ないてくらすもいっしょう、わらってくらすもいっしょう)
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
無い物食おう(ないものくおう)
十分にある物は欲しがらず、ないとわかっている物をほしがること。わがままを言うこと。 「無い物食おうが人の癖」ともいう。
長居する鷺蟇目に遭う(ながいするさぎひきめにあう)
長く同じ場所に留まっている鷺は、目立つために人間に狙われ、蟇目の矢(矢の一種である鏑矢)で射られる。 長居は慎むべきであるという戒め。 「長居する鷺汁になる」ともいう。
長居は無用(ながいはむよう)
その場に長く居るのはよくないので、早々に引き上げたほうがよいということ。