「こ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「こ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1206 件
大向こうを唸らせる(おおむこうをうならせる)
役者が大向こうにいる観客の賞賛を受けること。また、一般大衆の人気を得ること。「大向こう」は、舞台の正面後方にある観客席のことで、転じて芝居好きの観客のこと。その芝居通を唸らせるような演技をするということから。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
借家人にとって家主は親と同様の存在であり、家主にとって借家人は我が子同様の存在だということ。「店子」は、借家人の意。昔の大家と店子の関係をいった言葉。
お竈を起こす(おかまをおこす)
成功して財産を築き上げること。「お竈」は竈(かまど)のことで、家庭生活を営むための竈を築く意から。
お声が掛かる(おこえがかかる)
目上の人から招待されたり特別な計らいを受けたりすること。
瘧が落ちる(おこりがおちる)
熱病にかかったかのように何かに夢中になっていた状態から、急激にさめて冷静になること。 「瘧」は、マラリア性の熱病のこと。
奢る者は心常に貧し(おごるものはこころつねにまずし)
贅沢な生活を好む者は、満足することを知らず、満たされずに常に不平不満の気持ちを持ち続け、その心は貧しいということ。
煽てと畚には乗りたくない(おだてともっこにはのりたくない)
おだてには乗りたくない、ということを強調した言葉。「畚」は、棒で担いで土や石を運ぶ道具。江戸時代、畚は死刑囚を運ぶのにも使われたことから、他人の煽てにも畚にも乗りたくないといったもの。
お茶の子さいさい(おちゃのこさいさい)
物事をたやすく行うことができる様子。
お猪口になる(おちょこになる)
傘が風にあおられて、開きがさかさまになること。
男が廃る(おとこがすたる)
男としての名誉や面目が失われること。
男が立つ(おとこがたつ)
男としての名誉や面目が維持できること。
男心と秋の空(おとこごころとあきのそら)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男になる(おとこになる)
一人前の男に成長すること。 また、立派な行いをして世間に認められること。 古く、元服するとの意で言われた言葉。
男猫が子を生む(おとこねこがこをうむ)
ありえないことのたとえ。
男の目には糸を引け、女の目には鈴を張れ(おとこのめにはいとをひけ、おんなのめにはすずをはれ)
男の目は糸を引いたように細くて真っ直ぐなのがよく、女の目は鈴のようにぱっちりと大きいのがよいということ。
男は敷居を跨げば七人の敵あり(おとこはしきいをまたげばしちにんのてきあり)
男が世の中に出て活動するようになると、多くの競争相手や敵に出会うということのたとえ。 男が敷居を跨いで外に出れば七人の敵がすでに待ち構えているとの意から。 「敷居を跨げば七人の敵あり」「男子家を出ずれば七人の敵あり」ともいう。
男は辞儀に余れ(おとこはじぎにあまれ)
男は謙遜しすぎるくらいでちょうどよいということ。 「女は会釈に余れ」と続けても言う。 「辞儀」は遠慮の意。
男は度胸、女は愛嬌(おとこはどきょう、おんなはあいきょう)
男にとって大切なものは、物事に動じない強い度胸で、女にとって大切なものは、にこやかでかわいらしい魅力だということ。「度胸」と「愛嬌」の「きょう」の語呂を合わせていった言葉。
男は二十五の暁まで育つ(おとこはにじゅうごのあかつきまでそだつ)
男は二十五歳くらいまでは成長するということ。
男は裸百貫(おとこははだかひゃっかん)
男は無一文でも、働いて財産や地位を築くことができるので、裸でも百貫の値打ちがあるということ。
男は松、女は藤(おとこはまつ、おんなはふじ)
男は大地にしっかりと根を張る松のようなもので、女はその松にからむ藤のように男を頼りにするものだということのたとえ。
男は妻から(おとこはめから)
男の出世や幸福は妻しだいだということ。
男勝り(おとこまさり)
女性の気持ちや性質が男性よりもしっかりとしていること。また、そのような女性。
男冥利に尽きる(おとこみょうりにつきる)
男としてこれ以上の幸福はないということ。「男冥利」は男に生まれた幸せ、「尽きる」はこれ以上はないという意。
男鰥に蛆が湧き、女寡に花が咲く(おとこやもめにうじがわき、おんなやもめにはながさく)
妻のいない男は身の回りの世話をしてくれる人がいなくなり不潔な生活になりがちなのに対し、未亡人は、夫にわずらわされることがなくなり、自分の身を美しく清潔に出来るので、世間の男にもてはやされ華やかだということ。
男を上げる(おとこをあげる)
立派な行いをして世間に認められ、男としての面目を高めること。
男を売る(おとこをうる)
男気のある行動によって世間で評判になること。
男を下げる(おとこをさげる)
不名誉なことをして、男としての面目を失うこと。
男を磨く(おとこをみがく)
男としての面目を保てる人間になるために努力すること。 特に、義侠心を養う意味で使われる。
一昨日来い(おとといこい)
二度と来るな。 相手をののしって追い払うときの言葉。
鬼に瘤を取られる(おににこぶをとられる)
一見損害を受けたようで、実際は利益になることのたとえ。「こぶとりじいさん」の昔話にもとづくもの。
鬼に衣(おににころも)
不必要なこと。また、不釣り合いなことのたとえ。 鬼はもともと裸で衣服を必要としないことから。 また、慈悲深い善人のようにみせかけて内面は恐ろしいこと。狼に衣。
鬼の目にも見残し(おにのめにもみのこし)
鬼のようにくまなく目を光らせている人でも、時には見落としや不注意があるというたとえ。
己の欲する所を人に施せ(おのれのほっするところをひとにほどこせ)
自分が他人にしてもらいたいことは、人にもしてやりなさいということ。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
お払い箱になる(おはらいばこになる)
使用人が辞めさせられること。 また、要らなくなったものが捨てられること。 伊勢神宮にある「お祓(はら)い箱」は、中の札が毎年取り換えられて古い札は捨てられることから。 「祓い」を「払い」に掛けて言ったもの。
思し召しより米の飯(おぼしめしよりこめのめし)
思いやりのある言葉よりも実際に役に立つものをもらうほうが有り難いということ。 口先だけの好意より、腹の足しになる米の飯をもらうほうが有り難いとの意から。 「召し」と「飯」の語呂合わせの言葉。
思い邪なし(おもいよこしまなし)
心が純粋で、邪念も偽りもまったくないということ。
思うこと言わねば腹ふくる(おもうこといわねばはらふくる)
思っていることを我慢して言わずにいると、腹の中の物がつかえているようですっきりしないということ。 「物言わねば腹ふくる」「言わねば腹ふくる」ともいう。
思う事一つ叶えばまた一つ(おもうことひとつかなえばまたひとつ)
欲望には限りがないということ。一つ望みが叶うと、すぐにまた次を望む意から。
思うようなら子と三人(おもうようならことさんにん)
人生が思い通りになるなら、夫婦と子ども一人の三人で暮らすのが一番いいということ。
玩具箱を引っ繰り返したよう(おもちゃばこをひっくりかえしたよう)
部屋などがひどく散らかっていることのたとえ。
重荷に小づけ(おもににこづけ)
重い負担がある上に、さらに負担が加わること。 「小づけ」は、大きな荷物の上に乗せる小さな荷物のこと。 「大荷に小づけ」ともいう。
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親が親なら子も子(おやがおやならこもこ)
親と子はよく似るものだということ。親がだめだと子どももだめだというように、悪いところが似た場合に多く使われる。
親苦、子楽、孫乞食(おやく、こらく、まごこじき)
親が苦労して築いた財産も、子が楽をして使い果たし、孫の代は乞食のような暮らしになりがちだというたとえ。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けても言う。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
親に似ぬ子は鬼子(おやににぬこはおにご)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
親の恩は子で送る(おやのおんはこでおくる)
わが子をりっぱに育てることで、親から受けた恩を返すということ。「送る」は恩に報いるという意。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)
親がいなくても、子どもはなんとか成長していく。世の中は、そう心配することもないというたとえ。
親は木綿着る、子は錦着る(おやはもめんきる、こはにしききる)
親は一生懸命働き質素に暮らして財産を築き、子はその苦労を知らずにぜいたくをして、親の財産を浪費するというたとえ。
親馬鹿子馬鹿(おやばかこばか)
わが子かわいさのあまり、親は子の愚かさを見抜けず、子は親の愛情に甘えて愚かなまねをするということ。
及ばぬ鯉の滝登り(およばぬこいのたきのぼり)
どんなに頑張ってもとうてい不可能なことのたとえ。また、いくら望んでも見込みのない恋のたとえ。「及ばぬ恋」と「鯉の滝登り」をかけていった言葉。
負わず借らずに子三人(おわずからずにこさんにん)
人の世話にならず、借金もなく、子どもが三人ぐらいいる家庭が理想的で幸福だということ。
お椀を持たぬ乞食はない(おわんをもたぬこじきはない)
仕事に必要な道具はちゃんと揃えておけということ。 乞食でも、貰い物を入れるお椀はどんな時も持っているとの意から。
女心と秋の空(おんなごころとあきのそら)
秋の空模様のように、女性の心の変わりやすいということ。
女賢しゅうして牛売り損なう(おんなさかしゅうしてうしうりそこなう)
女は利口そうに見えても、目先の利にとらわれて大局を見通せずに失敗するというたとえ。 女がでしゃばりすぎて売り物の牛について余計なことを言い、売り損なってしまったという話から。
女の心は猫の目(おんなのこころはねこのめ)
女の心は気まぐれで変わりやすいことのたとえ。 女心は、猫の目が光によって形が変化するように変わりやすいとの意から。
女は氏無うて玉の輿に乗る(おんなはうじのうてたまのこしにのる)
女は低い家柄の生まれでも、容姿や運しだいで、金持ちや高貴な人と結婚できるということ。
女は己を説ぶ者のために容づくる(おんなはおのれをよろこぶもののためにかたちづくる)
女は自分を愛してくれる男のために、よりいっそう念入りに化粧をし着飾ったりするということ。
負んぶすれば抱っこ(おんぶすればだっこ)
他人の力を当てにして、つけあがって甘えることのたとえ。 負んぶしてやると次には抱っことねだることから。 「負ぶえば抱かろう」「負んぶすれば抱っこ」「抱かさせば負ぶさる」ともいう。
おんぶに抱っこ(おんぶにだっこ)
おんぶすると次は抱っこをしてほしいと甘える子どもように、何もかも他人に頼りきりになること。
返す言葉がない(かえすことばがない)
自分の失敗や誤りなどを他者から指摘され、弁解や反論する余地がないこと。
蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)
子どもは親に似るものであるということ。また、凡人の子はやはり凡人であるというたとえ。
顔で笑って心で泣く(かおでわらってこころでなく)
泣きたいほどつらくても顔では笑ってみせるということ。
顔を拵える(かおをこしらえる)
化粧をすることのたとえ。
顔をほころばせる(かおをほころばせる)
嬉しさなどで思わず笑顔になること。
屈み女に反り男(かがみおんなにそりおとこ)
女は少しうつむき加減にしている姿が良く、男は少し胸を張った反り加減の姿が良いということ。
陰では王様の事も言う(かげではおうさまのこともいう)
誰であろうと陰口を言われない者はいないということ。 陰では王様でさえ悪口を言われるとの意から。 「陰では殿の事も言う」ともいう。
華甲(かこう)
数え年で六十一歳のこと。 「華」は、六個の十と一個の一からなることから、六十一を表す。 「甲」は、甲子(きのえね)のことであり、[[十干*https://kanji.jitenon.jp/cat/hyoki09.html]]の一番目である「甲」と、[[干支*https://kanji.jitenon.jp/cat/hyoki09.html]]の一番目である「子」をそれぞれ指す。
嘉肴ありと雖も食らわずんばその旨きを知らず(かこうありといえどもくらわずんばそのうまきをしらず)
何事も自分で体験してみなければ、その価値やすばらしさがわからないということ。 「嘉肴」は、おいしい料理。 どんなにおいしい料理も、自分で食べてみなければそのおいしさはわからないとの意から。
火事場に煙草の火なく大水に飲み水なし(かじばにたばこのひなくおおみずにのみみずなし)
大勢の人がいても、本当に役に立つ人は少ないということ。 洪水の水はたくさんあっても、飲み水としては使えないとの意から。 「火事場に煙草の火なく大水に飲み水なし」ともいう。
数でこなす(かずでこなす)
一つ一つの利益は小さいが、大量に売り捌くことによって採算がとれるようにすること。
風が吹けば桶屋が喜ぶ(かぜがふけばおけやがよろこぶ)
思いもかけないところに影響が出るたとえ。また、あてにならない期待をするたとえ。 大風が吹けば土ぼこりが舞い上がって目に入り、目の不自由な人が増える。目の不自由な人は三味線で生計を立てようとするので、三味線に使う猫の皮がたくさん必要になる。猫が捕らえられて少なくなるとねずみが増える。ねずみは桶をかじるので桶屋が儲かるという話から。 「風」は「大風」、「儲かる」は「喜ぶ」ともいう。