「た」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「た」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 250 件
大隠は市に隠る(たいいんはいちにかくる)
本当の隠者は、人里離れたところに隠れ住んでいるのではなく、市中で人と交わって暮らしているということ。 「大隠」は悟りを開いた隠者のこと。
大恩は報せず(たいおんはほうせず)
小さな恩義はすぐに気づいて報いることができるが、大きな恩義はその大きさゆえに気づきにくく、感謝や報恩ができないということ。
大海の一滴(たいかいのいってき)
大きな海の中の一滴の水のように、広大なところにきわめて小さなものがあることのたとえ。
大海は芥を択ばず(たいかいはあくたをえらばず)
度量が広く、どんな相手でもすべて受け入れるというたとえ。 「芥」はごみのこと。 大海はごみであっても気にせずに受け入れるという意味から。
大海を手で塞ぐ(たいかいをてでふさぐ)
どうやっても出来るはずのない不可能なことをしようとすることのたとえ。 大海の水を手で堰き止めようとするとの意から。
大海を耳搔きで測る(たいかいをみみかきではかる)
とても大きな問題に対して、自分の小さな力や考えで判断しようとするたとえ。広い海の水を耳掻きで汲んではかろうとすることから。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
大きな勢力の危機は、一人の力だけではどうすることもできないということ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れかけているのを、一本の木だけで支えることはできないとの意から。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
大家後なし(たいかのちなし)
その道の大家は一代限りで、子孫が大家になるとは限らないということ。
大旱の雲霓を望む(たいかんのうんげいをのぞむ)
物事の到来を待ち望むことのたとえ。 「大旱」はひどい日照り、「雲霓」は雲と虹のこと。 ひどい日照りの時に、雨の前触れである雲や虹を待ち望むとの意から。
大姦は忠に似たり(たいかんはちゅうににたり)
大悪人は本性を隠して主君に仕えるので、あたかも忠臣のようにみえるということ。「大姦」は大悪人の意。
大概にする(たいがいにする)
ほどほどにする。ある程度でやめておく。「大概にしろ」の形で使われることが多い。
対岸の火事(たいがんのかじ)
自分にはまったく影響がなく、苦痛を感じないたとえ。向こう岸の火事はこちらまで燃え移ってくる危険がないことから。
大義、親を滅す(たいぎ、しんをめっす)
国や君主に尽くす時は親子兄弟さえ犠牲にすることがあるということ。
大疑は大悟の基(たいぎはたいごのもとい)
大きな疑いを持つということは、大きな悟りを開くもとであるということ。
大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
大人物はつまらない仕事や地位には満足しないというたとえ。 大きな魚は小さな池には棲んでいないという意味から。
大魚を逸する(たいぎょをいっする)
大きな仕事・手柄などをあと少しのところで逃すこと。 大きな魚を取り逃すことから。
大軍に関所なし(たいぐんにせきしょなし)
大きな勢力にはかなわないということ。大軍に攻められたらそれをはばむ関所などないという意味から。
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
本当に賢い人は知識をひけらかさないから、一見愚か者のように見えるということ。
大行は細謹を顧みず(たいこうはさいきんをかえりみず)
大事業を成し遂げようとする者は、小さな事柄など気にかけないということ。「細謹」は細かいことに気を配る意。
大功は拙なるが如し(たいこうはせつなるがごとし)
真の名人は小細工をしないので、一見すると下手に見えるということ。
大功を成す者は衆に謀らず(たいこうをなすものはしゅうにはからず)
大事業を成し遂げる者は、周囲の意見を聞いたり相談したりせず、自分の判断で事を行うということ。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
大きな功績を表彰しようと議論する時、たとえそのかげに小さな過失があっても大目に見て問題にしないということ。
太鼓判を押す(たいこばんをおす)
絶対に間違いないと保証するたとえ。太鼓のように大きな判を押す意から。
太鼓も撥の当たりよう(たいこもばちのあたりよう)
こちらのやり方次第で相手の出方も違ってくるというたとえ。 太鼓はたたき方ひとつで、音の強弱がかわるとの意から。 「撥」は「桴」や「枹」とも書く。
太鼓を叩く(たいこをたたく)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を持つ。
太鼓を持つ(たいこをもつ)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を叩く。
泰山の安きに置く(たいざんのやすきにおく)
泰山のように、揺るぎないものとしてどっしりと安定させること。 中国の名山である泰山は、古くから動じないものの象徴とされる。
泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)
大きなことを成し遂げる人は、小さい意見にも素直に耳を傾ける度量の広さを持つ、またそのようにして自分を高めていくというたとえ。 「泰山」は中国、山東省にある山。 泰山はどんな小さな土くれでも拒まずに受け入れて大きな山になったとの意から。 「泰山」は「太山」とも書く。
泰山北斗のごとし(たいざんほくとのごとし)
その道の大家として最も尊ばれる人物をたとえていうことば。 「泰山」は中国、山東省にある名山、「北斗」は北斗七星。 中国では、泰山と北斗七星が人々から仰ぎ見られていたことから。 「泰山北斗」は略して「[[泰斗*https://kokugo.jitenon.jp/word/p30621]]」ともいう。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
太山を挟んで北海を超ゆ(たいざんをわきばさんでほっかいをこゆ)
人間の力では出来るはずがないことのたとえ。 「太山」は泰山、「北海」は中国北東部にある渤海湾(ぼっかいわん)のこと。 泰山を小脇にかかえて渤海湾を飛び越えるとの意から。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
大珠小珠、玉盤に落つ(たいじゅしょうじゅ、ぎょくばんにおつ)
大小の真珠が玉の皿に落ちるように、美しく澄んだ琵琶の音色が響き渡ること。
大人は大耳(たいじんはおおみみ)
徳の高いすぐれた人は、些細なことを問いただしたり非難したりしないということ。
大人は赤子の心を失わず(たいじんはせきしのこころをうしなわず)
高徳の人は、生まれ持った純粋な心をいつまでも失わないということ。また、君主たる者は、赤子を慈しむように民を大切にし、その気持ちに寄り添うということ。
大声は里耳に入らず(たいせいはりじにいらず)
高尚な理論は俗人にはなかなか理解されにくいということ。 「大声」は高尚な音楽、「里耳」は俗人の耳のこと。 高尚な音楽は俗人にはわからないとの意から。
大智は愚の如し(たいちはぐのごとし)
真に知恵のある人物は、知識や知恵をひけらかさないので、一見愚か者のように見えるということ。
大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず(たいてきとみておそれずしょうてきとみてあなどらず)
相手が強そうに見えても恐れてはいけないし、弱そうに見えても侮ってはいけないということ。
態度が大きい(たいどがおおきい)
分を弁えない無礼な態度であること。横柄な態度であること。
鯛なくば狗母魚(たいなくばえそ)
最善のものがない時には、それよりも劣っていても代わりのもので間に合わせなければならないということ。 「狗母魚」は、かまぼこの材料となる魚。 鯛がなければ狗母魚で我慢するとの意から。
鯛の尾より鰯の頭(たいのおよりいわしのかしら)
大きな集団の最後についているよりも、たとえ小さな集団でもその先頭に立つほうがいいというたとえ。
台風の目(たいふうのめ)
揺れ動く事態の中心となる人物や勢力。[1]より転じた意味。
「国政の―となる人物」太平楽(たいへいらく)
好き勝手なことを言ってのんきにしていること。天下泰平を祝う舞楽の一つから。
大木は風に折らる(たいぼくはかぜにおらる)
優れた人や高い地位の人ほど、人からねたまれて身を滅ぼしやすいことのたとえ。 高い木ほど強い風を受けて折れやすいことから。 「高木は風に折らる」「喬木は風に折らる」ともいう。
鯛も一人は旨からず(たいもひとりはうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。 「一人」は「独り」とも書く。
大勇は勇ならず(たいゆうはゆうならず)
本当に勇気のある人はむやみに人と争ったりしないので、一見勇気がないように見えるということ。「大勇は闘わず」「大勇は怯なるが如し」ともいう。
太陽の照っているうちに干し草を作れ(たいようのてっているうちにほしくさをつくれ)
好機は逃さずに役に立てよということ。 「太陽の照っているうちに干し草を作れ」ともいう。
大欲は無欲に似たり(たいよくはむよくににたり)
大きな望みを持つものは、小さな利益にはこだわらないので、一見欲がないようにみえるということ。また、あまりに欲深いものは、欲に目がくらんで損を招き、結局無欲のものと同じ結果になるということ。
大利は利ならず(たいりはりならず)
大きすぎる利益は、一見しただけでは利益と気づきにくいということ。
大漁の明日(たいりょうのあした)
良いことは、そうそう長続きしないということ。 大漁の次の日も大漁であるとは限らないとの意から。
体を交わす(たいをかわす)
相手の非難・追及などからうまく逃れること。体を向きを変えて衝突を避ける意から。 「交わす」は「躱す」とも書く。
体を成す(たいをなす)
それらしく形が整う。まとまった形になる。 「体(たい)」は「体(てい)」とも読む。
体を引く(たいをひく)
退く。後方へ下がる。
タオルを投げる(たおるをなげる)
ボクシングで、選手がこれ以上戦えないと判断したセコンドが、リング内にタオルを投げ入れること。転じて、意欲を喪失して物事を途中でやめること。
斃れて後、已む(たおれてのち、やむ)
命がある限り精一杯努力し続けること。 死んではじめてやめるとの意から。
高い舟借りて安い小魚釣る(たかいふねかりてやすいこざかなつる)
好きな事のためには、損得など考えないということのたとえ。
高かろう良かろう、安かろう悪かろう(たかかろうよかろう、やすかろうわるかろう)
値段が安いものは品質が悪いだろうということ。 安いものには安いなりの理由があるはずとの意から。 「高かろう良かろう、安かろう悪かろう」ともいう。
高が知れる(たかがしれる)
程度がわかり、たいしたことはないということ。「高」は数量や金額の意。
鷹が飛べば石亀も地団駄(たかがとべばいしがめもじだんだ)
身のほどもわきまえず、むやみに人のまねをしようとすること。 雁が飛び立つのを見て、自分も飛ぼうとした石亀が、飛べずにくやしがって地団駄を踏むことから。 単に「石亀も(の)地団駄」とも、「鷹が飛べば石亀も地団駄」「蛙が飛べば石亀も地団駄」ともいう。
高きに登るには低きよりす(たかきにのぼるにはひくきよりす)
物事には順序があり、手近なところから確実に始めるべきだということ。
高く買う(たかくかう)
相場より高い値段で買うこと。転じて、人物の能力や行いなどを高く評価すること。
高くつく(たかくつく)
安い物を買ったつもりが、思わぬところで出費がかさんで高いものになってしまうこと。
高く止まる(たかくとまる)
気位が高く、人を見下した態度をとること。
高嶺の花(たかねのはな)
高い嶺に咲くきれいな花のように、遠くから見るだけで手に入れることの出来ないもののたとえ。
鷹の前の雀(たかのまえのすずめ)
鷹の前にいる雀のように、身がすくんでどうすることもできないことのたとえ。
鷹は飢えても穂を摘まず(たかはうえてもほをつまず)
高潔な人は、どんなに困っても不正なことは決してしないというたとえ。鷹はどんなに飢えても穀物はついばまないということから。
高飛車に出る(たかびしゃにでる)
相手に対し高圧的な態度をとること。 「高飛車」は、将棋で飛車を自陣前方の高い位置にとる攻撃的な戦法。
高みに土盛る(たかみにつちもる)
無駄な骨折りのたとえ。十分高い所に、さらに土を盛り上げるということから。「高み」は、高い所の意。
高みの見物(たかみのけんぶつ)
高い所から下の騒ぎを見物するように、第三者の立場から、事の成り行きを興味本位に傍観すること。「高み」は、高い所の意。
田から行くも畦から行くも同じ事(たからいくもあぜからいくもおなじこと)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。
宝の持ち腐れ(たからのもちぐされ)
役に立つ物を持ちながら、利用しないたとえ。また、優れた才能や手腕がありながら、それを活用しないたとえ。
宝の山に入りながら手を空しくして帰る(たからのやまにいりながらてをむなしくしてかえる)
よい機会に恵まれながら、結局何の利益も得られないで終わることのたとえ。
宝は身の仇(たからはみのあだ)
なまじ財産があると、そのために自分の身を滅ぼすことがあるということ。
高を括る(たかをくくる)
たいしたことはないと見くびること。
箍が外れる(たががはずれる)
規律や束縛がない状態になる。 「箍(たが)」は、桶(おけ)や樽(たる)の周りにはめて緩まないようにする竹や金属の輪。
箍が緩む(たががゆるむ)
緊張が緩んだり、年をとったりして、締まりがなくなること。 「箍(たが)」は、桶(おけ)や樽(たる)の周りにはめて緩まないようにする竹や金属の輪。
箍を締める(たがをしめる)
緩んだ気持ちや規律を引き締める。 「箍(たが)」は、桶(おけ)や樽(たる)の周りにはめて緩まないようにする竹や金属の輪。
箍を外す(たがをはずす)
規律や束縛から抜け出し、自由に行動する。 「箍(たが)」は、桶(おけ)や樽(たる)の周りにはめて緩まないようにする竹や金属の輪。
薪に花(たきぎにはな)
姿は上品ではなくても、内にはやさしさや風雅の心を秘めていることのたとえ。 薪を採る山人が、積んだ薪に野山の花を添えるの意。
薪を抱きて火を救う(たきぎをいだきてひをすくう)
害を除こうとして、かえって害を大きくしてしまうことのたとえ。火を消そうとして薪を抱えて火元に近づき、逆に火の勢いを強めてしまうということから。