「れ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「れ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 795 件
これはしたり(これはしたり)
自分の失敗に気づいたり、驚いたりしたときなどに発する言葉。
子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)
困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。
御多分に漏れず(ごたぶんにもれず)
他のものと同じであること。例外ではなく。
才子、才に倒れる(さいし、さいにたおれる)
優れた才能を持っている人は、その才能を過信しすぎて、かえって失敗することがあるということ。
采薪の憂い(さいしんのうれい)
自分の病気をへりくだっていうことば。薪(たきぎ)をとりに行くことも出来ないほど身体が弱っているとの意から。
災難の先触れはない(さいなんのさきぶれはない)
人はいつ災難に遭うかわからないから、日頃の用心が大切であるということ。
賽は投げられた(さいはなげられた)
事がもう始まったからには、覚悟を決めてやり抜くよりほかに道はないということ。ローマの武将カエサルが、法を破り軍を率いてルビコン川を渡る時に言ったといわれる言葉。
酒外れはせぬもの(さかはずれはせぬもの)
酒好きな人たちと一緒のときは、たとえ下戸でもほんの少しでも口をつけるものだということ。
先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)
人より先に事を行えば、有利な立場に立ち相手を制することができるということ。
策士、策に溺れる(さくし、さくにおぼれる)
策略に秀でた人は策を練りすぎて、逆に失敗するということ。
桜は花に顕われる(さくらははなにあらわれる)
ふだんは平凡な人々に紛れていた人間が、何らかの機会に優れた才能を発揮するたとえ。他の雑木に交って目立たなかった桜の木も、花が咲いて初めて桜の木だと気づかれるということから。
探りを入れる(さぐりをいれる)
相手の隠していることを気づかれないように知ろうとすること。
酒買って尻切られる(さけかってしりきられる)
好意でしたことを仇で返されるたとえ。酒を奢った相手に尻を切られるような目に遭わされるということから。
酒なくて何の己が桜かな(さけなくてなんのおのれがさくらかな)
花見に酒はつきもので、酒を飲まない花見はおもしろくないということ。
酒は憂いの玉箒(さけはうれいのたまははき)
酒は心の憂いをきれいに払ってくれるすばらしいほうきのようなものであると酒を賞賛した言葉。 「玉箒」はほうきの美称。 「憂いを掃う玉箒(うれいをはらうたまははき)」ともいう。
差しつ差されつ(さしつさされつ)
親しく酒を飲む様子。互いに酒を注ぎ合うという意味から。
鯖の生き腐れ(さばのいきぐされ)
鯖はいたみやすく、新鮮なように見えても腐りはじめてるいることがあるということ。
然もあらばあれ(さもあらばあれ)
なるようにまかせるしかないこと。どうにでもなれ。ままよ。 「遮莫」とも書く。
猿の水練、魚の木登り(さるのすいれん、うおのきのぼり)
見当違いのことをするたとえ。
三顧の礼(さんこのれい)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。 単に「三顧」ともいう。
山中暦日なし(さんちゅうれきじつなし)
山の中で俗世間を離れて暮らしていると、月日の経つのも忘れるということ。「暦日」は、月日の意。
三人知れば世界中(さんにんしればせかいじゅう)
人が三人集まる所で話したことは、秘密にするのはむずかしく、世界中に知れ渡ってしまったのと同じことになるというたとえ。
三人寄れば姦しい(さんにんよればかしましい)
女はおしゃべりで、三人も集まればやかましくてかなわないということ。「女」の字を三つ合わせて「姦」という字になるところから。
三人寄れば公界(さんにんよればくがい)
人が三人集まれば、そこはもう公の場所と考えるべきであり、そこでの言動を秘密にするのは難しいということ。 「公界」は、公の場所。世間。
三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)
たとえ凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵がでるというたとえ。「文殊」は、知恵をつかさどる菩薩の名前。
材、大なれば用を為し難し(ざい、だいなればようをなしがたし)
立派すぎる人物は世の中になかなか受け入れられないというたとえ。 材木が大きすぎると使いづらいという意味から。
雑音を入れる(ざつおんをいれる)
関係のない人が無責任な意見や批評を言うこと。
座を見て皿をねぶれ(ざをみてさらをねぶれ)
その場の様子をみきわめてから、自分の出方を決めるのが利口だということ。 「ねぶる」は舐める意。 場所柄をよく考えて、ごちそうの皿を舐めるかどうか判断せよとの意から。
思案に暮れる(しあんにくれる)
どれだけ考えてもよい案が浮かばず思い悩むこと。
塩を売れば手が鹹くなる(しおをうればてがからくなる)
仕事の癖や習慣は、いつの間にか身について、生まれつきのようになっているというたとえ。毎日塩を売っていれば、自然と手が鹹くなっているということから。
四月の中の十日に心なしに雇われるな(しがつのなかのとおかにこころなしにやとわれるな)
四月の中旬頃は日が長いので、思いやりのない人に雇われるといつまでも働かされるので気をつけよということ。また、その頃の日中の時間が長いことをいう。
仕事幽霊飯弁慶、その癖夏痩せ寒細り、たまたま肥ゆれば腫れ病(しごとゆうれいめしべんけい、そのくせなつやせかんぼそり、たまたまこゆればはれやまい)
仕事は出来ないのに飯は山のように食べ、夏も冬のように痩せていて、たまに太ったかと思えば病気にかかっている。怠け者の大食漢の多病をあざけった言葉。
支証の出し遅れ(ししょうのだしおくれ)
時機を逃してしまい役に立たなくなってしまうことのたとえ。 証拠を出し遅れてしまうとの意から。 「証文の出し遅れ」ともいう。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり)
人生にはいい時も悪い時もある。悪いことばかりが続くわけでないから、くよくよするなということ。
自然に帰れ(しぜんにかえれ)
社会の因襲による悪影響から逃れ、人間本来の自然の状態に帰れということ。フランスの啓蒙思想家・小説家ジャン・ジャック・ルソーの言葉。
親しき仲にも礼儀あり(したしきなかにもれいぎあり)
親しい間柄であっても、遠慮がなくなると関係が悪化する原因になるため、礼儀を大切にする必要があること。 「近しき仲に礼儀あり」ともいう。
知って問うは礼なり(しってとうはれいなり)
たとえ知っていることでも、専門家に意見を聞くのが礼儀だということ。
死に別れより生き別れ(しにわかれよりいきわかれ)
死に別れもつらいが、生き別れのほうがもっとつらいということ。
死ねば死に損、生くれば生き得(しねばしにぞん、いくればいきどく)
生きていればいつか幸運にめぐり合うかもしれないから生き得と言えるが、死ねばそれで終りだから死に損である。人は生きていなければどうにもならにということ。
士は己を知る者の為に死す(しはおのれをしるもののためにしす)
男子は自分の真価を認めてくれる者のためには、命さえ惜しまずに尽くすということ。「士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる」と続く。
痺れを切らす(しびれをきらす)
長い時間待たされて我慢できなくなること。
奢侈に流れる(しゃしにながれる)
収入や立場を超えた贅沢な生活をすること。
沙弥から長老にはなれぬ(しゃみからちょうろうにはなれぬ)
物事には順序があり、一足飛びには上に進めないというたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)
弟子が師より優れていることのたとえ。 藍草から作られた染料の青色が、元となる藍草よりも青く美しいことから。 「出藍の誉れ」ともいう。
朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
人は交際する相手によって善にも悪にもなるというたとえ。 赤いものに触れると赤くなるように、人も周りの影響を受けるということ。
朱を入れる(しゅをいれる)
文章を書き加えたり訂正したりすること。添削すること。 「朱」は赤い色の墨のこと。 「朱筆を入れる」ともいう。
舜も人なり吾もまた人なり(しゅんもひとなりわれもまたひとなり)
人は誰でも努力や心がけ次第で立派な人間になれるということ。 「舜」は、中国太古の伝説上の聖天子のこと。五帝の一人。 「吾」は、自分のこと。 舜も自分も同じ人間なのだから、舜に出来たことは自分にも出来るとの意から。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ(しょうをいんとほっすればまずうまをいよ)
何かを達成したり手に入れたりしようとするときには、まずは周囲にあるものから狙うのがよいというたとえ。 敵将を射ようとするのであれば、まず敵将の乗っている馬を射止めるのがよいとの意から。 「将を射んとせば先ず馬を射よ」「人を射んとせば先ず馬を射よ」ともいう。
知らざるを知らずと為せ、是れしるなり(しらざるをしらずとなせ、これしるなり)
知ったふりをしないで、知らない事は知らないと自覚すること、これが本当に知るということであるということ。
尻が割れる(しりがわれる)
隠し事が露見するたとえ。
知りて知らざれ(しりてしらざれ)
よく知っていてもむやみに自慢しないほうが奥ゆかしいということ。 「知って知らざれ」ともいう。
尻の毛まで抜かれる(しりのけまでぬかれる)
利用されて全て騙し取られること。
詩を作るより田を作れ(しをつくるよりたをつくれ)
現実の生活に役に立たない風流なことをするより、実益となる仕事をせよというたとえ。腹の足しにもならない詩を作るより、実益のある田んぼを作れということから。
寝食を忘れる(しんしょくをわすれる)
寝ることや食べることを忘れるほどに熱心に取り組むこと。
進退維谷まる(しんたいこれきわまる)
進むことも退くこともできない窮地に追い込まれること。 「谷まる」は窮まる、ぎりぎりの状態に追い込まれること。 「進退谷まる」ともいう。
身体髪膚、これを父母に受く(しんたいはっぷ、これをふぼにうく)
人の身体はすべて父母から受けたものであるから、大切にしなければならないということ。後に「敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」と続く。
死んだら褒められる(しんだらほめられる)
生前悪評のあった人でも、死んでしまうと懐かしがられ、褒められるようになるということ。
心頭滅却すれば火もまた涼し(しんとうめっきゃくすればひもまたすずし)
どんな困難でも、精神の持ち方次第で乗り越えられるということ。 「心頭」は、心の中。 心の中から雑念を消し去り、無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるとの意から。 武田信玄に仕えた禅僧快川が、甲斐の恵林寺で織田信長の軍勢に攻められたとき、火中に正座して言ったとされる言葉。
地獄へも連れ(じごくへもつれ)
どんな所に行く時も同伴者がいたほうがいいということ。 たとえ地獄に行くにしても、同伴者がいたほうがいいとの意から。
地蔵は言わぬが我言うな(じぞうはいわぬがわれいうな)
秘密を打ち明けたあと、相手に口止めしながら、自分が人にしゃべってしまう人間に対していう戒めの言葉。悪事を働いた者が、道端の地蔵に「どうか黙っていて下さい」とお願いしたところ「俺は言わぬがわれ言うな」と地蔵が答えたという昔話から。
耳朶に触れる(じだにふれる)
偶然聞くこと。たまたま耳に入ること。聞き及ぶ。
耳目に触れる(じもくにふれる)
見たり聞いたりすること。
銃弾に倒れる(じゅうだんにたおれる)
銃弾に当たって死ぬこと。
十分はこぼれる(じゅうぶんはこぼれる)
容器一杯に水をいれると、ちょっとした揺れでこぼれてしまうように、物事も欲を出しすぎると失敗することがあるので、ほどほどが良いということ。
情に引かされる(じょうにひかされる)
相手に同情してしまい、厳しい決断を下せないこと。
情に絆される(じょうにほだされる)
人情に訴えられ、意思や考えなどから外れた行動をしてしまうこと。
仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず(じんしゃはうれえず、ちしゃはまどわず、ゆうしゃはおそれず)
仁徳の備わった者はものの道理に従って行動するから、何ひとつ心配することがない。知恵を備えた者は道理をわきまえているので事をなすにあたって迷いがない。勇気がある者は信念を持って行動しどのような事態にも臆することがないということ。
人生七十、古来稀なり(じんせいしちじゅう、こらいまれなり)
七十歳まで生きる人は、昔から非常に少ないということ。このことから七十歳のことを「古稀(古希)」という。
沈丁花は枯れても香し(じんちょうげはかれてもかんばし)
もともと良いものは、たとえ盛りが過ぎても値打ちがあるというたとえ。沈丁花は枯れてもなおよい香りがすることから。
西瓜は土で作れ南瓜は手で作れ(すいかはつちでつくれかぼちゃはてでつくれ)
西瓜を作るときは肥料と土壌が大事で、南瓜を作るときは念入りに手入れすることが大事ということ。作物の上手な作り方をいった言葉。
好いた水仙好かれた柳(すいたすいせんすかれたやなぎ)
お互いに好き合った男女を水仙と柳になぞらえたもの。
好いた同士は泣いても連れる(すいたどうしはないてもつれる)
お互いに好き合った男女は、辛さに泣きながらでも離れず連れ添うものだということ。
末大なれば必ず折る(すえだいなればかならずおる)
下の者の勢力が強くなると、上の者は必ず倒されてしまうということ。 松葉が茂り重くなると、強い幹も折れてしまうとの意から。
好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
好きであることは、上手になるための大切な条件であるということ。
好きな事には騙され易い(すきなことにはだまされやすい)
好きなことは冷静な判断が出来にくく、深入りしやすいから、人の企みに陥りやすいということ。
勝れて良き物は勝れて悪し(すぐれてよきものはすぐれてあし)
特にすぐれているということは、悪い面も持ち合わせているから、何事も普通がいいということ。
雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)
小さい頃に身についた習慣は、年をとっても改まりにくいというたとえ。 雀は死ぬまで、踊るように飛び跳ねるて歩くとの意から。
捨てる神あれば拾う神あり(すてるかみあればひろうかみあり)
人から見捨てられることもあれば、親切に助けてくれる人もいる。たとえ不運なことがあっても、くよくよするなということ。 「捨てる神あれば助ける神あり」ともいう。
臍下丹田に力を入れる(せいかたんでんにちからをいれる)
「臍下丹田」は臍(へそ)のやや下の腹部のことで、そこに力を入れると健康が得られ勇気がわくととされる。転じて、度胸を据えてどっしり落ち着くことをいう。
青天の霹靂(せいてんのへきれき)
思いもよらない大事件や変動が突然起こること。