「一」を含む故事・ことわざ・慣用句
「一」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 346 件
門松は冥土の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)
門松はめでたいものだが、飾るたびに年を重ね死に近づくので、いわばあの世に向かう一里塚のようなものだということ。 「冥土」は、あの世のこと。 「一里塚」は、街道に一里ごとに築かれ、旅人のための里程標となった塚のこと。 この歌は一休作という説があり、このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けてもいわれる。
悲しい時は身一つ(かなしいときはみひとつ)
困ったり落ちぶれたりすると、他人は当てにならず、頼りになるのは自分だけだということ。「身一つ」は財産もなく自分の体だけという意。
紙一重の差(かみひとえのさ)
差が極めてわずかなこと。 単に「紙一重」ともいう。
借りる八合、済す一升(かりるはちごう、なすいっしょう)
人に物やお金を借りたら、少し多めに返すか、お礼を添えて返すのが常識であるということ。 「済す」は、返済すること。 八合借りたら、一升にして返すべきであるとの意から。
彼も一時、此れも一時(かれもいちじ、これもいちじ)
時とともに、世の中のことは移り変わっていくものである。だから、あの時はあの時、今は今で、あの時と今とを単純に比べることはできないということ。また、栄枯盛衰も一時限りであるということ。「彼」は、あの時の意。
皮切りの一灸(かわきりのひとひ)
なんでも最初は苦しいものだというたとえ。一番初めにすえる灸が、ひどく熱いと感じられることから。
間一髪(かんいっぱつ)
事態が非常に差し迫っていること。寸前のところ。 髪の毛一本ほどの狭い隙間のことから。
堪忍は一生の宝(かんにんはいっしょうのたから)
怒りを抑えたり痛みや苦しみをこらえたりすることができると、一生の宝を持っているように安らかで幸福に生きていくことができるので、生涯心がけていくべきであるということ。 「堪忍は身の宝」ともいう。
聞いた百文より見た一文(きいたひゃくもんよりみたいちもん)
人から百文の値打ちと聞かされるよりも、自分の目で見たほうが値打ちがあるということ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじ、きかぬはいっしょうのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。
客人一杯手八杯(きゃくじんいっぱいてはちはい)
客に酒を一杯すすめる間に、主人が手酌で酒を八杯飲むということ。酒好きの人が客にかこつけて酒を飲むことにもいう。
九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
多数の中のわずかな一部分のこと。取るに足りないことのたとえ。 「九牛」は、多くの牛のこと。 多くの牛の中の一本の毛のことから。
九死に一生を得る(きゅうしにいっしょうをえる)
ほとんど助かる見込みがないと思われる危険な状態に陥りながら、かろうじて助かること。 「十のうち、九が死、一が生」のような助かる見込みがほとんどない状況で生き残るとの意から。 「万死に一生を得る」「万死の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇う」「九死一生」などともいう。
九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)
長い間の努力も最後のわずかなところでやめてしまえば無駄になることのたとえ。 「九仞」は非常に高い、「一簣」は一杯のもっこの意。 高い山を築くのに、最後のもっこ一杯の土を虧く(欠く)と完成しないとの意から。
窮余の一策(きゅうよのいっさく)
追いつめられて困ったあげく、苦しまぎれに思いついた一つの方法のこと。「窮余」は、行き詰まった末という意。
今日の一針、明日の十針(きょうのひとはり、あすのとはり)
すぐにしなければならないことを先延ばしすると、余計に手間がかかるということのたとえ。 今日なら一針縫えば済むのに、明日に延ばせばほころびが広がり、十針も縫わなければならなくなるとの意から。
桐一葉(きりひとは)
桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の訪れを知ること。転じて、小さなできごとから衰亡の兆しを感じ取ることのたとえ。
軌を一にす(きをいつにす)
やり方や立場が同じであること。 「軌」は、車輪の跡のこと。 車の通った跡が同じとの意から。
槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)
栄華が長続きしないことのたとえ。 「槿花」は、むくげの花。 朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうむくげの花のように、はかない栄華との意から。 「槿花一朝の夢」ともいう。
食い物と念仏は一口ずつ(くいものとねんぶつはひとくちずつ)
食べ物は一口ずつでもみんなで分け合って食べたほうがよいということ。また、念仏は一人が一口ずつ唱えてもご利益があるということ。 「食い物」は「食べ物」ともいう。
九尺二間に戸が一枚(くしゃくにけんにとがいちまい)
間口が九尺、奥行き二間、入り口の戸が一枚だけというような、きわめて狭く粗末な家のたとえ。
首の皮一枚(くびのかわいちまい)
ほんの僅かではあるが、可能性がのこっている様子。 もとは、斬首刑で斬られた首と胴体が皮一枚でつながっている状態をいった言葉で、現在用いられる意味とは異なる。
愚者も千慮に一得有り(ぐしゃもせんりょにいっとくあり )
愚か者でも、たまにはいい考え方をすることがあるということ。 「愚者も一得」「愚者にも一得」「愚者の一得」ともいう。
鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
平凡な人の中に、一人だけ際立ってすぐれた者がいることのたとえ。 鶏の群の中に鶴が一羽混じっているということから。「群鶏の一鶴」ともいう。
褻にも晴れにも歌一首(けにもはれにもうたいっしゅ)
普段の時も晴れの席でも、同じ歌一首しか詠めないということ。無能無芸を嘲笑う言葉。「褻」は、普段。
下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)
戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。
鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意味から。
好一対(こういっつい)
よく似合っている一組。好ましい組み合わせの一対。男女の間などについてよく用いられる。
紅一点(こういってん)
多数の男性の中に女性が一人混じっていることのたとえ。見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。「[[万緑叢中紅一点*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1213.php]]」の略。
黄粱一炊の夢(こうりょういっすいのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
黄粱の一炊(こうりょうのいっすい)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
虚仮の一心(こけのいっしん)
愚かな者でも物事を一心に行えば、すぐれたことが出来るというたとえ。 「虚仮」は、愚か者のこと。 「虚仮の一念」ともいう。
心は二つ身は一つ(こころはふたつみはひとつ)
あれもこれもと心は二つのことを望むが、自分のからだは一つしかなく、思い通りにならないということ。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
五指のこもごも弾くは捲手の一挃に若かず(ごしのこもごもはじくはけんしゅのいっちつにしかず)
ばらばらな個々の力は、団結した力には及ばないことのたとえ。 五本の指をばらばらにはじく力は、握りこぶしで叩いた一撃には及ばないとの意から。
三国一(さんごくいち)
世界一のこと。「三国」は、インド・中国・日本の三つの国のことで、昔はこの三国を全世界としていたことから。
三度の火事より一度の後家(さんどのかじよりいちどのごけ)
三度火事に遭うより、一度だけでも夫に先立たれるほうが精神的打撃が大きくて立ち直りにくいというたとえ。
三人旅の一人乞食(さんにんたびのひとりこじき)
三人で旅をする時には、その中の一人が仲間はずれになりがちだということ。また、三人で事をすると、貧乏くじをひいて損をすることが多いということ。
財は一代の宝(ざいはいちだいのたから)
財産はその人一代限りのものであり、その後はどうなるかわからないということ。
死しての千年より生きての一日(ししてのせんねんよりいきてのいちにち)
死んでからの千年より、この世での一日のほうが大事だということ。
芝居は一日の早学問(しばいはいちにちのはやがくもん)
芝居は歴史上の事柄や物事の道理を学ぶことができるので、無学な人でも手っ取り早く知識を得ることができるということ。 「芝居は無筆の早学問」ともいう。
衆目の一致する所(しゅうもくのいっちするところ)
大勢の見方や評価などが同じであること。
春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
おぼろ月夜に花の香りが漂う春の宵のひとときは、千金にも値するほどすばらしいということ。「一刻」はわずかな時間、「千金」は千両・大金の意。
正直は一生の宝(しょうじきはいっしょうのたから)
正直者は人から信頼され、それによって成功や幸福を手にすることができる。正直こそ一生を通じて大切に守るべき宝だというたとえ。
食後の一睡、万病円(しょくごのいっすい、まんびょうえん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病円」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
食後の一睡、万病丹(しょくごのいっすい、まんびょうたん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病丹」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
地獄の一丁目(じごくのいっちょうめ)
きわめて恐ろしい所のたとえ。また、悪の道や破滅に向かう始まりのたとえ。「一丁目」は入り口の意。
地獄の上の一足飛び(じごくのうえのいっそくとび)
きわめて危険な行為のたとえ。
地獄は壁一重(じごくはかべひとえ)
人間は一歩誤ると、罪を犯してしまいがちだということ。 地獄は壁を一枚隔てたすぐ隣にあるとの意から。
十把一絡げ(じっぱひとからげ)
いろいろな種類のものを、区別無くひとまとめにして取り扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして粗末に取り扱うこと。
十読は一写に如かず(じゅうどくはいちしゃにしかず)
十回読むよりも一回書き写した方が内容をよく理解できるということ。 「十遍読むより一遍写せ」ともいう。
十年一日の如し(じゅうねんいちじつのごとし)
長い年月が経っても、少しも変わらず同じ状態である様子。 十年経っても、最初の一日と同じであるとの意から。
雀の千声鶴の一声(すずめのせんこえつるのひとこえ)
つまらない者がいろいろ言うよりも、すぐれた者の一声のほうが勝っているというたとえ。「鶴の一声」だけでも使われる。
脛一本、腕一本(すねいっぽん、うでいっぽん)
地位、名誉、財産などもなく、自分のほかには頼るものがないことのたとえ。
駿河の富士と一里塚(するがのふじといちりづか)
かけ離れていて比較にならないことのたとえ。 「一里塚」は、街道の一里の目印として土を小高く盛って作った塚のこと。 形は似ていても大きさのかけ離れた一里塚と富士山を比べるとの意から。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさいっかい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)
国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。 「裘」は獣の毛皮で作った衣服。皮衣。「腋」は脇の下。 千金もする皮衣は、一匹の狐のわきの毛だけでは作れないとの意から。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。 市場にはいろんな物が売っていて、高価な物も買うことができるが、文字だけは売っていないとの意から。
千石万石も飯一杯(せんごくまんごくもめしいっぱい)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
千畳敷に寝ても畳一枚(せんじょうじきにねてもたたみいちまい)
人一人が必要な物は限られているので、むやみに欲を出すべきではないということ。 千畳もの広さがある部屋に寝ても、人が一人寝るのに必要な畳はせいぜい一枚であるとの意から。
千日の萱を一日に焼く(せんにちのかやをいちにちにやく)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日の旱魃に一日の洪水(せんにちのかんばつにいちにちのこうずい)
千日も続く日照りと、たった一日ですべてを流してしまう洪水とは、同じくらいの被害をもたらすということ。水害の恐ろしさをいった言葉。
千に一つ(せんにひとつ)
非常に珍しいこと。 多くある中のたったひとつとの意から。
仙人の千年、蜉蝣の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)
長い短いの違いはあっても、どちらも一生であることに変わりないことのたとえ。また、同じ一生でも長短の差が大きいことのたとえ。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千里一跳ね(せんりひとはね)
大きな鳥があっという間に千里も飛んでしまうように、物事を一気に行って大成功することのたとえ。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんなに賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい失敗もあるということ。また、十分に注意していても思わぬ失敗が起こるということ。 「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも、たまには一つぐらいよい考えを出すこともあるということ。
滄海の一粟(そうかいのいちぞく)
広大なものの中のきわめて小さいもののたとえ。 また、宇宙における人間の存在のはかなさのたとえ。 「滄海」は青い大海、「一粟」は一粒の粟のこと。 大海に浮かぶ一粒の粟という意味。
即時一杯の酒(そくじいっぱいのさけ)
死んでから受ける名誉より、今すぐ飲める一杯の酒のほうがありがたいということ。
粗相も時の一興(そそうもときのいっきょう)
失敗も、時によってはその場を和ませるような笑いを誘う一つの面白みであるということ。
備わらんことを一人に求むるなかれ(そなわらんことをいちにんにもとむるなかれ)
万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないということ。
その一を識りてその二を知らず(そのいちをしりてそのにをしらず)
知識が浅く応用力がないこと。一つのことだけ知って、それ以外のことには知識がない意から。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
大海の一滴(たいかいのいってき)
大きな海の中の一滴の水のように、広大なところにきわめて小さなものがあることのたとえ。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
大きな勢力の危機は、一人の力だけではどうすることもできないということ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れかけているのを、一本の木だけで支えることはできないとの意から。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
鯛も一人は旨からず(たいもひとりはうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。 「一人」は「独り」とも書く。