「いっ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「いっ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 186 件
一本取る(いっぽんとる)
剣道や柔道などで技が決まる。 議論などで言い負かす。相手をやり込める。
一本槍(いっぽんやり)
一つの方法や姿勢を終始押し通すこと。また、一本の槍だけで勝負を決めること。
犬一代に狸一匹(いぬいちだいにたぬきいっぴき)
めったにない大きなチャンスのたとえ。犬が狸のような大物を捕らえるのは一生に一度あるかどうかということから。
牛の一散(うしのいっさん)
日頃は決断の遅い人が、深く考えもせずむやみに行動することのたとえ。 歩みののろい牛が、何かのはずみで一目散に走り出すことから。
うまくいったらお慰み(うまくいったらおなぐさみ)
上手くいったら大いに結構である。 成功する確率が低いことを行なう時に当人がへりくだって、または周りの人が軽い皮肉を込めて言う言葉。
運用の妙は一心に存す(うんようのみょうはいっしんにそんす)
何事もその機能をうまく活用するためには、それを用いる人の心ひとつにかかるということ。
老いの一徹(おいのいってつ)
自分の意見や意向を押し通そうとする、老人の頑固な気質のこと。「一徹」は頑固の意。
押しの一手(おしのいって)
目的を達成するために、ただひたすらに突き進んでいくさま。
親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けても言う。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
借りる八合、済す一升(かりるはちごう、なすいっしょう)
人に物やお金を借りたら、少し多めに返すか、お礼を添えて返すのが常識であるということ。 「済す」は、返済すること。 八合借りたら、一升にして返すべきであるとの意から。
間一髪(かんいっぱつ)
事態が非常に差し迫っていること。寸前のところ。 髪の毛一本ほどの狭い隙間のことから。
堪忍は一生の宝(かんにんはいっしょうのたから)
怒りを抑えたり痛みや苦しみをこらえたりすることができると、一生の宝を持っているように安らかで幸福に生きていくことができるので、生涯心がけていくべきであるということ。 「堪忍は身の宝」ともいう。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじ、きかぬはいっしょうのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。
客人一杯手八杯(きゃくじんいっぱいてはちはい)
客に酒を一杯すすめる間に、主人が手酌で酒を八杯飲むということ。酒好きの人が客にかこつけて酒を飲むことにもいう。
九死に一生を得る(きゅうしにいっしょうをえる)
ほとんど助かる見込みがないと思われる危険な状態に陥りながら、かろうじて助かること。 「十のうち、九が死、一が生」のような助かる見込みがほとんどない状況で生き残るとの意から。 「万死に一生を得る」「万死の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇う」「九死一生」などともいう。
九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)
長い間の努力も最後のわずかなところでやめてしまえば無駄になることのたとえ。 「九仞」は非常に高い、「一簣」は一杯のもっこの意。 高い山を築くのに、最後のもっこ一杯の土を虧く(欠く)と完成しないとの意から。
窮余の一策(きゅうよのいっさく)
追いつめられて困ったあげく、苦しまぎれに思いついた一つの方法のこと。「窮余」は、行き詰まった末という意。
機を逸する(きをいっする)
ある事をおこなうのにちょうどよい機会を逃すこと。
槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)
栄華が長続きしないことのたとえ。 「槿花」は、むくげの花。 朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうむくげの花のように、はかない栄華との意から。 「槿花一朝の夢」ともいう。
愚者も千慮に一得有り(ぐしゃもせんりょにいっとくあり )
愚か者でも、たまにはいい考え方をすることがあるということ。 「愚者も一得」「愚者にも一得」「愚者の一得」ともいう。
鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
平凡な人の中に、一人だけ際立ってすぐれた者がいることのたとえ。 鶏の群の中に鶴が一羽混じっているということから。「群鶏の一鶴」ともいう。
褻にも晴れにも歌一首(けにもはれにもうたいっしゅ)
普段の時も晴れの席でも、同じ歌一首しか詠めないということ。無能無芸を嘲笑う言葉。「褻」は、普段。
下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)
戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。
好一対(こういっつい)
よく似合っている一組。好ましい組み合わせの一対。男女の間などについてよく用いられる。
紅一点(こういってん)
多数の男性の中に女性が一人混じっていることのたとえ。見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。「[[万緑叢中紅一点*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1213.php]]」の略。
好機逸すべからず(こうきいっすべからず)
絶好の機会は逃してはならないということ。
黄粱一炊の夢(こうりょういっすいのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
黄粱の一炊(こうりょうのいっすい)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
虚仮の一心(こけのいっしん)
愚かな者でも物事を一心に行えば、すぐれたことが出来るというたとえ。 「虚仮」は、愚か者のこと。 「虚仮の一念」ともいう。
米の飯と天道様はどこへ行っても付いて回る(こめのめしとてんとうさまはどこへいってもついてまわる)
どんな所でも太陽が当たるように、どこへ行っても食べることは何とでもなるということ。
郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ)
場所によって風俗や習慣が違うので、住む土地の習慣や慣習に従うのがよいということ。「郷」は地方・田舎の意。
五指のこもごも弾くは捲手の一挃に若かず(ごしのこもごもはじくはけんしゅのいっちつにしかず)
ばらばらな個々の力は、団結した力には及ばないことのたとえ。 五本の指をばらばらにはじく力は、握りこぶしで叩いた一撃には及ばないとの意から。
三千の寵愛一身にあり(さんぜんのちょうあいいっしんにあり)
皇帝の後宮に仕える多くの女性の中で、ひとりだけが特別に寵愛されていることのたとえ。
衆目の一致する所(しゅうもくのいっちするところ)
大勢の見方や評価などが同じであること。
春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
おぼろ月夜に花の香りが漂う春の宵のひとときは、千金にも値するほどすばらしいということ。「一刻」はわずかな時間、「千金」は千両・大金の意。
正直は一生の宝(しょうじきはいっしょうのたから)
正直者は人から信頼され、それによって成功や幸福を手にすることができる。正直こそ一生を通じて大切に守るべき宝だというたとえ。
食後の一睡、万病円(しょくごのいっすい、まんびょうえん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病円」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
食後の一睡、万病丹(しょくごのいっすい、まんびょうたん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病丹」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
地獄の一丁目(じごくのいっちょうめ)
きわめて恐ろしい所のたとえ。また、悪の道や破滅に向かう始まりのたとえ。「一丁目」は入り口の意。
地獄の上の一足飛び(じごくのうえのいっそくとび)
きわめて危険な行為のたとえ。
十遍読むより一遍写せ(じっぺんよむよりいっぺんうつせ)
十回読むよりも一回書き写した方が内容をよく理解できるということ。 「十遍読むより一遍写せ」ともいう。
常軌を逸する(じょうきをいっする)
常識外れなことを行ったり言ったりすること。
雀、海に入って蛤となる(すずめ、うみにいってはまぐりとなる)
思いがけない変化があることのたとえ。晩秋の海辺で騒ぐ雀が蛤になるという中国の古い俗信から。
脛一本、腕一本(すねいっぽん、うでいっぽん)
地位、名誉、財産などもなく、自分のほかには頼るものがないことのたとえ。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさいっかい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)
国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。 「裘」は獣の毛皮で作った衣服。皮衣。「腋」は脇の下。 千金もする皮衣は、一匹の狐のわきの毛だけでは作れないとの意から。
千石万石も飯一杯(せんごくまんごくもめしいっぱい)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
千日に刈った萱一時に亡ぼす(せんにちにかったかやいっときにほろぼす)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
仙人の千年、蜉蝣の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)
長い短いの違いはあっても、どちらも一生であることに変わりないことのたとえ。また、同じ一生でも長短の差が大きいことのたとえ。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんなに賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい失敗もあるということ。また、十分に注意していても思わぬ失敗が起こるということ。 「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも、たまには一つぐらいよい考えを出すこともあるということ。
即時一杯の酒(そくじいっぱいのさけ)
死んでから受ける名誉より、今すぐ飲める一杯の酒のほうがありがたいということ。
粗相も時の一興(そそうもときのいっきょう)
失敗も、時によってはその場を和ませるような笑いを誘う一つの面白みであるということ。
大海の一滴(たいかいのいってき)
大きな海の中の一滴の水のように、広大なところにきわめて小さなものがあることのたとえ。
大魚を逸する(たいぎょをいっする)
大きな仕事・手柄などをあと少しのところで逃すこと。 大きな魚を取り逃すことから。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
茶腹も一時(ちゃばらもいっとき)
わずかなことでも一時しのぎにはなることのたとえ。空腹の時もお茶でしばらくはしのげるということから。
中流に船を失えば一瓢も千金(ちゅうりゅうにふねをうしなえばいっぴょうもせんきん)
つまらないものでも、場合によってはとても価値があるというたとえ。 流れの真ん中で船を失ったときには、ひょうたん一個でも浮き袋の代わりになるとの意から。
長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)
見栄を張った多くの贈り物より、たとえわずかでも真心のこもった贈り物のほうが尊いということ。 金持ちが一万もの灯明をともすよりも、たとえ一灯でも貧しい人の心のこもった灯明のほうが値打ちがあるとの意から。 阿闍世王が釈迦を招いた時、帰り道にたくさんの灯火をともした。それを見て感激した貧しい老婆が、やりくりして一本の灯火をともした。すると、王の灯明が消えたあとも老婆の灯火は朝まで光り続けたという故事から。 「貧者の一灯」ともいう。
長蛇を逸す(ちょうだをいっす)
絶好の機会や非常に惜しい物などを取り逃がすこと。
長蛇を逸する(ちょうだをいっする)
もう少しの所で、大きな獲物や好機を逃すこと。
頂門の一針(ちょうもんのいっしん)
人の急所を突くような厳しい戒め。痛いところを突く教訓。 「頂門」は頭の上のことで、そこに針を突き刺すとの意から。
土一升金一升(つちいっしょうかねいっしょう)
土地の値段が非常に高いことのたとえ。 土一升が金一升に相当するとの意から。
亭主三杯客一杯(ていしゅさんばいきゃくいっぱい)
客をもてなすために、主人が客よりたくさん酒をのむこと。また、客をだしにして主人がふだんより多く酒を飲むことにもいう。
手酌五合、髱一升(てじゃくごごう、たぼいっしょう)
手酌では五合しか飲めないが、若い女性の酌では一升でも飲んでしまうということ。「髱」は日本髪の後ろに張り出している部分で、転じて、若い女性の意。
手は一生の宝(てはいっしょうのたから)
文字を巧みに書くことは、一生の宝だということ。
問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。
時を得た一針は九針の手間を省く(ときをえたいっしんはきゅうしんのてまをはぶく)
すぐに対処しておけば、あとで大掛かりな手間をかけずにすむということ。 その時に一針縫っておけば、あとで九針縫う手間を省くことができるとの意から。 「適時の一針は九針の手間を省く」ともいう。
隣は火事でも先ず一服(となりはかじでもまずいっぷく)
どんなに慌ただしい時でも休息は必要だというたとえ。忙しい時に休息しようとする場合に使う言葉。
富は一生の宝、知は万代の宝(とみはいっしょうのたから、ちはばんだいのたから)
財産は一代限りの宝であるが、すぐれた知恵は後世の人にも役立つ宝であるということ。
虎は千里行って千里帰る(とらはせんりいってせんりかえる)
勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。
道理百遍、義理一遍(どうりひゃっぺん、ぎりいっぺん)
ものの道理を百回聞かせるよりも、たった一度、義理を尽くした行いを見せるほうが、人の心を動かすことができるということ。
どこで暮らすも一生(どこでくらすもいっしょう)
どんな所で暮らしても人の一生に変わりがないから、どうせなら楽しく暮らせる所に住みたいということ。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生(ないてくらすもいっしょう、わらってくらすもいっしょう)
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
習うは一生(ならうはいっしょう)
人間には学ぶべきことがたくさんあるため、いくつになっても常に学び続ける必要があるという戒め。
西と言ったら東と悟れ(にしといったらひがしとさとれ)
人の言葉には表と裏があるもので、言葉の裏に隠された真意を察することが大切であるということ。 人が西と言っても、本意は東だと悟らなければいけないとの意から。