「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 868 件
三人寄れば姦しい(さんにんよればかしましい)
女はおしゃべりで、三人も集まればやかましくてかなわないということ。「女」の字を三つ合わせて「姦」という字になるところから。
三人寄れば公界(さんにんよればくがい)
人が三人集まれば、そこはもう公の場所と考えるべきであり、そこでの言動を秘密にするのは難しいということ。 「公界」は、公の場所。世間。
三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)
たとえ凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵がでるというたとえ。「文殊」は、知恵をつかさどる菩薩の名前。
三年、飛ばず鳴かず(さんねん、とばずなかず)
大いに活躍する機会を、長い間じっと待っていることのたとえ。 三年間飛びも鳴きもしない鳥は、ひとたび飛べば大空高く飛び上がり、ひとたび鳴けば人を驚かすとの意から。
三年経てば三つになる(さんねんたてばみっつになる)
生まれた子も三年経てばちゃんと三歳になるように、どんな物事も時が経てば変化し成長するということ。 「乞食の子も三年経てば三つになる」ともいう。
三拝九拝する(さんぱいきゅうはいする)
何度も頭を下げて頼み込んだり、敬意や感謝を表したりすること。
三拍子揃う(さんびょうしそろう)
必要な三つの条件が揃うこと。また、全ての条件が備わること。「三拍子」は、能楽の囃子で小鼓・大鼓・太鼓などの三種の楽器でとる拍子のこと。
酸鼻を極める(さんびをきわめる)
戦争や災害、事故などによって目を覆いたくなるほど悲惨な状態になること。 また、その状態に触れて心を痛めること。
三遍回って煙草にしょ(さんべんまわってたばこにしょ)
休むことは後回しにして、念入りに物事に取り組むこと。 「煙草」は休憩のたとえ。 夜回りをしっかりと三回してから休憩するとの意から。
三余(さんよ)
学問に励むために最もよい三つの余暇。年の余りで農業のない冬(年の余)、一日の余りである夜(日の余)、雨が降っている日(時の余)、これらの屋外で働けない三つの時。
算を乱す(さんをみだす)
散り散りばらばらになる様子。 「算」は算木のことで、占いや計算用具として使われた長方形の木片。 その算木を乱したようにばらばらになるとの意から。
座を見て皿をねぶれ(ざをみてさらをねぶれ)
その場の様子をみきわめてから、自分の出方を決めるのが利口だということ。 「ねぶる」は舐める意。 場所柄をよく考えて、ごちそうの皿を舐めるかどうか判断せよとの意から。
鹿の角を蜂が刺す(しかのつのをはちがさす)
なんとも感じないことのたとえ。鹿の角を蜂が刺しても、まったく痛くもかゆくもないことから。
鹿を指して馬と言う(しかをさしてうまという)
権力によって間違いや無理を押し通すことのたとえ。 秦の始皇帝の死後、宰相となった趙高が自分の権勢を試すため幼少の皇帝に鹿を馬と言い張って献上した。皇帝は「これは鹿ではないのか?」と臣下たちに尋ねたが、趙高の権勢を恐れた臣下たちは「馬です」と答えたという故事から。 「鹿を馬」「鹿を指して馬と言う(なす)」ともいう。
子細に及ばず(しさいにおよばず)
細かいことを言う必要はないということ。
獅子は兎を撃つに全力を用う(ししはうさぎをうつにぜんりょくをもちう)
実力のあるものは、小さなことにも手を抜かず何事にも全力で向かうということ。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ(しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ)
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
死線をさまよう(しせんをさまよう)
生きるか死ぬかの危険な状態が続くこと。
舌三寸に胸三寸(したさんずんにむねさんずん)
ちょっと口から出た言葉や、ふと思いついたことが、重大な事を引き起こすことがあるので、むやみに言葉にしたり行動してはいけないということ「舌三寸」はちょっとしゃべること、「胸三寸」は心の中にある考えの意。
七度探して人を疑え(しちどさがしてひとをうたがえ)
物がなくなった時には、自分でよく探してみるのが先で、軽率に人を疑ってはいけないという戒めの言葉。 七回探しても見つからない時に、はじめて他人を疑うべきとの意から。 「七度探して人を疑え」
七年の病に三年の艾を求む(しちねんのやまいにさんねんのもぐさをもとむ)
事態が差し迫って慌てても間に合わないので、日ごろの心がけが大事だということ。七年もの間病気に苦しんだあとで、三年乾かさないといけない上等の艾を求めるということから。
七歩の才(しちほのさい)
詩文を作る才能が非常にすぐれていること。また、詩作の早いこと。魏の曹植が、兄の文帝(曹丕)に七歩あゆむ間に詩を作れと命じられてただちに作ったという故事から。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
死に馬に鍼刺す(しにうまにはりさす)
何の効果もないことのたとえ。また、絶望的な状況の中で万が一の望みを託して最後の手段をとることのたとえ。 死んだ馬に鍼治療を施しても生き返ることはないことから。
死に花を咲かせる(しにばなをさかせる)
死に際が立派で、名誉を死後に残すこと。
しめこの兎(しめこのうさぎ)
物事がうまくいったということをしゃれて言うことば。
癪に障る(しゃくにさわる)
ある物事が気に入らなくて不愉快な気分になること。
娑婆で見た弥三郎(しゃばでみたやさぶろう)
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。 ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけて、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの彌次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言ったという笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
主従は三世(しゅじゅうはさんぜ)
主従の間柄は、前世・現世・来世の三世にもわたるほど深いということ。
手中に収める(しゅちゅうにおさめる)
望んでいたものを自分のものにすること。 「掌中に収める」ともいう。
笑殺(しょうさつ)
笑って取り合わないこと。または、馬鹿にして笑うこと。
正直は最善の策(しょうじきはさいぜんのさく)
正直であることが目的を果たすためには最も良い策であるという教え。
尻の穴が小さい(しりのあながちいさい)
心が狭いこと。度量が狭いこと。 「尻」は「けつ」とも読む。
神経に触る(しんけいにさわる)
不愉快な気持ちを刺激していらだたせること。
辛酸を嘗める(しんさんをなめる)
辛く苦しい目に遭うこと。「辛酸」は、辛い目や苦しい思いのこと。
心胆を寒からしめる(しんたんをさむからしめる)
心の底から恐れおののかせること。震え上がらせること。 「心胆」は、きもったまのこと。 「心肝を寒からしめる」ともいう。
死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか)
人間死んでしまえば万事おしまいである。どんな状況にあっても、生きていればこそいいこともあるということ。死んだ木に花が咲いたり実がなったりしないことから。
時間を割く(じかんをさく)
忙しい中で時間をやりくりして、あることをするために時間を作ること。
地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)
この世の事は、すべて金の力でどうにでもなるということのたとえ。 地獄の裁判も金を出せば有利になるとの意から。
自慢高慢酒の燗(じまんこうまんさけのかん)
自慢や高慢、酒の燗もいい加減にしておくのがいいということ。
十三日の金曜日(じゅうさんにちのきんようび)
西洋で不吉とされて忌み嫌われる日のこと。キリストが弟子のユダに裏切られた日が十三日の金曜日だった、など俗説はいろいろある。
十目の見る所、十指の指さす所(じゅうもくのみるところ、じっしのゆびさすところ)
多くの人が一致して認めること。 十人の目が見て、十人の指が指し示す所との意から。 「十指の指す所」「十目の視る所、十手の指す所」ともいう。
上戸に餅、下戸に酒(じょうごにもち、げこにさけ)
見当違いでありがた迷惑であることのたとえ。酒好きに餅、酒の飲めない人に酒を出すということから。
情に引かされる(じょうにひかされる)
相手に同情してしまい、厳しい決断を下せないこと。
情に絆される(じょうにほだされる)
人情に訴えられ、意思や考えなどから外れた行動をしてしまうこと。
如才がない(じょさいがない)
気が利いていて配慮が行き届いている様子。 「如才」は「如在」が変化したもので、手抜かりという意味。 「如才ない」ともいう。
末四十より今の三十(すえしじゅうよりいまのさんじゅう)
将来多く得ることができるよりも、たとえ少なくても今すぐ確実に得たほうがよいということ。 「四十」を「始終」に掛けた言葉。
好きな事には騙され易い(すきなことにはだまされやすい)
好きなことは冷静な判断が出来にくく、深入りしやすいから、人の企みに陥りやすいということ。
脛に疵持てば笹原走る(すねにきずもてばささはらはしる)
自分の身にやましいところのある者は、落ち着いて生活することができないということ。 脛に傷のある者は笹が傷にふれると痛いので笹原を走り抜ける、または後ろめたいことがある者は笹の葉のそよぐ音にもおびえて走り出すとの意から。
寸鉄人を刺す(すんてつひとをさす)
短く鋭い言葉で、相手の急所を突くたとえ。 「寸鉄」は、小さな刃物。転じて、短くて深い意味のある言葉。 「寸鉄人を殺す」ともいう。
杜撰(ずさん)
仕事のやり方や物事の内容が、いいかげんで誤りが多いこと。また、詩や文章の典拠が不確かなさま。
「杜」は中国宋の詩人、杜黙のこと。「撰」は詩文を作ること。
杜黙の詩が詩の決まりにほとんど合っていなかったということから。図星を指す(ずぼしをさす)
相手が隠していることや弱点などを推測して当てること。 「図星」は弓道の的の中心の点のこと。転じて、核心となる部分や急所などのたとえ。
精彩を放つ(せいさいをはなつ)
他と比べて、良さが際立っていること。
盛年重ねて来らず(せいねんかさねてきたらず)
若いときは二度とやって来ないので、その時を無駄に過ごしてはいけないということ。
世間がうるさい(せけんがうるさい)
世間の人々が問題として取り上げ、内輪のことでは済まなくなるさま。
世間を騒がせる(せけんをさわがせる)
事件や問題を起こし、広く人々の注目を集めて話題になること。
世上物騒我が身息災(せじょうぶっそうわがみそくさい)
世間にどんな事が起こっても、自分の身が安全ならかまわない。世の中に無関心で利己主義な人のことをいう。
背筋が寒くなる(せすじがさむくなる)
恐怖などで寒気を感じること。ぞっとする。
節制は最良の薬なり(せっせいはさいりょうのくすりなり)
節制して質素な暮らしをすることが最も健康によいということ。 「Temperance is the best physic.」を訳した言葉。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさいっかい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
先祖に討ち死にさせて高枕(せんぞにうちじにさせてたかまくら)
先祖が戦いで手柄を立てて討ち死にし、財産を残してくれたおかげで、子孫が安楽に暮らしているということ。家代々の資産で安逸な生活をおくっている者をあざけっていう言葉。「高枕」は、安心しきっていることのたとえ。
枘鑿相容れず(ぜいさくあいいれず)
物事が食い違ってかみ合わないこと。 「枘」は、ほぞ。木材と繋ぎ合わせるときの差し込み。 「鑿」は、ほぞを入れるための穴。 差し込みと穴の形が違っていて、うまく納まらないことから。
絶景というは樽肴ありてこそ(ぜっけいというはたるさかなありてこそ)
すばらしい景色は、酒や肴があってこそ楽しく、酒抜きで景色を見てもつまらないということ。
糟糠の妻は堂より下さず(そうこうのつまはどうよりくださず)
貧しく苦しい時から苦労をともにし長年連れ添った妻は、たとえ自分が出世しても家から追い出すわけにはいかないということ。
そうは問屋が卸さない(そうはとんやがおろさない)
そう簡単に相手の望みに応じられないということ。また、物事は都合よく自分の思い通りには運ばないというたとえ。そんな安値では問屋が卸してくれないということから。
葬礼九つ酒七つ(そうれいここのつさけななつ)
葬儀は昼の十二時頃、酒宴は午後四時頃に行うのが習わしだということ。
即時一杯の酒(そくじいっぱいのさけ)
死んでから受ける名誉より、今すぐ飲める一杯の酒のほうがありがたいということ。
底が浅い(そこがあさい)
見た目だけで内容に深みがないこと。 または、器量や能力が大したものではないこと。
謗れば影さす(そしればかげさす)
悪口を言っていると、その噂の当人がひょっこりその場に現れること。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
それにつけても金の欲しさよ(それにつけてもかねのほしさよ)
とにかく金が欲しいと、ため息まじりに言う言葉。どんな言葉のあとにも、うまくおさまるようにできている句。
大海を手で塞ぐ(たいかいをてでふさぐ)
どうやっても出来るはずのない不可能なことをしようとすることのたとえ。 大海の水を手で堰き止めようとするとの意から。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
大きな勢力の危機は、一人の力だけではどうすることもできないということ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れかけているのを、一本の木だけで支えることはできないとの意から。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
大行は細謹を顧みず(たいこうはさいきんをかえりみず)
大事業を成し遂げようとする者は、小さな事柄など気にかけないということ。「細謹」は細かいことに気を配る意。
太山を挟んで北海を超ゆ(たいざんをわきばさんでほっかいをこゆ)
人間の力では出来るはずがないことのたとえ。 「太山」は泰山、「北海」は中国北東部にある渤海湾(ぼっかいわん)のこと。 泰山を小脇にかかえて渤海湾を飛び越えるとの意から。
宝の持ち腐れ(たからのもちぐされ)
役に立つ物を持ちながら、利用しないたとえ。また、優れた才能や手腕がありながら、それを活用しないたとえ。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
叩けよ、さらば開かれん(たたけよ、さらばひらかれん)
積極的に努力すれば、必ず成功への道は開けてくるということ。 ただ待っているだけでは神の国の門は開かれないが、ひたすら神に祈り、救いを求めれば門は開かれるだろうという意味。新約聖書に由来する言葉。
タッチの差(たっちのさ)
時間的なほんのわずかな差。 競泳で、ゴールとなる内壁にどちらが先に触れたかという程度のわずかな差に由来する語。
立つ鳥、跡を濁さず(たつとり、あとをにごさず)
立ち去る者は、後始末をきちんとしなければならないということ。また、引き際が潔いことのたとえ。水鳥は飛び立ったあとの水を濁さずに飛び去ることから。 「飛ぶ鳥、跡を濁さず」「鳥は立てども跡を濁さず」ともいう。