「い」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「い」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 480 件
いずれ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)
どちらもすぐれていて優劣をつけにくく、選択に迷うたとえ。菖蒲も杜若もよく似た美しい花で区別がむずかしいことから。
何れを見ても山家育ち(いずれをみてもやまがそだち)
大勢いる者のどれを見ても田舎育ちで、誰一人役に立ちそうにない。
伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへみたび)
信仰心が深いことのたとえ。 伊勢神宮へ七度、熊野三山へ三度もお参りするほど信仰深いとの意から。 このあと続けて「愛宕(あたご)様へは月参り」ともいう。
居候、三杯目にはそっと出し(いそうろう、さんばいめにはそっとだし)
他人の家に世話になっている者は、食事の時も遠慮がちに三杯目のお代わりをするということ。居候の肩身のせまさを詠んだ川柳から。
急がば回れ(いそがばまわれ)
急を要することは時間や手間がかかっても安全確実にやる方が得策だということ。急ぐ時に危険な近道を通るより遠回りでも安全な道を行く方が結局早く着く意から。
急ぎの文は静かに書け(いそぎのふみはしずかにかけ)
急ぎの手紙ほど大事な用件が多く、あせって早く書こうとすると間違うことが多いので、落ち着いてゆっくり書いとほうがいいということ。
磯際で船を破る(いそぎわでふねをやぶる)
物事が達成する直前で失敗してしまうこと。 港の近くまできた船が難破してしまうとの意から。
急ぐな休むな(いそぐなやすむな)
早く仕事の成果をあげようと焦ると、落ち度があったり疲れすぎたりするし、休んでばかりでは仕事がはかどらない。大きな仕事を成し遂げるためには、あわてずに、また休み過ぎずにするのがよいということ。
磯の鮑の片思い(いそのあわびのかたおもい)
自分が慕っているだけで、相手にはその気がないこと。 片思いをしゃれていう言葉。 鮑の貝殻が二枚貝の片側だけのように見えることから。 「磯の鮑の片思い」「鮑の貝の片思い」ともいう。
痛い上の針(いたいうえのはり)
不運や災難にさらなる不運や災難が重なることのたとえ。 痛みがあるところに、さらに針が刺さるとの意から。
痛い所をつく(いたいところをつく)
弱点や欠点を指摘してせめたてること。
痛いのは辛抱しても痒いのは辛抱できぬ(いたいのはしんぼうしてもかゆいのはしんぼうできぬ)
痒みは、どうにも我慢できないということ。
痛い目に遭う(いたいめにあう)
つらい体験をすること。ひどい目にあう。 「遭う」は「合う」とも書く。 また「痛い目を見る」ともいう。
痛くも痒くもない(いたくもかゆくもない)
まったく影響がない。
痛くもない腹を探られる(いたくもないはらをさぐられる)
やましいところがないのに疑いをかけられること。 腹痛でもないのに、痛いところはどこかと探られるとの意から。
板子一枚下は地獄(いたごいちまいしたはじごく)
船乗りという仕事の危険なことのたとえ。「板子」は和船の底に敷く板。その板の下は、落ちれば死につながる恐ろしい海だということから。
痛し痒し(いたしかゆし)
二つのうち、どちらをとっても具合が悪く、どうしたらよいか判断に迷う様子。 かけば痛いし、かかなければ痒いとの意から。
戴く物は夏も小袖(いただくものはなつもこそで)
欲深いことのたとえ。 貰える物なら、その季節に不要な綿入れでも何でもよいとの意から。 「小袖」は、絹の綿入れのことで、冬に着用する衣服。 「貰う物は夏も小袖」ともいう。
鼬ごっこ(いたちごっこ)
互いに同じようなことを繰り返して終わりがこないこと。堂々巡り。
鼬なき間の貂誇り(いたちなきまのてんほこり)
自分よりすぐれたもの、強いものがいない間に大威張りすることのたとえ。 天敵の鼬(いたち)がいない時だけ、貂(てん)が威張るとの意から。
鼬の最後っ屁(いたちのさいごっぺ)
困った時にとる非常手段のたとえ。鼬(イタチ)が追い詰められたとき、悪臭を放って敵をひるませることから。
鼬の道切り(いたちのみちきり)
交際や音信が途絶えることのたとえ。 鼬(イタチ)は一度通った道は二度と通らないといわれることから。 「鼬の道を切る」「鼬の道が切れる」「鼬の道」ともいう。
板に付く(いたにつく)
経験を積んで、動作や態度などが職業や地位にふさわしくなること。 「板」は芝居の舞台のこと。 役者の芸が舞台にぴったり合うとの意から。
板挟みになる(いたばさみになる)
対立する両者の間で、どちらに付くこともできず思い悩むこと。 板と板の間に挟まれて身動きがとれないとの意から。
痛む上に塩を塗る(いたむうえにしおをぬる)
悪いことにさらに悪いことが重なるたとえ。 痛みがある傷口に塩を塗れば、いっそう痛くなることから。
至れり尽くせり(いたれりつくせり)
配慮が細かく行き届いていて申し分ない。
異端(いたん)
その世界や時代で正しいとされていない宗教や思想。
韋駄天走り(いだてんばしり)
非常に速く走ること。 「韋駄天」は、非常に足が速いとされる仏法の守護神。 その韋駄天のような速さで走るとの意から。
一瓜実に二丸顔(いちうりざねににまるがお)
女性の顔立ちで、一番良いのはやや細長く白い瓜実顔、二番目は愛嬌のある丸顔だということ。その後に「三平顔に四長顔、五まで下がった馬面顔」と続く。
一応も二応も(いちおうもにおうも)
一度だけでなく二度も。繰り返し念入りに。
一押し、二金、三男(いちおし、にかね、さんおとこ)
女性をくどくには、第一が押しの強さ、二番目が金の力、男ぶりのよさは三番目だということ。
一か八か(いちかばちか)
運を天に任せて思い切ってやってみること。
一髪、二化粧、三衣装(いちかみ、にけしょう、さんいしょう)
女性を美しく見せるのは、第一は髪かたちの美しさ、二番目は化粧、三番目が衣装だということ。
一から十まで(いちからじゅうまで)
最初から最後まで。何から何まで。すべて。
一議に及ばず(いちぎにおよばず)
わざわざ議論する必要もない。
一工面、二働き(いちくめん、にはたらき)
世渡り上手は金の工面をする才覚が第一で、勤勉に働くのはその次だということ。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
一合取っても武士は武士(いちごうとってもぶしはぶし)
たとえ貧しくても男には男の誇りと本分があるということ。禄高がたとえ一合でも武士にかわりはないということから。
一言もない(いちごんもない)
ひと言も弁解や反論出来ない。
一事が万事(いちじがばんじ)
一つの事を見るだけで他のすべての事を推察できるということ。
一日千秋の思い(いちじつせんしゅうのおもい)
待ち焦がれて、一日が千年もの長さに感じられること。
一日の計は朝にあり(いちじつのけいはあしたにあり)
一日の計画は朝のうちに立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一日の長(いちじつのちょう)
経験・知識が他の人より少しだけ優れていること。その人より一日分年長であるとの意から。
一日再び晨なり難し(いちじつふたたびあしたなりがたし)
一日に二度朝が来ることがない。だから時間を大切にして勉学に励めという戒めのことば。「晨」は朝の意。
一字の師(いちじのし)
詩文などの適切でない点を訂正してくれた師のこと。中国唐の時代、斉己の「数枝開く」という詩句を「一枝開く」と一字改めた鄭谷を「一字の師」と呼んだという故事から。
一樹の陰一河の流れも他生の縁(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)
この世で起こるすべての出来事は、すべて前世からの因縁によるものなので大切にしなければならないということ。 同じ木の陰で雨宿りをしたり、同じ流れの水を飲んだりするといった、偶然のちょっとした出来事も、すべて前世からの縁によるものであるとの意から。 「一河の流れを汲むも他生の縁」ともいう。
一場の春夢(いちじょうのしゅんむ)
人生の栄光や繁栄は、きわめて儚いということ。 「一場」は、ほんの短い間。 春の夜にみる夢のように、すぐに消えてしまうということから。
一段落つく(いちだんらくつく)
物事がひと区切りつく。ひとまず片付く。
一度あることは二度ある(いちどあることはにどある)
一度起きたことは、後でまた同じようなことが起こりやすいので注意せよということ。この後に続けて「二度あることは三度ある」ともいう。
一堂に会する(いちどうにかいする)
一つの場所に集まること。
一度死ねば二度死なぬ(いちどしねばにどしなぬ)
人間死ぬのは一度きりと、事に当たる時決死の覚悟を決めて自分自身に言い聞かせることば。
一度はままよ二度はよし(いちどはままよにどはよし)
悪事を行うとき、最初は良心がとがめながら、なるようになれという気で行うが、二度目からはなんとも思わなくなり平気でのめりこんでいくということ。
一度焼けた山は二度は焼けぬ(いちどやけたやまはにどはやけぬ)
一度災いに遭うと二度と同じ災いに遭うことはないと、災難に遭った人を慰めて言うことば。
一難去ってまた一難(いちなんさってまたいちなん)
災難が次々と襲ってくるたとえ。
一に看病、二に薬(いちにかんびょう、ににくすり)
病気を治すためには、まず第一に行き届いた看病が重要で、薬はその次であるということ。
市に帰するが如し(いちにきするがごとし)
多くの人が市場に集まるように、人徳のある人のところへ人々が慕って集まるということ。
一日暖めて十日冷やす(いちにちあたためてとおかひやす)
一日だけ努力してあとの十日は怠ける、努力するよりも怠けることのほうが多いことのたとえ。 植物を育てる時に、一日日光にさらして暖めたかと思うと、十日は暖めずに冷やしてしまうとの意から。
一日一字を学べば三百六十字(いちにちいちじをまなべばさんびゃくろくじゅうじ)
毎日少しずつでも怠らずに勉強を続ければ、積もり積もって大きな成果が得られるというたとえ。
一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
市に虎あり(いちにとらあり)
事実ではないことでも、多くの人が同じことを言えば、やがては信じられるようになることのたとえ。 「市」は街、また市場のこと。 一人や二人では信じないが、三人もの人が市に虎がいると言えば、事実でなくても信じ込んでしまうとの意から。 「市に虎あり」「三人、虎を成す」「市に虎あり」「市虎三伝」「三人成虎」などともいう。
一に褒められ二に憎まれ三に惚れられ四に風邪ひく(いちにほめられにににくまれさんにほれられしにかぜひく)
くしゃみについてのことわざ。一回なら誰かに褒められているし、二回は憎まれていて、三回は惚れられているが、四回は風邪をひく前兆である。
一にも二にも(いちにもににも)
他の何よりも、そのことに専念すること。何はさておき。
一二を争う(いちにをあらそう)
一番になるか二番になるかを競い合う。首位をあらそう。
一人虚を伝うれば万人実を伝う(いちにんきょをつたうればばんにんじつをつたう)
一人がでたらめを伝えれば、大勢の人が次々にそれを言いふらして事実にしてしまうということ。
一念、天に通ず(いちねん、てんにつうず)
成し遂げようとする強い信念があれば、その意志は天に通じ必ず成就するということ。
一年の計は元旦にあり(いちねんのけいはがんたんにあり)
一年の計画は元旦に立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一の裏は六(いちのうらはろく)
悪いことの後には必ずいいことがあるというたとえ。さいころの一の裏は六であることから。
一番風呂は馬鹿が入る(いちばんぶろはばかがはいる)
沸かしたてのお湯はきめが粗くて刺激が強く体によくないということ。
一引き、二才、三学問(いちひき、にさい、さんがくもん)
出世の条件は、第一に上のひとの引き立て、二番目は才能、三番目が学問であるということ。
一姫二太郎(いちひめにたろう)
一番最初に女の子が生まれ、次に男の子が生まれるという子供の生まれる順番のこと。その順番が子育てに適しているという意味で用いられる言葉。「うちの子供は女がひとりと男がふたりの一姫二太郎です」と子供の数を表す使い方は誤用。
一富士、二鷹、三茄子(いちふじ、にたか、さんなすび)
初夢に見ると縁起がいいとされるものを順に並べたことば。
一木大廈の崩るるを支うる能わず(いちぼくたいかのくずるるをささうるあたわず)
大きな勢力の危機は、一人の力だけではどうすることもできないということ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れかけているのを、一本の木だけで支えることはできないとの意から。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
一枚噛む(いちまいかむ)
ある事柄に関係し、何らかの役割を果たす。
一枚の紙にも裏表(いちまいのかみにもうらおもて)
紙にも裏表があるように何事にも裏表があるということ。
一抹の不安(いちまつのふあん)
ほんの少し、気がかりなことがある。 「一抹」は、絵筆のひとはけの意。
一脈相通ずる(いちみゃくあいつうずる)
ちょっと見ただけではかけ離れているように見えるものの間にも、何かしら共通点があるということ。
一命を取り止める(いちめいをとりとめる)
あやうく死にそうなところで、かろうじて生き延びられる。
一目置く(いちもくおく)
相手が自分よりすぐれていると認めて、敬意を払い一歩譲るたとえ。
一目山随徳寺(いちもくさんずいとくじ)
後先かまわずに一目散に逃げ出すこと。 「ずいと出て行く」をしゃれで寺の名に見立てたもの。 また、「一目散」を山号になぞらえて「一目山随徳寺」ともいう。
一も取らず二も取らず(いちもとらずにもとらず)
二つのものを同時に得ようとすると、結局どちらも手に入らなくなることのたとえ。