「く」を含む故事・ことわざ・慣用句
「く」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1857 件
細く長く(ほそくながく)
目立ちはしないものの、地道に長く続く様子。 また、力強くはないものの、細々と長く続く様子。
細くも長けれ(ほそくもながけれ)
たとえ細々とでも長生きするのが大事だということ。
北国の雷(ほっこくのかみなり)
着の身着のままの状態をしゃれていう言葉。「北国に鳴る雷」の「北鳴り」と「着たなり」を掛けたもの。
仏造って魂入れず(ほとけつくってたましいいれず)
ほとんど仕上がっているのに、肝心な部分が抜け落ちていること。 仏像を作っても、魂を入れ忘れるとの意から。
骨折り損のくたびれ儲け(ほねおりぞんのくたびれもうけ)
苦労するだけで、少しも成果が上がらないこと。江戸いろはがるたの一つ。
誉め手千人、悪口万人(ほめてせんにん、わるくちまんにん)
ほめる人が千人いれば、悪口を言う人は一万人いるということ。 世の中は褒める人よりもけなす人のほうが多いということ。 「誉め手」は「褒め手」とも書く。
褒めらるる身の持ちにくさ(ほめらるるみのもちにくさ)
世間からほめられる立場になると、その評判に恥じないようにするのが難しく、常に注目されているので窮屈な思いをするということ。
ホメロスすら時に失策を犯す(ほめろすすらときにしっさくをおかす)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
法螺と喇叭は大きく吹け(ほらとらっぱはおおきくふけ)
嘘をつくなら人が信じないような大ぼらを吹け。そういう嘘なら人も傷つけず、嘘だとわかっても腹も立たないということ。 「法螺」は、山伏が吹く法螺貝のことで、ここではでたらめの意。吹き鳴らす法螺貝と喇叭を調子よく並べた言葉。
法螺を吹く(ほらをふく)
実際よりも大袈裟に言うこと。または、でたらめをいうこと。 「法螺」は法螺貝のことで、吹くと大きな音が出ることから。
惚れた病に薬なし(ほれたやまいにくすりなし)
恋わずらいは、治す薬もなく、どうすることもできないということ。
惚れた欲目(ほれたよくめ)
惚れてしまうと、相手の欠点は目につかず、実際以上によく見えてしまうということ。
本音を吐く(ほんねをはく)
隠していた本当の気持ちを言葉に出すこと。
望蜀(ぼうしょく)
一つの望みを遂げて、さらに次を望むこと。人間の欲望には、限りがないということのたとえ。後漢書の「既に隴(ろう)を得て、また蜀を望む」から。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
その人が憎いと、それに関係するすべてのものが憎くなるということ。 僧侶が憎いと、着ている袈裟まで憎らしく思えてくるとの意から。
墨守(ぼくしゅ)
自説を守って譲らないこと。中国の思想家の墨子が、楚の国の攻撃を九度にわたって退け、城を守ったという故事から。
木鐸(ぼくたく)
世の中の人を教え導く人。古代中国で、法令などを人民に示す時に用いた、木の舌のついている大鈴の意から。
朴念仁(ぼくねんじん)
無口で愛想のない人。また、道理のわからない人のこと。
前を踏み後ろにつまずく(まえをふみうしろにつまずく)
前に進むことも後ろに下がることもできないというたとえ。
眶を見抜く(まかぶらをみぬく)
相手の弱点や隙を見抜き、そこにつけ込むこと。足元を見ること。
巻き添えを食う(まきぞえをくう)
自分と関係のない事故や事件に巻きこまれて損害をうけること。
幕が開く(まくがあく)
ものごとが始まること。催しものが始まること。幕が開き芝居が始まること。
幕が下りる(まくがおりる)
芝居などの催しものが終わること。また、物事に決着がついて終わること。
枕を交わす(まくらをかわす)
男女が同じ夜具で寝ること。
枕を欹てる(まくらをそばだてる)
寝た体勢のまま枕から頭を上げ、耳を澄まして聞く。
枕を高くして寝る(まくらをたかくしてねる)
気にかかることがなく安眠することのたとえ。心配ごとが何もないさまをいう。
枕を並べる(まくらをならべる)
同じ場所で並んで寝る。
枕を濡らす(まくらをぬらす)
かなしみや辛さに耐えきれずに、布団の中で泣くこと。
枕を振る(まくらをふる)
落語で、本題に入る前に、観客の関心を引いたり、場を和ませたりするために短い話をすること。
幕を下ろす(まくをおろす)
ものごとが終わること。 芝居の終演後に舞台の幕を閉めることから。
幕を切って落とす(まくをきっておとす)
物事を華々しく始める。
幕を閉じる(まくをとじる)
ものごとが終わること。 芝居の終演後に舞台の幕を閉めることから。
幕を引く(まくをひく)
ものごとが終わること。
負け博打のしこり打ち(まけばくちのしこりうち)
博打に負けた者が、負ければ負けるほど博打を打つこと。
間尺に合わない(ましゃくにあわない)
割りに合わないこと。損になること。「間尺」は割合、計算。
瞬く間(またたくま)
一回の瞬きほどの短い時間。あっという間。
まだ早いが遅くなる(まだはやいがおそくなる)
まだ早いとのんびり構えていると、結局は手遅れということになりかねない。何事も油断は禁物だということ。
待てど暮らせど(まてどくらせど)
いくら待っても。
学びて思わざれば則ち罔し(まなびておもわざればすなわちくらし)
いくら学んでも、自ら思索しなければ、真理に到達することはできないということ。
豆を煮るに豆がらを燃く(まめをにるにまめがらをたく)
兄弟や仲間どうしが傷つけあったり争ったりすることのたとえ。 豆を煮るために豆がら燃やすとの意から。 魏の曹植は、兄の文帝から詩の才能を憎まれ、七歩歩く間に詩を作らなければ処罰すると言われて作ったとされる兄弟の不和を嘆く詩による。
眉に火がつく(まゆにひがつく)
危険が差し迫っていること。また、事態が切迫していること。 「焦眉」は眉毛がこげること。 眉毛がこげるほど近くまで火が迫っているとの意から。 「眉(眉毛)に火がつく」ともいう。
眉を曇らせる(まゆをくもらせる)
心配ごとなどがあり、表情を暗くすること。
眉を開く(まゆをひらく)
心配事がなくなって、晴れ晴れとした顔になるたとえ。
丸い卵も切りようで四角(まるいたまごもきりようでしかく)
物事は話し方、やり方しだいで円満にいくこともあれば、角が立つこともあるというたとえ。丸い卵も切り方によっては四角になるということから。「ものも言いようで角が立つ」あとに続けてもいう。
丸くとも一角あれや人心(まるくともひとかどあれやひとごころ)
性格が温厚で柔和なのはよいことだが、時には自分の意地を通すような強い一面もあったほうがよいということ。「一角」は、性格が少し角立っていること。「あまりまろきは転び易きぞ」と続けてもいう。
丸くなる(まるくなる)
かどが取れて、穏やかな人柄になること。
真綿で首を絞める(まわたでくびをしめる)
遠まわしに、じわじわといじめたり痛めつけたりすることのたとえ。柔らかい真綿で首を絞めると、じわじわと絞まって時間がかかり余計に苦しむことから。
満は損を招く(まんはそんをまねく)
物事は頂点に達すると、やがては衰えていくということ。
三行半(みくだりはん)
夫が妻に書いた離縁状。転じて離縁することをいう。昔、離縁状は三行半に書く慣習があったことから。
見知らずの口叩き(みしらずのくちたたき)
自分の身のほども知らずに、大きなことを言うこと。
自ら卑うすれば尚し(みずからひくうすればたっとし)
へりくだって驕らない人は他人から尊敬され、自然と尊くなるということ。
水に絵を描く(みずにえをかく)
無駄な苦労をすることのたとえ。 水に絵を描いても残らないことから。
水の低きに就くが如し(みずのひくきにつくがごとし)
水が低い方へ流れていくように、物事のなりゆきは止めようとしても止められないということ。
味噌の味噌臭きは食われず(みそのみそくさきはくわれず)
いかにも専門家のようにふるまう人は、真にその道の達人とはいえないということ。 いかにも味噌だという味噌くさい味噌は食べられたものではなく、上等な味噌には味噌臭さがないとの意から。
味噌も糞も一緒(みそもくそもいっしょ)
見た目が似ていれば、良いものも悪いものも同じように扱うこと。すべてをごちゃまぜにしてしまうこと。 「糞も味噌も一緒」「糞も味噌も一つ」ともいう。
三度諌めて身退く(みたびいさめてみしりぞく)
繰り返し主君をいさめても聞き入れられない時は、潔く辞職するのが賢明だということ。
道が開く(みちがあく)
問題を解決する方法がみつかること。 また、進むべき方向がわかって、希望が持てるようになること。
道草を食う(みちくさをくう)
目的地にそのまま向かわず、途中で寄り道をしたり他のことに時間を費やしたりすること。 馬が道端の雑草を食べて、歩みが止まってしまうことから。
三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)
幼い時の性格は、年をとっても変わらないということ。
見ての極楽、住んでの地獄(みてのごくらく、すんでのじごく)
外から見るのと、実際に体験するのでは大違いであることのたとえ。 はたから見ると極楽のように見えるが、実際に住んでみるとまるで地獄のようだとの意から。 「見ては極楽住んでは地獄」ともいう。
身で身を食う(みでみをくう)
自分で自分をだめにすることのたとえ。 自分で自分のからだを食べるとの意から。 「身で身を詰める」ともいう。
醜い家鴨の子(みにくいあひるのこ)
みんなから容姿が悪いとか、愚かだとか言われていても、大人になってきれいになったり、偉くなったりする子どものこと。アンデルセンの童話から。
見ぬが心憎し(みぬがこころにくし)
物事は実際に見るまでの間に心の中であれこれと想像しているときが楽しいということ。 「見ぬが心憎し」ともいう。
見ぬは極楽、知らぬは仏(みぬはごくらく、しらぬはほとけ)
見たり知ったりすれば腹が立つことも、わからなければ穏やかな気持ちでいられるということのたとえ。 不愉快な事も、見なければ極楽気分でいられるし、知らなければ仏様のように心穏やかでいられるとの意から。
耳学問(みみがくもん)
人の話を聞いて得た知識。
耳を劈く(みみをつんざく)
耳が聞こえなくなるほどの、大きな音がするさま。
脈を取る(みゃくをとる)
患者を診察すること。
見ると聞くとは大違い(みるときくとはおおちがい)
実際に見るのと人から聞いたのとでは大きな違いがあるということ。また、噂と事実が違うことにもいう。
見るは法楽(みるはほうらく)
自分の目でものを見るというのは、たとえようもなく楽しいということ。「法楽」とは神仏に捧げる音楽のこと。転じて楽しみの意。
見るは目の毒(みるはめのどく)
見れば欲しくなるので、見ないほうがよいということ。
身を砕く(みをくだく)
労力を惜しまず、大変な努力をするさま。
身を引く(みをひく)
ある立場や関係から退くこと。また、他人に譲るためや状況への配慮から、前に出るのを控えたり関与を避けたりすること。
身を持ち崩す(みをもちくずす)
品行が悪化し、生活がだらしなくなること。
身を焼く(みをやく)
恋慕の情に苦しむこと。恋焦がれること。
皆で渡れば怖くない(みんなでわたればこわくない)
間違っていることも、集団になれば平気でできるということ。 1980年頃、漫才コンビ「ツービート」が言った「赤信号皆で渡れば怖くない」から。
昔は肩で風を切り、今は歩くに息を切る(むかしはかたでかぜをきり、いまはあるくにいきをきる)
昔は威勢のよかった者が、今は衰えてしまったことのたとえ。若いころは肩で風を切ってさっそうと歩いていた者も、年をとって歩くだけで息切れするということから。
無患子は三年磨いても黒い(むくろじはさんねんみがいてもくろい)
生まれつきの性質は変えることはできないというたとえ。 「無患子」は、山地に生える落葉高木。種子は黒色で羽根つきの羽根の玉に使われる。 その黒色の種子をいくら磨いても白くはならないとの意から。
無告の民(むこくのたみ)
苦しみを訴える相手のいない人のこと。転じて、身寄りのない人のこと。
虫が付く(むしがつく)
未婚の女性に好ましくない恋人ができること。
虫でも向かってくるものである(むしでもむかってくるものである)
小さく弱いものでもそれ相応の意地があるから、場合によっては強敵に立ち向かうこともある。どんな相手でもあなどってはいけないということ。
