「ま」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ま」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1058 件
二八余りは人の瀬越し(にはちあまりはひとのせごし)
十六歳頃は、人生を左右する大事な時期であるということ。「二八」は十六歳、「瀬越し」は重大な時期のこと。
二百二十日の荒れ仕舞(にひゃくはつかのあれじまい)
「二百二十日」は、立春から数えて二百二十日目の日(九月十一日頃)のこと。 この時期は台風が多く発生するため、農家の厄日とされており、この日を過ぎると台風が少なくなることから生まれた言葉。
二枚舌を使う(にまいじたをつかう)
矛盾したことを言うこと。また、嘘をつくこと。
女房は山の神百国の位(にょうぼうはやまのかみひゃっこくのくらい)
女房はきわめて大切なものであるというたとえ。
女房百日、馬二十日(にょうぼうひゃくにち、うまはつか)
どんなものも、はじめのうちは珍しがられるが、すぐに飽きられてしまうというたとえ。 妻は百日、馬は二十日もすれば飽きてしまうとの意から。
人間一生二万日(にんげんいっしょうにまんにち)
人間の平均寿命はかつては五十年とされ、日数にすると約二万日ということになり、一生は長いようにも短いようにも思われるということ。
盗人が盗人に盗まれる(ぬすびとがぬすびとにぬすまれる)
上には上があるというたとえ。 泥棒が逆に自分の物を盗まれてしまうとの意から。
盗人の上米を取る(ぬすびとのうわまいをとる)
悪人にも、上には上がいるということ。 盗人が盗んだ物の一部を盗み取ることから。
盗人の隙はあれど守り手の隙はなし(ぬすびとのひまはあれどまもりてのひまはなし)
盗難を防ぐのは難しいということ。 盗人はよい機会を狙って盗みに入るので暇もあるが、番をする方は盗人がいつ来るかわからないので休む暇がないことから。
盗人も戸締り(ぬすびともとじまり)
盗人も自分の物は盗まれないように戸締りをするということ。
ぬるま湯に浸かる(ぬるまゆにつかる)
緊張感や刺激の少ない環境に甘んじて、のんびりと気楽に暮らすこと。
猫に木天蓼(ねこにまたたび)
大好物のたとえ。また、それを与えれば非常に効き目があることのたとえ。
猫の前の鼠(ねこのまえのねずみ)
恐ろしさのあまり、身がすくんで動けないようすのたとえ。
猫も跨いで通る(ねこもまたいでとおる)
猫も跨いで通り過ぎるほど、おいしくない魚のこと。また、上手に食べ終わって、何も残っていない魚の骨のこと。
螺子を巻く(ねじをまく)
気持ちが緩んだ時、注意したり励ましたりして気を引き締めなおすことのたとえ。
寝た間は仏(ねたまはほとけ)
どんな悪人でも眠っている間は仏のように無心だということ。また、眠っている間は苦労や心配も忘れ、仏のような心になれるということ。
根回しをする(ねまわしをする)
ものごとをうまく運ぶため、事前に関係者からの了解を得ておくこと。
寝る間が極楽(ねるまがごくらく)
寝ている間は現実の心配事や苦労を忘れることができて、まるで極楽にいるようだということ。
農は人真似(のうはひとまね)
農業は人のやる事を真似していれば人並みの収穫はあるということ。
掃き溜めと金持ちは溜まるほど汚い(はきだめとかねもちはたまるほどきたない)
金持ちは、お金がたまればたまるほど欲深くけちになるというたとえ。「掃き溜め」は、ごみ捨て場のこと。
白馬馬に非ず(はくばうまにあらず)
詭弁やこじつけのこと。 中国、周時代に公孫竜が、「馬」は形に名付けられた概念で「白」は色に名付けられたであるから「馬」と「白馬」は別の概念を表すという論を説いたことから。 「白馬は馬に非ず」「白馬非馬論」ともいう。
走り馬にも鞭(はしりうまにもむち)
勢いのあるものに、さらに勢いをつけることのたとえ。 走っている馬に、鞭を打ってさらに早く走らせる意から。 「駆ける馬にも鞭」「走る馬に鞭」「駆け馬に鞭」「行く馬に鞭」ともいう。
走れば躓く(はしればつまずく)
物事は急ぐと失敗しやすいので、落ち着いてじっくり取り組めということ。 焦って走ると、躓(つまづ)いて転んでしまうとの意から。
恥と頭は搔き次第(はじとあたまはかきしだい)
どんなに恥をかいてもいっこうに平気で、恥ずかしいことを続けていくこと。自由に頭を掻くように、恥をかき続けてもまるで気にしないことから。
始まらない(はじまらない)
既に時機を逃しているため、今からいっても意味はないということ。何にもならない。むだだ。しょうがない。
畑に蛤(はたけにはまぐり)
見当違いなことのたとえ。畑を掘って蛤を探しても見つかるはずのないことから。
旗を巻く(はたをまく)
成功や勝利が不可能だと判断して諦めること。 戦場で軍旗を下ろし、巻いて納めるとの意から。
裸馬の捨て鞭(はだかうまのすてむち)
何もかもなくした状態になったあと、自暴自棄になって無茶苦茶なことをするたとえ。「捨て鞭」は、馬を速く走らせるために尻を鞭打つこと。人も荷物も乗せていない馬の尻を鞭打つということから。
八分されてもまだ二分残る(はちぶされてもまだにぶのこる)
仲間外れにされても負けないということをしゃれていった言葉。「八分」は「村八分」の略で、仲間外れの意。まだ二分残っているから、完全には負けていないといったもの。
這っても黒豆(はってもくろまめ)
誤りだとわかっていても、主張を押し通そうとすること。 小さな黒い物体を指して黒豆だと言った者が、その黒い物体が這い出したにもかかわらず黒豆だと言い張ることから。
鳩が豆鉄砲を食ったよう(はとがまめでっぽうをくったよう)
突然のことに驚いて、きょとんとしている様子のたとえ。 「豆鉄砲」は、豆や丸めた紙などを弾に使うおもちゃの鉄砲。 豆鉄砲で撃たれてた鳩が、突然のことにびっくりして目を丸くしている様子から。 「鳩に豆鉄砲」「豆鉄砲を食った鳩のよう」ともいう。
鳩を憎み豆を作らぬ(はとをにくみまめをつくらぬ)
つまらないことにこだわって、大事なことをしないために、自分や世間に損害を招くことのたとえ。鳩が豆をついばむのを嫌がって、豆を作るのをやめてしまうということから。
鼻が曲がる(はながまがる)
我慢できないほどひどい臭いがする様子。
鼻糞丸めて万金丹(はなくそまるめてまんきんたん)
薬の原料は案外つまらないものが多いということ。また、効き目がないことをあざけっていう言葉。 子どもが鼻糞を丸めたりしている時に、はやしたてる言葉としても使われる。 「万金丹」は、気つけや解毒などに使われる丸薬。
鼻毛を読まれる(はなげをよまれる)
男が自分の惚れている女に甘く見られて、思うように操られるたとえ。
浜の真砂(はまのまさご)
浜辺の砂。転じて、数がきわめて多いことのたとえ。
早寝早起き、病知らず(はやねはやおき、やまいしらず)
早寝早起きの習慣をつければ、健康に恵まれて病気もしないということ。
腹八合に病なし(はらはちごうにやまいなし)
食事をするときは、常に満腹の八割ほどに抑えておくほうが健康でいられるということ。 「腹八分目に医者いらず」「腹八合に医者いらず」「腹八合に病なし」などともいう。
針は呑まれず(はりはのまれず)
どんなに細くても針を呑み込むことは出来ないように、たとえ小さくても決して見くびってはいけないということ。 「針は呑まれず」ともいう。
博打と相場は死ぬまで止まぬ(ばくちとそうばはしぬまでやまぬ)
博打と相場に入れ込む者は一生やめることができないということ。
馬車馬のよう(ばしゃうまのよう)
他のことに気を移さずに、一つのことに集中して取り組むこと。 馬車を引く馬は脇見をしないように覆いを付けることから。
日、西山に薄る(ひ、せいざんにせまる)
年老いて、死期が間近に迫っていることのたとえ。太陽が西の山に今にも沈もうとしている意から。
日陰の豆も時が来ればはぜる(ひかげのまめもときがくればはぜる)
人より成長が遅れていても年ごろになれば一人前になるから心配は要らないというたとえ。日陰で育った豆でも時期が来れば自然とさやからはじけ出るとの意から。
日方と手間取りは日のうち(ひかたとてまどりはひのうち)
日雇いの仕事が夕方には終わるように、南風も夕方にはやむということ。「日方」は日のある方から吹く風。南西風、南東風のこと。「手間取り」は日雇い仕事のこと。
非学者、論に負けず(ひがくしゃ、ろんにまけず)
無学な者は道理を知らず、がむしゃらに自分の説を主張してなかなか議論に負けない。だから道理のわからない者を相手に議論しても意味がないということ。
低き所に水溜まる(ひくきところにみずたまる)
水が低い所に溜まるように、利益のある所に自然と人が集まるということ。
卑下も自慢のうち(ひげもじまんのうち)
表面では謙遜しているふりをしながら、内心では人をうらやましがらせることを意図して話す様子。過度の謙遜は自慢の一種であるということ。
膝を交える(ひざをまじえる)
同じ席で親しく話すこと。親しく語り合うこと。
秘事は睫(ひじはまつげ)
目のすぐそばにある睫が見えないように、秘事・秘伝は案外身近にあるが、容易に気がつかないものだということ。
顰みを学ぶ(ひそみをまなぶ)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
左褄を取る(ひだりづまをとる)
芸者になること。芸者が左手で着物の褄(つま)を持って歩くところから。
左前(ひだりまえ)
商売などが不振で経済的に苦しくなること。また、左の衽(おくみ)を内側にして和服を着ること。
必要の前に法律なし(ひつようのまえにほうりつなし)
必要に迫られた緊急事態の時は、法律など気にしていられないということ。
人食い馬にも合い口(ひとくいうまにもあいくち)
乱暴者にも頭の上がらない相手や気の合った者がいるように、どんな人間にもその人に合った相手がいることのたとえ。 人に噛み付く癖のある馬でも、相性のいい乗り手に対してはおとなしいことから。 「人噛み馬にも合い口」「人食らい馬にも合い口」ともいう。
人屑と縄屑は余らぬ(ひとくずとなわくずはあまらぬ)
縄の切れ端でも何かの役に立つように、つまらない人間のようでも、その能力に応じて使い道があるということ。
一つ間違えば(ひとつまちがえば)
一つでも悪いことがあれば最悪の事態になる可能性があることを表す言葉。
一つよければまた二つ(ひとつよければまたふたつ)
人間の欲望には限りがないということ。 一つ願いが叶えば、もう一つ、さらにもう一つと欲が出て満足することがないとの意から。
人に勝たんと欲する者は必ず先ず自ら勝つ(ひとにかたんとほっするものはかならずまずみずからかつ)
人に勝とうと思うなら、まず自分自身の色々な欲望に打ち勝つ必要があるということ。
人には飽かぬが病に飽く(ひとにはあかぬがやまいにあく)
長わずらいの病人が、看病する人や周囲の人から嫌がられることをいう言葉。病人に飽きたわけではないが、病気に飽き飽きしてしまったということ。
人の過ち我が幸せ(ひとのあやまちわがしあわせ)
口には出せないが、他人の失敗は、自分には幸せなのだということ。
人の意見は四十まで(ひとのいけんはしじゅうまで)
40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。
人の生まるるや憂いと倶に生まる(ひとのうまるるやうれいとともにうまる)
人間は生まれる時から心配ごとがつきまとい、一生心配事の連続であるということ。
人の頼まぬ経を読む(ひとのたのまぬきょうをよむ)
頼まれもしないのによけいな手出しをするたとえ。ひとの迷惑も考えずにでしゃばるたとえ。
人の将に死なんとするその言や善し(ひとのまさにしなんとするそのげんやよし)
人が死に際に語る言葉は真実で純粋なものであるということ。
人は一代、名は末代(ひとはいちだい、なはまつだい)
人のからだは死ねば滅びてしまうが、その人の名は後世にまで残るので、死後に名前を残すような立派なことをせよということ。
人は病の器(ひとはやまいのうつわ)
人はいろいろな病気にかかりやすく、まるで病の入れ物みたいであるということ。
人目に余る(ひとめにあまる)
言動や服装などが目立ちすぎること。または、そのために周りを不快な気持ちにさせること。
一山当てる(ひとやまあてる)
投機などで大きな利益を得ること。
独り自慢の褒め手なし(ひとりじまんのほめてなし)
ほめてくれる人がいないので、ただ独り自分で自慢をするということ。
火の車(ひのくるま)
経済状態が非常に苦しいことのたとえ。悪事を犯した亡者を地獄に送り込むという、火の燃えている車から。
火は火で治まる(ひはひでおさまる)
野火が燃え広がるのを防ぐためには、周囲を火で焼き払うのが効果的であるように、悪を防ぐためには悪を用いるとうまくいくというたとえ。
暇に飽かす(ひまにあかす)
たっぷりある暇な時間を利用して、じっくりと物事に取り組むこと。
暇ほど毒なものはない(ひまほどどくなものはない)
暇があって時間を持て余すと、つまらない事を考えたり、しでかしたりする。暇になるとろくなことはないということ。
暇を出す(ひまをだす)
使用人に休みを与えること。 または、解雇すること。 また、離縁すること。
暇を潰す(ひまをつぶす)
空いている時間を、何か別のことをして過ごすこと。
暇を取る(ひまをとる)
使用人などが主人に申し出て休暇を取る、 または、仕事を辞めること。 また、離縁すること。
暇を盗む(ひまをぬすむ)
忙しい最中のわずかな時間を利用すること。
百年河清を俟つ(ひゃくねんかせいをまつ)
いつまで待っても実現する見込みがないことのたとえ。また、どんなに待っても無駄なことのたとえ。 常に濁っている中国の黄河の水が澄むのを百年待ち続けることから。 単に「河清を俟つ」、また「百年黄河の澄むを俟つ」ともいう。
百年論定まる(ひゃくねんろんさだまる)
物の価値や人の功績などは長い年月が過ぎてから定まるということ。
瓢箪から駒が出る(ひょうたんからこまがでる)
思いがけない場所や状況から意外な出来事や物が現れることのたとえ。 または、冗談で言ったことが本当になることのたとえ。 「駒」は馬を意味し、普通なら瓢箪(ひょうたん)から出てくるはずのない馬が出てくるという意味から。