「み」を含む故事・ことわざ・慣用句
「み」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 888 件
気味がいい(きみがいい)
嫌いな人の失敗などを見て、痛快な気分になる様子。 「いい気味」ともいう。
気味が悪い(きみがわるい)
不愉快に感じる。また、恐ろしく感じる。
気脈を通じる(きみゃくをつうじる)
互いにひそかに連絡をとって意志を通じ合うこと。「気脈」は、血液の通う道筋から転じて、考えや気持ちのつながりの意。
気脈を通ずる(きみゃくをつうずる)
他に知られないように連絡を取り合って気持ちを通じ合わせること。
客と白鷺は立ったが見事(きゃくとしらさぎはたったがみごと)
客は長居をしないで、早く帰るほうがよいということ。白鷺の美しい立ち姿に掛けていった言葉。
今日あって明日ない身(きょうあってあすないみ)
人の命のはかないことや、人生の無常なことのたとえ。 また、死期が迫っていることのたとえ。
今日は人の上、明日は我が身の上(きょうはひとのうえ、あすはわがみのうえ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
清水の舞台から飛び降りる(きよみずのぶたいからとびおりる)
思い切った大きな決断し、覚悟を決めて物事を行うことのたとえ。 「清水の舞台」は、京都の清水寺にある、山の斜面にせり出すように造られた観音堂の舞台のこと。 その舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行することから。
木を見て森を見ず(きをみてもりをみず)
小さいことに気を取られて、全体を見ないことのたとえ。
機を見るに敏(きをみるにびん)
好機を見極めて、素早い対応をするさま。
禁断の木の実(きんだんのこのみ)
禁じられているが、魅惑的な快楽のたとえ。「禁断」は、かたく禁じること。エデンの園の神から食べることを禁じられていた知恵の木の実を、蛇にそそのかされて食べてしまったアダムとイブが楽園から追放されたという話から。
金時の火事見舞い(きんときのかじみまい)
飲酒などで真っ赤になった顔のたとえ。「金時」は、源頼光の四天王の一人、坂田金時のこと。赤ら顔の金時が火事見舞いに行くと、ますます赤くなることから。
義を見てせざるは勇なきなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)
人として正しいことと知りながら実行しないのは、勇気がないからであるということ。
臭いもの身知らず(くさいものみしらず)
自分の悪臭に気がつかないように、欠点は自覚しにくいというたとえ。
草木も眠る丑三つ時(くさきもねむるうしみつどき)
夜が更けて、すっかり静かになった真夜中のこと。「丑三つ時」は、昔の時刻で牛の刻を四分した三番目の時刻のことで、現在の午前二時から二時半頃。人だけでなく、草木までも眠って静まりかえった真夜中の意から。
薬は身の毒(くすりはみのどく)
病気を治すための薬も、適量以上飲めばかえって体に悪いということ。
口先の裃(くちさきのかみしも)
言葉はていねいで相手をうやまっているように見えるが、実はうわべだけで誠意がないこと。
口に蜜あり、腹に剣あり(くちにみつあり、はらにけんあり)
口先では調子のいいことを言っているが、内心は陰険であることのたとえ。
国に盗人、家に鼠(くににぬすびと、いえにねずみ)
物事には、その内部に害をなすものがあるというたとえ。
国乱れて忠臣見る(くにみだれてちゅうしんあらわる)
泰平の時には誰が忠臣かわからないが、国が乱れて危機に直面すると、真の忠臣が誰かがはっきりするということ。
窪い所に水溜まる(くぼいところにみずたまる)
土地の窪みに水が溜まるように、人や物も集まるべきところに、自然に寄り集まってくるということ。
雲を霞(くもをかすみ)
一目散に逃げて姿が見えなくなることのたとえ。
暗闇の鉄砲(くらやみのてっぽう)
あてずっぽうにやることのたとえ。
苦しい時の神頼み(くるしいときのかみだのみ)
信仰心のない者が、苦しい時だけ神に祈って助けてもらおうとすること。
車は海へ舟は山(くるまはうみへふねはやま)
物事がさかさまなことのたとえ。
君子の交わりは淡きこと水のごとし(くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)
君子の人との交際は、水のようにさっぱりしているが、友情は永く変わることがないということ。
薫は香を以て自ら焼く(くんはこうをもってみずからやく)
優れた才能を持つ人が、その才能によって身を滅ぼすことのたとえ。 「薫」は、香草のこと。 香草は香りがよいために焼かれるとの意から。
荊棘の道(けいきょくのみち)
困難で苦しい人生のたとえ。「荊」「棘」とも茨の意で、困難や障害がある道ということ。
怪我の功名(けがのこうみょう)
過ちや災難と思われていたことが、偶然にもよい結果になることのたとえ。 「怪我」は、ここでは過ちや災難のこと。 過ちや災難が生んだ手柄との意から。 「過ちの功名」ともいう。
螻蛄の水渡り(けらのみずわたり)
初めは熱心で、途中でやめてしまうことのたとえ。また、努力しても成し遂げられないことのたとえ。土の中にいる螻蛄は水中に入ると泳ぎだすが、大きな川などは泳ぎきることができないことから。
毛を見て馬を相す(けをみてうまをそうす)
外見だけで物事の価値を判断することのたとえ。毛並みだけを見て馬の値打ちを判断する意から。
剣が峰(けんがみね)
相撲の土俵の円を作っている俵の表面の名称。
健康は富に勝る(けんこうはとみにまさる)
財産より健康が大事だということ。
芸が身を助けるほどの不仕合わせ(げいがみをたすけるほどのふしあわせ)
落ちぶれて不幸な生活のたとえ。 生活に余裕があったころに趣味や道楽で習い覚えた芸事で、なんとか生計を立てるような不幸な身の上になってしまうとの意から。
芸術は長く、人生は短し(げいじゅつはながく、じんせいはみじかし)
人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も後世に残るということ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉「医術をきわめるには長い年月がかかるが、人の一生は短い」から転じたもの。
芸は道によって賢し(げいはみちによってかしこし)
一芸に通じた人は、その道に関しては何でもよく知っているということ。専門家は専門とする分野については精通しているということ。
芸は身につく(げいはみにつく)
いったん習い覚えた芸は、一生その人の能力として使うことができるということ。
芸は身の仇(げいはみのあだ)
習い覚えた芸事に夢中になり、身を滅ぼすことがあるというたとえ。
芸は身を助ける(げいはみをたすける)
一芸にすぐれていると、万一の時には生計の助けになるということ。
下種の逆恨み(げすのさかうらみ)
品性の卑しい人間は、人の親切な忠告も悪口と思い、逆に忠告してくれた人を恨むということ。
下駄と焼き味噌(げたとやきみそ)
見た目が似ていても、実質はまったく違うことのたとえ。 「焼き味噌」は、味噌を板に塗って遠くからあぶった料理。焼いた形が下駄に似ていることから。
下駄も阿弥陀も同じ木の切れ(げたもあみだもおなじきのきれ)
尊卑の違いはあっても、もとは同じであることのたとえ。また、出発点が同じでも、その人の心がけ次第で後に大きな差が出てくることのたとえ。 足で踏まれる下駄も、人から拝まれる阿弥陀の仏像も、もとは同じ木から作られたものであるとの意から。 「下駄も仏も同じ木の切れ」ともいう。
恋の道には女がさかしい(こいのみちにはおんながさかしい)
恋に関しては、女は男が足元にも及ばないほど知恵がはたらくということ。「さかしい」は賢い意。
恋の闇(こいのやみ)
恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。
公然の秘密(こうぜんのひみつ)
表向きは秘密とされているが、実際には広く世間に知れ渡っていること。 「公然」は誰もが知っているということ。
口中の虱(こうちゅうのしらみ)
逃げ場がなくて、非常に危険なことのたとえ。 口の中のしらみは、逃げ場がないため簡単に噛み殺されることから。
功成り名遂げて身退くは天の道なり(こうなりなとげてみしりぞくはてんのみちなり)
りっぱな仕事を成し遂げて名声を得たら、その地位にとどまらず退くのが、自然の摂理にかなった身の処し方であるということ。
功名を竹帛に垂る(こうみょうをちくはくにたる)
手柄を立てて、歴史に名を残すたとえ。「竹帛」は、竹の札と絹のこと。中国で、紙の発明以前に、これに文字を記したところから書物または歴史の意。「垂る」は、残すという意。
香炉峰の雪は簾をかかげて見る(こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる)
白居易の詩の一節。「香炉峰」は中国江西省北端にある山。
小男の総身の知恵も知れたもの(こおとこのそうみのちえもしれたもの)
小男の全身が知恵だとしても、その量はたかが知れているということ。「大男総身に知恵が回りかね」に対して言い返す言葉。
氷に鏤め、水に描く(こおりにちりばめみずにえがく)
努力や苦労が報われず、徒労に終わることのたとえ。 「鏤む」は彫刻すること。 脂に絵を描いても、氷に彫刻しても、残らず消えてしまうということから。 「氷に鏤め、脂に画く」「氷に鏤め、水に描く」ともいう。
氷は水より出でて水よりも寒し(こおりはみずよりいでてみずよりもさむし)
弟子が師よりも優れたものになることのたとえ。 水からできた氷が、水よりも冷たくなるとの意から。
小気味がいい(こきみがいい)
見たり聞いたりしているだけで、爽快な気分になる様子。痛快な様子。 「小気味」は「気味」を強めた表現。
心が乱れる(こころがみだれる)
あれこれと思い悩み、心の平静が失われること。
心ここに在らざれば視れども見えず(こころここにあらざればみれどもみえず)
心が他のことにとらわれて集中できなければ、視線を向けていても、何も見えないのと同じことであるということ。
志は髪の筋(こころざしはかみのすじ)
どんなものでも真心をこめて贈れば、相手は誠意を汲みとってくれるものであるということ。
心の鬼が身を責める(こころのおにがみをせめる)
良心に責められることのたとえ。「心の鬼」は、良心の呵責の意。
心は二つ身は一つ(こころはふたつみはひとつ)
あれもこれもと心は二つのことを望むが、自分のからだは一つしかなく、思い通りにならないということ。
心を乱す(こころをみだす)
あれこれと思い悩み、心の平静が失われること。
胡椒の丸呑み(こしょうのまるのみ)
表面だけを見て、物事の本質を理解しないことのたとえ。 胡椒をかみ砕かずに丸呑みしても、味は分からないことから。
乞食にも三つの理屈(こじきにもみっつのりくつ)
どんな人でも、その人なりの言い分や理屈があるということ。
乞食を三日すればやめられぬ(こじきをみっかすればやめられぬ)
悪い習慣が身についてしまうと、なかなか抜けられないというたとえ。 気楽な乞食の暮らしを三日も経験したならばやめることはできないとの意から。 「乞食を三日すれば忘れられぬ」ともいう。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
独楽鼠のよう(こまねずみのよう)
あちこち忙しく動き回る様子。
駒の朝勇み(こまのあさいさみ)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
小耳に挟む(こみみにはさむ)
うわさなどをたまたま聞くこと。 「小」は「ちょっと」の意。
子ゆえの闇に迷う(こゆえのやみにまよう)
子どもを思うあまり、親が暗闇に迷いこんだように思慮分別がつかなくなるたとえ。
怖い物見たさ(こわいものみたさ)
怖いものは、かえって好奇心を抑えられずに見たくなるということ。
子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)
困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
五臓六腑に沁みわたる(ごぞうろっぷにしみわたる)
体のすみずみまで沁みとおること。 「五臓」は心臓・肝臓・肺臓・脾臓・腎臓のこと。 「六腑」は胃・胆・大腸・小腸・膀胱・三焦のこと。 五つの内臓と六つのはらわたのことで、転じて、腹の中や体全体のこと。
最後は人の嗜み(さいごはひとのたしなみ)
人は死ぬときにこそ、日頃の心がけがもっともよく現れるということ。
災難なら畳の上でも死ぬ(さいなんならたたみのうえでもしぬ)
災難はいつどこで起こるかわからないということ。 安全な畳の上でも滑って転び、打ち所が悪くて死ぬことがあるとの意から。
財布の底と心の底は人に見せるな(さいふのそことこころのそこはひとにみせるな)
うまく世間を渡るためには、自分の財産や心のうちを他人に知られてはいけないということ。
棹は三年、櫓は三月(さおはさんねん、ろはみつき)
棹の使い方は、櫓の使い方に比べてずっと難しいということ。
先が見える(さきがみえる)
これから先の大まかな予想がつくこと。特に悪い状況に対して使う。また、その能力があること。
酒と朝寝は貧乏の近道(さけとあさねはびんぼうのちかみち)
酒を飲み過ぎ、朝寝をして怠けていれば、たちまち貧乏になってしまうということ。
酒飲み、本性違わず(さけのみ、ほんしょうたがわず)
酒に酔っても、その人の本来の性質は変わらないということ。 「酒飲み」は「生酔い」「上戸」ともいう。
酒は燗、肴は刺身、酌は髱(さけはかん、さかなはさしみ、しゃくはたぼ)
酒を飲むには、ほどよい燗で、酒の肴は刺身、酌は若い女性にしてもらうのがいいということ。「髱」は日本髪の後頭部の部分の髪。転じて若い女性。
刺身のつま(さしみのつま)
あってもなくても影響がないもののたとえ。刺身に添える野菜や海藻のことから。