「み」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「み」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 73 件
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
阿漕が浦に引く網(あこぎがうらにひくあみ)
人に隠れて行う事も、度重なると人に知られてしまうということのたとえ。 「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸で、伊勢神宮に奉納する魚を捕るため一般人は禁猟区であったが、ある漁夫がたびたび密漁を行い捕らえられたということから。
浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。「徒波」は「仇波」とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から。
明日は我が身(あすはわがみ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
頭でっかち尻つぼみ(あたまでっかちしりつぼみ)
最初は威勢よく、だんだん勢いがなくなり、最後はだらしなくなること。
頭の黒い鼠(あたまのくろいねずみ)
物を盗む人のこと。家に住んでいて、物を盗む頭髪の黒い人間を、鼠になぞらえて言う言葉。
いい気味(いいきみ)
嫌いな人の失敗などを見て、痛快な気分になる様子。 「いい気味」ともいう。
生き身は死に身(いきみはしにみ)
この世に生きているものは、いつかは必ず死ぬものであるということ。
一寸先は闇(いっすんさきはやみ)
一寸先が真っ暗で何も見えないように、少し先の未来にすらどんな運命が待ち受けているのか、まったく予測ができないことのたとえ。
一天万乗の君(いってんばんじょうのきみ)
天下を治める天子のこと。 「一天」は天下、「万乗」は兵車一万台。 中国の周代、天子は戦いの時に一万台の兵車を出すことができたことから。 「万乗の君」ともいう。
員に備わるのみ(いんにそなわるのみ)
数の中には入っているが、実際には何の役にも立たないこと。実権を持っていないこと。
牛の歩み(うしのあゆみ)
ゆっくりと歩く牛のように、ものごとの進み方が遅いことのたとえ。
うまくいったらお慰み(うまくいったらおなぐさみ)
上手くいったら大いに結構である。 成功する確率が低いことを行なう時に当人がへりくだって、または周りの人が軽い皮肉を込めて言う言葉。
生みの苦しみ(うみのくるしみ)
新たに物事を作り出すときの困難や苦労のこと。 出産のときの苦しみの意から。
大摑みより小摑み(おおづかみよりこづかみ)
一度に大儲けしようとするより、少しずつ確実に儲けていくほうが、結果的には成功するということ。
送り狼(おくりおおかみ)
親切を装って女性を送るふりをして、途中で乱暴をはたらこうとする男のこと。夜中の山道などで人のあとをつけ、隙をみて襲おうとする狼(もしくは犬)に由来する。
親が死んでも食休み(おやがしんでもしょくやすみ)
どんなに忙しくても食後の休憩は大切だということ。
稼ぐに追い抜く貧乏神(かせぐにおいぬくびんぼうがみ)
いくら働いても貧しい人は貧乏から抜け出すことができないというたとえ。
癩の瘡うらみ(かったいのかさうらみ)
大差のないものを見てうらやむこと。また、愚痴をいうこと。 「癩」はハンセン病、「瘡」は梅毒のこと。 「うらみ」は「うらやみ」がなまって変わったもの。また、一説に恨みのこと。 ハンセン病の患者が梅毒の患者をうらやむの意から。 「江戸いろはかるた」の一つであるが、現代では別の語に差し替えられることもある。
叶わぬ時の神頼み(かなわぬときのかみだのみ)
普段は信仰心を持たない者が、事が叶わない時だけ、神様に祈って助けてもらおうとすること。
壁に耳(かべにみみ)
どこで誰が見たり聞いたりしているかわからないので、話す内容には十分気をつけなくてはいけないという戒めの言葉。 密かに話しているつもりでも、壁に耳を当てて聞いたり、障子に穴をあけてのぞいたりしている者がいるかもしれないとの意から。 「壁に耳障子に目」「壁に耳」「壁に耳あり」「障子に目」などともいう。
神ならぬ身(かみならぬみ)
全知全能の神ではない我が身。人間の能力には限界があるということ。
髪結いの乱れ髪(かみゆいのみだれがみ)
日頃から仕事で使用しているものは、自分のためには使用しないということ。 また、他人の面倒を見るばかりで、自分のことには手が回らないこと。 「駕籠舁き」は、駕籠に人を乗せて運ぶことを職業にしている人。 駕籠舁きは、自分の駕籠には乗らないとの意から。
邯鄲の歩み(かんたんのあゆみ)
むやみに人の真似をしていると、自分本来のものも忘れて、どちらも失うことのたとえ。 中国燕の青年が、趙の都邯鄲で都会風の歩き方を習おうとしたが、習得できないばかりか故国の歩き方まで忘れてしまい、這って故郷へ帰ったという故事から。
昨日は人の身、今日は我が身(きのうはひとのみ、きょうはわがみ)
人の運命は予測しがたく、他人にふりかかった災難が、いつ自分にもふりかかるかわからないということ。
今日あって明日ない身(きょうあってあすないみ)
人の命のはかないことや、人生の無常なことのたとえ。 また、死期が迫っていることのたとえ。
今日は人の身、明日は我が身(きょうはひとのみ、あすはわがみ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
禁断の木の実(きんだんのこのみ)
禁じられているが、魅惑的な快楽のたとえ。「禁断」は、かたく禁じること。エデンの園の神から食べることを禁じられていた知恵の木の実を、蛇にそそのかされて食べてしまったアダムとイブが楽園から追放されたという話から。
国に盗人、家に鼠(くににぬすびと、いえにねずみ)
物事には、その内部に害をなすものがあるというたとえ。
雲を霞(くもをかすみ)
一目散に逃げて姿が見えなくなることのたとえ。
苦しい時の神頼み(くるしいときのかみだのみ)
信仰心のない者が、苦しい時だけ神に祈って助けてもらおうとすること。
下種の逆恨み(げすのさかうらみ)
品性の卑しい人間は、人の親切な忠告も悪口と思い、逆に忠告してくれた人を恨むということ。
恋の闇(こいのやみ)
恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。
口中の虱(こうちゅうのしらみ)
逃げ場がなくて、非常に危険なことのたとえ。 口の中のしらみは、逃げ場がないため簡単に噛み殺されることから。
胡椒の丸呑み(こしょうのまるのみ)
表面だけを見て、物事の本質を理解しないことのたとえ。 胡椒をかみ砕かずに丸呑みしても、味は分からないことから。
駒の朝勇み(こまのあさいさみ)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
最後は人の嗜み(さいごはひとのたしなみ)
人は死ぬときにこそ、日頃の心がけがもっともよく現れるということ。
薩摩守(さつまのかみ)
乗り物に無賃乗車すること。薩摩の守であった平忠度の「忠度(ただのり)」と「只乗り」をかけていったもの。
笊耳(ざるみみ)
聞いたことをすぐに忘れてしまうこと。また、そのような人。笊(ざる)の隙間から水がこぼれる様子から。
獅子の歯嚙み(ししのはがみ)
激しく怒り狂う様子。獅子が恐ろしい表情で歯を食い縛るということから。
四百四病より貧の苦しみ(しひゃくしびょうよりひんのくるしみ)
人間のかかるあらゆる病気より貧乏のほうがつらいということ。
勝負は時のはずみ(しょうぶはときのはずみ)
勝負はその時々の運によるもので、必ずしも実力通りに決まるものではないということ。 「勝負は時のはずみ」「勝つも負けるも時の運」「勝つも負けるも運次第」「負けるも勝つも時の運」「負けるも勝つも運次第」などともいう。
白波(しらなみ)
他人のものを盗む人。また、その集団。盗賊。中国の後漢末、黄巾の賊の残党が白波谷(はくはこく)に籠もって白波賊(はくはぞく)と呼ばれ、日本でそれを訓読したもの。
千鈞の重み(せんきんのおもみ)
非常に重いこと。または、非常に価値があること。 「鈞」は重さを表す単位。
前門の虎、後門の狼(ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ)
一つの災いを逃れても、さらにまた別の災難に見舞われることのたとえ。 前門で虎の侵入を防いだと思ったら、すでに後門に狼が入っていたとの意から。 「前門に虎を防ぎ後門に狼を進む」ともいう。
大人は大耳(たいじんはおおみみ)
徳の高いすぐれた人は、些細なことを問いただしたり非難したりしないということ。
狸の腹鼓(たぬきのはらつづみ)
月夜に狸が自分の腹をたたいて楽しみ興じるという言い伝え。
長範が当て飲み(ちょうはんがあてのみ)
人の金を当てにして失敗してしまうことのたとえ。大泥棒の熊坂長範が、金を奪う前にその金を当てにして酒盛りをし、牛若丸に退治されてしまったという話から。
聾の早耳(つんぼのはやみみ)
耳の悪い人は普段はあまり聞こえないが、悪口などの聞こえなくてもよいことにはよく聞こえるということ。 または、よく聞こえていないのに聞こえたように振る舞って早合点すること。
天地、夏冬、雪と墨(てんち、なつふゆ、ゆきとすみ)
まったく正反対なこと、非常に差があることのたとえ。
時の氏神(ときのうじがみ)
ちょうどよい時期に来て喧嘩の仲裁などをしてくれるありがたい人のこと。
塗炭の苦しみ(とたんのくるしみ)
ひどい苦痛のたとえ。「塗炭」は、泥にまみれ火に焼かれること。
泥棒の逆恨み(どろぼうのさかうらみ)
自分の悪いところは棚に上げて、相手を非難することのたとえ。 泥棒が自分の悪事は棚に上げて、捕まえた人や被害者を恨むとの意から。
成らぬうちが頼み(ならぬうちがたのみ)
物事は、出来上がる前は期待して楽しみにするが、出来上がると気が抜けてしまうということ。また、出来上がるまでは人を頼りにするが、出来上がると頼った相手に知らん顔をするのが世の常だということ。
盗人の逆恨み(ぬすびとのさかうらみ)
捕えられた盗人が自らの悪事を反省することもなく、捕えた人や被害者をうらむこと。
猫の前の鼠(ねこのまえのねずみ)
恐ろしさのあまり、身がすくんで動けないようすのたとえ。
始めの囁き後のどよみ(はじめのささやきのちのどよみ)
始めはわずかな人々の間で噂されていたことが、のちに世間中の評判になるということ。
人こそ人の鏡(ひとこそひとのかがみ)
他人は自分の姿を映す鏡のようなものであるから、他人の言動を見て自分の行いを正す手本にせよということ。
袋の鼠(ふくろのねずみ)
どうやっても逃げることができない状態。 「袋の中の鼠」ともいう。
待つ身より待たるる身(まつみよりまたるるみ)
人を待っている人もつらいものだが、待たせている者も相手のことが気になってつらいものだということ。
右の耳から左の耳(みぎのみみからひだりのみみ)
何を聞いても聞いたはしから忘れてしまうことのたとえ。右の耳から入って、すぐに左の耳へ抜けてしまう意から。
昔は今の鏡(むかしはいまのかがみ)
昔のことは現代の手本になるので、歴史を学ぶことが将来に役立つということ。
無告の民(むこくのたみ)
苦しみを訴える相手のいない人のこと。転じて、身寄りのない人のこと。
無辜の民(むこのたみ)
罪がない人のこと。「無辜」は罪がないという意。
目は心の鏡(めはこころのかがみ)
目を見れば、その人の心の正邪がわかるということ。 目はその人の心を映し出す鏡との意から。
元の木阿弥(もとのもくあみ)
一度よくなったものが、再び元の悪い状態に戻ること。戦国時代、亡くなった領主の声と似ていた木阿弥という盲人が領主の替え玉を務めたが、役目が終わり元の庶民に戻されたという故事から。
物の弾み(もののはずみ)
その場の成り行き。
物ははずみ(ものははずみ)
物事は、その場の勢いや成り行きによって起こり、思いがけない方向に進むものだということ。
痩せ法師の酢好み(やせほうしのすごのみ)
人間はとかく、自分にふさわしくない物や必要ない物を好むものだということ。 痩せている僧が、飲むと痩せるといわれる酢を好むということから。
雪と墨(ゆきとすみ)
真っ白な雪と真っ黒な墨のように、正反対のものやはっきりと違うもののたとえ。 「墨と雪」ともいう。
余桃の罪(よとうのつみ)
主君の寵愛が気まぐれであてにならないことのたとえ。 昔、中国の衛(えい)で弥子瑕(びしか)という美少年が食べかけの美味な桃を主君に献上し喜ばれたが、寵愛を失ってからはそれを理由に罰せられたという故事から。
弱みに付け込む風邪の神(よわみにつけこむかぜのかみ)
悪いことが重なることのたとえ。
老兵は死なず、消え去るのみ(ろうへいはしなず、きえさるのみ)
役目の終わった者は、表舞台から去るということ。敗戦後、占領指令官だったダグラス・マッカーサーが離日の際に言った言葉。
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