「ご」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ご」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 329 件
聞いて極楽、見て地獄(きいてごくらく、みてじごく)
話に聞くのと実際に見るのでは大差があるというたとえ。
帰心、矢の如し(きしん、やのごとし)
故郷や我が家に帰りたいと思う気持ちが募ること。
客と白鷺は立ったが見事(きゃくとしらさぎはたったがみごと)
客は長居をしないで、早く帰るほうがよいということ。白鷺の美しい立ち姿に掛けていった言葉。
綺羅星の如し(きらぼしのごとし)
立派な人や明るいものが、ずらりと並ぶ様子のたとえ。「綺羅、星の如し」からできた語で、「綺羅」は、美しい衣服の意。転じて、外見が華やかなこと、栄華をきわめること。本来「綺羅と星と」と、美しいものを列挙した語が、のちに誤って「綺羅星」と一語化された語になった。
錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)
すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
金の卵を産む鵞鳥を殺すな(きんのたまごをうむがちょうをころすな)
欲張って一度に大きな利益を得ようとして、将来の利益を逃すようなことをするなということ。毎日一個の金の卵を産む鵞鳥の持ち主が、一度に大儲けしようと鵞鳥の腹を切り裂き、結局鵞鳥を死なせてしまったというイソップ寓話から。
件の如し(くだんのごとし)
前に述べた通りである。文章の末尾などに用いられる。 多く「よって件の如し」の形で使われる。
口が動けば手が止む(くちがうごけばてがやむ)
話に夢中になると、仕事をする手先がおろそかになるということ。
口が奢る(くちがおごる)
味が良いものや質の高いものなどを食べ慣れていて、食に贅沢であることのたとえ。
口自慢の仕事下手(くちじまんのしごとべた)
口は達者だが、仕事はさっぱりできないこと。
君子の過ちは日月の食のごとし(くんしのあやまちはじつげつのしょくのごとし)
君子はたとえ過ちを犯すようなことがあっても、日食や月食が一時的なように、すぐに改めてもとの徳性に返るものだということ。
君子の交わりは淡きこと水のごとし(くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)
君子の人との交際は、水のようにさっぱりしているが、友情は永く変わることがないということ。
傾蓋、旧の如し(けいがい、きゅうのごとし)
会ったばかりで旧友でもあるかのように親しく打ち解けることのたとえ。 「傾蓋」は孔子(こうし)と程子(ていし)がたまたま道で出会って車の蓋(かさ)を傾けて語りあったという故事から。
鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
たとえ小さな集団でもその頭になるほうが、大きな集団で人の尻についているよりもよいというたとえ。 「鶏口」は、鶏の口のことで小さな集団の長のたとえ。 「牛後」は、牛の尻のことで強大な者につき従って使われる者のたとえ。 略して「[[鶏口牛後(けいこうぎゅうご)*https://yoji.jitenon.jp/yoji/351.html]]」ともいう。
下戸の手強(げこのてごわ)
酒を飲めない下戸は、酒飲みのように簡単にこちらの話しに乗ってこないから、容易に付け入ることが出来ず厄介だということ。
現世安穏、後生善処(げんぜあんのん、ごしょうぜんしょ)
法華経を信じる人は、この世では安穏に生活でき、あの世ではよい世界に生まれるということ。
光陰、矢の如し(こういん、やのごとし)
月日が経つのが早いことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月のこと。 月日は、矢が飛ぶようにあっという間に過ぎ去るという意味から。
心が動く(こころがうごく)
考え方や気持ちなどが揺さぶられること。 「心が動かされる」ともいう。
心を動かす(こころをうごかす)
興味関心を誘われて、その気になること。 または、感動して心を打たれること。 また、動揺して心が乱れること。
小言八百愚痴千粒(こごとはっぴゃくぐちせんつぶ)
ささいな小言や愚痴など、言っても仕方がないことを延々と言う人のことを評した言葉。
尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず(ことごとくしょをしんずればすなわちしょなきにしかず)
批判できる力を持たずに書物読んで、その全てを信じてしまうくらいなら、書物など読まないほうがよいということ。 どんな書物も完ぺきではないので、盲信してはいけないとの意から。
言葉を濁す(ことばをにごす)
はっきりとは明言せず、曖昧な表現で済ますこと。 「口を濁す」ともいう。
小糠三合あったら婿に行くな(こぬかさんごうあったらむこにいくな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
小船の宵拵え(こぶねのよいごしらえ)
準備が早すぎること、おおげさすぎることのたとえ。 小船を出そうとして、前の晩から船出の準備をすることから。
コロンブスの卵(ころんぶすのたまご)
簡単なことでも、それを最初に思いついて行うことはむずかしいということ。アメリカ大陸発見にけちをつけられたコロンブスが、テーブルに卵を立てることを試みさせ、誰もできなかった後に卵の尻を軽くつぶして立てて見せたという逸話から。
御意見五両、堪忍十両(ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。 人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあるということ。
剛毅朴訥、仁に近し(ごうきぼくとつ、じんにちかし)
強固な意志を持ち、素朴で口数が少ない人物こそ、最高の徳である仁に最も近い人であるということ。
碁打ちに時なし(ごうちにときなし)
碁を打つ者は勝負に夢中になって、時を忘れてしまうということ。
郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ)
場所によって風俗や習慣が違うので、住む土地の習慣や慣習に従うのがよいということ。「郷」は地方・田舎の意。
業を煮やす(ごうをにやす)
物事が思うように運ばず、腹を立てていらいらするたとえ。
呉下の阿蒙(ごかのあもう)
いつまでたっても昔のままで、少しも進歩のない人のこと。「呉下」は中国の呉地方、「阿」は親しみを表して人名に付ける語。魯粛が呂蒙に再会して、学問の上達の早さに驚き、呉にいた時の阿蒙ではないと言ったという故事から。
御機嫌を伺う(ごきげんをうかがう)
相手の機嫌を損ねないように注意を払ったり、相手から気に入られるように気を遣ったりすること。
呉牛、月に喘ぐ(ごぎゅう、つきにあえぐ)
取り越し苦労をするたとえ。「呉牛」は、中国の呉地方にいる水牛のこと。呉牛は暑さが苦手で、月を太陽と見誤って喘いだということから。
極楽の入り口で念仏を売る(ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる)
知り尽くしている人にものを教えるたとえ。
後光より台座が高くつく(ごこうよりだいざがたかくつく)
ものごとは、目立たない基礎の部分に案外お金がかかるということ。 仏像は人目につく光背より、目立たない台座のほうが費用がかかるとの意から。
五指に余る(ごしにあまる)
めぼしいものや優れたものなどが五つ以上あることのたとえ。
五指に入る(ごしにはいる)
優れていることのたとえ。良いほうから数えて五番以内に入ることのたとえ。
五指のこもごも弾くは捲手の一挃に若かず(ごしのこもごもはじくはけんしゅのいっちつにしかず)
ばらばらな個々の力は、団結した力には及ばないことのたとえ。 五本の指をばらばらにはじく力は、握りこぶしで叩いた一撃には及ばないとの意から。
後生が大事(ごしょうがだいじ)
来世の安楽を願って信心することが大切だということ。
後生大事や金欲しや死んでも命のあるように(ごしょうだいじやかねほしやしんでもいのちのあるように)
来世の安楽を願いながら、現世の金も欲しいと、あれもこれも願う人間の強欲さのたとえ。
後生願いの六性悪(ごしょうねがいのろくしょうあく)
来世の安楽を願っていながら、たちの悪いことをするたとえ。「後生願い」は、来世の極楽往生を願うこと。「六性悪」は、喜・怒・哀・楽・愛・悪の六つの感情の「六性」と「性悪」をかけていったもの。
後生は徳の余り(ごしょうはとくのあまり)
一生懸命に徳を積めば、おのずと来世の安楽もかなえられるということ。また、現世の暮らしに余裕があってこそ、来世の安楽を祈ることができるということ。
ご相伴にあずかる(ごしょうばんにあずかる)
同伴者として、もてなしを受けること。 「相伴」は主客と一緒に行ってもてなしを受けること。
五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)
多少の違いはあっても、本質的には違いがないということ。戦場で五十歩逃げた兵士が、百歩逃げた兵士を臆病だと笑ったが、逃げたことには変わりはないという故事から。
五重の塔も下から組む(ごじゅうのとうもしたからくむ)
物事はすべて順序よく進めていってこそ、成功するというたとえ。
五臓六腑に沁みわたる(ごぞうろっぷにしみわたる)
体のすみずみまで沁みとおること。 「五臓」は心臓・肝臓・肺臓・脾臓・腎臓のこと。 「六腑」は胃・胆・大腸・小腸・膀胱・三焦のこと。 五つの内臓と六つのはらわたのことで、転じて、腹の中や体全体のこと。
御託を並べる(ごたくをならべる)
自分勝手なことをもったいぶって、あれこれ言い立てること。「御託」は「御託宣」の略で、神のお告げ。転じて、偉そうにもったいぶって言うこと。
御多分に漏れず(ごたぶんにもれず)
他のものと同じであること。例外ではなく。
後手に回る(ごてにまわる)
相手に先を越され、受け身の立場になったり対応が遅れたりすること。
碁で負けたら将棋で勝て(ごでまけたらしょうぎでかて)
あることで失敗してもくよくよせず、別の事で取り返せということ。
五斗米のために腰を折る(ごとべいのためにこしをおる)
わずかな俸禄を得るために、人の機嫌をとってぺこぺこ頭を下げること。 中国唐の詩人陶淵明が、上役が視察に来るので礼服を着るよう求められた時、五斗米のために腰を折ってへつらうのは嫌だと言って断ったという故事から。 「五斗米」は五斗の米、転じてわずかな給料のこと。
御幣担ぎ(ごへいかつぎ)
縁起をひどく気にしたり、迷信を信じたりすること。「御幣」は、神事に使う幣束の敬称。その御幣を担いで不吉なことを払おうとする意から。
五本の指に入る(ごほんのゆびにはいる)
優れていることのたとえ。良いほうから数えて五番以内に入ることのたとえ。
牛蒡抜き(ごぼうぬき)
多くの中から一人ずつ次々に抜き出すこと。
ごまめでも尾頭つき(ごまめでもおかしらつき)
小さいながらも立派に形が整っていることのたとえ。「ごまめ」は片口鰯を干したもので、小さくても頭から尾までそろっていることから。
ごまめの歯軋り(ごまめのはぎしり)
実力のない者がいたずらにくやしがったり、いきりたったりすることのたとえ。また、実力のない者が、いくら悔しがっても無駄というたとえ。 「ごまめ」は片口鰯を干したもので、小さなごまめが歯軋りして憤慨しても、あまりに微力であることから。
胡麻を擂る(ごまをする)
お世辞を言ったり気に入られるように振舞ったりすること。
五両で帯買うて三両で絎ける(ごりょうでおびこうてさんりょうでくける)
肝心なものより、付随するものに予想以上にお金がかかるということ。「絎ける」は、表から縫い目が見えないように縫うこと。五両で買った帯をさらに三両かけて絎けるということから。
ゴルディオンの結び目(ごるでぃおんのむすびめ)
難問・難題のこと。ゴルディオンの町の神殿に結ばれた複雑な縄の結び目を解いた者はアジアを支配するという伝説があり、アレクサンドロス大王が一刀両断で切り落とし、アジアを征服したという故事から。
権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる(ごんべえがたねまきゃからすがほじくる)
人が苦労してやったことを、あとからぶちこわすたとえ。また、無駄な骨折りのたとえ。「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる、三度に一度は追わずばなるまい」という俗歌の歌詞から。
細工は流流、仕上げをご覧じろ(さいくはりゅうりゅう、しあげをごろうじろ)
仕事のやり方はいろいろあるので、途中であれこれ言わずに出来上がりを見てから評価してほしいということ。
最後に笑う者が最もよく笑う(さいごにわらうものがもっともよくわらう)
最初に笑っていた者も最後に泣くこともある。最終の結果が出たあとに笑える者が最高であるということ。
最後は人の嗜み(さいごはひとのたしなみ)
人は死ぬときにこそ、日頃の心がけがもっともよく現れるということ。
最後を飾る(さいごをかざる)
すぐれた形で物事を終わらせること。
最期を遂げる(さいごをとげる)
死ぬこと。命がなくなること。
最初で最後(さいしょでさいご)
一度だけで二度はないこと。一度きりであること。
沙中の偶語(さちゅうのぐうご)
臣下たちが集まって、密かに謀反の相談をすること。 中国の漢の高祖は、天下を取った後に臣下たちが砂地に集まって話しているのを見つけ、不審に思って調べさせると謀反の相談をしていたという故事から。 「沙中」は砂地。 「偶語」は互いに向かい合って話し合うこと。
里心が付く(さとごころがつく)
他所へ行った人が実家や故郷が恋しくなって帰りたいという気持ちになること。
左右の手を失うが如し(さゆうのてをうしなうがごとし)
まるで両方の手を同時に失ったかのように、最も信頼していたものを失って落ち込むこと。
三国一(さんごくいち)
世界一のこと。「三国」は、インド・中国・日本の三つの国のことで、昔はこの三国を全世界としていたことから。
三五の十八(さんごのじゅうはち)
計算が合わないことや見込み違いのたとえ。
三寸の舌に五尺の身を亡ぼす(さんずんのしたにごしゃくのみをほろぼす)
不用意な発言は、身を滅ぼしてしまう恐れがあるので、言葉は慎まなければいけないという戒め。 わずか三寸の舌が五尺の体を滅ぼしてしまうとの意から。
三度の火事より一度の後家(さんどのかじよりいちどのごけ)
三度火事に遭うより、一度だけでも夫に先立たれるほうが精神的打撃が大きくて立ち直りにくいというたとえ。
財宝は地獄の家苞(ざいほうはじごくのいえづと)
質素に暮らして蓄財だけしても空しいということ。 蓄財しても地獄への土産になるだけという意味から。 「家苞」は持ち帰る手土産のこと。
塩にて淵を埋む如し(しおにてふちをうずむごとし)
やっても無駄なことや不可能なことをすること。 塩で深い水たまりを埋めようとするとの意から。
仕事幽霊飯弁慶、その癖夏痩せ寒細り、たまたま肥ゆれば腫れ病(しごとゆうれいめしべんけい、そのくせなつやせかんぼそり、たまたまこゆればはれやまい)
仕事は出来ないのに飯は山のように食べ、夏も冬のように痩せていて、たまに太ったかと思えば病気にかかっている。怠け者の大食漢の多病をあざけった言葉。
四十肩に五十腕(しじゅうかたにごじゅううで)
四十歳、五十歳頃になると、身体のあちこちが痛んで動きが悪くなることをいう言葉。
七十五日は金の手洗い(しちじゅうごにちはかねのてあらい)
嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。
駟の隙を過ぐるが若し(しのげきをすぐるがごとし)
月日が経つのが非常に早いことのたとえ。 「駟」は四頭立ての馬車。 四頭立ての馬車が走り去るのを、戸の隙間からのぞき見るのと同じくらい、時の流れはあっという間であるということ。
四の五の言う(しのごのいう)
あれやこれやと不平や不満などの文句を言うこと。
