「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 868 件
胸が裂ける(むねがさける)
悲しさや悔しさなどから、耐えられないほどの苦しさを感じるさま。 「胸が張り裂ける」ともいう。
胸が塞がる(むねがふさがる)
悲しみや心配、不安などから気持ちが暗くなるさま。
胸三寸に納める(むねさんずんにおさめる)
すべてを心に納めて、顔にも言葉にも出さないこと。 「胸三寸」は胸の中のこと。 「胸三寸」は単に「胸」、「納める」は「畳む」ともいう。 また「腹に納める」ともいう。
胸に釘針刺す(むねにくぎはりさす)
まるで胸に釘を打たれたように、弱点を突かれてうろたえること。 「胸に釘打つ」「胸に釘針刺す」ともいう。
無明の酒に酔う(むみょうのさけによう)
煩悩にとらわれ真理を理解できず、思い惑うことのたとえ。「無明の酒」は人を惑わす煩悩を、正常な心を失わせる酒にたとえた言葉。
紫の朱を奪う(むらさきのあけをうばう)
邪道なものが正しいものに取って代わること、地位を奪うことのたとえ。 古代中国で中間色の紫色の服が流行り、正色とされていた朱色の服よりも好まれるようになったことを孔子が憎み嘆いたという故事から。 「朱を奪う紫」ともいう
明鏡も裏を照らさず(めいきょうもうらをてらさず)
どんな賢人でも目が届かないことがあるというたとえ。 曇りのない鏡でも、ものの裏までは映さないことから。
目が冴える(めがさえる)
興奮状態になって、寝ようとしても寝れないこと。
目が覚める(めがさめる)
あることがきっかけとなり、本来の正しい自分の姿に戻ること。 「目を覚ます」ともいう。
目が覚めるような(めがさめるような)
眠けがさめるほど、鮮やかで際立って美しいさま。
目頭を押さえる(めがしらをおさえる)
指やハンカチなどで目頭を優しく押さえて、涙が落ちてこないようにすること。
目薬を尻へさす(めぐすりをしりへさす)
はなはだしい見当違いのたとえ。努力しても無駄なことのたとえ。 膝に目薬をさしても効果がないことから。 「尻に目薬」「目薬を尻へさす」「疝気さ目薬」ともいう。
目先が利く(めさきがきく)
先の事を見通して、適切な判断や行動ができること。 「目先」は「目前」とも書く。
目先を変える(めさきをかえる)
今までとは違う印象を与えるために、趣向を変えること。
目尻を下げる(めじりをさげる)
女性に見とれたりして、表情や態度に緊張感がなくなる様子。
目と鼻の先(めとはなのさき)
距離が非常に近いこと。目と鼻の間。
目に障る(めにさわる)
それを見ることで、不快な気持ちになること。 また、視界の邪魔になること。
目を皿にする(めをさらにする)
ある出来事に驚いて、目をおおきく見開くこと。
目を三角にする(めをさんかくにする)
怒って、目尻の吊り上がったこわい目付きをすること。
目を白黒させる(めをしろくろさせる)
苦しんだり驚いたりして目玉をはげしく動かすこと。 また、ある出来事にひどく驚き慌てること。
目を塞ぐ(めをふさぐ)
非難したり責めたりせず、見て見ぬふりをすること。
孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)
子どもの教育には良い環境を選ぶことが大切だという教え。 孟子は幼い頃墓地の近くに住んでいたが、孟子が葬式の真似をして遊ぶので母は市場の近くに居を移した。すると孟子は売買の真似をはじめたので、今度は学校のそばに転居した。すると礼儀作法を真似るようになったので教育に最適な場所として安住したという故事から。 「三遷の教え」「孟母の三遷」「孟母の三居」「孟母三遷」などともいう。
勿怪の幸い(もっけのさいわい)
思いがけない幸運のこと。「物怪の幸い」とも書く。
本木に勝る末木なし(もときにまさるうらきなし)
何度取り換えてみても結局は最初のものよりすぐれたものはないというたとえ。 特に男女関係についていう言葉。 「本木」は幹、「末木」は枝のこと。 幹より太い枝はないとの意から。
元の鞘に収まる(もとのさやにおさまる)
一度別れた者同士が再び元の関係にもどることのたとえ。鞘からぬかれた刀が、もとの鞘の中に収まる意から。
求めよ、さらば与えられん(もとめよ、さらばあたえられん)
与えられるのを待つのではなく、自ら進んで努力すれば必ずよい結果を得ることが出来るということ。
物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
余計なことを言うと、思いがけない災難を招くということ。松尾芭蕉の句。
物がなければ影ささず(ものがなければかげささず)
原因がなければ結果は起こらないというたとえ。物体がなければ影はできない意から。
物盛んなれば即ち衰う(ものさかんなればすなわちおとろう)
何事も盛りに達したら必ず衰え始める。いつまでも盛んな時は続かないということ。
物は言い残せ、菜は食い残せ(ものはいいのこせ、さいはくいのこせ)
言葉と食事は少し控えめな方がよいということ。 言葉は言いすぎてしまうことがあるので思ったことを全部言い尽くさないほうがよく、食事はおかずを少し残すくらいのほうが品がよいとの意から。
桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
芽が出てから実が成るまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も相応の年数がかかることのたとえ。このあとに「枇杷(びわ)は九年でなりかねる」「柚は九年になりかかる」「梅は酸いとて十三年」などと続けてもいう。
門に入らば笠を脱げ(もんにいらばかさをぬげ)
礼儀の大切さを教えた言葉。また、礼儀は適切な場所で行えというたとえ。人の家の門内に入ったら笠を脱ぐのが礼儀だということから。
宿取らば一に方角、二に雪隠、三に戸締り、四には火の元(やどとらばいちにほうがく、ににせっちん、さんにとじまり、しにはひのもと)
昔、旅先で宿を取る時に、確認しておくべき事柄を順序だてて並べた言葉。「雪隠」は、便所のこと。
矢の催促(やのさいそく)
矢を次々と射るような、ひっきりなしの厳しい催促のこと。 「矢のような催促」ともいう。
闇夜に烏、雪に鷺(やみよにからす、ゆきにさぎ)
まわりとよく似ていて、はっきりと区別がつかないことのたとえ。 「闇に烏」ともいう。
有知無知三十里(ゆうちむちさんじゅうり)
知恵のある者と知恵のない者には、大きな差があることのたとえ。 魏の曹操が楊脩を従えて曹娥の墓碑のそばを通ったとき、碑文の意味を楊脩はすぐに理解できたが、曹操は三十里先でやっと理解できたという故事から。
幽明境を異にする(ゆうめいさかいをことにする)
死に別れること。 「幽」はあの世。「明」はこの世。 死んであの世とこの世の境界を越え、別々になるという意味から。 「幽明処を隔つ(ゆうめいところをへだつ)」ともいう。
指を差す(ゆびをさす)
陰で、人の悪口を言ったり非難したりすること。
弓は袋に太刀は鞘(ゆみはふくろにたちはさや)
天下泰平で武器を使う必要のないこと。 弓を袋に入れ、刀は鞘におさめるとの意から。
夢から覚めたよう(ゆめからさめたよう)
我を忘れて何かに夢中になっていた人が、ふと我に返って普段の自分を取り戻すさま。
夢が覚める(ゆめがさめる)
心の迷いがなくなり、正気を取り戻すこと。
夢は逆夢(ゆめはさかゆめ)
夢と現実は逆になるものなので、たとえ悪い夢を見ても気にすることはないということ。 「夢は逆実」ともいう。
宵っ張りの朝寝坊(よいっぱりのあさねぼう)
夜遅くまで起きていて、朝は遅くまで寝ていること。また、そういう習慣のひと。
夜討ち朝駆け(ようちあさがけ)
記者などが、早朝や深夜に取材先を突然訪問すること。
余儀なくされる(よぎなくされる)
他に方法がなく、したいと思っていなくてもそうせざるを得ないこと。
欲の熊鷹、股裂くる(よくのくまたか、またさくる)
あまり欲張ると、災いを招くというたとえ。二頭の猪をつかんだ熊鷹が、左右に逃げようとした猪を放さなかったために、熊鷹の股が裂けてしまったという話から。
避けて通せ酒の酔い(よけてとおせさけのよい)
酔っ払いには、かかわらないほうがよいということ。
予断を許さない(よだんをゆるさない)
状況が厳しく、前もって判断することが難しいこと。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
世の中は三日見ぬ間の桜かな(よのなかはみっかみぬまのさくらかな)
桜の花があっという間に散ってしまうように、世間の移り変わりは激しいものだということ。 もとは江戸時代の俳人大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から。 この句は「桜が散ってしまうこと」ではなく「桜が咲きそろうこと」を詠んだもの。 単に「三日見ぬ間の桜」ともいう。
予防は治療に勝る(よぼうはちりょうにまさる)
病気になって治療するより、病気にならないように予防するほうがよいということ。転じて、問題が起こってから処理するよりも、問題が生じないようにすることが大事だということ。
夜目、遠目、笠の内(よめ、とおめ、かさのうち)
夜見るとき、遠くから見るとき、笠に隠れた顔の一部をちらりと見るときは、人の顔が実際より美しく見えるということ。女性について言うことが多い。
世を去る(よをさる)
この世から去る。死ぬ。
烙印を押される(らくいんをおされる)
拭い去ることのできない悪い評判を受けること。 「烙印」は昔の囚人が刑罰として受ける焼き印のこと。
落花枝に返らず、破鏡再び照らさず(らっかえだにかえらず、はきょうふたたびてらさず)
一度こわれた男女の仲は、再びもとに戻ることはないというたとえ。散り落ちた花は再びもとの枝に返ることはなく、割れた鏡は再び物をうつすことはできない意から。
律義者の子沢山(りちぎもののこだくさん)
律義者は、品行方正で家庭円満なので、夫婦仲もよく子どもが多く生まれるということ。
溜飲が下がる(りゅういんがさがる)
不平や不満が消え去り、すっきりした気分になること。「溜飲」は消化不良の時に、胃から突き上げてくる酸っぱい液で、それがなくなるということから。
柳絮の才(りゅうじょのさい)
非凡な才女のこと。「柳絮の才」とは、柳の綿毛のこと。中国、晋の謝安が姪の謝道韞に、降り出した雪が何に似ているか聞いたところ、柳の綿毛の飛ぶさまにたとえた。謝安が感心して「柳絮の才高し」と言ったというという故事から。
柳眉を逆立てる(りゅうびをさかだてる)
美人が眉をつり上げて怒るようす。「柳眉」は柳の葉のように細い美人の眉。
林間に酒を煖めて紅葉を焼く(りんかんにさけをあたためてこうようをたく)
林の中で紅葉を燃やして酒を暖めて飲み、秋の風情を楽しむこと。
老醜を晒す(ろうしゅうをさらす)
年老いて醜くなった姿や頑なな考え方などを人に示して恥をかくこと。 自身を謙遜していう言葉。
老兵は死なず、消え去るのみ(ろうへいはしなず、きえさるのみ)
役目の終わった者は、表舞台から去るということ。敗戦後、占領指令官だったダグラス・マッカーサーが離日の際に言った言葉。
若木の下で笠を脱げ(わかぎのしたでかさをぬげ)
若木が将来どんな大木に育つのかわからないように、若者も将来どんなに偉くなるかわからないので、ばかにしないで敬意を表して接すべきだということ。
我が糞は臭くなし(わがくそはくさくなし)
自分の欠点には気がつかないというたとえ。
我が身の臭さ我知らず(わがみのくささわれしらず)
自分の欠点はなかなか気がつかないというたとえ。
我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)
自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。
我が物と思えば軽し笠の雪(わがものとおもえばかるしかさのゆき)
つらいことも苦しいことも、自分のためだと思えば苦にならないものだというたとえ。 笠に降り積もる重い雪も自分のものだと思えば軽く感じられるということ。 江戸時代の俳人、宝井其角の句「我が雪と思へば軽し笠の上」から。
禍も三年経てば用に立つ(わざわいもさんねんたてばようにたつ)
時が経てば、災いが幸いに転じることもある。どんなものでも、役に立たないものはないというたとえ。