「は」を含む故事・ことわざ・慣用句
「は」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1813 件
真綿に針を包む(まわたにはりをつつむ)
表面上は穏やかでやさしそうに見えるが、本当はひどく意地が悪いことのたとえ。 「綿に針を包む」ともいう。
慢心鼻を弾かる(まんしんはなをはじかる)
おごり高ぶっていると、大恥をかくはめになるから注意せよということ。
満は損を招く(まんはそんをまねく)
物事は頂点に達すると、やがては衰えていくということ。
みいちゃんはあちゃん(みいちゃんはあちゃん)
周りの意見や流行などに左右されやすいこと。また、そのような人。ミーハー。
見栄を張る(みえをはる)
人からよく思われようとして、無理に外見を飾り立てたり、体裁を取り繕ったりすること。
三行半(みくだりはん)
夫が妻に書いた離縁状。転じて離縁することをいう。昔、離縁状は三行半に書く慣習があったことから。
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)
人は交友関係や環境しだいで、良くも悪くもなるというたとえ。 「方円」は四角形と円形のこと。水は容器の形によって四角にも丸くもなるということから。
水を離れた魚(みずをはなれたうお)
水から出た魚のように、頼りを失って自由がきかないことのたとえ。
店を張る(みせをはる)
自分の店を出店して商売をはじめること。
味噌に入れた塩は他所へは行かぬ(みそにいれたしおはよそへはいかぬ)
他人に尽くすことは、一見無駄のように見えても、結局は自分のためになるということ。 味噌に入れた塩は、混じって見えなくなるが、味噌の味を調えるための役に立っているとの意から。
味噌の味噌臭きは食われず(みそのみそくさきはくわれず)
いかにも専門家のようにふるまう人は、真にその道の達人とはいえないということ。 いかにも味噌だという味噌くさい味噌は食べられたものではなく、上等な味噌には味噌臭さがないとの意から。
道は邇きに在りて遠きに求む(みちはちかきにありてとおきにもとむ)
無駄に高遠なものや難しい理論を求めて、近くの真理を見落としてしまうこと。 「邇き」は近きの意。 真理は近いところにあるのに、わざわざ遠いところにそれを求めようとすることから。
三つ叱って五つほめ、七つ教えて子は育つ(みっつしかっていつつほめ、ななつおしえてこはそだつ)
子どもは少し叱って多くほめ、たくさん教えて育てるのがいいということ。
三つ子に花(みつごにはな)
そぐわない人に大事なものを預けて安心できないことのたとえ。また、ものの値打ちがわからない者に優れた物を与えても何の役にも立たないことのたとえ。 幼い子に花を持たせてもすぐにめちゃくちゃにしてしまうとの意から。
見つめる鍋は煮立たない(みつめるなべはにたたない)
待っている時間は非常に長く感じられることのたとえ。 鍋が煮立つのを見ながら待つと、なかなか煮え立たないとの意から。
三つ指、目八分(みつゆび、めはちぶ)
正しい行儀作法のこと。お辞儀をする時は親指・人差し指・中指の三本の指を床について頭を下げ、物を運ぶ時は目の高さより少し低くして両手で差し上げるのが正しい作法とされるところから。
見ては極楽、住んでは地獄(みてはごくらく、すんではじごく)
外から見るのと、実際に体験するのでは大違いであることのたとえ。 はたから見ると極楽のように見えるが、実際に住んでみるとまるで地獄のようだとの意から。 「見ては極楽住んでは地獄」ともいう。
身に過ぎた果報は災いの基(みにすぎたかほうはわざわいのもと)
分不相応の幸福は、かえって不幸を招くもとになるから、分相応な幸せがよいということ。「果報」は幸運の意。
見ぬが花(みぬがはな)
物事は実際に見るまでの間に心の中であれこれと想像しているときが楽しいということ。 「見ぬが心憎し」ともいう。
見ぬ事は話にならぬ(みぬことははなしにならぬ)
一度見てみないと、人に話せないということ。
見ぬは極楽、知らぬは仏(みぬはごくらく、しらぬはほとけ)
見たり知ったりすれば腹が立つことも、わからなければ穏やかな気持ちでいられるということのたとえ。 不愉快な事も、見なければ極楽気分でいられるし、知らなければ仏様のように心穏やかでいられるとの意から。
実の生る木は花から知れる(みのなるきははなからしれる)
すぐれた人物は、子どもの頃から凡人とは違うというたとえ。 よく実のなる木は、花が咲くときからわかるとの意から。 「実を結ぶ木は花より知らるる」「生る木は花から違う」ともいう。
実る稲田は頭垂る(みのるいなだはあたまたる)
人は学問や徳が深まると、かえって謙虚になることのたとえ。 稲穂は実が入ると重くなり頭を下げることから。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「実る稲田は頭垂る」ともいう。
身は習わし(みはならわし)
人は環境や習慣次第でどのようにも変化するものだということ。
身ほど可愛いものはない(みほどかわいいものはない)
人は自分の身が何よりも大事であるということ。
耳が早い(みみがはやい)
噂などを聞きつけるのがはやい様子。
耳に入る(みみにはいる)
聞くつもりのない噂や情報などが自然と聞こえてくること。
耳に挟む(みみにはさむ)
あることをちらりと聞く。偶然聞く。
見目は果報の基(みめはかほうのもとい)
顔かたちが美しいということは、幸運をもたらす元だということ。「見目」は容貌、「果報」は幸運の意。
見ると聞くとは大違い(みるときくとはおおちがい)
実際に見るのと人から聞いたのとでは大きな違いがあるということ。また、噂と事実が違うことにもいう。
見るは法楽(みるはほうらく)
自分の目でものを見るというのは、たとえようもなく楽しいということ。「法楽」とは神仏に捧げる音楽のこと。転じて楽しみの意。
見るは目の毒(みるはめのどく)
見れば欲しくなるので、見ないほうがよいということ。
身を捨てる藪はない(みをすてるやぶはない)
切羽詰まっても、最後まで自分の身だけは棄てることができないということ。
昔から言う事に嘘はない(むかしからいうことにうそはない)
昔から言い伝えられてきた格言やことわざは、多くの先人の経験や知識からできたものなので、どれも真理であるということ。
昔は今の鏡(むかしはいまのかがみ)
昔のことは現代の手本になるので、歴史を学ぶことが将来に役立つということ。
昔は肩で風を切り、今は歩くに息を切る(むかしはかたでかぜをきり、いまはあるくにいきをきる)
昔は威勢のよかった者が、今は衰えてしまったことのたとえ。若いころは肩で風を切ってさっそうと歩いていた者も、年をとって歩くだけで息切れするということから。
昔は昔、今は今(むかしはむかし、いまはいま)
昔と今は状況が違うのだから、昔がこうだから今もこうあるべきだという理屈は成り立たないということ。
麦と姑は踏むが良い(むぎとしゅうとめはふむがよい)
麦は根の張りをよくするために芽を足で踏むほうがよいが、姑に対しても下手にばかり出ないで、時には抵抗するのも必要であるということ。
無患子は三年磨いても黒い(むくろじはさんねんみがいてもくろい)
生まれつきの性質は変えることはできないというたとえ。 「無患子」は、山地に生える落葉高木。種子は黒色で羽根つきの羽根の玉に使われる。 その黒色の種子をいくら磨いても白くはならないとの意から。
向こうを張る(むこうをはる)
相手の行動に対抗して、張り合うこと。
婿は座敷から貰え、嫁は庭から貰え(むこはざしきからもらえ、よめはにわからもらえ)
婿は自分の家より家柄がよい家から貰うと家の格が上がり、嫁は自分の家より低い家柄から貰うと威張らずによく働くので家のためによいということ。 「婿は大名から貰え嫁は灰小屋から貰え」「嫁は下から婿は上から」ともいう。
虫酸が走る(むしずがはしる)
不快でたまらず、ひどく嫌うことのたとえ。 「虫酸」は胃から出る酸っぱい液体のことで、その液が逆流して吐き気を覚える意から。
無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
風が咲いている花を散らすのに時を選ばないように、人の命もいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。
娘一人に婿八人(むすめひとりにむこはちにん)
一つの物事に対しての希望者が多くいること。 一人の娘に対して婿を希望する人が八人もいるとの意から。 「娘一人に婿三人」「娘一人に婿十人」ともいう。
無駄足を運ぶ(むだあしをはこぶ)
わざわざ出掛けたのに、留守などで本来の目的を果たせずに徒労に終わること。
胸突き八丁(むなつきはっちょう)
山頂付近の険しく急な坂道。富士登山で、頂上までの八丁(約八七二メートル)の険しい斜面のことから。
胸が張り裂ける(むねがはりさける)
悲しさや悔しさなどから、耐えられないほどの苦しさを感じるさま。 「胸が張り裂ける」ともいう。
胸に釘針刺す(むねにくぎはりさす)
まるで胸に釘を打たれたように、弱点を突かれてうろたえること。 「胸に釘打つ」「胸に釘針刺す」ともいう。
胸を弾ませる(むねをはずませる)
期待や喜びなどから、わくわくした気持ちになること。
胸を張る(むねをはる)
堂々として、自信に満ちあふれた態度を示すこと。
名人は人を謗らず(めいじんはひとをそしらず)
名人は人の欠点を悪く言うようなことはしないということ。
冥土の道には王なし(めいどのみちにはおうなし)
現世での身分の上下、貧富の差は、死ねばいっさい無くなるということ。また、死は誰にも等しく訪れるということ。「冥土」は「冥途」とも書き、死者の霊魂が行くという世界のこと。
命は天に在り(めいはてんにあり)
運命は天が定めることで、人間の力ではどうすることも出来ないということ。
牝牛に腹突かれる(めうしにはらつかれる)
油断していた相手に不意打ちされ、ひどい目に遭うたとえ。 雄牛に比べておとなしい牝牛に、突然腹を突かれることから。
目から入って耳から抜ける(めからはいってみみからぬける)
見ただけで何も覚えず、理解していないことのたとえ。
目から鼻へ抜ける(めからはなへぬける)
非常に頭の回転が速く、利口で賢いさまのたとえ。また物事の判断がすばやく抜け目がないさまをいう。
目が離せない(めがはなせない)
心配で見続けていないと安心できない。見守る必要がある。 また、魅力的で、ずっと見ていたくなる。
目糞、鼻糞を笑う(めくそ、はなくそをわらう)
自分の欠点に気付かず、他人の欠点をあざ笑うたとえ。 目糞が鼻糞のことを汚いと笑うとの意から。 「鼻糞が目糞を笑う」ともいう。
鍍金が剝げる(めっきがはげる)
表面を飾っていたものが取れ、隠されていた本当の姿や欠点があらわになる。 見せかけの良さが維持できなくなり、実態が明らかになることをいう。
目で目は見えぬ(めでめはみえぬ)
自分の欠点には気づきにくいということのたとえ。 自分で自分の目を直接見る事はできないことから。
目と鼻の先(めとはなのさき)
距離が非常に近いこと。目と鼻の間。
目には青葉、山時鳥、初鰹(めにはあおば、やまほととぎす、はつがつお)
初夏のさわやかな風物を並べたことば。江戸時代の俳人山口素堂の句。
目に入る(めにはいる)
自然と目に入ってくること。視野に入ること。
目には目を歯には歯を(めにはめをはにははを)
やられたのと同じ方法で、同じ量の報復をするたとえ。
目の寄る所へは玉も寄る(めのよるところへはたまもよる)
同類が自然に寄り集まることのたとえ。 目が一方へ動けば、それにつれて瞳も動くとの意から。
目は口ほどに物を言う(めはくちほどにものをいう)
目の表情だけでも、口で話すのと同じくらい、相手に気持ちを伝えることができるということ。
目は心の鏡(めはこころのかがみ)
目を見れば、その人の心の正邪がわかるということ。 目はその人の心を映し出す鏡との意から。
目は毫毛を見るも睫を見ず(めはごうもうをみるもまつげをみず)
人の欠点は細かい点までわかるが、自分のことはなかなか気がつかないというたとえ。 「毫毛」は細かい毛。 目は細かい毛さえも見ることができるのに、自分の睫(まつげ)は見ることができないとの意から。
目端が利く(めはしがきく)
その場の状況に応じたとっさの行動ができること。
目を離す(めをはなす)
油断して視線を他のものに移すこと。
目を見張る(めをみはる)
目をおおきく見開くこと。感動したり、驚いたりする様子のたとえ。
もうはまだなり、まだはもうなり(もうはまだなり、まだはもうなり)
物事が思い通りにいかないことのたとえ。また、物事はころ合いを見極めるのが大事だというたとえ。
燃え杭には火がつきやすい(もえぐいにはひがつきやすい)
一度関係のあった者は、いったん縁が切れても再び元の関係に戻りやすいというたとえ。 多くは男女の関係をいう。 「燃え杭」は燃え残りの木のことで、簡単に火がつくことから。 「焼け木杭には火がつきやすい」ともいう。
餅は餅屋(もちはもちや)
何事にもそれぞれ専門家がおり、素人はとてもかなわないというたとえ。
持ち物は主に似る(もちものはぬしににる)
持ち物には持ち主の性格や好みが表れるので、持ち物を見ればその持ち主の人柄が想像できるということ。
持つべきものは子(もつべきものはこ)
他人ではあてにできない事も、わが子ならばしてくれる。子は持つべきもので、わが子ほどありがたいものはないということ。
持つべきものは女房(もつべきものはにょうぼう)
苦労や感動をともにわかち合える妻のありがたさを言うことば。
物言う花(ものいうはな)
美人のたとえ。言葉を話す美しい花の意。
物には時節(ものにはじせつ)
ものごとをするには、それにふさわしい時機があり、それを外すと成功しないということ。
物には始めあり終わりあり(ものにははじめありおわりあり)
何事にも必ず始めと終わりがあるから、先にすべき事とあとでする事を正しく見分けなければならないということ。
