「らい」を含む故事・ことわざ・慣用句
「らい」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 64 件
朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)
当てにならないことのたとえ。 朝さんさんと日がさすよい天気と姑の笑顔は、変わりやすく当てにはできないという意味から。
畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。
家鴨も鴨の気位(あひるもかものきぐらい)
それほどでもない者が、高い気位を持っていることのたとえ。 姿のよくない家鴨が、鴨の気位を持つことから。
洗い髪にはおじ坊主が惚れる(あらいがみにはおじぼうずがほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
ある時払いの催促なし(あるときばらいのさいそくなし)
金の都合がついた時に返せばいい、催促は一切しないという寛大な借金の返済条件をいう言葉。
慌てる乞食は貰いが少ない(あわてるこじきはもらいがすくない)
急ぎ過ぎると、かえって失敗したり損をすることのたとえ。 先を争って施し物を貰おうとすると反感を買ってしまい、貰える物が少なくなってしまうとの意から。
言い出しこき出し笑い出し(いいだしこきだしわらいだし)
臭いと最初に言い出した者、笑い出した者が、おならをした犯人であるということ。転じて、人から聞いたと噂話を話す人が、噂を作り出した張本人であることが多いというたとえ。
謂う勿れ、今日学ばずして来日ありと(いうなかれ、こんにちまなばずしてらいじつありと)
明日があるからといって、今日学ぶべきことを後回しにしてはいけない。学びはその時その時で真剣に取り組むべきであるということ。 朱熹が若者に対して学問に励む心構えを説いたもの。 さらにこの後に「謂う勿れ、今年学ばずして来年ありと」と続く。 「謂う」は「言う」とも書く。
生きている犬は死んだライオンに勝る(いきているいぬはしんだらいおんにまさる)
どんな偉人でも死んでしまってはおしまいだから、凡人でも生きてる方がいいということ。
一生添うとは男の習い(いっしょうそうとはおとこのならい)
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
この世の一切の事物は因縁によって生じ、常に変化し続けていくはかないものであるということ。
憂いも辛いも食うての上(ういもつらいもくうてのうえ)
悲しい・辛いなどの不満は、衣食が満たされているから言える事なので、食べることさえままならない状況ではそんな事は言っていられないということ。
移れば変わる世の習い(うつればかわるよのならい)
時代が移り変われば世の中も変わっていくのが当然だということ。 「移り変わるは浮き世の習い」ともいう。
えせ侍の刀弄り(えせざむらいのかたないじり)
実力の乏しい者ほど外見をとりつくろうことのたとえ。 「えせ侍」は武士の心得がない臆病な侍のこと。 えせ侍にかぎって人前で刀を抜いて虚勢を張るとの意から。
えせ者の空笑い(えせもののそらわらい)
軽薄な者や、したたかな者が真実をかくすため,おかしくもないのに追従笑いなどをすること。「えせ者」な偽者の意。
老いの手習い(おいのてならい)
年老いてから始める学問や学び。 「老いの手習い」ともいう。
お払い箱になる(おはらいばこになる)
使用人が辞めさせられること。 また、要らなくなったものが捨てられること。 伊勢神宮にある「お祓(はら)い箱」は、中の札が毎年取り換えられて古い札は捨てられることから。 「祓い」を「払い」に掛けて言ったもの。
片腹痛い(かたはらいたい)
脇で見ていて、非常にばかばかしく滑稽に感じられるさま。
借り着より洗い着(かりぎよりあらいぎ)
人に頼ってぜいたくな暮らしをするより、自分の力で分相応な生活をするほうがよいということ。 人に借りた晴れ着より、洗いざらしでも自分の着物のほうがよいとの意から。
気位が高い(きぐらいがたかい)
自分の品位に誇りをもっていて、他者を見下すような態度をとる様子。
嫌いは知らぬの唐名(きらいはしらぬのからな)
負け惜しみの強い人は「知らない」とは言いたくないので、「嫌い」と言ってごまかすというたとえ。「唐名」は、別名の意。
位人臣を極める(くらいじんしんをきわめる)
その世界で最高の地位・権力を得ること。 臣下として最高の位に就くとの意から。
食わず嫌い(くわずぎらい)
食べてみないで嫌いだと決めつけること。
喧嘩過ぎての空威張り(けんかすぎてのからいばり)
喧嘩の最中は意気地なくこそこそし、喧嘩が終わったとたん虚勢を張って強がること。 「喧嘩過ぎての向こう鉢巻」ともいう。
げらげら笑いのどん腹立て(げらげらわらいのどんばらたて)
大声で笑っていたかと思うと突然腹を立てるような感情の起伏の激しい人のこと。 「どん腹立て」の「どん」は、腹を立てることを強める接頭語。 「げたげた笑いのどん腹立て」ともいう。
小糠三合あったら入り婿すな(こぬかさんごうあったらいりむこすな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
猿の尻笑い(さるのしりわらい)
自分の欠点に気づかず、他人の欠点を嘲笑することのたとえ。 猿が自分の尻が赤いことに気付かずに、他の猿の尻を見て笑うことから。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
七十五日は金の手洗い(しちじゅうごにちはかねのてあらい)
嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。
下いびりの上へつらい(しもいびりのかみへつらい)
自分より下の者にいばる人間は、上の者には媚びへつらうものだということ。
出家の念仏嫌い(しゅっけのねんぶつぎらい)
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。 僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いとの意から。
商売往来にない商売(しょうばいおうらいにないしょうばい)
泥棒など世間に認められない商売のこと。 「商売往来」は、商売に関係した事柄を書いた江戸時代の書物で、その書物に載っていない商売との意から。
地獄から火を貰いに来たよう(じごくからひをもらいにきたよう)
やせ衰えてみすぼらしい姿のたとえ。
人生七十、古来稀なり(じんせいしちじゅう、こらいまれなり)
七十歳まで生きる人は、昔から非常に少ないということ。このことから七十歳のことを「古稀(古希)」という。
スポットライトを浴びる(すぽっとらいとをあびる)
世間から広く注目されること。 「脚光」は舞台で役者の足もとを照らす光(フットライト)のこと。 「スポットライトを浴びる」ともいう。
性相近し、習い相遠し(せいあいちかし、ならいあいとおし)
人が生まれながらに持っている性質にはあまり差はないが、その後の教育や環境で大きな差が出てくるということ。
船頭のそら急ぎ(せんどうのそらいそぎ)
本当は急いでいないのに、急いでいるふりをすることのたとえ。船頭が「船が出るぞ」と言って客を船に乗り込ませながら、なかなか船を出さないことから。
袖から手を出すも嫌い(そでからてをだすもきらい)
ひどくけちなことのたとえ。 金を出すのはもちろん、袖から手を出すのも嫌いとの意から。
旅は憂いもの辛いもの(たびはういものつらいもの)
旅先では知人もなく、土地の事情もわからず、とかく心配やつらいことが多いものだということ。昔の旅行が今と違い、不便でつらいものだったことから生まれた言葉。
玉を衒いて石を売る(たまをてらいていしをうる)
値打ちのある物のように見せかけて、実際は粗末な物を売るたとえ。「衒う」は、見せびらかす意。高価な玉を見せびらかしておいて、実際には値打ちのない石を売りつけるということから。
出すことは舌を出すのも嫌い(だすことはしたをだすのもきらい)
ひどくけちなことのたとえ。 金を出すのはもちろん、舌を出すのも嫌いとの意から。
付き合いなら家でも焼く(つきあいならいえでもやく)
付き合いは、大切なものを犠牲にしてもしなければならないくらい大事だということ。また、付き合いを大事にして自分の家庭をかえりみないことを戒めて言うことば。
亭主関白の位(ていしゅかんぱくのくらい)
家庭の中で夫が非常にいばっていること、また絶大な権威をもっていることのたとえ。 一家の主人が関白と同じ位にあるかのような権威をもっているとの意から。 「関白」は、昔、天皇を補佐した重職のこと。 「亭主関白」ともいう。
手前味噌で塩が辛い(てまえみそでしおがからい)
自分で自分のことを自慢すること。また、自慢話ばかりで聞き苦しいというたとえ。 「手前味噌」は自分で作った味噌のこと。 自分で作った味噌は塩辛くてもうまいと感じるとの意から。
習い、性と成る(ならい、せいとなる)
習慣も続けていると、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということ。
習い性となる(ならいせいとなる)
何度も同じことを繰り返すことで、それが習慣となり、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということ。
女房は山の神百国の位(にょうぼうはやまのかみひゃっこくのくらい)
女房はきわめて大切なものであるというたとえ。
狙いをつける(ねらいをつける)
目的達成のため、目標となる対象をしっかりと絞り込んで決めること。
鼻息が荒い(はないきがあらい)
物事に取り組もうとする意気込みが激しい様子。
人食らい馬にも合い口(ひとくらいうまにもあいくち)
乱暴者にも頭の上がらない相手や気の合った者がいるように、どんな人間にもその人に合った相手がいることのたとえ。 人に噛み付く癖のある馬でも、相性のいい乗り手に対してはおとなしいことから。 「人噛み馬にも合い口」「人食らい馬にも合い口」ともいう。
貧ほど辛いものはなし(ひんほどつらいものはなし)
悲しいことやつらいことがたくさんある世の中で、貧乏ほどつらいことはないということ。
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
万物は実体のない仮のものだから、執着すべきものは何もないということ。
昔から言う事に嘘はない(むかしからいうことにうそはない)
昔から言い伝えられてきた格言やことわざは、多くの先人の経験や知識からできたものなので、どれも真理であるということ。
貰い物に苦情(もらいものにくじょう)
勝手で貪欲なさまのたとえ。人から貰った物にまで苦情をいうことから。
厄介払い(やっかいばらい)
何かと人に迷惑をかけていた者や面倒なことを追い払うこと。
夢は五臓の患い(ゆめはごぞうのわずらい)
夢を見るのは五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)が疲れているのが原因だということ。 「患い」は「煩い」とも書く。 また、「夢は五臓の疲れ」ともいう。
夜明け前が一番暗い(よあけまえがいちばんくらい)
どん底の後には必ずいいことがあるというたとえ。日が昇る直前に一番暗い時間があるということから。
世の習い(よのならい)
世間のならわし。世間では普通のこと。
来年の事を言えば鬼が笑う(らいねんのことをいえばおにがわらう)
来年のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
六十の手習い(ろくじゅうのてならい)
年をとってから学問や稽古事を始めること。 「八十の手習い」ともいう。
我が家、楽の釜盥(わがいえ、らくのかまだらい)
盥(たらい)を買えずに釜で代用しているような貧乏な暮らしをしていても、我が家ほど楽しい所はないということ。
笑いが止まらない(わらいがとまらない)
予想外の利益によって、嬉しくてたまらない様子。
笑い事ではない(わらいごとではない)
関わりのない人から見ると大した問題ではないが、関係者にとっては非常に深刻である様子。
笑いは人の薬(わらいはひとのくすり)
適度な笑いは心や身体に良いということ。
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