「る」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「る」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 1846 件
手を握る(てをにぎる)
協力して取り組むこと。 または、和解すること。
手を離れる(てをはなれる)
役目を終えて責任がなくなること。 または、その人の所有ではなくなること。 また、世話をする必要がなくなること。
手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる(てをひるがえせばくもとなり、てをくつがえせばあめとなる)
人の心の変わりやすいことのたとえ。 手のひらを上に向ければ雲がわき、手のひらを下に向けると雨が降るとの意から。
手を広げる(てをひろげる)
新しい方面や分野に進出して、活動の範囲を広げたり規模を大きくしたりすること。
手を休める(てをやすめる)
行っている物事を一時的に中断して休憩すること。
手を緩める(てをゆるめる)
それまでの厳しいやり方や態度などを和らげること。
手を煩わせる(てをわずらわせる)
人の世話になること。面倒をかけること。
天狗になる(てんぐになる)
いい気になってうぬぼれること。自慢すること。自慢することを「鼻が高い」といい、天狗の鼻が高いことから。
天災は忘れた頃にやってくる(てんさいはわすれたころにやってくる)
災害は人々がその恐ろしさを忘れた頃にまた襲ってくるものであるということ。 油断は禁物で用心を怠ってはいけないという戒めの言葉。 物理学者・随筆家の寺田寅彦の言葉。 「災害は忘れた頃にやってくる」ともいう。
天知る地知る我知る人知る(てんしるちしるわれしるひとしる)
悪事はいつか必ず露見するということ。 後漢の楊震(ようしん)が賄賂(わいろ)の受け取りを断った時の言葉。 誰も知るまいと思っても、隠し事は天の神様も、地の神様も、自分も、それを仕掛けたあなたも知っているとの意から。 「四知」ともいう。
天寿を全うする(てんじゅをまっとうする)
長生きして老衰によって自然に死ぬこと。寿命が尽きて死ぬこと。
天道様と米の飯はどこへも付いて回る(てんとうさまとこめのめしはどこへもついてまわる)
どんな所にも太陽が当たるように、どこへ行っても暮らしていけるということ。
天に唾する(てんにつばする)
他人に害を与えようとして、逆に自分がひどい目に遭うことのたとえ。 上を向いて唾をはくと、自分の顔に落ちてくることから。 「天を仰いで唾す」「天を仰いで唾する」「仰いで唾を吐く」などともいう。
天秤に掛ける(てんびんにかける)
二つのものの優劣や損得を比較して、どちらかを選ぼうとすること。 また、対立する二つの立場の両方に関わりを持ち、どちらの結果でも自分が損をしないように立ち回ること。
天を摩する(てんをまする)
山や建物などが天に触れるほど高いさま。[[摩天楼*https://kokugo.jitenon.jp/word/p48214]]。
テープを切る(てーぷをきる)
競争などで一番になること。一着になること。 競争のゴールに張られているテープを切るということから。
出る杭は打たれる(でるくいはうたれる)
ひときわ優れた才能がある人は、妬まれたり憎まれたりするということ。また、出過ぎたことをする人は、非難されたり制裁を受けたりするということ。 並んだ杭の中に一本だけ高い杭があれば、高さを揃えるために打たれることから。 「出る釘は打たれる」「差し出る杭は打たれる」ともいう。
出る所へ出る(でるところへでる)
互いの言い分をはっきりさせるために、法廷や警察などの公的な場で争うこと。
等閑に付する(とうかんにふする)
物事をいい加減に扱ったり、放っておいたりすること。
灯心で竹の根を掘る(とうしんでたけのねをほる)
一生懸命努力しても効果のないことのたとえ。 「灯心」は、灯油に浸して火をともす柔らかいひも状の芯のこと。 柔らかい灯心では、堅い竹の根を掘れるはずがないことから。
冬至十日経てば阿呆でも知る(とうじとおかたてばあほうでもしる)
冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。
尊い寺は門から見ゆる(とうといてらはもんからみゆる)
尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。
問うに落ちずに語るに落ちる(とうにおちずにかたるにおちる)
人から聞かれた時には警戒して言わないようなことも、自分から話をしている時にはうっかり言ってしまうということ。 「落ちる」は、白状すること。 単に「語るに落ちる」ともいう。
豆腐で歯を痛める(とうふではをいためる)
ありえないことのたとえ。
灯明で尻を焙る(とうみょうでしりをあぶる)
やり方を誤ったために、まったく効果があがらないことのたとえ。「灯明」は、神仏に供えるともしびのこと。灯明のような弱い火で尻をあぶっても暖まることは出来ない意から。
当を得る(とうをえる)
そのものが道理に適っていて適切であること。
遠くなれば薄くなる(とおくなればうすくなる)
親しかった者でも、遠ざかればだんだん情が薄れていくということ。
遠ざかるほど思いが募る(とおざかるほどおもいがつのる)
人を思う気持ちは、遠く離れたりして会えないほど、強くなるということ。
遠火で手を焙る(とおびでてをあぶる)
たいした効果がないことのたとえ。遠く離れた火で手を焙ってもあまり暖かくない意から。
時に遇えば鼠も虎になる(ときにあえばねずみもとらになる)
時流に乗れば、つまらない者でも出世して権力をふるうようになるというたとえ。
時を得る(ときをえる)
よい機会にめぐりあって栄えること。
鬨を作る(ときをつくる)
多くの人々が一斉に大きな声を出すこと。鬨の声を上げること。 「鬨」は士気を鼓舞したり、戦闘の開始を知らせたりするために発する大声。
徳俵に足がかかる(とくだわらにあしがかかる)
追い詰められているさま。後がないさま。 「徳俵」は、相撲の土俵上の円の東西南北の四ケ所に設けられた俵一つ分の出っ張りのこと。 土俵上で内外の境界となる徳俵に足がかかることから、追い詰められた状態を表す。
所変われば品変わる(ところかわればしなかわる)
土地が変わると風俗や習慣が違うということ。また、同じ物でも土地によって呼び方や用途が違うものだということ。
所を得る(ところをえる)
その人の能力と釣り合いのとれた地位や職に就くこと。
床を上げる(とこをあげる)
敷いていた布団を片付けること。 または、寝込んでいた人の病気が治ること。 「床を払う」ともいう。
床を取る(とこをとる)
いつでも寝ることができるように布団を敷くこと。寝所をつくること。
鶏冠に来る(とさかにくる)
怒りで冷静さを失うこと。
年が改まる(としがあらたまる)
新しい年になること。または、年号が変わること。
年寄れば愚に帰る(としよればぐにかえる)
年を取れば、子どものように愚かになってしまうということ。
トップを切る(とっぷをきる)
競争などで一番前を走ること。 または、順位が一位になること。 また、真っ先にある物事を始めること。
鳶に油揚げを攫われる(とびにあぶらあげをさらわれる)
大事な物を不意に横から奪い取られることのたとえ。 空を飛んでいる鳶がさっと舞い降りて、すばやく油揚げを奪っていくということから。 「とび」は「とんび」とも読む。
鳶も居ずまいから鷹に見える(とびもいずまいからたかにみえる)
どんな人間でも、立ち振る舞いをきちんとすれば、立派に見えるというたとえ。 見栄えのよくない鳶でも、振る舞い次第では鷹のように見えるとの意から。
途方に暮れる(とほうにくれる)
どうすればよいか分からず困り果てること。
朋あり遠方より来る(ともありえんぽうよりきたる)
遠くにいる友だちが、はるばる会いに来てくれた喜びをいう言葉。「朋」は、友の意。
虎になる(とらになる)
酒に酔って恐怖を感じなくなること。 または、酒に酔って暴れること。
虎は千里行って千里帰る(とらはせんりいってせんりかえる)
勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。
取ろう取ろうで取られる(とろうとろうでとられる)
勝負事などで、勝ちたいという思いばかりが先に立ち、結局は負けてしまうたとえ。
同気相求める(どうきあいもとめる)
気の合う者同士は、自然と寄り集まるということ。 「同気」は同じ気質のこと。
堂に入る(どうにいる)
学問や技芸がすっかり身についているようす。
度が過ぎる(どがすぎる)
程度が許容される限度を越えていること。
度胸が据わる(どきょうがすわる)
何が起こっても動じない心が備わること。
度胸を据える(どきょうをすえる)
何事にも動じないと心に決める。覚悟を決める。
読書百遍、義、自ずから見る(どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる)
どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。
毒薬変じて薬となる(どくやくへんじてくすりとなる)
有害なものが一転して有益なものになることのたとえ。また、同じ物が使い方によって、毒にも薬にもなることのたとえ。 「毒薬変じて甘露となる」ともいう。
何処を押せばそんな音が出る(どこをおせばそんなねがでる)
何を根拠にしてそのようなことをいうのか、という意味。 相手の常識外れの言い分を非難していう言葉。
どさくさに紛れる(どさくさにまぎれる)
混乱や混雑などの状況を利用して勝手なことをすること。
毒気に当てられる(どっけにあてられる)
相手の非常識な言動などに呆然とさせられること。 「毒気」は「どっき」とも読む。
毒気を抜かれる(どっけをぬかれる)
ひどく驚かされて呆然となること。度肝を抜かれること。 「毒気」は「どっき」とも読む。
土俵を割る(どひょうをわる)
相撲で、相手に攻められて土俵の外に出る。
泥のように眠る(どろのようにねむる)
酒に酔ったり、疲れたりして熟睡することのたとえ。
泥を打てば面へはねる(どろをうてばつらへはねる)
悪い行いの報いは必ず自分に返ってくるということ。
泥を被る(どろをかぶる)
損になることが分かった上でその役目を引き受けること。 または、他人の責任を一人で背負うこと。
どろんを決める(どろんをきめる)
その場からいきなりいなくなること。 「どろん」は芝居などで幽霊が出入りする時の効果音。
無い知恵を絞る(ないちえをしぼる)
難しい問題などに対して、よい方法がないかと必死になって知恵を出すことのたとえ。
泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)
規律や秩序を維持するために私情を捨て、たとえ愛する者であっても違反した場合には厳しく処罰することのたとえ。 中国の三国時代、蜀の諸葛孔明は、臣下の馬謖が命令に従わずに魏に大敗したため、泣きながら馬謖を斬ったという故事から。
仲に入る(なかにはいる)
対立している両者の間にはいって、両者の関係が修復するようにつとめること。
仲のよいで喧嘩する(なかのよいでけんかする)
仲が良ければ良いほど、互いに遠慮や我慢がなくなり、かえって喧嘩に発展することが多いということ。 親しい間柄であるがゆえに、意見や感情を率直に出し合い、衝突が生じやすくなることを表す言葉。
中を取る(なかをとる)
中間をとること。折衷する。どちらか一方に偏ることなく、適度な解決策を見出すこと。 または、間にはいる。二者間に入り、仲裁すること。
長居する鷺汁になる(ながいするさぎしるになる)
長く同じ場所に留まっている鷺は、目立つために人間に狙われ、蟇目の矢(矢の一種である鏑矢)で射られる。 長居は慎むべきであるという戒め。 「長居する鷺汁になる」ともいう。
長い目で見る(ながいめでみる)
現状だけで判断せず、気長に将来を見守ること。
名が売れる(ながうれる)
名前が広く世間に知られること。有名になること。
流し目を送る(ながしめをおくる)
異性の気を引こうとして色目を使うこと。 「流し目」は、顔はそのままで瞳だけを横にむけること。
名が通る(ながとおる)
名前が世間に広く知られていること。
流れを汲みて源を知る(ながれをくみてみなもとをしる)
末を見て、その本(もと)を推し量ること。 また、言動を見れば、その人の人柄や気持ちが自然にわかるというたとえ。 流れている水を汲み取り、水源の様子を察知するとの意から。
亡き数に入る(なきかずにいる)
死んだ人の仲間になること。死亡すること。
亡き者にする(なきものにする)
この世から消してしまうこと。殺すこと。 「亡き」は「無き」とも書く。
泣きを入れる(なきをいれる)
泣きついて、詫びたり哀願したりすること。
泣きを見せる(なきをみせる)
つらく悲しい思いをさせること。泣くような目にあわせること。
泣きを見る(なきをみる)
つらい場面や経験にあう。つらく苦しい結果になることのたとえ。