「ミ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ミ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 892 件
盗みする子は憎からで縄掛くる人が恨めしい(ぬすみするこはにくからでなわかくるひとがうらめしい)
盗みをした我が子を憎まず、その子を捕まえて縄を掛けた相手を恨むという、親の身びいきのたとえ。
濡れ紙を剝がすよう(ぬれがみをはがすよう)
濡れた紙を剥がすように、物事を静かに取り扱うようす。また、病気が日に日に快方に向かうようすのたとえ。
根浅ければ則ち末短く、本傷るれば則ち枝枯る(ねあさければすなわちすえみじかく、もとやぶるればすなわちえだかる)
基礎がしっかりしていない物事は発展せず、いずれ衰えるということのたとえ。 「末」は枝や葉、「本」は幹こと。 根が十分張っていなければ枝葉も成長しない、幹がいためばいずれ枝も枯れることから。
猫の額にある物を鼠が窺う(ねこのひたいにあるものをねずみがうかがう)
自分の実力を考えずに、大それたことや無謀なことをしようとすることのたとえ。 猫のそばにある物を、鼠がねらって様子をうかがうことから。
猫の前の鼠(ねこのまえのねずみ)
恐ろしさのあまり、身がすくんで動けないようすのたとえ。
猫は三年の恩を三日で忘れる(ねこはさんねんのおんをみっかでわすれる)
猫は三年飼われても、飼い主への恩を三日で忘れてしまうくらい薄情な動物だということ。
鼠壁を忘る壁鼠を忘れず(ねずみかべをわするかべねずみをわすれず)
傷つけた側はすぐ忘れるが、傷つけられた側は恨みをいつまでも忘れないというたとえ。壁をかじった鼠はすぐにそのことを忘れるが、壁にはいつまでもその傷が残るということから。
鼠が塩を引く(ねずみがしおをひく)
小事が積み重なって大事になることのたとえ。また、ものが少しずつ減っていき、最後にはなくなってしまうことのたとえ。 鼠が盗んでいく塩は少量ずつだが、何度も盗まれているといつの間にか大量の塩が無くなってしまうことから。 「鼠が塩を嘗める」ともいう。
鼠捕る猫は爪を隠す(ねずみとるねこはつめをかくす)
真にすぐれた才能のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。
鼠の嫁入り(ねずみのよめいり)
あれこれと条件をつけて選び好んでも、結局はふさわしいところに落ち着くというたとえ。 昔、鼠の夫婦が娘に天下一の婿を迎えたいと思い、まず太陽に申し入れた。 すると太陽は「自分は雲が出ると照らせなくなるから、雲のほうが偉い」と言った。 次に雲に頼むと「自分は風に吹き飛ばされるから、風のほうが強い」と答えた。 風に申し入れると「自分はいくら吹いてもびくともしない壁のほうが上だ」と言う。 最後に壁に頼むと「自分は鼠がかじって穴をあけるので、鼠のほうが偉い」と言われた。 こうして鼠の夫婦は、結局、自分たちの仲間から娘の婿を選んだという。 「鼠の婿取り」ともいう。
鼠も虎の如し(ねずみもとらのごとし)
小さな鼠でも、命がけで飛び出すときは虎のような勢いを示すということ。 弱い者でも、必死になれば強者をも圧するほどの勢いや迫力を持つことのたとえ。
妬みはその身の仇(ねたみはそのみのあだ)
人を妬んで悪く言ったり、害を与えようとしたりすると、その報いがめぐりめぐって自分自身に災いをもたらすということ。 「妬み」は「嫉み」とも書く。
寝耳に水(ねみみにみず)
不意の出来事に驚くことのたとえ。 寝ている時に不意に耳に水が入り驚く、また寝ている時に水の音を耳にして驚くことから。
寝耳へ水の果報(ねみみへみずのかほう)
降ってわいたように突然訪れる幸運や、思いがけない幸せのこと。
脳味噌を絞る(のうみそをしぼる)
あるだけの知恵を出し尽くして考察すること。
鑿と言えば槌(のみといえばつち)
万事に気が利くこと。また、気を利かすべきだという教え。 鑿をくれと言われれば、それを使う時に必要な槌も一緒に渡すとの意から。
蚤の息も天に上がる(のみのいきもてんにあがる)
誰でも一心に努力すれば望みを叶えられるということ。 一心に事を行えば、蚤のような小さなものの吐息も天に届かせることができるとの意から。
蚤の小便、蚊の涙(のみのしょうべん、かのなみだ)
極めてわずかなことのたとえ。
蚤の夫婦(のみのふうふ)
夫より妻が大きい夫婦のこと。
謀は密なるを貴ぶ(はかりごとはみつなるをたっとぶ)
計略は秘密に進めることが大事だということ。 「謀は密なるを良しとす」ともいう。
始めの囁き後のどよみ(はじめのささやきのちのどよみ)
始めはわずかな人々の間で噂されていたことが、のちに世間中の評判になるということ。
弾みを食う(はずみをくう)
他の事柄の影響を受けて、予想外の事態に巻き込まれること。
肌身離さず(はだみはなさず)
常に持ち歩いている様子。 または、非常に大事にすることのたとえ。
鳩を憎み豆を作らぬ(はとをにくみまめをつくらぬ)
つまらないことにこだわって、大事なことをしないために、自分や世間に損害を招くことのたとえ。鳩が豆をついばむのを嫌がって、豆を作るのをやめてしまうということから。
花多ければ実少なし(はなおおければみすくなし)
上辺を飾る人は、誠実さに欠けるということのたとえ。 たくさんの花が咲く木にかぎって、実は少ししかならないものであるとの意から。
花道を飾る(はなみちをかざる)
最後に立派な功績を残して惜しまれながら引退すること。 「花道」は歌舞伎の劇場に設けられた、客席を貫く通路のこと。俳優の登退場に用いられる。
花も折らず実も取らず(はなもおらずみもとらず)
欲張って両方を手に入れようとして、結局どちらも得られないことのたとえ。
花も実もある(はなもみもある)
外観と内容がともに充実していること、または人情も道理もわきまえていることのたとえ。 花が咲いて美しいうえに実までなることから。
早飲み込みの早忘れ(はやのみこみのはやわすれ)
飲み込みの早い人は忘れるのも早いので当てにならないということ。 「早覚えの早忘れ」「早飲み込みの早忘れ」ともいう。
はやり目なら病み目でもよい(はやりめならやみめでもよい)
やたらに流行を追いかける者の愚かさをいう言葉。 流行していることなら、たとえそれが目の病気でも真似をしたいとの意から。
腹鼓を打つ(はらつづみをうつ)
満腹になって満足し、鼓を鳴らすように腹を叩いて音を鳴らすこと。 「腹鼓」は「はらつづみ」と読むのが正しいとされるが、「はらづつみ」と読まれる場合も多く、一般的となっている。
腹も身のうち(はらもみのうち)
腹も体の一部だから暴飲暴食は慎めということ。
腸が見え透く(はらわたがみえすく)
隠している企みなどがよくわかること。
腹を見抜く(はらをみぬく)
相手の言動などから、相手の考えや気持ちなどを推測して知ること。 または、相手のたくらみを知ること。
馬鹿と暗闇おっかない(ばかとくらやみおっかない)
暗闇も怖いが、馬鹿も何をしでかすか予想できないので恐ろしいということ。
馬鹿と鋏は使いよう(ばかとはさみはつかいよう)
人を使うときは、使い方次第で役に立たせることができるということ。 鋏(はさみ)も使い方次第で切れたり切れなかったりするように、愚かな人間も上手に使えば役に立つということ。
馬鹿も休み休み言え(ばかもやすみやすみいえ)
くだらないことを言うのもいい加減にしろということ。
馬鹿を見たくば親を見よ(ばかをみたくばおやをみよ)
馬鹿とは何か知りたければ、親を見よということ。 親馬鹿こそ馬鹿の見本のようなものであるとの意から。
馬鹿を見る(ばかをみる)
苦労しても損な立場に立たされたり、つまらない結果になったりすること。
万斛の涙(ばんこくのなみだ)
とめどなく流れる涙のこと。「斛」は石(こく)で、十斗のこと。万斛は、非常に多い分量のたとえ。
万死一生を顧みず(ばんしいっしょうをかえりみず)
万に一つも生き延びる希望を持たないこと。
贔屓目に見る(ひいきめにみる)
実際よりも好意的に判断すること。
低き所に水溜まる(ひくきところにみずたまる)
水が低い所に溜まるように、利益のある所に自然と人が集まるということ。
日暮れて途遠し(ひくれてみちとおし)
年老いてしまったのに、まだ目的を達するまでには程遠いことのたとえ。また、期限が迫っているのに、仕事が片付かないことのたとえ。
顰みに倣う(ひそみにならう)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
左は勝手、右は得手(ひだりはかって、みぎはえて)
何でも巧みにやれることのたとえ。「勝手」は自由に使いこなせること、「得手」は得意とすること。左手も右手も自由自在に使えるということから。
左鮃右鰈(ひだりひらめみぎかれい)
鮃と鰈の見分け方をいったもの。目がからだの左側にあるのが鮃で、右側にあるのが鰈だということ。
人衆ければ則ち狼を食らう(ひとおおければすなわちおおかみをくらう)
多数の力が強大であることのたとえ。 人数が多ければ、一人では到底勝てない狼をも倒して食ってしまうとの意から。
人噛み馬にも合い口(ひとかみうまにもあいくち)
乱暴者にも頭の上がらない相手や気の合った者がいるように、どんな人間にもその人に合った相手がいることのたとえ。 人に噛み付く癖のある馬でも、相性のいい乗り手に対してはおとなしいことから。 「人噛み馬にも合い口」「人食らい馬にも合い口」ともいう。
人こそ人の鏡(ひとこそひとのかがみ)
他人は自分の姿を映す鏡のようなものであるから、他人の言動を見て自分の行いを正す手本にせよということ。
人盛んにして神祟らず(ひとさかんにしてかみたたらず)
人の運勢が盛んな時は、神仏でもこれをとどめることが出来ないということ。
人に勝たんと欲する者は必ず先ず自ら勝つ(ひとにかたんとほっするものはかならずまずみずからかつ)
人に勝とうと思うなら、まず自分自身の色々な欲望に打ち勝つ必要があるということ。
人に七癖、我が身に八癖(ひとにななくせ、わがみにやくせ)
他人の癖は目につきやすが、自分の癖にはなかなか気がつかないから自戒せよということ。
人に施しては慎みて念うこと勿れ(ひとにほどこしてはつつしみておもうことなかれ)
他人に与えた恩恵のことは、恩着せがましくならないように、早くその事を忘れるように心がけよということ。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の七難は見ゆれど我が十難は見えず(ひとのしちなんはみゆれどわがじゅうなんはみえず)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人のふり見て我がふり直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)
人の行いの善し悪しを見て、自分の行いを反省して改めよということ。「ふり」は、形(なり)振り・振る舞いの意。
人はパンのみにて生くるにあらず(ひとはぱんのみにていくるにあらず)
人間は物質的満足だけを目的として生きるものではないということ。
人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)
人の性質や能力は外見だけでは判断しにくく、外見と中身は往々にして異なることが多いので、外見だけで軽々しく判断してはいけないということ。
人は見目よりただ心(ひとはみめよりただこころ)
人は外見の美しさよりも、心の美しいことのほうが大切だということ。 「見目」は見た様子、顔立ちのこと。 単に「見目より心」ともいう。
瞳を凝らす(ひとみをこらす)
瞬きせずに一つの所を集中して見ること。
人を怨むより身を怨め(ひとをうらむよりみをうらめ)
人の仕打ちをうらむ前に、自分の至らなさを反省せよという戒めの言葉。
人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む(ひとをおもうはみをおもう、ひとをにくむはみをにくむ)
人に情けをかけることは自分のためになることであり、人を苦しめることはやがて自分の苦しみになるということ。
人を恃むは自ら恃むに如かず(ひとをたのむはみずからたのむにしかず)
他人は当てにならないから、人に頼るよりも自分自身を頼りにするのが確かだということ。「恃む」は、頼るという意。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
他人は信用できないので、泥棒と疑ってかかるくらい用心したほうがよいということ。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
人を以て鑑と為す(ひとをもってかがみとなす)
他人の言葉や行動を手本にして、自分を正せということ。「鑑」は手本・模範の意。
日の目を見る(ひのめをみる)
それまで人々に知られていなかったものが知られるようになること。 または、それまで不遇だった人が認められるようになること。
百川、海に朝す(ひゃくせん、うみにちょうす)
利益のあるところには自然に多くの人が集まることのたとえ。「百川」はあらゆる川、「朝す」は集まるという意。
百里来た道は百里帰る(ひゃくりきたみちはひゃくりかえる)
自分のしたことには、必ずそれなりの報いがあるということ。 百里歩いてきた道は、百里歩かなければもとの場所には戻れないとの意から。
冷や水を浴びせる(ひやみずをあびせる)
意気込んでいる人に元気を無くすような言動をすること。
火を避けて水に陥る(ひをさけてみずにおちいる)
一つの災難を避けて、すぐまた別の災難に遭うことのたとえ。 火に焼かれることを避けられたと思ったら、水に落ちて溺れることから。
火を見たら火事と思え(ひをみたらかじとおもえ)
何事も用心を重ね、警戒を怠りなくせよという教え。 少しの火でも火事だと思って用心せよということ。
火を見るより明らか(ひをみるよりあきらか)
きわめて明らかで疑う余地がまるでないようす。 火を見れば火だとわかるが、それよりもっと明らかとの意から。
貧の盗みに恋の歌(ひんのぬすみにこいのうた)
人は必要に迫られれば、なんでもするというたとえ。 貧乏すれば盗みも働くし、恋をすれば歌を詠むとの意から。
美味も喉三寸(びみものどさんずん)
どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通るの間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。
秒読みに入る(びょうよみにはいる)
物事が起こる時間が間近に迫っていること。 「秒読み」は開始や終了までの時間を秒単位で読み上げること。
袋の鼠(ふくろのねずみ)
どうやっても逃げることができない状態。 「袋の中の鼠」ともいう。
布施見て経を読む(ふせみてきょうをよむ)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
太く短く(ふとくみじかく)
我慢して長く生きるよりも、やりたいことをやって楽しんで生きたほうがよいということ。 また、たとえ長生きできなくても楽しんで生きたいという態度のこと。