「山」を含む故事・ことわざ・慣用句
「山」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
秋葉山から火事(あきばさんからかじ)
人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。
後は野となれ山となれ(あとはのとなれやまとなれ)
目前の問題さえ片付けば、あとはどうなってもよいということ。
何れを見ても山家育ち(いずれをみてもやまがそだち)
大勢いる者のどれを見ても田舎育ちで、誰一人役に立ちそうにない。
一度焼けた山は二度は焼けぬ(いちどやけたやまはにどはやけぬ)
一度災いに遭うと二度と同じ災いに遭うことはないと、災難に遭った人を慰めて言うことば。
一目山随徳寺(いちもくさんずいとくじ)
後先かまわずに一目散に逃げ出すこと。 「ずいと出て行く」をしゃれで寺の名に見立てたもの。 また、「一目散」を山号になぞらえて「一目山随徳寺」ともいう。
海に千年山に千年(うみにせんねんやまにせんねん)
経験豊富で抜け目なく悪賢いこと。また、そういう人のこと。 海に千年、山に千年住んだ大蛇は竜になるという言い伝えから。 「海千山千」ともいう。
海の物とも山の物ともつかぬ(うみのものともやまのものともつかぬ)
この先どうなるか見当がつかないこと。また、正体がわからないこと。
円石を千仞の山に転ず(えんせきをせんじんのやまにてんず)
非常に勢いが激しく、抑えようがないことのたとえ。 高い山から丸い石を落とすと、ものすごい勢いで転がることから。
驚き、桃の木、山椒の木(おどろき、もものき、さんしょのき)
たいそう驚いたということを「き」の語呂合わせでいった言葉。
お山の大将(おやまのたいしょう)
小さな集団や狭い世界の中で、自分が一番偉いと得意になって威張っている人のこと。
お山の大将俺一人(おやまのたいしょうおれひとり)
小さな集団や狭い世界の中で、自分が一番偉いと得意になって威張っている人のこと。
海賊が山賊の罪をあげる(かいぞくがさんぞくのつみをあげる)
自分の悪行は棚に上げて他人の悪行を非難するたとえ。また、同類であっても利害が共通しない者は敵対するということ。 「山賊の罪を海賊があげる」ともいう。
風は吹けども山は動せず(かぜはふけどもやまはどうせず)
周囲の騒ぎの中で、少しも動じないで悠然としていることのたとえ。 激しい風が吹き荒れても山はびくともしないとの意から。
片山曇れば片山日照る(かたやまくもればかたやまひてる)
一方に悪いことがあれば、もう一方に良いことがあり、世の中は様々だということ。
蕪は鶉となり、山芋は鰻となる(かぶらはうずらとなり、やまいもはうなぎとなる)
起こるはずのないことが時には起こることのたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。 いくら形が似ていても、蕪(かぶら)が鶉(うずら)になったり山芋が鰻になったりすることなどありえないが、それが起こるとの意から。 「山の芋鰻になる」ともいう。
枯れ木も山の賑わい(かれきもやまのにぎわい)
つまらないものでも、ないよりはあったほうがましだというたとえ。枯れ木でもいくらかは山に風情を添えるという意で、自分のことをへりくだって言う言葉。
来て見ればさほどでもなし富士の山(きてみればさほどでもなしふじのやま)
何事もおおげさに言われるもので、実際に見てみると想像していたほどのものではないことが多いというたとえ。 富士山はすばらしいと言われているけれども、来てみればそれほどの山ではなかったとの意から。
玉山崩る(ぎょくざんくずる)
容姿の立派な人が酔いつぶれるたとえ。「玉山」は、珠玉のとれる山から転じて、容姿のあでやかなことのたとえ。
国破れて山河在り(くにやぶれてさんがあり)
戦乱で国が滅びても、自然の山や川はもとのままの姿で存在しているということ。
車は海へ舟は山(くるまはうみへふねはやま)
物事がさかさまなことのたとえ。
葷酒、山門に入るを許さず(くんしゅ、さんもんにいるをゆるさず)
葷酒は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込むのを許さないということ。「葷酒」は、強い臭気のねぎやにらなどの野菜と酒。禅寺の山門の脇に立つ石碑に刻まれた言葉。
愚公、山を移す(ぐこう、やまをうつす)
何事も忍耐強く努力を続ければ、かならず成就するというたとえ。 昔、愚公という老人が、家の前にある二つの山を他に移そうと努力を続けた。「私が死んでも子孫に引き継いで続ければいつか必ず出来る」と言った愚公の志に感動した天帝(神)が、山を移してやったという故事から。
恋の山には孔子の倒れ(こいのやまにはくじのたおれ)
どんなにすぐれた人でも、色恋のこととなると思慮分別を失い、間違いを犯してしまうというたとえ。「孔子」は孔子(こうし)の呉音読み。
高山の巓には美木なし(こうざんのいただきにはびぼくなし)
地位の高い人は、人からねたまれたり批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。 高山の頂上は雨風の激しい過酷な環境なので、そこに立つ木は美しい姿を保つことができないとの意から。
山雨来らんとして風楼に満つ(さんうきたらんとしてかぜろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。 「楼」は、高殿のこと。 山の雨が降り出す前には、前ぶれの風が高殿へ吹きつけることから。 「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
山雨来らんと欲して風楼に満つ(さんうきたらんとほっしてかぜろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。 「楼」は、高殿のこと。 山の雨が降り出す前には、前ぶれの風が高殿へ吹きつけることから。 「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
山賊の罪を海賊があげる(さんぞくのつみをかいぞくがあげる)
自分の悪行は棚に上げて他人の悪行を非難するたとえ。また、同類であっても利害が共通しない者は敵対するということ。 「山賊の罪を海賊があげる」ともいう。
山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し(さんちゅうのぞくをやぶるはやすくしんちゅうのぞくをやぶるはかたし)
山中にいる賊を討伐するのは簡単だが、心の中の邪念に打ち勝つのは難しいというたとえ。
山中暦日なし(さんちゅうれきじつなし)
山の中で俗世間を離れて暮らしていると、月日の経つのも忘れるということ。「暦日」は、月日の意。
坐しても食らえば山も空し(ざしてもくらえばやまもむなし)
働かずに暮らせば、山のような財産があってもやがては尽きてしまうということ。
鹿を逐う者は山を見ず(しかをおうものはやまをみず)
利益を得ることに夢中になっている者は、周囲の事を考える余裕がなくなり道理を忘れてしまうというたとえ。鹿を追う者は狩りに夢中になり山の様子が目に入らないとの意から。
死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し(しはあるいはたいざんよりおもく、あるいはこうもうよりかろし)
命は惜しむべき場合と、潔く捨てるべき場合があるということ。 「泰山」は中国山東省にある名山。 「鴻毛」はおおとりの羽毛。 命は高い山よりも重く見なければならない場合と、おおとりの羽毛よりも軽く見なければならない場合があるとの意から。
獣を逐う者は目に太山を見ず(じゅうをおうものはめにたいざんをみず)
仁者は山を楽しむ(じんしゃはやまをたのしむ)
仁徳の備わった人は、心が静かで何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。
関の山(せきのやま)
物事がうまく進んだ場合でも、これ以上はできないという限度。せいぜい。
船頭多くして、船、山へ登る(せんどうおおくして、ふね、やまへのぼる)
指図する人間が多すぎて統一が取れず、物事が順調に運ばなかったり、とんでもない方向へ進んでしまったりすることのたとえ。 「船頭」は船長のこと。 まるで船頭かのように指示を出す人間が多すぎると、船が山に登ってしまうような見当違いの方向に物事が進んでしまうとの意から。
泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)
大きなことを成し遂げる人は、小さい意見にも素直に耳を傾ける度量の広さを持つ、またそのようにして自分を高めていくというたとえ。 「泰山」は中国、山東省にある山。 泰山はどんな小さな土くれでも拒まずに受け入れて大きな山になったとの意から。
泰山北斗のごとし(たいざんほくとのごとし)
その道の大家として最も尊ばれる人物をたとえていうことば。 「泰山」は中国、山東省にある名山、「北斗」は北斗七星。 中国では、泰山と北斗七星が人々から仰ぎ見られていたことから。 「泰山北斗」は略して「[[泰斗*https://kokugo.jitenon.jp/word/p30621]]」ともいう。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
泰山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
太山を挟んで北海を超ゆ(たいざんをわきばさんでほっかいをこゆ)
人間の力では出来るはずがないことのたとえ。 「太山」は泰山、「北海」は中国北東部にある渤海湾(ぼっかいわん)のこと。 泰山を小脇にかかえて渤海湾を飛び越えるとの意から。
宝の山に入りながら手を空しくして帰る(たからのやまにいりながらてをむなしくしてかえる)
よい機会に恵まれながら、結局何の利益も得られないで終わることのたとえ。
他山の石(たざんのいし)
他人の誤った言行を、自分の修養のために役立てること。 よその山から取れたつまらない石でも、自分の宝石を磨くのに使えるとの意から。
力山を抜き、気は世を蓋う(ちからやまをぬき、きはよをおおう)
勇壮な気性のたとえ。 山を引き抜くほどの大きな力と、世界を覆い尽くすほどの意気があるとの意。 敵に取り囲まれた四面楚歌の状況で楚の項羽がうたった詩「垓下歌」の一節。 「抜山蓋世」ともいう。
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ(ちしゃはみずをたのしみ、じんしゃはやまをたのしむ)
ものの道理をわきまえた人は、判断に迷いがないからよどみなく流れる川を愛し楽しむ。また、仁徳を備えた人は、静かな心で何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。
父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し(ちちのおんはやまよりもたかく、ははのおんはうみよりもふかし)
父母から受けた恩は広大で深いということ。 両親の愛情をたとえたもの。 「父母の恩は山よりも高く海よりも深し」ともいう。
塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)
塵のようなわずかなものでも、たくさん積み重なれば山のように大きなものになるというたとえ。小さなことでもおろそかにしてはいけないということ。
妻の言うに向こう山も動く(つまのいうにむこうやまもうごく)
妻の言葉は夫に対して大きな力を持っていることのたとえ。 動くはずのない向こうの山でさえも、妻が言えば動いてしまうとの意から。
手なくして宝の山に入る(てなくしてたからのやまにいる)
天王山(てんのうざん)
勝負の分かれ目となるきわめて大事な時や場所のこと。「天王山」は、京都にある山。交通の要地であった、天王山のふもとの山崎の戦いで、羽柴秀吉が明智光秀に勝利を収めたことから。
遠目、山越し、笠の内(とおめ、やまごし、かさのうち)
遠くから見るとき、山越しに見るとき、また、笠に隠れた顔の一部をちらりと見る時は、はっきりと見えないので、実際以上に美しく感じられるということ。
鉈を貸して山を伐られる(なたをかしてやまをきられる)
好意でしたことによって、自分が損害を受けることのたとえ。 好意で貸した鉈によって、自分の山の木を伐採されてしまうとの意から。
南山の寿(なんざんのじゅ)
事業が栄え続けること。 または、長寿を祝う言葉。 「南山」は中国にある終南山という山のことで、長寿や堅固の象徴とされていることから。
女房は山の神百国の位(にょうぼうはやまのかみひゃっこくのくらい)
女房はきわめて大切なものであるというたとえ。
人間至る処、青山あり(にんげんいたるところ、せいざんあり)
どこで死んでも世の中には自分の骨を埋めるぐらいの場所はあるということ。だから、故郷にこだわらず広い世間に出ておおいに活動すべきだというたとえ。「人間」は、「じんかん」とも読み世の中の意。「青山」は、樹木が青々と茂った山で埋骨にふさわしい土地の意。幕末の僧、月性(げっしょう)の詩から。
日、西山に薄る(ひ、せいざんにせまる)
年老いて、死期が間近に迫っていることのたとえ。太陽が西の山に今にも沈もうとしている意から。
一山当てる(ひとやまあてる)
投機などで大きな利益を得ること。
氷山の一角(ひょうざんのいっかく)
表面に現れているのは全体のほんの一部で、大部分は隠れたままであることのたとえ。 海面上に見える氷山は、全体のうちの一部分にすぎないとの意から。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん)
貧乏な人にかぎって子どもが多いということ。
巫山の雨(ふざんのあめ)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の雲雨(ふざんのうんう)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の雲(ふざんのくも)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の春(ふざんのはる)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の夢(ふざんのゆめ)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
父母の恩は山よりも高く海よりも深し(ふぼのおんはやまよりもたかくうみよりもふかし)
父母から受けた恩は広大で深いということ。 両親の愛情をたとえたもの。 「父母の恩は山よりも高く海よりも深し」ともいう。
噴火山の上で踊る(ふんかざんのうえでおどる)
極めて危険な状態におかれていることに気がつかず、好き勝手なことをしていることのたとえ。 ナポレオン没落後のフランスで、貴族たちが毎夜のように舞踏会を開き、民衆の不満がつのり政情が悪かった時に、サルバンディ伯が言ったと伝えられる「我々は噴火山の上で踊っているのだ」という言葉から。
目には青葉、山時鳥、初鰹(めにはあおば、やまほととぎす、はつがつお)
初夏のさわやかな風物を並べたことば。江戸時代の俳人山口素堂の句。
安きこと泰山の如し(やすきことたいざんのごとし)
どっしりと安定していて、ものに動じない様子のたとえ。 「泰山」は、中国山東省にある大きな山で、その泰山のように落ち着いてどっしりしているとの意から。
山が当たる(やまがあたる)
成功を期待した予想が的中すること。勘が当たること。 鉱山でうまく鉱脈を掘り当てるとの意から。
山が見える(やまがみえる)
困難なことを乗り切って、先の見通しが立つこと。
山師の玄関(やましのげんかん)
内容や実質がないのに見かけだけが立派なことのたとえ。「山師」は投機的な事業で大儲けをたくらむ人。その山師が人を信用させるために玄関を特に立派にすることから。
山師山で果てる(やましやまではてる)
得意な技を持つ人は、その技のために身の破滅を招きやすいということのたとえ。山に慣れた山師は、つい油断して山で命を落とすことが多いということから。
山高きが故に貴からず(やまたかきがゆえにたっとからず)
外観がよくても、内容が伴わなければ立派とはいえないということ。物事は見かけだけで判断してはいけないというたとえ。
山に躓かずして垤に躓く(やまにつまずかずしててつにつまずく)
大きなことには慎重に取り組むので失敗は少ないが、小さなことは油断して失敗しがちだということ。「垤」は、蟻塚(ありづか)のこと。
山に蛤を求む(やまにはまぐりをもとむ)
海にすむ蛤を山でとろうとするように、方法を誤ったために決してできないことのたとえ。
山の芋鰻とならず(やまのいもうなぎとならず)
世の中では突拍子もない変化は起こらないというたとえ。
山の芋鰻になる(やまのいもうなぎになる)
起こるはずのないことが時には起こることのたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。 いくら形が似ていても、蕪(かぶら)が鶉(うずら)になったり山芋が鰻になったりすることなどありえないが、それが起こるとの意から。 「山の芋鰻になる」ともいう。
山の芋を蒲焼にする(やまのいもをかばやきにする)
あまりにも早計な行為のたとえ。 [[蕪は鶉となり、山芋は鰻となる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4562.php]](起こるはずのないことが時には起こることのたとえ)という言葉でたとえとして用いられている山芋がまだ鰻にもなっていないのに蒲焼にしようとすることから。
山場を迎える(やまばをむかえる)
物事が、最も重要な局面を迎えること。
山より大きな猪は出ぬ(やまよりおおきないのししはでぬ)
入れ物よりも大きな中身などあり得ないというたとえ。また、大げさな言い方もほどほどにしろということ。 いくら大きな猪でも、山より大きい猪はいないとの意から。
山を当てる(やまをあてる)
万一の成功をねらってやったことがうまくいくこと。 鉱山でうまく鉱脈を掘り当てるとの意から。
山を掛ける(やまをかける)
的中することを期待して物事を行うことのたとえ。 「山」は、鉱山のこと。 鉱山で鉱脈を掘り当てる仕事は大きな賭けであったことから転じて、万一の幸運を当てにすること。 「山を掛ける」ともいう。
山を越す(やまをこす)
物事の最も盛んな時期や危険な時期を過ぎること。 「山を越す」ともいう。
山をなす(やまをなす)
山のように高く積み上げられていること。 また、物がたくさんあること。
山を張る(やまをはる)
的中することを期待して物事を行うことのたとえ。 「山」は、鉱山のこと。 鉱山で鉱脈を掘り当てる仕事は大きな賭けであったことから転じて、万一の幸運を当てにすること。 「山を掛ける」ともいう。
律義者の子沢山(りちぎもののこだくさん)
律義者は、品行方正で家庭円満なので、夫婦仲もよく子どもが多く生まれるということ。
梁山泊(りょうざんぱく)
豪傑や野心家の集まる所。「梁山泊」は、中国山東省梁山の麓の沼の名。そこに盗賊ら百八人の豪傑が集まったという話から。
連山の眉(れんざんのまゆ)
連なる山のように、横に長く引いた美しい眉のこと。
廬山の真面目(ろざんのしんめんもく)