「う」を含む故事・ことわざ・慣用句
「う」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2443 件
乳臭(にゅうしゅう)
幼稚で未熟なこと。
女房、鉄砲、仏法(にょうぼう、てっぽう、ぶっぽう)
女性は雰囲気を和らげ、鉄砲の力で治安を保ち、仏法で人の心を正しく導く。この三つの力で世の中がうまく治まっているということ。
女房と畳は新しいほうがよい(にょうぼうとたたみはあたらしいほうがよい)
妻と畳は新しいほうが、新鮮な気分がしてよい。何でも新しいほうが気持ちがよいということ。
女房と味噌は古いほどよい(にょうぼうとみそはふるいほどよい)
何でも古いほど味わいが出て良いということ。味噌も古くなると熟成されて味がよくなり、妻も長年連れ添うと円満さも増していくということから。
女房に惚れてお家繁盛(にょうぼうにほれておいえはんじょう)
亭主が女房に惚れ込んでいると、外で浮気や道楽もせず家庭円満になるということ。
女房の妬くほど亭主もてもせず(にょうぼうのやくほどていしゅもてもせず)
妻が気をもむほど、夫はよその女性にもててはいないということ。
女房の悪いは六十年の不作(にょうぼうのわるいはろくじゅうねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にしてしまうということ。 悪い妻をもらうと六十年の不作に匹敵するとの意から。
女房は貸すとも擂り粉木は貸すな(にょうぼうはかすともすりこぎはかすな)
すりこぎのように使うと減るものは、他人に貸してはいけないということ。
女房は灰小屋から貰え(にょうぼうははいごやからもらえ)
妻を迎えるなら、自分より格下の家からもらうのがよいということ。 身分の高い家から妻をもらうと、親戚付き合いに苦労したり夫の権威が下がったりする恐れがあるとの意から。 「女房は台所から貰え」「女房は掃き溜めから拾え」「女房は庭から取れ」などともいう。
女房は半身上(にょうぼうははんしんしょう)
その家が繁盛するかどうかは、女房の力にかかっているということ。「身上」は財産の意で、女房は財産の半分の価値があるということから。
女房は山の神百国の位(にょうぼうはやまのかみひゃっこくのくらい)
女房はきわめて大切なものであるというたとえ。
女房百日、馬二十日(にょうぼうひゃくにち、うまはつか)
どんなものも、はじめのうちは珍しがられるが、すぐに飽きられてしまうというたとえ。 妻は百日、馬は二十日もすれば飽きてしまうとの意から。
鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん(にわとりをさくにいずくんぞぎゅうとうをもちいん)
小さな事柄を処理するのに、大がかりな手段は必要ないということ。 「焉んぞ」は、どうしての意。 「牛刀」は、牛を料理するときに使う大きな包丁。 鶏をさばくのに、どうして牛刀を使う必要があるだろうかという意味から。
人間一生二万日(にんげんいっしょうにまんにち)
人間の平均寿命はかつては五十年とされ、日数にすると約二万日ということになり、一生は長いようにも短いようにも思われるということ。
人間僅か五十年(にんげんわずかごじゅうねん)
人の一生は短くはかないものだということ。 人の寿命はたかだか五十年との意から。 「人生僅か五十年」「人間五十年」ともいう。
人相見の我が身知らず(にんそうみのわがみしらず)
他人の運命についてあれこれ占う人相見も、自分の事は正しい判断がつかないということ。「人相見」は、人相を見て運命を判断することを職業とする人のこと。
忍の一字は衆妙の門(にんのいちじはしゅうみょうのもん)
忍耐を身につければ、どんなことでも出来るというたとえ。「衆妙の門」は、万物の深遠な道理の入り口のこと。
抜かぬ太刀の高名(ぬかぬたちのこうみょう)
力量のある人がそれを発揮せず、かえって人から重んじられることのたとえ。また、口先だけ達者で実際に腕前を披露したことのない人をあざけることば。
抜け駆けの功名(ぬけがけのこうみょう)
人を出し抜いて手に入れた手柄。「抜け駆け」は自分の戦陣を抜け出して、人より先に敵陣に攻め込むこと。
抜けるよう(ぬけるよう)
空に雲が一つもなく、青く澄みきっている様子。 また、透き通るように肌が白くてうつくしい様子。
盗人の上米を取る(ぬすびとのうわまいをとる)
悪人にも、上には上がいるということ。 盗人が盗んだ物の一部を盗み取ることから。
盗人の逆恨み(ぬすびとのさかうらみ)
捕えられた盗人が自らの悪事を反省することもなく、捕えた人や被害者をうらむこと。
盗人の提灯持ち(ぬすびとのちょうちんもち)
悪人の手先となって、手助けをすること。「提灯持ち」は、夜道に提灯を持って先に行く人。転じて、人の手先になって、その人をほめ従う者。
盗人を捕らえて縄を綯う(ぬすびとをとらえてなわをなう)
物事が起こったり直前に迫ったりしてから、慌てて準備することのたとえ。 盗人を捕まえてから、泥棒を縛るための縄の準備を始めるとの意から。 「盗人」は「泥棒」、「捕らえて」は「見て」ともいう。 また、「泥棒を捕らえて縄を綯う」を略して「[[泥縄*https://kokugo.jitenon.jp/word/p37603]]」ともいう。
盗みする子は憎からで縄掛くる人が恨めしい(ぬすみするこはにくからでなわかくるひとがうらめしい)
盗みをした我が子を憎まず、その子を捕まえて縄を掛けた相手を恨むという、親の身びいきのたとえ。
塗り箸で素麺を食う(ぬりばしでそうめんをくう)
滑ってはさみにくいことから、物事のやりにくい様子のたとえ。 「塗り箸で素麺(そうめん)を食う」「塗り箸で鰻(うなぎ)を挟む」ともいう。
濡れ紙を剝がすよう(ぬれがみをはがすよう)
濡れた紙を剥がすように、物事を静かに取り扱うようす。また、病気が日に日に快方に向かうようすのたとえ。
寝息を窺う(ねいきをうかがう)
相手の睡眠中に悪事をしようとすること。 また、相手が眠っているかどうか、様子を確認すること。
願うに幸い(ねがうにさいわい)
願っているところに訪れる幸いという意味。
寝返りを打つ(ねがえりをうつ)
寝たままの状態で、体の方向をかえること。 また、味方を裏切って敵の仲間に加わること。
根が生えたよう(ねがはえたよう)
その場所に留まってすこしも動かないこと。
猫が糞を隠したよう(ねこがばばをかくしたよう)
悪事を隠したまま知らん顔をすること。 猫が糞をしたあとに足で砂をかけて隠すようすから。 単に「[[猫糞*https://kokugo.jitenon.jp/word/p39481]]」ともいう。 また「猫が糞を隠したよう」ともいう。
猫でない証拠に竹を描いておき(ねこでないしょうこにたけをかいておき)
へたな絵をあざけっていう言葉。描いた虎が猫に間違えられないように、「竹に虎」の取り合わせで知られる竹を描き足すという意の川柳から。
猫の魚辞退(ねこのうおじたい)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
猫の額にある物を鼠が窺う(ねこのひたいにあるものをねずみがうかがう)
自分の実力を考えずに、大それたことや無謀なことをしようとすることのたとえ。 猫のそばにある物を、鼠がねらって様子をうかがうことから。
猫の目のよう(ねこのめのよう)
物事の移り変わりが激しいことのたとえ。猫の目が明るさによって形を変えるところから。
猫を追うより皿を引け(ねこをおうよりさらをひけ)
その場のがれより、根本を正すことが大事だというたとえ。皿をねらっている猫を追い払うより、皿を片付けるほうがいいということから。
熱に浮かされる(ねつにうかされる)
高熱によって、うわごとを言うような状態になること。 また、分別を失うほど一つのことに熱中すること。
念頭に置く(ねんとうにおく)
常にそのことを意識すること。
能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。
能書きの読めぬ所に効き目あり(のうがきのよめぬところにききめあり)
効能書きは難解だが、それがかえって効き目があるように感じられる。よくわからないものほど、有難みがあるということのたとえ。また、効能書きの難解さへの皮肉にいう。
能書きを並べる(のうがきをならべる)
自らの長所や得意とすることなどをあれこれと並べたてること。 「能書き」は、薬などの効能を記載した効能書きのこと。
能書筆を択ばず(のうしょふでをえらばず)
書にすぐれた人は筆のよしあしに関係なく、どんな筆を使ってもすぐれた字を書くということ。
能事畢る(のうじおわる)
しなければならないことは残らずやり終えたということ。やり遂げた時に充実感を覚えて言ったり、あとは運を天に任せるしかないという気持ちで言ったりすることば。
嚢中の錐(のうちゅうのきり)
すぐれた人は、大衆の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
嚢中の物を探るが如し(のうちゅうのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
能なし犬は昼吠える(のうなしいぬはひるほえる)
才能のない者にかぎって必要のないときに大騒ぎしたり、大きなことを言ったりするというたとえ。
能なしの口叩き(のうなしのくちたたき)
なんの役にも立たない人ほど、よけいなことをぺらぺらしゃべり、口先だけは達者だということ。
農は人真似(のうはひとまね)
農業は人のやる事を真似していれば人並みの収穫はあるということ。
脳味噌を絞る(のうみそをしぼる)
あるだけの知恵を出し尽くして考察すること。
脳裏に焼き付く(のうりにやきつく)
非常に強い印象を受けて、いつまでも記憶に残っていること。
軒を争う(のきをあらそう)
ぎっしりと家が立ち並んでいるさま。
退けば長者が二人(のけばちょうじゃがふたり)
相性のわるい者同士が一緒にいるより、お互いに独立したほうがうまくいくということ。
蚤の小便、蚊の涙(のみのしょうべん、かのなみだ)
極めてわずかなことのたとえ。
蚤の夫婦(のみのふうふ)
夫より妻が大きい夫婦のこと。
飲む、打つ、買う(のむ、うつ、かう)
男の道楽の代表的なものを並べたことば。大酒を飲む、博打を打つ、女を買うこと。
暖簾に腕押し(のれんにうでおし)
手ごたえも張り合いもないことのたとえ。「腕押し」とは腕相撲のことで、暖簾のように力も争う意思もない相手と腕相撲をしても、何の手ごたえもないという意味から。
敗軍の将は兵を語らず(はいぐんのしょうはへいをかたらず)
失敗した者は、そのことについて弁解する資格がないということ。戦いに敗れた将軍は兵法について発言する資格はないとの意から。
杯中の蛇影(はいちゅうのだえい)
疑えば、なんでもないことにまで神経を悩まし苦しむことのたとえ。杯に映った弓の影を蛇と見間違え、蛇を飲んだと思い込んで病気になったが、それが間違いだとわかると、たちまち治ったという故事から。
肺腑を貫く(はうふをつらぬく)
心の奥底に衝撃を与えることのたとえ。また、深い感銘を与えることのたとえ。 「肺腑」は肺臓のこと。転じて心の底のこと。 「衝く」は「突く」とも書く。 また、「肺腑を貫く」「肺腑を抉る」ともいう。
破鏡(はきょう)
夫婦が別れること。離婚。
昔、やむをえず離れて暮らすことになった夫婦が、半分に割った鏡をそれぞれ持ち、愛情の証として別れた。
後に、妻が別の男と関係を持ったため、妻の持っていた鏡はカササギとなって夫の所へ飛んでいき、不義が知れて離縁になったという故事から。破鏡再び照らさず(はきょうふたたびてらさず)
離縁した夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないというたとえ。
白玉楼中の人となる(はくぎょくろうちゅうのひととなる)
文人が死ぬことのたとえ。 「白玉楼」は文人が死後に行くといわれる白玉造りの高楼のことで、その中の人となるとの意から。
伯仲の間(はくちゅうのかん)
ほとんど差がなく優劣がつけにくいこと。昔、中国では子どもの上から順に伯・仲・叔・季の字を当て、伯(長兄)と仲(次兄)では年齢にあまり差がないことから。
白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)
長年の悲しみや心配のために、白髪が非常に長く伸びることを誇張して言った言葉。
白馬馬に非ず(はくばうまにあらず)
詭弁やこじつけのこと。 中国、周時代に公孫竜が、「馬」は形に名付けられた概念で「白」は色に名付けられたであるから「馬」と「白馬」は別の概念を表すという論を説いたことから。 「白馬は馬に非ず」「白馬非馬論」ともいう。
薄氷を履むが如し(はくひょうをふむがごとし)
きわめて危険な事に臨むことのたとえ。 薄く張った氷の上を歩くように、非常に危険な事をするとの意から。
箸に当たり棒に当たる(はしにあたりぼうにあたる)
腹を立てて何の関係もない箸や棒に当り散らすことから、何のかかわりもないものにまで八つ当たりすること。
箸にも棒にも掛からない(はしにもぼうにもかからない)
能力や程度などが劣っていて、どうにも扱いづらいことのたとえ。また、何の取り得もないことのたとえ。 小さな箸にも、大きな棒にも引っ掛からないとの意から。
走り馬にも鞭(はしりうまにもむち)
勢いのあるものに、さらに勢いをつけることのたとえ。 走っている馬に、鞭を打ってさらに早く走らせる意から。 「駆ける馬にも鞭」「走る馬に鞭」「駆け馬に鞭」「行く馬に鞭」ともいう。
恥の上塗り(はじのうわぬり)
恥をかいた上にさらに恥をかくこと。 「恥の上書き」「恥の掻き上げ」「恥の恥」ともいう。
弾みを食う(はずみをくう)
他の事柄の影響を受けて、予想外の事態に巻き込まれること。
働かざる者食うべからず(はたらかざるものくうべからず)
怠けて働こうとしない人間に食べる資格はないということ。働かずに遊び暮らす者を戒める言葉。
肌に粟を生ず(はだえにあわをしょうず)
恐ろしい目に遭って、ぞっとする様子。強い恐怖を覚えると皮膚に粟粒のようなものが出来ることから。
裸馬の捨て鞭(はだかうまのすてむち)
何もかもなくした状態になったあと、自暴自棄になって無茶苦茶なことをするたとえ。「捨て鞭」は、馬を速く走らせるために尻を鞭打つこと。人も荷物も乗せていない馬の尻を鞭打つということから。
裸で道中はならぬ(はだかでどうちゅうはならぬ)
何事にもそれなりの準備が必要だということ。 無一文では旅は出来ないとの意から。
肌が合う(はだがあう)
その人と好みや考えなどが合っていること。
八細工七貧乏(はちざいく、しちびんぼう)
なんでもできるような器用な人は一つの事に専念できずにどれも中途半端になってしまい、そのためにかえって貧乏するということ。 「七細工八貧乏」ともいう。
八十八夜の別れ霜(はちじゅうはちやのわかれじも)
八十八夜を最後に、霜も降りなくなるということ。「八十八夜」は、立春から数えて八十八日目に当たる五月二日頃。「別れ霜」は晩春の頃、最後に降りる霜のこと。
蜂の巣をつついたよう(はちのすをつついたよう)
大騒ぎになって、手がつけられない様子。蜂の巣をつつくと、多くの蜂がいっせいに飛び出す様子から。