「かん」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「かん」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 65 件
間、髪を容れず(かん、はつをいれず)
少しの時間も置かず即座に行動するさま。 間に髪の毛一本さえも入る余地がないとの意から。
間一髪(かんいっぱつ)
事態が非常に差し迫っていること。寸前のところ。 髪の毛一本ほどの狭い隙間のことから。
棺桶に片足を突っ込む(かんおけにかたあしをつっこむ)
死期が迫っていることのたとえ。
干戈を交える(かんかをまじえる)
争うこと。また、戦争をすること。 「干戈」は、干(たて)と戈(ほこ)で武器の意から。
冠蓋相望む(かんがいあいのぞむ)
車の行き来が絶え間なく続いているということ。 「冠」は使者のかんむり。 「蓋」は車の上の覆い。 使者の冠と車の覆いが遠くまで見渡せることから。
考えは雪隠(かんがえはせっちん)
よい考えを得るには、誰にも邪魔されずにゆっくり考えることができる便所がいいということ。「雪隠」は、便所のこと。
考える葦(かんがえるあし)
人間の偉大さは思考する存在であるということを強調した言葉。フランスの哲学者パスカルの「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」という言葉から。
勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
ふだん見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くというたとえ。 「勧学院」は、平安時代に藤原氏の子弟を教育した学校。 「蒙求」は、中国唐の時代に書かれた歴史教訓書。 勧学院の雀は、学生が蒙求を読むのを聞き覚えて、それをさえずるようになったということから。
汗顔の至り(かんがんのいたり)
顔から汗がでるほど、大変恥ずかしくおもうこと。 「汗顔」は顔から汗がでるほどに恥じること。 「至り」はこの上ない状態。
勘気に触れる(かんきにふれる)
主君や親など、目上の者から咎められること。
感極まる(かんきわまる)
非常に感動し、胸がいっぱいになること。
間隙を生じる(かんげきをしょうじる)
人間関係が悪化すること。 互いのあいだに隙間ができる意から。
間隙を縫う(かんげきをぬう)
わずかな隙間や暇を見つけ、何かを行うこと。
閑古鳥が鳴く(かんこどりがなく)
人が集まらずものさびしい様子。特に商売などがはやらずさびれていることをいう。「閑古鳥」はかっこうの別名で、その鳴き声がさびしげに聞こえることから。
癇癪持ちの事破り(かんしゃくもちのことやぶり)
気短な人間は少しのことでも怒り出して、決まりかけた話や計画を台無しにしてしまうことがあるということ。
韓信の股くぐり(かんしんのまたくぐり)
大望を持つ者は、どんな屈辱にも耐え忍ばなければならないということ。中国漢の韓信という名将が大志を抱いていた若い頃、町でならず者に喧嘩を売られ、耐えてその股をくぐったという故事から。
歓心を買う(かんしんをかう)
相手に気に入られようとして機嫌をとること。 「歓心」は喜ぶ気持ち。
勘定合って銭足らず(かんじょうあってぜにたらず)
理論と実際とが一致しないことのたとえ。計算は合っているのに、現金が足りないということから。
勘定高い(かんじょうだかい)
なにかを行う際に、損になるか得になるかを考えるさま。
勘定に入れる(かんじょうにいれる)
何かを行う際に、事前にそのことを考慮する。
坎井の蛙(かんせいのあ)
他に広い世界があることを知らずに、自分の周りの狭い見識や知識にとらわれてこと。 小さな井戸に住んでいる蛙は、井戸の外の世界に大きな海があることなど知らないとの意から。 「坎井の蛙」「井底の蛙」「井蛙」などともいう。
間然するところなし(かんぜんするところなし)
非難すべき欠点がまったくないこと。 「間然」は、非難・批判すること。
肝胆相照らす(かんたんあいてらす)
互いに心の底まで打ち解けて親しく付き合うことのたとえ。「肝胆」は、肝臓と胆嚢のことで、転じて心の奥底の意。
邯鄲の歩み(かんたんのあゆみ)
むやみに人の真似をしていると、自分本来のものも忘れて、どちらも失うことのたとえ。 中国燕の青年が、趙の都邯鄲で都会風の歩き方を習おうとしたが、習得できないばかりか故国の歩き方まで忘れてしまい、這って故郷へ帰ったという故事から。
邯鄲の枕(かんたんのまくら)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
肝胆を砕く(かんたんをくだく)
大変苦労して、努力するたとえ。心を尽くすたとえ。「肝胆」は、肝臓と胆嚢のことで、転じて心の奥底・真心の意。
肝胆を披く(かんたんをひらく)
心を開いて打ち明けること。
奸知に長ける(かんちにたける)
悪賢く、陰謀や策略を企てる能力が優れていること。
缶詰になる(かんづめになる)
一定の場所に閉じ込めらること。また、その状態で仕事をさせられること。
干天の慈雨(かんてんのじう)
待ち望んでいたことが実現することのたとえ。 また、困っている時に助けが現れることのたとえ。 「干天」は日照りのこと。 日照りの時に恵みの雨が降るとの意から。 「干天」は「旱天」とも書く。
嚙んで吐き出すよう(かんではきだすよう)
怒りや不快な気持ちを抑えきれず、無愛想にものをいう様子のたとえ。
嚙んで含める(かんでふくめる)
理解できるように、細かく丁寧にわかりやすく言い聞かせること。 親が、食物を嚙み砕いて食べやすいようにしてから、子どもの口に含ませてやるとの意から。
官途に就く(かんとにつく)
役人になること。「官途」は、官吏の職務・地位のこと。
勘所を押さえる(かんどころをおさえる)
物事のもっとも重要な点をしっかりと把握すること。 「勘所」は「肝所」とも書く。
艱難、汝を玉にす(かんなん、なんじをたまにす)
人間は多くの苦労を経験することのよって立派な人物になれるということ。「艱難」は難儀・苦難、「玉にす」は美しくする・立派にするという意。
寒に帷子、土用に布子(かんにかたびら、どようにぬのこ)
物事が逆さまであること。また、季節はずれで役に立たないことのたとえ。 「帷子」は裏地をつけない夏物の衣類、「布子」は木綿の綿入れのこと。 冬の寒い時に単衣の帷子を着て、夏の暑い時に綿入れを着るということから。 「土用布子(綿入れ)に寒帷子」「夏布子の寒帷子」ともいう。
癇に障る(かんにさわる)
他人の些細な言動などを腹立たしく思うこと。 「癇に触れる」ともいう。
簡にして要を得る(かんにしてようをえる)
簡単な言葉であるが、要点を正確に捉えている。
感に堪えない(かんにたえない)
非常に深い感動を覚えて、その感情を隠すことができないさま。 古くは「感に堪える」ともいい表した。
堪忍五両、思案十両(かんにんごりょう、しあんじゅうりょう)
世の中を生きていくためには、腹の立つことをじっと我慢し、よく考えて慎重に行動することが大切だということ。 忍耐には五両、熟慮には十両の価値があるとの意から。
堪忍五両、負けて三両(かんにんごりょう、まけてさんりょう)
我慢には大きな値打ちがあるということ。 堪忍には五両の価値があり、たとえ堪忍がやや足りなくても三両の価値があるとの意から。
堪忍の忍の字が百貫する(かんにんのにんのじがひゃっかんする)
怒りを耐え忍ぶ事は、大きな価値があるということ。 じっと耐え忍ぶ「忍」の字には銭百貫の値打ちがあるとの意から。
堪忍は一生の宝(かんにんはいっしょうのたから)
怒りを抑えたり痛みや苦しみをこらえたりすることができると、一生の宝を持っているように安らかで幸福に生きていくことができるので、生涯心がけていくべきであるということ。 「堪忍は身の宝」ともいう。
堪忍袋の緒が切れる(かんにんぶくろのおがきれる)
もうこれ以上我慢できなくなり、怒りを爆発させることのたとえ。 「堪忍袋」は、辛抱できる心の広さを袋にたとえた言葉。 「堪忍袋の緒を切らす」「堪忍袋の口を開ける」ともいう。
肝脳、地に塗る(かんのう、ちにまみる)
戦場で惨たらしい死に方をすることのたとえ。また、忠誠のために犠牲を惜しまないことのたとえ。 「肝脳」は肝臓と脳髄。 死者の肝臓や脳髄が地面に散らばって泥まみれになるとの意から。
疳の虫が起こる(かんのむしがおこる)
小児が、急に夜泣きをしたり癇癪や引き付けなどを起こすこと。 「疳」は小児の神経の病気であり、「疳の虫」はその病気の原因と考えられた虫のこと。 小児のからだの中に癇癪を起す虫がいると考えられていたことから。
汗馬の労(かんばのろう)
戦場での功績のこと。また、物事をまとめるために忙しく駆けずり回る苦労のこと。 「汗馬」は馬に汗をかかせることで、馬に汗をかかせるほどの働きとの意から。
看板倒れ(かんばんだおれ)
看板だけが立派で、実情が伴わないこと。 見かけはよくても、内容が乏しいこと。
看板に偽りあり(かんばんにいつわりあり)
外見と中身が一致していないこと。看板に掲げているものと、実際に売っているものが違っているということから。
看板に偽りなし(かんばんにいつわりなし)
外見と中身が一致していること。また、言動に行動が伴っていることのたとえ。看板に掲げているものと、実際に売っているものが同じということから。
看板に傷が付く(かんばんにきずがつく)
店などの信用や評判が落ちること。
看板にする(かんばんにする)
人目をひくために、あるものを宣伝の文句や表向きの名目として掲げて活動を行うこと。 また、飲食店などがその日の営業活動を終わりにすること。 閉店の際に看板をしまうことから。
看板を下ろす(かんばんをおろす)
掲げていた主張などを取り消すこと。 また、その日の営業活動を終わりにすること。営業をやめて廃業すること。
看板を掲げる(かんばんをかかげる)
世間にスローガンや活動内容などをはっきりと示すこと。
完膚無きまで(かんぷなきまで)
徹底的に打ちのめすさま。 「完膚」は無傷の皮膚。
完璧(かんぺき)
欠点がまったくなく完全なこと。「璧」は宝玉をあらわし、きずのない宝玉の意から。
管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)
お互いを理解して心から信じ合った友人付き合いのこと。中国、春秋時代の管仲と鮑叔という二人は若い時から仲が良く、終生変わらぬ友情を持ち続けたという故事から。
冠を曲げる(かんむりをまげる)
不機嫌になることのたとえ。
歓楽極まりて哀情多し(かんらくきわまりてあいじょうおおし)
喜びや楽しみが極まると、あとは悲しみの情が生じるということ。
還暦(かんれき)
数え年六十一歳のこと。六十年で再び生まれた年の干支に還ることから。 「本卦還り」ともいう。
棺を蓋いて事定まる(かんをおおいてことさだまる)
人間の真価は死後になって初めて決まるということ。 棺に蓋をしたあとで、その人の本当の評価が定まるとの意から。 「人事は棺を蓋いて(うて)定まる」ともいう。
款を通じる(かんをつうじる)
親しく交わりを結ぶこと。転じて、敵に内通すること。
歓を尽くす(かんをつくす)
大いに楽しんだり、喜んだりすること。 「歓を極める」ともいう。
管を以て大空を測る(かんをもっておおぞらをはかる)
自分の狭い見識で、大きな問題について勝手に判断することたとえ。 「管」は「かん」とも読む。 「管を以て大空を測る」「管の穴から天を覗く」「針の穴から天を覗く」ともいう。
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