「の」を含む故事・ことわざ・慣用句
「の」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2187 件
城下の盟(じょうかのちかい)
敵に攻め込まれて結ぶ、屈辱的な降伏の約束のこと。敵に首都まで攻撃されて、自分の城のそばで交わす盟約の意から。
上戸の手弱(じょうごのてよわ)
酒好きは、酒につられることが多いので誘惑に弱く、つけ込みやすいということ。
上昇気流に乗る(じょうしょうきりゅうにのる)
運が上向き、物事が順調に進むようになること。
上手の手から水が漏る(じょうずのてからみずがもる)
どんな名人でも時には失敗するというたとえ。
上手の猫が爪を隠す(じょうずのねこがつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。
上手は下手の手本、下手は上手の手本(じょうずはへたのてほん、へたはじょうずのてほん)
下手な人が上手な人のやり方を手本にするのは当たり前だが、上手な人も下手な人のやり方が参考になることもあるというたとえ。
情張りは棒の下(じょうはりはぼうのした)
素直でいるほうが得であるということ。 強情を張る人は恨みを買って棒で打たれるということから。
時流に乗る(じりゅうにのる)
その時代の流行や風潮、傾向などの流れを利用して物事をうまく進めること。
人生、字を識るは憂患の始め(じんせい、じをしるはゆうかんのはじめ)
人は字を覚え学問をするようになると、心を痛めることが多くなる。なまじ字を覚え学問を積むと、かえって心配したり悩んだりするようになるということ。
人生、朝露の如し(じんせい、ちょうろのごとし)
人生は朝日が射せばたちまち消えてしまう露のようにはかないものだということ。
水火の争い(すいかのあらそい)
水と火のように正反対の性質を持っていたり相容れない立場にあったりして、仲の悪い者同士の争いをたとえた言葉。
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)
とても仲がよく、離れがたい交際や友情のこと。 その関係を魚と水にたとえた言葉。 三国時代、蜀の劉備が仲の良かった孔明を軍師に迎えたときに、古参の武将は不満をもらしたが、魚に水が必要なように私には孔明が必要だと言ったという故事から。
彗星の如く(すいせいのごとく)
何の前触れもなく、いきなり現れて注目を集めること。
垂涎の的(すいぜんのまと)
皆が羨ましがり、何としてでも手に入れたいと思う物のこと。 思わず涎(よだれ)を垂らすほど食べたい物という意味から。
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう)
江戸っ子が江戸生まれであることを自慢していうことば。江戸には金と労力をかけて作った神田上水と玉川上水があり、この水道水の産湯を使ったということから。
末四十より今の三十(すえしじゅうよりいまのさんじゅう)
将来多く得ることができるよりも、たとえ少なくても今すぐ確実に得たほうがよいということ。 「四十」を「始終」に掛けた言葉。
据え膳食わぬは男の恥(すえぜんくわぬはおとこのはじ)
女のほうから誘っているのに、それに応じないのは男の恥だということ。「据え膳」は、目の前に用意された食膳のこと。俗に女性からの誘いのこと。
末の露、本の雫(すえのつゆ、もとのしずく)
人間の命には多少の長い短いの差はあるが、いつかは必ず死が訪れるということ。 人の命のはかなさをいう言葉。 葉末の露も、根元から落ちる雫も、早い遅いはあっても、やがてどちらも消えてしまうとの意から。
姿は作り物(すがたはつくりもの)
人の容姿は、化粧や衣服でどのようにでも作ることができるということ。
好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
好きであることは、上手になるための大切な条件であるということ。
好きな物に祟りなし(すきなものにたたりなし)
好きな食べ物は、少しくらい食べ過ぎてもからだに害はないということ。 「好きな物に祟りなし」ともいう。
空き腹にまずい物なし(すきばらにまずいものなし)
空腹の時は、どんな食べ物でもおいしく感じるということ。 「ひもじい時にまずい物なし」「ひだるい時にまずい物なし」ともいう。
勝れて良き物は勝れて悪し(すぐれてよきものはすぐれてあし)
特にすぐれているということは、悪い面も持ち合わせているから、何事も普通がいいということ。
雀の千声鶴の一声(すずめのせんこえつるのひとこえ)
つまらない者がいろいろ言うよりも、すぐれた者の一声のほうが勝っているというたとえ。「鶴の一声」だけでも使われる。
雀の涙(すずめのなみだ)
ごく僅かなもののたとえ。雀が流す少量の涙の意で、多くは金銭について言われる。
雀の糠喜び(すずめのぬかよろこび)
喜んだ後に当てがはずれることのたとえ。 雀が籾(もみ)を見つけて喜んだ後、米は無く糠のみだと分かりがっかりすることから。
捨てたものではない(すてたものではない)
一見役に立たないように見えても、まだ見込みがあること。
捨て物は拾い物(すてものはひろいもの)
捨てられた物は、拾った者の得だということ。
酢の蒟蒻の(すのこんにゃくの)
あれやこれやと文句を言うこと。 「四の五の」をもじったとされる言葉。
滑ったの転んだの(すべったのころんだの)
くだらないことであれこれと騒ぎ立てること。
すべての道はローマに通ず(すべてのみちはろーまにつうず)
どんな方法をとっても同じ目的に達するというたとえ。また、すべてのことは一つの真理から発しているというたとえ。 ローマ帝国の全盛時代、世界各地からの道がローマに通じていたことから。 17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌが「寓話」の中で用いた言葉。
滑り道と観音経は早い方がよい(すべりみちとかんのんきょうははやいほうがよい)
滑りやすい道は人より先を歩く方が歩きやすく、退屈なお経は早く終わる方がありがたいということ。 「滑り道と観音経は早い方がよい」ともいう。
すまじきものは宮仕え(すまじきものはみやづかえ)
他人に仕えることは気苦労が絶えないから、できればやらないほうがいいということ。「宮仕え」は本来、宮中や貴人の邸宅に仕えること。現代では、会社や組織などに勤めることをいう。
住むばかりの名所(すむばかりのめいしょ)
名所に住んでいると、他人にはよさそうに見えるが、ただ名所に住んでいるだけのことで、必ずしも住みやすいとは言えないということ。
相撲に負けて妻の面張る(すもうにまけてつまのつらはる)
外でうまくいかないことがあった男が、家で妻に八つ当たりすること。また、弱い者が自分よりさらに弱い者をいじめること。 相撲に負けて帰った男が、腹いせに妻の顔を殴るとの意から。 「喧嘩に負けて妻の面を張る」ともいう。
擂り粉木棒の年寄り(すりこぎぼうのとしより)
気づかぬうちに減っていく擂り粉木のように、働いても働いても楽にならず、いつの間にか貧乏をすることのたとえ。
駿河の富士と一里塚(するがのふじといちりづか)
かけ離れていて比較にならないことのたとえ。 「一里塚」は、街道の一里の目印として土を小高く盛って作った塚のこと。 形は似ていても大きさのかけ離れた一里塚と富士山を比べるとの意から。
寸を曲げて尺を伸ぶ(すんをまげてしゃくをのぶ)
小さいことを犠牲にして、大きな利益を得るたとえ。 一寸の小さなものをさらに短く曲げ縮め、一尺の大きなものをさらに長く伸ばすとの意から。
頭痛の種(ずつうのたね)
苦労や悩みなどの原因となるもの。
図に乗る(ずにのる)
狙い通りになって得意になること。つけあがること。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
生きているものは必ず死ぬときがくるということ。
青雲の志(せいうんのこころざし)
立身出世して高い地位を得ようとする志。「青雲」は高位、高官の意。
西施の顰みに倣う(せいしのひそみにならう)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)
清流も濁流ものみこむ大海のように、善も悪もすべて受け入れる度量の大きさのこと。
青天の霹靂(せいてんのへきれき)
思いもよらない大事件や変動が突然起こること。
生は死の始め(せいはしのはじめ)
この世に生まれる時は、死に向かう道のりの始まりでもあるということ。
積悪の家には必ず余殃あり(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
善行を積み重ねた家には、その報いとしての幸せが必ず子孫におとずれるということ。「余慶」は、祖先の善行のおかげで、子孫に及ぶ幸福のこと。
関の山(せきのやま)
物事がうまく進んだ場合でも、これ以上はできないという限度。せいぜい。
赤面の至り(せきめんのいたり)
自分を情けなく感じて恥じ入る気持ちを表す言葉。 恥ずかしがって顔を赤くするということから。
世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)
厳しい現実も知らずに、のんびり平然と暮らしている人を皮肉っていう言葉。
世間は張り物(せけんははりもの)
世の中には体裁よく見せかけているものが多くあるということ。また、世の中は見栄を張って渡るのが普通であるということ。 「張り物」は、木や竹の骨に紙などを張って岩などに見せかける道具のこと。 「世は張り物」「世界は張り物」ともいう。
尺蠖の屈するは伸びんがため(せっかくのくっするはのびんがため)
将来の成功のためには、一時的に不遇に耐え忍ぶことも必要であるというたとえ。 「尺蠖」は、尺取り虫。 尺取り虫が体を屈めるのは、伸ばした時により前進するためであるとの意から。
節季の風邪は買っても引け(せっきのかぜはかってもひけ)
節季のような忙しい時でも、病気ならば公然と休めるから、病気もときには重宝だということ。
節制は最良の薬なり(せっせいはさいりょうのくすりなり)
節制して質素な暮らしをすることが最も健康によいということ。 「Temperance is the best physic.」を訳した言葉。
雪駄の裏に灸(せったのうらにきゅう)
長居をする客を早く帰らせるためのおまじない。 「草履に灸」ともいう。
雪駄の土用干し(せったのどようぼし)
ふんぞり返って、偉そうに歩く者をあざけっていう言葉。雪駄を土用の頃日に干すと反り返るところから。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさいっかい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
千鈞の重み(せんきんのおもみ)
非常に重いこと。または、非常に価値があること。 「鈞」は重さを表す単位。
千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)
国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。 「裘」は獣の毛皮で作った衣服。皮衣。「腋」は脇の下。 千金もする皮衣は、一匹の狐のわきの毛だけでは作れないとの意から。
千金の子は市に死せず(せんきんのこはいちにしせず)
金持ちの子は、罪を犯しても金の力によって死罪を免れ、町中で処刑されるようなことにならない。また、金持ち子は、金の力で危険を防ぐことができるので、町中で悪者に殺されるようなことはないということ。金さえあれば身を守ることができるということを皮肉った言葉。「千金」は金持ち、「市」は町の意。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰いゆ(せんじょうのつつみもろうぎのあなをもってついゆ)
わずかな油断・不注意から大事が起こることのたとえ。 千丈の堤防でも螻(けら)や蟻のあける穴から崩れることもあるとの意から。
先生と言われるほどの馬鹿でなし(せんせいといわれるほどのばかでなし)
先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。
船頭多くして、船、山へ登る(せんどうおおくして、ふね、やまへのぼる)
指図する人間が多すぎて統一が取れず、物事が順調に運ばなかったり、とんでもない方向へ進んでしまったりすることのたとえ。 「船頭」は船長のこと。 まるで船頭かのように指示を出す人間が多すぎると、船が山に登ってしまうような見当違いの方向に物事が進んでしまうとの意から。
船頭のそら急ぎ(せんどうのそらいそぎ)
本当は急いでいないのに、急いでいるふりをすることのたとえ。船頭が「船が出るぞ」と言って客を船に乗り込ませながら、なかなか船を出さないことから。
千日の萱を一日に焼く(せんにちのかやをいちにちにやく)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日の旱魃に一日の洪水(せんにちのかんばつにいちにちのこうずい)
千日も続く日照りと、たった一日ですべてを流してしまう洪水とは、同じくらいの被害をもたらすということ。水害の恐ろしさをいった言葉。
仙人の千年、蜉蝣の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)
長い短いの違いはあっても、どちらも一生であることに変わりないことのたとえ。また、同じ一生でも長短の差が大きいことのたとえ。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
千の蔵より子は宝(せんのくらよりこはたから)
たくさんの財産よりも子どもの方が大切だということ。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
優れた才能の人物も時には失敗することもあるというたとえ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
有能な人も、その真価を見抜いて能力を引き出してくれる人とはなかなか出会えないということ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの名馬。転じて、優れた才能の人物。「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
わずかな油断や不注意が元で大事を引き起こすというたとえ。 千里の堤防も蟻の穴が原因で崩れることもあるとの意から。
千里の野に虎を放つ(せんりののにとらをはなつ)
災いのもとになりそうな危険なものを放っておくことのたとえ。 広い野原に虎を野放しにするとの意から。 「虎を野に放つ」ともいう。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんなに賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい失敗もあるということ。また、十分に注意していても思わぬ失敗が起こるということ。 「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも、たまには一つぐらいよい考えを出すこともあるということ。
銭なしの市立ち(ぜになしのいちだち)
方法や手段もなく何かをしようとしても、どうにもならないことのたとえ。 銭を持たずに市場に行っても、何も買えずにただ立っているだけとの意から。
善悪の報いは影の形に随うが如し(ぜんあくのむくいはかげのかたちにしたがうがごとし)
影が形に付き随うように、善悪の行為に対する報いは必ずあるということ。
