「も」を含む故事・ことわざ・慣用句
「も」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1267 件
冬至十日経てば阿呆でも知る(とうじとおかたてばあほうでもしる)
冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。
灯台下暗し(とうだいもとくらし)
身近なことはかえってわかりにくいたとえ。「灯台」は、燭台のこと。まわりを明るくてらすが燭台のすぐ下は陰になって暗いことから。
尊い寺は門から見ゆる(とうといてらはもんからみゆる)
尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。
桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)
徳のある人のもとへは、自然に人々が集まることのたとえ。 桃や李(すもも)は何も言わないがその花や実に惹かれて人が集まり、木の下には自然に小道ができるとの意から。 「蹊」は小道のこと。 「成蹊」ともいう。
登竜門(とうりゅうもん)
立身出世の関門のたとえ。中国の黄河上流にある竜門という急流をさかのぼることができた鯉は竜になるという故事から。
蟷螂が斧を以て隆車に向かう(とうろうがおのをもってりゅうしゃにむかう)
弱者が自分の力を考えずに強敵に向かうこと。無謀な行いのたとえ。 「蟷螂」はかまきり、「斧」はここではカマキリの前足こと。 「隆車」は大きな車のこと。 かまきりが前足を上げて、大きな車に立ち向かうとの意から。 単に「蟷螂の斧」ともいう。
遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり(とおきおもんぱかりなきものはかならずちかきうれえあり)
遠い将来を見越した考えを持っていないと、必ず急な憂い事が起こるということ。 「遠慮」は、先々のことを思慮すること。 「近憂」は、間近の憂い事のこと。 「遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり」ともいう。
遠ざかるほど思いが募る(とおざかるほどおもいがつのる)
人を思う気持ちは、遠く離れたりして会えないほど、強くなるということ。
時に遇えば鼠も虎になる(ときにあえばねずみもとらになる)
時流に乗れば、つまらない者でも出世して権力をふるうようになるというたとえ。
徳を以て怨みに報ゆ(とくをもってうらみにむくゆ)
恨みのある者に対して、仕返しするのではなく、逆に恩徳を施すということ。
床の間の置き物(とこのまのおきもの)
高い地位があって立派に見えるが実権を持たない人のたとえ。
年甲斐もない(としがいもない)
年齢に相応しくなく、愚かであること。
年端も行かぬ(としはもいかぬ)
若いこと。幼い年頃であること。
年は寄れども心は寄らぬ(としはよれどもこころはよらぬ)
年はとっても、気力はまだ衰えていないということ。
年寄りて達者なものは口ばかり(としよりてたっしゃなものはくちばかり)
年寄りは体力や気力は衰えても、口だけは元気だということ。
年寄りの物忘れ、若者の無分別(としよりのものわすれ、わかもののむふんべつ)
年寄りは物忘れをしがちで、若者は思慮が足りないふるまいをしがちだということ。それぞれの著しい欠点をあげた言葉。
年寄りは二度目の子供(としよりはにどめのこども)
老いるとわがままになったり、甘えたりするようになって子どものようになるということ。 「Old men are twice children.」を訳した言葉。
突拍子もない(とっぴょうしもない)
言動などがその場に相応しくないこと。調子外れであること。
途轍もない(とてつもない)
常識や道理などからかけ離れていること。 「途轍」は道と轍(わだち)のことから、物事の筋道のこと。
とてもじゃないが(とてもじゃないが)
どうすることもできない、どうしても実現しない、という意味を表す言葉。 「とても」を強調した言い方。
隣の貧乏鴨の味(となりのびんぼうかものあじ)
人はとかく他人の不幸を願うものだということ。 隣の家が貧乏だと、まるで美味しい鴨でも食べているようないい気分になるとの意から。 「隣の貧乏雁の味」ともいう。
隣の餅も食ってみよ(となりのもちもくってみよ)
世の中の事は、実際に経験しないとわからないというたとえ。 おいしそうに見える隣家の餅も、食べてみなければ味はわからないとの意から。
隣は火事でも先ず一服(となりはかじでもまずいっぷく)
どんなに慌ただしい時でも休息は必要だというたとえ。忙しい時に休息しようとする場合に使う言葉。
兎にも角にも(とにもかくにも)
いずれにしても。ともかく。 細かい部分を気にせずに、重要な部分に関心を向けることを表す言葉。
鳶も居ずまいから鷹に見える(とびもいずまいからたかにみえる)
どんな人間でも、立ち振る舞いをきちんとすれば、立派に見えるというたとえ。 見栄えのよくない鳶でも、振る舞い次第では鷹のように見えるとの意から。
飛ぶ鳥懐に入る時は狩人も助く(とぶとりふところにいるときはかりゅうどもたすく)
窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。
途方もない(とほうもない)
道理から外れていること。または、程度が常識からひどく離れていること。
朋あり遠方より来る(ともありえんぽうよりきたる)
遠くにいる友だちが、はるばる会いに来てくれた喜びをいう言葉。「朋」は、友の意。
友と酒は古いほどいい(ともとさけはふるいほどいい)
友人は長い間付き合って気心の知れた人間がいいし、酒も長くねかせた古い酒がおいしいということ。
倶に天を戴かず(ともにてんをいただかず)
相手を殺すか自分が殺されるかの関係で、共存ができないこと。また、復讐せずにはいられないほど激しく憎むこと。 相手と同じ天の下では生きていけないとの意から。 「[[不倶戴天(ふぐたいてん)*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1340.html]]」ともいう。
とりつく島もない(とりつくしまもない)
頼りとしてすがる所がまったくないということ。また、相手が冷たく、そっけない態度なので話にもならないこと。海に出て、立ち寄れるような島が見つからないということから。
取り付く島もない(とりつくしまもない)
相手の態度が冷たく、相談や頼み事などをするためのきっかけがつかめないこと。 または、頼りとする所が一つもないこと。
鳥なき里の蝙蝠(とりなきさとのこうもり)
強い者や優れた者がいないところで、つまらない者が威張っていることのたとえ。 鳥がいない所では、蝙蝠が幅をきかせて鳥のように飛び回るということから。
鳥は立てども跡を濁さず(とりはたてどもあとをにごさず)
立ち去る者は、後始末をきちんとしなければならないということ。また、引き際が潔いことのたとえ。水鳥は飛び立ったあとの水を濁さずに飛び去ることから。 「飛ぶ鳥、跡を濁さず」「鳥は立てども跡を濁さず」ともいう。
取りも直さず(とりもなおさず)
前に述べた事柄が次に述べる事柄にそのまま当てはまること。すなわち。
取る物も取り敢えず(とるものもとりあえず)
この上なく慌てて行動する様子。 必要な物を取る余裕もないという意味から。
同気相求む(どうきあいもとむ)
気の合う者同士は、自然と寄り集まるということ。 「同気」は同じ気質のこと。
道理を破る法はあれども法を破る道理なし(どうりをやぶるほうはあれどもほうをやぶるどうりなし)
いかに正しい道理であっても法には勝てないということ。
同類相求む(どうるいあいもとむ)
同じたぐいの者同士は、自然に求め合って寄り集まるということ。
度肝を抜く(どぎもをぬく)
激しく驚かせること。
毒にも薬にもならない(どくにもくすりにもならない)
害にもならないが役にも立たない、あってもなくてもいいもの、居ても居なくてもいい人のたとえ。
毒を以て毒を制す(どくをもってどくをせいす)
悪を排除するのに、他の悪を使うことのたとえ。
どこで暮らすも一生(どこでくらすもいっしょう)
どんな所で暮らしても人の一生に変わりがないから、どうせなら楽しく暮らせる所に住みたいということ。
どこの烏も黒さは変わらぬ(どこのからすもくろさはかわらぬ)
どこに行っても、そう目新しいものはないということ。また、どこの国でも人間の本性同じだということ。 「どこの烏も黒い」「どこの鶏も裸足」ともいう。
どこもかしこも(どこもかしこも)
どの場所と限定することなく、全体にわたっている様子を表す言葉。どこもここも。どこでも。
どっちに転んでも(どっちにころんでも)
予想される二つの結果のどちらでも大きな違いがない様子。
どっちもどっち(どっちもどっち)
二つのもののどちらにもよい所と悪い所があって大きな差がないこと。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生(ないてくらすもいっしょう、わらってくらすもいっしょう)
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
泣いても笑っても(ないてもわらっても)
今更どんなことをしても。どんなにあがいても。
無い物食おう(ないものくおう)
十分にある物は欲しがらず、ないとわかっている物をほしがること。わがままを言うこと。 「無い物食おうが人の癖」ともいう。
無い物ねだり(ないものねだり)
ないものや手に入らないものを無理にほしがること。また、実現できないことをむりにもとめること。
無い物は金と化け物(ないものはかねとばけもの)
お金も化け物も、ありそうに見えても実際にはないということ。
ないものはない(ないものはない)
存在しないものはどうしても存在しない、手に入らないものは手に入らない、という意味。 また、すべてのものが揃っている、欠けているものは何もないという意味でも使われる。 状況や文脈によって、対照的な二つの意味を持つ言葉。
中中でもない(なかなかでもない)
とんでもない。思いもよらない。予想をはるかに超えた程度であり、意外な結果や状況を伴う様子。
仲を取り持つ(なかをとりもつ)
双方の仲立ちをすること。
長い物には巻かれろ(ながいものにはまかれろ)
力のある者には反抗せずに、おとなしくしているのが得策だということ。
長崎ばってん、江戸べらぼう、神戸兵庫のなんぞいや、ついでに丹波のいも訛(ながさきばってん、えどべらぼう、こうべひょうごのなんぞいや、ついでにたんばのいもなまり)
各地の方言の特徴をとらえて語調よくいったことば。
長持枕にならず(ながもちまくらにならず)
大は小を兼ねるとはいえ、大き過ぎるものは、必ずしも小さなものの代わりを果たせるわけではないということ。 長持(衣装箱)が大きくて枕に似ているからといって、その大きさゆえに枕としての役割を果たせないことから。
流れを汲みて源を知る(ながれをくみてみなもとをしる)
末を見て、その本(もと)を推し量ること。 また、言動を見れば、その人の人柄や気持ちが自然にわかるというたとえ。 流れている水を汲み取り、水源の様子を察知するとの意から。
泣き出しそうな空模様(なきだしそうなそらもよう)
今にも雨が降り出しそうな空。
無きにしも非ず(なきにしもあらず)
全く無いとは言えない。無いということもない。少しはある。
亡き者にする(なきものにする)
この世から消してしまうこと。殺すこと。 「亡き」は「無き」とも書く。
泣く口は物食う(なくくちはものくう)
泣いているときであっても、食べることだけはやめられないということ。
泣く子も黙る(なくこもだまる)
泣きじゃくっている子どもが泣き止んでしまうほど、ひどく恐ろしい存在であることのたとえ。
泣く子も目を見る(なくこもめをみる)
無分別な者や一見何も考えていないように見える者であっても、多少は周囲の状況を考慮して振る舞うものであるというたとえ。 泣きわめいている子供でも、時折目を開けて周囲の状況や相手の態度をうかがっているとの意から。
鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす(なくせみよりもなかぬほたるがみをこがす)
態度に出す者よりも態度に出さない者のほうが、心の中に切実な思いを秘めているというたとえ。 激しく鳴く蝉よりも、鳴くことのない蛍のほうが強い思いを秘めていて、その思いから身を焦がすように光っているとの意から。 単に「鳴かぬ蛍が身を焦がす」ともいう。
泣く泣くもよい方を取る形見分け(なくなくもよいほうをとるかたみわけ)
どんな時でも、人間は欲だけは忘れないということ。親などが死んで悲しんでいる時でも、形見分けで良い物を選ぶということから。
泣くほど留めても帰れば喜ぶ(なくほどとめてもかえればよろこぶ)
帰る客を泣くように引き止める人でも、帰ってしまえば喜ぶものだということ。
情け容赦もなく(なさけようしゃもなく)
相手に対して遠慮や手加減をすることなく、物事を進める様子。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子の花に無駄花がないように、親が子どもにいう意見もすべて子どもの役に立つことばかりで、一つとして無駄がないということ。
夏歌う者は冬泣く(なつうたうものはふゆなく)
働ける時に働いておかなければと、後になって暮らしに困るということ。 夏に歌など歌って遊んで暮らしている者は、冬になったときに蓄えがないので飢えや寒さに泣く羽目になるとの意から。
何が何でも(なにがなんでも)
たとえどのようなことがあっても。
何事も三度(なにごともさんど)
一度や二度の失敗であきらめず、せめて三度はやってみよということ。
何するものぞ(なにするものぞ)
一体なにができようか。たいしたことはない。 はげましたり奮起させたりするときに使う言葉。
何はともあれ(なにはともあれ)
他の事はひとまず後回しにして。とりあえず。まずは。
何はなくとも(なにはなくとも)
他にこれといったものが何もなくても、そのものさえあれば十分満たされているという気持ちを表す言葉。
何もせずにいることは悪を為していることなり(なにもせずにいることはあくをなしていることなり)
何もしないでいることは、それだけでもう悪行を為しているのと同じことであるということ。
七日通る漆も手に取らねばかぶれぬ(なぬかとおるうるしもてにとらねばかぶれぬ)
物事に直接かかわらなければ、害を受けることはないというたとえ。 漆の木のそばを何度通っても、手で触れなければかぶれることはないことから。
名主の跡は芋畑(なぬしのあとはいもばたけ)
名家のほどんどは、何代も続くことなくつぶれてしまうというたとえ。 名主の家が没落して、その跡が芋畑になっているとの意から。 名主という立場は多忙で、自分の家の仕事まで手が回らなくなったり、その立場ゆえの出費が多くなったりすることから言われた言葉。
怠け者の節句働き(なまけもののせっくばたらき)
ふだん怠けている者が、世間の人が休む節句などに限ってわざと忙しそうに働くことをあざけっていう言葉。