「おう」を含む故事・ことわざ・慣用句
「おう」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 63 件
秋の扇(あきのおうぎ)
男性の愛を失った女性のたとえ。夏に重宝された扇も秋には必要なくなることから。 中国漢の成帝の寵愛を失った班倢伃(はんしょうよ)という女性が自身を秋の扇に例えた詩「怨歌行」を詠んだという故事から。
顎で蠅を追う(あごではえをおう)
やせ衰えて元気がないようす。蠅を手で追い払う元気もなく顎を動かして追い払う意から。 「頤(おとがい)で蠅を追う」ともいう。 「頤」は顎のこと。
跡を追う(あとをおう)
追い掛ける。また、亡くなった人への思慕から自ら命を絶つこと。
一応も二応も(いちおうもにおうも)
一度だけでなく二度も。繰り返し念入りに。
否が応でも(いやがおうでも)
承知してもしなくても。何が何でも。
否でも応でも(いやでもおうでも)
承知してもしなくても。何が何でも。
越王、怒蛙に式す(えつおう、どあにしょくす)
小さな勇気をも評価して礼をもって称えること。また、ほめることで人のやる気を引き出すこと。 春秋時代、越王が出征の途中、腹をふくらませて立ち向かう蛙を見て、「小さな勇気がある」と称え、車上から敬礼した。この話が国中に広まり、勇者たちが次々に名乗りを上げて集まったという故事から。
鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)
夫婦仲の睦まじいことのたとえ。「鴛」はおしどりの雄、「鴦」はおしどりの雌で、雌雄がいつも寄り添っていることから。
お伺いを立てる(おうかがいをたてる)
目上の人の判断を仰いだり、意見や許可などを求める。また、神や仏からのお告げを願うこと。
枉駕(おうが)
相手の来訪を敬って言う言葉。「枉」は曲げる、「駕」は乗り物の意で、乗り物の方向を変えてわざわざ訪ねてくれるという意味から。
扇忌忌し(おうぎゆゆし)
扇は男女の仲にとって不吉であるということ。 漢代の班婕妤(はんしょうよ)が、秋風が吹く頃に捨てられる扇に自分を見立てた詩に由来する。
王侯将相寧んぞ種あらんや(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)
王や諸侯、将軍、大臣になるには家柄や血統など関係なく、必要なのはその人の才能や努力だということ。「種」は家柄、血統の意。
往時渺茫としてすべて夢に似たり(おうじびょうぼうとしてすべてゆめににたり)
過ぎ去った昔の事はもうはるかかなたの事で、とりとめがなく、まるで夢のように思えるということ。「往時」は過ぎ去った昔のこと。「渺茫」は遠くはるかで果てしないさま。
王事盬きことなし(おうじもろきことなし)
王室に関する事柄は、堅固で確実なものであるということ。
往生際が悪い(おうじょうぎわがわるい)
諦めなければならない状態なのに、未練がましく執着しているさま。 「往生際」は、死に際の意。
応接に暇あらず(おうせつにいとまあらず)
人の相手をするのに追われて休む暇もないようす。また、ものごとが次から次へと起こって多忙なようす。もとは、美しい自然の風景が次から次に展開し、ゆっくり味わう暇がない意から。
負うた子に教えられて浅瀬を渡る(おうたこにおしえられてあさせをわたる)
人は時には自分より経験の浅い年下の者から物事を教わることもあるというたとえ。背中に負ぶった子に浅瀬を教えられて川を無事に渡るとの意から。
負うた子より抱いた子(おうたこよりだいたこ)
身近なことを優先したり、大事にするのが人情だというたとえ。背中に負ぶった子より前に抱いている子を先に面倒見てしまう意から。
負うた子を三年探す(おうたこをさんねんさがす)
手近にあることに気づかず、長い間あちこちを探し回るたとえ。 背中に負ぶった子どもをどこへ行ったと三年も探す意から。
逢うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
王手を掛ける(おうてをかける)
成功や勝利まであと一歩の状態になる。 「王手」は、将棋で直接王将を攻める手のこと。
王は君臨すれども統治せず(おうはくんりんすれどもとうちせず)
国王は君主として国を治めているが政治には直接かかわらないこと。 18世紀イギリスの政治体制に由来する言葉。 「王は君臨すれども統治せず」ともいう。
お乳母日傘(おうばひがさ)
幼児に乳母をつけたり、日傘を差しかけて大事に育てること。「おんば日傘」はこれが転じたもの。
近江泥棒伊勢乞食(おうみどろぼういせこじき)
近江の人には商才があり、伊勢の人は倹約家であり、どちらも商人としての成功者が多いことを、江戸っ子がやっかみ半分に言った言葉。
鸚鵡返し(おうむがえし)
鸚鵡が人の言葉の真似をするように、人から言われたことと同じことをその人に言い返すこと。
大嘘はつくとも小嘘はつくな(おおうそはつくともこうそはつくな)
誰も信用しなような大きな嘘はついても害が少ないが、小さな嘘は真偽がわかりにくく、人が信じ込む恐れがあるので、ついてはいけないということ。
陰では王様の事も言う(かげではおうさまのこともいう)
誰であろうと陰口を言われない者はいないということ。 陰では王様でさえ悪口を言われるとの意から。 「陰では殿の事も言う」ともいう。
学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)
学問というものは、積み重ねて学んでいかなければならないもので、簡単に身につける安易な方法はないということ。 「王道」は、王様のための特別な道、転じて近道や安易な道のこと。 エジプト王が数学者のユークリッドに幾何学を簡単に学ぶ方法を尋ねたとき、ユークリッドは「幾何学に王道なし」と答えたという故事から。
既往は咎めず(きおうはとがめず)
過ぎ去ったことをあれこれ咎めても仕方がない。これから先のことを大切にせよということ。
笈を負う(きゅうをおう)
故郷を離れて勉学すること。 「笈」は、本を入れて背負う箱。 笈を背負って遠くに勉学に行くとの意から。
塞翁が馬(さいおうがうま)
人生における幸・不幸は予測が出来ないということ。 幸運から不幸に、不幸から幸運にいつ転じるかわからないので、一喜一憂する必要はないということ。 昔、中国北方の塞(とりで)付近に住んでいた老人が馬に逃げられたが、その馬が立派な馬を連れて帰って来た。老人の息子がその馬から落馬して足の骨を折ったが、そのおかげで兵役を免れたという故事から。 「人間万事塞翁が馬」ともいう。
皿嘗めた猫が科を負う(さらなめたねこがとがをおう)
悪事をはたらいた主犯が罰せられず、少しだけ関与した小者が罰せられるたとえ。 皿の上の魚を食べた猫はとっくに逃げてしまい、あとからやって来て皿をなめただけの猫が罪を着せられるとの意から。
塩辛を食おうとて水を飲む(しおからをくおうとてみずをのむ)
手回しがよすぎるとかえって間が抜けていたりすることのたとえ。または、物事の順序が前後することのたとえ。 塩辛を食べると喉が渇くであろうと考えて、前もって水を飲んでおくとの意から。
鹿を逐う(しかをおう)
地位や権力を得ようとして争うこと。 「鹿」は帝位の意。転じて、地位や権力のこと。 帝位を得ようとして争うとの意から。 「中原に鹿を逐う」「[[逐鹿*https://kokugo.jitenon.jp/word/p32413]]」ともいう。
鹿を逐う者は山を見ず(しかをおうものはやまをみず)
利益を得ることに夢中になっている者は、周囲の事を考える余裕がなくなり道理を忘れてしまうというたとえ。鹿を追う者は狩りに夢中になり山の様子が目に入らないとの意から。
駟馬も追う能ず(しばもおうあたわず)
失言は取り返しがつかないから、言葉には十分気をつけよということ。 「駟」は四頭立ての馬車。 一度口にした言葉は、四頭立ての速い馬車で追っても追いつけないという意味から。 「駟馬も追う能ず(しばもおうあたわず)」ともいう。
正直貧乏、横着栄耀(しょうじきびんぼう、おうちゃくえよう)
正直者はその正直さゆえに貧乏な生活に甘んじているのに対し、押しが強くずる賢い者は成功して栄えるというたとえ。
商売往来にない商売(しょうばいおうらいにないしょうばい)
泥棒など世間に認められない商売のこと。 「商売往来」は、商売に関係した事柄を書いた江戸時代の書物で、その書物に載っていない商売との意から。
人事は棺を蓋うて定まる(じんじはかんをおおうてさだまる)
人間の真価は死後になって初めて決まるということ。 棺に蓋をしたあとで、その人の本当の評価が定まるとの意から。 「人事は棺を蓋いて(うて)定まる」ともいう。
積悪の家には必ず余殃あり(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
責めを負う(せめをおう)
自身に責任があると認め、処罰や償いを一人で引き受けること。
善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(ぜんにんなおもておうじょうをとぐ、いわんやあくにんをや)
仏の救いを頼みとしない善人でさえ極楽往生を遂げる。まして、仏の救いにすがるしかない悪人が往生できないわけがないということ。
立ち往生する(たちおうじょうする)
途中で行き詰まり、進むことも引き返すこともできなくなること。 「立ち往生」は、弁慶(べんけい)が立ったまま死んだとされる「弁慶の立ち往生」に由来する語。
力山を抜き、気は世を蓋う(ちからやまをぬき、きはよをおおう)
勇壮な気性のたとえ。 山を引き抜くほどの大きな力と、世界を覆い尽くすほどの意気があるとの意。 敵に取り囲まれた四面楚歌の状況で楚の項羽がうたった詩「垓下歌」の一節。 「抜山蓋世」ともいう。
天に二日無し、土に二王無し(てんににじつなし、どににおうなし)
天に太陽が二つないように、君主もただ一人だけで、二人存在してはならないということ。 「二日」は、二つの太陽。 「天に二日無し、土に二王無し」「天に二つの日無し」ともいう。
年を追う(としをおう)
ある傾向が時間と共に強まり続けたり、弱まり続けたりすること。
無い物食おう(ないものくおう)
十分にある物は欲しがらず、ないとわかっている物をほしがること。わがままを言うこと。 「無い物食おうが人の癖」ともいう。
名に負う(なにしおう)
その名とともに評判になる。有名になる。名高い。 「名にし負う」ともいう。 「名にし負う」は「名に負う」を強めた言い方。
仁王立ち(におうだち)
仁王像のようにしっかりと立つこと。 「仁王」は、寺院の山門の両脇におかれている金剛力士像。 「仁王」は「二王」とも書く。
煮て食おうと焼いて食おうと(にてくおうとやいてくおうと)
どのような扱いをしても問題ないことのたとえ。
二兎を追う者は一兎をも得ず(にとをおうものはいっとをもえず)
一度に二つのものを手に入れようと欲張ると、結局どちらも手に入れられなくなることのたとえ。 一度に二匹のうさぎを捕えようとすると、結局一匹も捕らえられないことから。
猫を追うより皿を引け(ねこをおうよりさらをひけ)
その場のがれより、根本を正すことが大事だというたとえ。皿をねらっている猫を追い払うより、皿を片付けるほうがいいということから。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)
他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の問題を始末せよということ。 他人にたかる蠅を追い払うより、まずは自分にたかる蠅を追い払えとの意から。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
船盗人を徒歩で追う(ふなぬすびとをかちでおう)
無駄な苦労のたとえ。また、適切ではない方法のたとえ。 船を盗んで海上を逃げる相手を、陸上から追いかけるとの意から。
鮒の仲間には鮒が王(ふなのなかまにはふながおう)
つまらない者の中では、やはりつまらない者が首領となることのたとえ。また、つまらない者たちの中にもそれにふさわしい首領がいるというたとえ。
分相応に風が吹く(ぶんそうおうにかぜがふく)
人にはそれぞれの身分や地位に応じた生き方があるということ。
弁慶の立ち往生(べんけいのたちおうじょう)
進むことも退くこともできない状態のたとえ。源義経の家来の弁慶が、衣川の合戦で義経をかばって矢を受け、立ったまま死んだという伝説から。
耳を掩うて鐘を盗む(みみをおおうてかねをぬすむ)
良心に背くことをしながら、あえて何も考えないようにすること。また、うまく悪事を隠したつもりでも、実際はすっかり知れ渡っていること。 ある男が鐘を盗もうとしたとき、その鐘が大きいため割って運ぼうと槌(つち)で叩いたところ、周囲に大きな音が鳴り響いた。 その音が人に聞かれるのではないかと恐れた男は、愚かにも自分の耳をふさいだという故事から。 「耳を掩うて鈴を盗む」ともいう。
無冠の帝王(むかんのていおう)
特別な地位などは持っていないが、実力を有している者のこと。 スポーツなどで、極めてすぐれた能力を持ちながら、大きなタイトルを獲得できずにいる人。 または、ジャーナリストや新聞記者などの自称。権力に屈することなく評論する人という意味から。
冥土の道には王なし(めいどのみちにはおうなし)
現世での身分の上下、貧富の差は、死ねばいっさい無くなるということ。また、死は誰にも等しく訪れるということ。「冥土」は「冥途」とも書き、死者の霊魂が行くという世界のこと。
目を覆う(めをおおう)
直視することを避け、目をふさぐこと。
夢を追う(ゆめをおう)
自分の描いている理想を追い求めること。
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