「ざ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ざ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 172 件
朝酒は門田を売っても飲め(あさざけはかどたをうってものめ)
朝酒は格別おいしいので、少々無理をしてでも飲むべきだということ。「門田」は家の門前にある田の意。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。 あまり好まれない薊の花も、美しい時期があることから。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
いつ何が起こるかわからない、人生や世の中の無常をいった言葉。 桜の花が、明日も咲いているだろうと安心していると、夜中の嵐で散ってしまうかもしれないとの意から。 「夜半に嵐の吹かぬものかは」という句がこれに続く。
網にかかるは雑魚ばかり(あみにかかるはざこばかり)
悪事をはたらいても捕まるのは小物ばかりで、大物は巧みに逃げてなかなか捕まらないということ。
過ちて改めざる是を過ちと謂う(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)
人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。 「過ちを改めざる是を過ちと謂う」ともいう。
過ちは人の常、許すは神の業(あやまちはひとのつね、ゆるすはかみのわざ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
過ちを文る(あやまちをかざる)
過ちを取り繕うために、あれこれ言い訳をしてごまかそうとすること。「文る」は飾るで、取り繕うという意。
いざ鎌倉(いざかまくら)
重大事件が起こった場合をいう言葉。鎌倉時代、幕府に一大事が起こった時、諸国の武士が我先に馳せ参じたということから。謡曲「鉢木(はちのき)」にある言葉。
いざ知らず(いざしらず)
…についてはわからないが。…はともかく。
いざという時(いざというとき)
非常事態が発生した場合。
一瓜実に二丸顔(いちうりざねににまるがお)
女性の顔立ちで、一番良いのはやや細長く白い瓜実顔、二番目は愛嬌のある丸顔だということ。その後に「三平顔に四長顔、五まで下がった馬面顔」と続く。
一服の清涼剤(いっぷくのせいりょうざい)
さわやかな気分にさせる事柄。
売り物には花を飾れ(うりものにははなをかざれ)
商品は中身の良さだけでなく、見た目もきれいに飾って売るのが商売のこつだということ。
英雄、人を欺く(えいゆう、ひとをあざむく)
英雄といわれるほどの人物は才知にすぐれているので、凡人が考えつかないような策略を用いて人を欺くということ。
えせ侍の刀弄り(えせざむらいのかたないじり)
実力の乏しい者ほど外見をとりつくろうことのたとえ。 「えせ侍」は武士の心得がない臆病な侍のこと。 えせ侍にかぎって人前で刀を抜いて虚勢を張るとの意から。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
小人物には、大人物の志は理解できないということのたとえ。「燕雀」は小さな鳥の意から転じて小人物、「鴻鵠」は大きな鳥の意から転じて大人物のこと。
お座敷が掛かる(おざしきがかかる)
芸者や芸人などが客に呼ばれること。 また、会合や宴席などに招待されること。
音沙汰が無い(おとざたがない)
何の便りもない。消息が不明である。
己に如かざる者を友とするなかれ(おのれにしかざるものをともとするなかれ)
自分をより向上させるためには、自分より劣った者を友として交際すべきではないという教え
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
親の意見と冷や酒は後で利く(おやのいけんとひやざけはあとできく)
親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、ありがたいと思うようになるということ。冷酒は飲みやすく、あとから酔いが回ってくる意から。
回禄の災い(かいろくのわざわい)
火事・火災のこと。 「回禄」は、中国の火の神の名。その火の神から受けた災いのことから。
欠くべからざる(かくべからざる)
絶対に必要で無くてはならないことのたとえ。
嘉肴ありと雖も食らわざればその旨きを知らず(かこうありといえどもくらわざればそのうまきをしらず)
何事も自分で体験してみなければ、その価値やすばらしさがわからないということ。 「嘉肴」は、おいしい料理。 どんなにおいしい料理も、自分で食べてみなければそのおいしさはわからないとの意から。
風穴を開ける(かざあなをあける)
銃や刀などで胴体を貫くような穴を開けるという脅し文句のこと。 また、組織や状態が硬直しているところに、新しい風を吹きこむことのたとえ。
風上にも置けない(かざかみにもおけない)
性質や行動が下品で卑劣な人間をののしっていう言葉。 悪臭のある物は臭くて困るので、風上に置くわけにはいかないとの意から。 「風上に置けない」ともいう。
風向きが悪い(かざむきがわるい)
相手の機嫌がよくないこと。 また、物事の形勢が自分にとって不利な方向にすすむこと。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
わざわいと幸福は、より合わせた縄のように表裏一体を成しているということ。「糾う」とは縄をより合わせること。
起爆剤になる(きばくざいになる)
ちょっとした事が、重大な事件や運動を引き起こすきっかけとなること。
君、君たらずと雖も臣は臣たらざるべからず(きみ、きみたらずといえどもしんはしんたらざるべからず)
主君が主君としての徳を持っていなくても、臣下は臣下としての道を守って忠義をつくさなければならないということ。
器量は当座の花(きりょうはとうざのはな)
器量がいいなどというのは、人生の中のほんの一時のものに過ぎないということ。
玉山崩る(ぎょくざんくずる)
容姿の立派な人が酔いつぶれるたとえ。「玉山」は、珠玉のとれる山から転じて、容姿のあでやかなことのたとえ。
義を見てせざるは勇なきなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)
人として正しいことと知りながら実行しないのは、勇気がないからであるということ。
口は災いの元(くちはわざわいのもと)
うっかり言ってしまった言葉が災いを招くこともあるため、口は慎まなければならないという戒め。 「口は禍の門」「禍は口から」ともいう。
口を閉ざす(くちをとざす)
何も言おうとせず沈黙すること。 「口を噤む」ともいう。
君子は庖厨を遠ざく(くんしはほうちゅうをとおざく)
君子は憐れみ深いので、動物が捌かれる姿が見えてたり動物の悲鳴が聞こえたりする厨房に近づくことは忍び難いということ。
敬して遠ざく(けいしてとおざく)
うわべは敬うふりをして、内心はうとんじて近づかないこと。
螻蛄才(けらざい)
多芸多才でありながら、特に上手なものがないことのたとえ。 「螻蛄」は、土の中にいる虫で、飛ぶ、登る、潜る、掘る、走るの五つの能力があるが、どれも特別上手ではないことから。 「螻蛄芸」ともいう。
鴻鵠の志(こうこくのこころざし)
大人物の志。「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。転じて大人物のこと。
功罪相償う(こうざいあいつぐなう)
功績と罪過がともにあるために、お互いに打ち消されてしまうこと。 また、功績のおかげで罪過が大目に見られること。
功罪相半ばする(こうざいあいなかばする)
功績と罪過とが半々で、よいとも悪いともいえないということ。
高山の巓には美木なし(こうざんのいただきにはびぼくなし)
地位の高い人は、人からねたまれたり批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。 高山の頂上は雨風の激しい過酷な環境なので、そこに立つ木は美しい姿を保つことができないとの意から。
故郷へ錦を飾る(こきょうへにしきをかざる)
立派な着物を着ること。転じて、成功して晴れがましい姿で故郷に帰ること。 単に「錦を飾る」、また「錦衣を着て故郷に帰る」ともいう。
心ここに在らざれば視れども見えず(こころここにあらざればみれどもみえず)
心が他のことにとらわれて集中できなければ、視線を向けていても、何も見えないのと同じことであるということ。
志ある者は事竟に成る(こころざしあるものはことついになる)
確固たる志を持っている者は、どんな困難があっても最後には必ず成功するということ。
志は髪の筋(こころざしはかみのすじ)
どんなものでも真心をこめて贈れば、相手は誠意を汲みとってくれるものであるということ。
志は木の葉に包む(こころざしはこのはにつつむ)
たとえ木の葉に包むほどのささやかな物でも、真心がこもっていれば立派な贈り物だということ。
心に刻む(こころにきざむ)
忘れないように心の中に深く留めておくこと。
心の師とはなれ心を師とせざれ(こころのしとはなれこころをしとせざれ)
自分の心は自ら律するべきであり、心のままに感情に流されてはいけないということ。
木っ端を拾うて材木を流す(こっぱをひろうてざいもくをながす)
小事にかまけて大事に失敗するたとえ。木のきれはしを集めて材木を流してしまうということから。
言葉を飾る(ことばをかざる)
美しいことばで巧みに言い表すこと。また、きれいごとを言うこと。
金輪際(こんりんざい)
物事の底の底、極限のところ。転じて、絶対に、断じてということ。もとは仏教用語で、大地の最下低の所。
後光より台座が高くつく(ごこうよりだいざがたかくつく)
ものごとは、目立たない基礎の部分に案外お金がかかるということ。 仏像は人目につく光背より、目立たない台座のほうが費用がかかるとの意から。
最後を飾る(さいごをかざる)
すぐれた形で物事を終わらせること。
済世の志(さいせいのこころざし)
世の中の弊害を取り除いて、人々を救おうとする志。「済世」は世の中の人々を救うこと。
三軍も帥を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからず(さんぐんもすいをうばうべきなり、ひっぷもこころざしをうばうべからず)
大軍に守られている総大将でも討ち取ることは出来るが、たとえどんなに身分の低い男でも、意思が堅ければ、その志を変えさせることは出来ないということ。人の志は尊重すべきだということ。「三軍」は大軍、「帥」は大将、「匹夫」は身分のいやしい男の意。
材、大なれば用を為し難し(ざい、だいなればようをなしがたし)
立派すぎる人物は世の中になかなか受け入れられないというたとえ。 材木が大きすぎると使いづらいという意味から。
財は一代の宝(ざいはいちだいのたから)
財産はその人一代限りのものであり、その後はどうなるかわからないということ。
財宝は地獄の家苞(ざいほうはじごくのいえづと)
質素に暮らして蓄財だけしても空しいということ。 蓄財しても地獄への土産になるだけという意味から。 「家苞」は持ち帰る手土産のこと。
財宝は身の敵(ざいほうはみのかたき)
人は財宝を持ったせいで人生を踏み外すことがあるという戒め。
座が白ける(ざがしらける)
それまで盛り上がっていた楽しい雰囲気が壊れて面白味がなくなること。
座がもたない(ざがもたない)
会話が続かなかったり、面白味がなくなったりして気まずい雰囲気になること。
雑魚で鯛を釣る(ざこでたいをつる)
わずかな元手や労力で大きな利益を得るたとえ。 略して「[[海老鯛(えびたい)*https://kokugo.jitenon.jp/word/p56920]]」ともいう。 また、「蝦蛄(しゃこ)で鯛を釣る」「雑魚(ざこ)で鯛を釣る」「飯粒(めしつぶ)で鯛を釣る」「麦飯(むぎめし・むぎいい)で鯉を釣る」「鼻糞で鯛を釣る」などともいう。
雑魚の魚交じり(ざこのととまじり)
小物が大物の仲間入りをしていること、また身分・能力にふさわしくない地位に就くことのたとえ。 雑魚が大きな魚の中に入り混じっていることから。
坐しても食らえば山も空し(ざしてもくらえばやまもむなし)
働かずに暮らせば、山のような財産があってもやがては尽きてしまうということ。
座禅組むより肥やし汲め(ざぜんくむよりこやしくめ)
座禅を組んで修行する暇があるなら、肥やしを汲んで農作業に精を出せということ。時間や労力を実業以外のことに使うことを戒める言葉。
雑音を入れる(ざつおんをいれる)
関係のない人が無責任な意見や批評を言うこと。
様は無い(ざまはない)
見苦しい様子。みっともない様子。 「様」は無様という意味。
座右の銘(ざゆうのめい)
常に自分のそばに書き記しておいて心に留め、戒めとする言葉。「座右」は、身近の意。
笊耳(ざるみみ)
聞いたことをすぐに忘れてしまうこと。また、そのような人。笊(ざる)の隙間から水がこぼれる様子から。
座を取り持つ(ざをとりもつ)
同席している人たちが白けないように応対すること。
座を外す(ざをはずす)
会合などで一時的にその場から離れること。
座を見て皿をねぶれ(ざをみてさらをねぶれ)
その場の様子をみきわめてから、自分の出方を決めるのが利口だということ。 「ねぶる」は舐める意。 場所柄をよく考えて、ごちそうの皿を舐めるかどうか判断せよとの意から。
残念閔子騫(ざんねんびんしけん)
「残念」を洒落て言う言葉。 中国の孔子の弟子の「顔淵(がんえん)」を「残念」にかけて、同門の「閔子騫(びんしけん)」と続けた語呂合わせ。
四角な座敷を丸く掃く(しかくなざしきをまるくはく)
仕事の手を抜いたり、いいかげんなことをするたとえ。四角い座敷を隅を残して真ん中だけ丸く掃くことから。
舌は禍の根(したはわざわいのね)
言葉はわざわいを招くもとであるから、言葉は慎むべきであるというたとえ。
至難の業(しなんのわざ)
実現できるとは思えないほどに難しいこと。
死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し(しはあるいはたいざんよりおもく、あるいはこうもうよりかろし)
命は惜しむべき場合と、潔く捨てるべき場合があるということ。 「泰山」は中国山東省にある名山。 「鴻毛」はおおとりの羽毛。 命は高い山よりも重く見なければならない場合と、おおとりの羽毛よりも軽く見なければならない場合があるとの意から。
祝融の災い(しゅくゆうのわざわい)
火事の災難のこと。「祝融」は、火をつかさどる神から転じて火事の意。
知らざるを知らずと為せ、是れしるなり(しらざるをしらずとなせ、これしるなり)
知ったふりをしないで、知らない事は知らないと自覚すること、これが本当に知るということであるということ。