「とお」を含む故事・ことわざ・慣用句
「とお」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 84 件
明るけりゃ月夜だと思う(あかるけりゃつきよだとおもう)
考え方が単純で現実を知らないことのたとえ。外が明るいとすべて月夜だと思う意から。
朝雨と女の腕捲り(あさあめとおんなのうでまくり)
朝の雨はすぐにやむため、女が腕まくりをして強がるのと同様、恐れるに足りないということ。 「俄雨(にわかあめ)と女の腕捲り」ともいう。
足が遠のく(あしがとおのく)
今までよく行っていた場所へ、訪れる機会が少なくなる。疎遠になる。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
いつ何が起こるかわからない、人生や世の中の無常をいった言葉。 桜の花が、明日も咲いているだろうと安心していると、夜中の嵐で散ってしまうかもしれないとの意から。 「夜半に嵐の吹かぬものかは」という句がこれに続く。
中らずと雖も遠からず(あたらずといえどもとおからず)
ぴったり当たっていないが、ほぼ的中と言えるということ。 「中らず」は「当たらず」とも書く。
後押しをする(あとおしをする)
物事が順調に進むように、わきから援助すること。
言うと行うとは別問題である(いうとおこなうとはべつもんだいである)
口で言うことと、それを実行することとは別で、言葉通りに実践するのは難しいということ。
言うまいと思えど今朝の寒さかな(いうまいとおもえどけさのさむさかな)
どうしようもない寒さだと分かりつつも、今朝の寒さに耐えられず、思わず「寒い」と言葉に出してしまった気持ちを詠んだもの。
怒りは敵と思え(いかりはてきとおもえ)
怒りは慎むべきであるという戒めの言葉。 怒りの感情を持てば、相手からの怒りや憎しみを招くことになり、結局自分の身を滅ぼすことになるということ。 徳川家康の遺訓のひとつ。
意地を通す(いじをとおす)
心に決めたことをどこまでも押し通す。 「意地を貫く」ともいう。
一日暖めて十日冷やす(いちにちあたためてとおかひやす)
一日だけ努力してあとの十日は怠ける、努力するよりも怠けることのほうが多いことのたとえ。 植物を育てる時に、一日日光にさらして暖めたかと思うと、十日は暖めずに冷やしてしまうとの意から。
一心岩をも通す(いっしんいわをもとおす)
不可能と思われることでも、心を集中させて専念すれば成し遂げられるというたとえ。
いつまでもあると思うな親と金(いつまでもあるとおもうなおやとかね)
独立と倹約を心がけよという戒めのことば。 親はいつまでも面倒見てくれるわけでもなく、金も使えばなくなることから。
犬の遠吠え(いぬのとおぼえ)
弱い者や臆病な者が、陰で虚勢を張り陰口をたたくことのたとえ。弱い犬は、強い相手に対しては遠くから吠え立てることから。
殷鑑遠からず(いんかんとおからず)
戒めとなる失敗の例は、すぐ身近にあるというたとえ。 殷の国民が鑑(かがみ)とすべき手本は、遠い時代に求めなくても、前代の夏(か)の滅亡がよい戒めであるとの意から。
噂は遠くから(うわさはとおくから)
噂は事情を知っている人間からではなく、外部から生じることが多いということ。
思う念力、岩をも徹す(おもうねんりき、いわをもとおす)
心を込めて一心に事を行えば、どんなことでも必ず成し遂げられるというたとえ。
女の一念、岩をも徹す(おんなのいちねん、いわをもとおす)
女が執念深いことのたとえ。
神は見通し(かみはみとおし)
神様は人々のどんなに小さい行為でも見抜いているので誤魔化すことはできないということ。 「神様はお見通し」「天道様はお見通し」「天は見通し」「神仏は見通し」「仏は見通し」などともいう。
我を通す(がをとおす)
最後まで自分の主張を押し通すこと。
眼光紙背に徹る(がんこうしはいにとおる)
書物の表面上の意味だけでなく、背後にある真意も読み取ること。読解力が鋭いことのたとえ。 紙の裏まで見通すとの意から。 「眼光紙背に徹る」ともいう。
北に近ければ南に遠い(きたにちかければみなみにとおい)
一方に都合がよければ、他方には都合が悪いということのたとえ。また、あたりまえであることのたとえ。
君子は庖厨を遠ざく(くんしはほうちゅうをとおざく)
君子は憐れみ深いので、動物が捌かれる姿が見えてたり動物の悲鳴が聞こえたりする厨房に近づくことは忍び難いということ。
敬して遠ざく(けいしてとおざく)
うわべは敬うふりをして、内心はうとんじて近づかないこと。
米の飯と女は白いほどよい(こめのめしとおんなはしろいほどよい)
白い米の飯がうまいように、女も色が白いほうがきれいに見えるということ。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
酒に十の徳あり(さけにとおのとくあり)
酒には次の十の長所があるということ。百薬の長、延命の効あり、旅行の食となる、寒さを凌げる、持参に便利、憂いを忘れさせる、位なくして貴人と交われる、労苦を癒す、万人と和合できる、独居の友となる。
四月の中の十日に心なしに雇われるな(しがつのなかのとおかにこころなしにやとわれるな)
四月の中旬頃は日が長いので、思いやりのない人に雇われるといつまでも働かされるので気をつけよということ。また、その頃の日中の時間が長いことをいう。
信心過ぎて極楽を通り越す(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信心も度を越すと迷信や邪道に陥ってかえって害になるということ。
筋を通す(すじをとおす)
物事を行う時に道理に適うようにすること。
滑り道とお経は早い方がよい(すべりみちとおきょうははやいほうがよい)
滑りやすい道は人より先を歩く方が歩きやすく、退屈なお経は早く終わる方がありがたいということ。 「滑り道と観音経は早い方がよい」ともいう。
性相近し、習い相遠し(せいあいちかし、ならいあいとおし)
人が生まれながらに持っている性質にはあまり差はないが、その後の教育や環境で大きな差が出てくるということ。
袖を通す(そでをとおす)
衣服を着ること。 特に新しい衣服を初めて着ることをいう。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
近道は遠道(ちかみちはとおみち)
近道は危険だったり悪路だったりして結局時間がかかることがある。物事も一見回り道のように見えても安全で確実な道を選ぶほうがいいということ。
冬至十日経てば阿呆でも知る(とうじとおかたてばあほうでもしる)
冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。
十日の菊、六日の菖蒲(とおかのきく、むいかのあやめ)
時期に遅れて役に立たないもののたとえ。 9月9日の重陽の節句に用いる菊は9月10日では遅く、5月5日の端午の節句に用いる菖蒲は5月6日では間に合わないとの意から。 「六日の菖蒲、十日の菊」ともいう。 また、単に「十日の菊」「六日の菖蒲」ともいう。
遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり(とおきおもんぱかりなきものはかならずちかきうれえあり)
遠い将来を見越した考えを持っていないと、必ず急な憂い事が起こるということ。 「遠慮」は、先々のことを思慮すること。 「近憂」は、間近の憂い事のこと。 「遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり」ともいう。
遠きに行くは必ず近きよりす(とおきにゆくはかならずちかきよりす)
物事を行う場合は、順序を踏んで着実に進めなければならないということ。 遠くに行く時も近い場所から歩き始めることから。
遠きは花の香(とおきははなのか)
遠くのものは花の香りのように何でもよく感じられ、近くのものはつまらなく思えるということ。
遠きを知りて近きを知らず(とおきをしりてちかきをしらず)
他人のことはよくわかるのに、自分のことはわからないということ。
遠くて近きは男女の仲(とおくてちかきはだんじょのなか)
男女の仲は遠く離れているようで意外に近く、結ばれやすいものであるということ。
遠くなれば薄くなる(とおくなればうすくなる)
親しかった者でも、遠ざかればだんだん情が薄れていくということ。
遠くの火事、背中の灸(とおくのかじ、せなかのきゅう)
遠くの大事件より自分に関係する小事のほうが気にかかるというたとえ。
遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。
遠ざかるほど思いが募る(とおざかるほどおもいがつのる)
人を思う気持ちは、遠く離れたりして会えないほど、強くなるということ。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)
子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。
十のことは十に言え(とおのことはとおにいえ)
物事を理解してもらうためには、過不足なく、順序立てて正確に話さなければいけないということ。
遠火で手を焙る(とおびでてをあぶる)
たいした効果がないことのたとえ。遠く離れた火で手を焙ってもあまり暖かくない意から。
遠道は近道(とおみちはちかみち)
危険な近道を行くより、一見遠回りのようでも安全で確実な道を行くほうが早く着く。物事も焦らずじっくり行うほうが早く目的を遂げられるというたとえ。
遠目、山越し、笠の内(とおめ、やまごし、かさのうち)
遠くから見るとき、山越しに見るとき、また、笠に隠れた顔の一部をちらりと見る時は、はっきりと見えないので、実際以上に美しく感じられるということ。
通りがいい(とおりがいい)
一般の人に認められやすい。体裁がよい。または、わかりやすい。
名が通る(ながとおる)
名前が世間に広く知られていること。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子の花に無駄花がないように、親が子どもにいう意見もすべて子どもの役に立つことばかりで、一つとして無駄がないということ。
七日通る漆も手に取らねばかぶれぬ(なぬかとおるうるしもてにとらねばかぶれぬ)
物事に直接かかわらなければ、害を受けることはないというたとえ。 漆の木のそばを何度通っても、手で触れなければかぶれることはないことから。
任重くして道遠し(にんおもくしてみちとおし)
任務はきわめて重大で、遂行する道程は遠く、容易ではないということ。
猫も跨いで通る(ねこもまたいでとおる)
猫も跨いで通り過ぎるほど、おいしくない魚のこと。また、上手に食べ終わって、何も残っていない魚の骨のこと。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
念力岩をも徹す(ねんりきいわをもとおす)
思いを込めて一心に事を行えば、どんなことでも必ずやり遂げられるというたとえ。
飲む者は飲んで通る(のむものはのんでとおる)
酒飲みは酒代がかかって大変だが、金が無いなら無いなりにやっていくものだということ。
鼻筋が通る(はなすじがとおる)
美しい顔立ちであることを言い表す言葉。 鼻が高く、眉間から鼻先までまっすぐ形が整っているということから。
春の雪とおばの杖は怖くない(はるのゆきとおばのつえはこわくない)
春の雪はたとえ大雪でもすぐに溶ける。また、おばが杖で叩いても力が弱い。恐れるに足りないことを並べていった語。
東に近ければ西に遠い(ひがしにちかければにしにとおい)
一方に都合よければ、他方には都合が悪く、どちらにも偏らないようにするのは難しいということのたとえ。また、あたりまえであることのたとえ。
日暮れて途遠し(ひくれてみちとおし)
年老いてしまったのに、まだ目的を達するまでには程遠いことのたとえ。また、期限が迫っているのに、仕事が片付かないことのたとえ。
人衆ければ則ち狼を食らう(ひとおおければすなわちおおかみをくらう)
多数の力が強大であることのたとえ。 人数が多ければ、一人では到底勝てない狼をも倒して食ってしまうとの意から。
人衆ければ天に勝つ(ひとおおければてんにかつ)
人の勢力が強い時は、道理に背いても、一時的には天の理に勝つこともあるということ。
一言多い(ひとことおおい)
言う必要のない余計な事を言うこと。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
他人は信用できないので、泥棒と疑ってかかるくらい用心したほうがよいということ。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、なるほどと思うようになるということ。冷酒は飲んですぐより、あとから酔いが回ってくる意から。
火を通す(ひをとおす)
食べ物を加熱すること。
火を見たら火事と思え(ひをみたらかじとおもえ)
何事も用心を重ね、警戒を怠りなくせよという教え。 少しの火でも火事だと思って用心せよということ。
冬来りなば春遠からじ(ふゆきたりなばはるとおからじ)
つらく厳しい時期を耐え抜けば、その先には幸せが待っているというたとえ。 寒い冬が来たということは、遠くないうちに暖かい春もやってくるということから。 イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節から。
道は邇きに在りて遠きに求む(みちはちかきにありてとおきにもとむ)
無駄に高遠なものや難しい理論を求めて、近くの真理を見落としてしまうこと。 「邇き」は近きの意。 真理は近いところにあるのに、わざわざ遠いところにそれを求めようとすることから。
耳が遠い(みみがとおい)
加齢や病気などで聴力が弱まり、音をよく聞き取れないこと。
無理が通れば道理引っ込む(むりがとおればどうりひっこむ)
理に合わないことが通用するような世の中では、道理にかなったことは行われなくなるということ。
無理も通れば道理になる(むりもとおればどうりになる)
理屈に合わないことでも強引に押し通してしまえば、それが正しいことのように通用してしまうということ。
目を通す(めをとおす)
文章などを一通りみること。大まかに読むこと。
陽気発する処、金石も亦透る(ようきはっするところ、きんせきもまたとおる)
どんな困難なことでも、精神を集中すればできないことはないということ。 「陽気」は万物が生じて活動しようとする気。 陽気が発生すれば、金属や石のように硬いものでも貫くとの意から。
避けて通せ酒の酔い(よけてとおせさけのよい)
酔っ払いには、かかわらないほうがよいということ。