「は」を含む故事・ことわざ・慣用句
「は」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1813 件
痛い上の針(いたいうえのはり)
不運や災難にさらなる不運や災難が重なることのたとえ。 痛みがあるところに、さらに針が刺さるとの意から。
痛いのは辛抱しても痒いのは辛抱できぬ(いたいのはしんぼうしてもかゆいのはしんぼうできぬ)
痒みは、どうにも我慢できないということ。
痛くもない腹を探られる(いたくもないはらをさぐられる)
やましいところがないのに疑いをかけられること。 腹痛でもないのに、痛いところはどこかと探られるとの意から。
板子一枚下は地獄(いたごいちまいしたはじごく)
船乗りという仕事の危険なことのたとえ。「板子」は和船の底に敷く板。その板の下は、落ちれば死につながる恐ろしい海だということから。
戴く物は夏も小袖(いただくものはなつもこそで)
欲深いことのたとえ。 貰える物なら、その季節に不要な綿入れでも何でもよいとの意から。 「小袖」は、絹の綿入れのことで、冬に着用する衣服。 「貰う物は夏も小袖」ともいう。
一工面、二働き(いちくめん、にはたらき)
世渡り上手は金の工面をする才覚が第一で、勤勉に働くのはその次だということ。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
一合取っても武士は武士(いちごうとってもぶしはぶし)
たとえ貧しくても男には男の誇りと本分があるということ。禄高がたとえ一合でも武士にかわりはないということから。
一日の計は朝にあり(いちじつのけいはあしたにあり)
一日の計画は朝のうちに立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一度あることは二度ある(いちどあることはにどある)
一度起きたことは、後でまた同じようなことが起こりやすいので注意せよということ。この後に続けて「二度あることは三度ある」ともいう。
一度はままよ二度はよし(いちどはままよにどはよし)
悪事を行うとき、最初は良心がとがめながら、なるようになれという気で行うが、二度目からはなんとも思わなくなり平気でのめりこんでいくということ。
一度焼けた山は二度は焼けぬ(いちどやけたやまはにどはやけぬ)
一度災いに遭うと二度と同じ災いに遭うことはないと、災難に遭った人を慰めて言うことば。
一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
一年の計は元旦にあり(いちねんのけいはがんたんにあり)
一年の計画は元旦に立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一の裏は六(いちのうらはろく)
悪いことの後には必ずいいことがあるというたとえ。さいころの一の裏は六であることから。
一番風呂は馬鹿が入る(いちばんぶろはばかがはいる)
沸かしたてのお湯はきめが粗くて刺激が強く体によくないということ。
一輪咲いても花は花(いちりんさいてもはなははな)
たとえ小さく目立たない存在でも、その存在自身には何ら変わりはないということ。
一粲を博す(いっさんをはくす)
お笑いぐさになるという意で、自分の詩や文章が人に読まれることを謙遜していう言葉。「粲」は、白い歯を出して笑うこと。「一粲」は、ひと笑いのこと。
一生添うとは男の習い(いっしょうそうとはおとこのならい)
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
一升徳利に二升は入らぬ(いっしょうどっくりににしょうははいらぬ)
ものには限界があり、それ以上を望んでも無理だということ。 一升入りの徳利に二升は入らないとの意から。
一升入る壺は一升(いっしょうはいるつぼはいっしょう)
一升入りの容器には、どうやっても一升しか入らないということ。物にはそれそれの限度があることのたとえ。
一寸先は闇(いっすんさきはやみ)
一寸先が真っ暗で何も見えないように、少し先の未来にすらどんな運命が待ち受けているのか、まったく予測ができないことのたとえ。
一銭を笑う者は一銭に泣く(いっせんをわらうものはいっせんになく)
わずかな金銭を粗末に扱うものは、いつかそのわずかな金銭に泣くはめになる。たとえわずかな金額でも大事にしなければならないという戒めのことば。
一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む(いっぱいはひとさけをのむ、にはいはさけさけをのむ、さんばいはさけひとをのむ)
多量に酒を飲むことを戒めた言葉。 酒も少量のうちはよいが、多量になると自制心をなくし、しまいには人が酒に飲まれ乱れてしまうということ。
いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)
いとこ同士の夫婦は、味がよいとされる鴨肉のように仲がよいということ。
いとしい子には旅をさせよ(いとしいこにはたびをさせよ)
子どもがかわいいなら、甘やかして育てるより、世の中に出してつらさや苦しさを経験させたほうがいいということ。
犬が西向きゃ尾は東(いぬがにしむきゃおはひがし)
当たり前のことのたとえ。犬が東を向くと、当然尾は西を向くことから。
犬は人につき猫は家につく(いぬはひとにつきねこはいえにつく)
引っ越す時、犬は飼い主について行くが猫は家から離れようとしないということ。
犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ(いぬはみっかかえばさんねんおんをわすれぬ)
犬は三日間餌をやってかわいがれば三年間恩を忘れない。犬でさえそうなのだから、人間は受けた恩を忘れてはいけないという戒めの言葉。
命長ければ恥多し(いのちながければはじおおし)
長く生きていれば、それだけ恥をかく事も多くなるということ。 「恥」は「辱」とも書く。 また、「長生きは恥多し」「長生きすれば恥多し」「長命すれば恥多し」などともいう。
命は鴻毛より軽し(いのちはこうもうよりかろし)
命は尊いものだが、正義のためなら捨てても少しも惜しくはないということ。「鴻毛」は鴻の羽毛で、きわめて軽いことのたとえ。
位牌を汚す(いはいをけがす)
祖先の名誉や名声を傷つける。 「位牌」は、死者の戒名などを記した木の札。 「位牌に泥を塗る」ともいう。
医は仁術(いはじんじゅつ)
医術は病気を治すことによって、相手に仁徳を施す術でもあるということ。
衣鉢を継ぐ(いはつをつぐ)
学問・芸術などで、弟子が師から奥義を受け継ぐこと。 「衣鉢」は仏教語で僧侶が身にまとう袈裟と鉢のこと。転じて、その道の奥義の意。
衣鉢を伝う(いはつをつたう)
学問・芸術などで、師が弟子に奥義を教え伝えること。 「衣鉢」は仏教語で僧侶が身にまとう袈裟と鉢のこと。転じて、その道の奥義の意。
今の情けは後の仇(いまのなさけはのちのあだ)
一時の安易な同情による手助けは、かえって相手のためにならず、あとになって害になることがあるということ。
今はこれまで(いまはこれまで)
避けることができないさま。もはやどうしようもない。これで終わりだ。
今はの際(いまはのきわ)
臨終の時。死に際。
今は昔(いまはむかし)
今から見ると昔のことだが。むかしむかし。
芋頭でも頭は頭(いもがしらでもかしらはかしら)
どんなに小さな集団の長でも、長にかわりはないということ。「芋頭」は里芋の球茎、親芋。
厭じゃ厭じゃは女の癖(いやじゃいやじゃはおんなのくせ)
女というものは男にくどかれると、内心はうれしくても、口では嫌だ嫌だと言うものだということ。
炒り豆に花が咲く(いりまめにはながさく)
衰えていたものが、再び栄えることのたとえ。また、ありえないことが実現することのたとえ。 炒った豆に芽が出て花が咲くということから。 「炒り豆に花」ともいう。
入るを量りて出ずるを為す(いるをはかりていずるをなす)
収入の額を計算し、それに見合った支出をするということ。
色男、金と力はなかりけり(いろおとこ、かねとちからはなかりけり)
美男子は、経済力も腕力もないものだということ。美男子をからかった川柳。
色気と痔の気のない者はない(いろけとじのけのないものはない)
人は誰でも似たり寄ったりだということ。痔で悩む人が多いことから、色気と痔の気の語呂を合わせて生まれたことわざ。
色の白いは七難隠す(いろのしろいはしちなんかくす)
色が白ければ、顔かたちに多少の欠点があっても気にならないということ。
言わぬが花(いわぬがはな)
はっきりと口に出していうより、黙っていたほうが趣があるということ。
言わぬことは聞こえぬ(いわぬことはきこえぬ)
口に出して言わなければ、相手に伝わらず理解させることができないということ。
言わぬは言うに勝る(いわぬはいうにまさる)
口に出して言うより黙っていたほうが、深い意味を相手に伝えることがあるということ。
有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
この世の一切の事物は因縁によって生じ、常に変化し続けていくはかないものであるということ。
飢えたる犬は棒を恐れず(うえたるいぬはぼうをおそれず)
生活に困った人間は、危険な事や悪い事をするのを恐れないことのたとえ。 飢えた犬は、人間が棒を持っていても恐れずに、食べ物にありつこうとするという意味から。
飢えては食を択ばず(うえてはしょくをえらばず)
飢えているときには、食べ物を選り好む余裕などないため、何でも食べるということ。
上には上がある(うえにはうえがある)
最もすぐれていると思っても、さらにすぐれたものがあること。物事には限度などないということ。
魚の水に離れたよう(うおのみずにはなれたよう)
水から出た魚のように、頼りを失ってどうすることもできないことのたとえ。
魚は鯛(うおはたい)
魚のなかでは鯛が最上であるということ。比喩的に同種類の中の最上をもいう。
浮世は衣装七分(うきよはいしょうしちぶ)
とかく世間では外見を重んじ、うわべで内容を判断しがちだということ。七分は十分の七のことで、衣装で七分がた評価が下される意から。
浮世は回り持ち(うきよはまわりもち)
幸不幸、貧富、栄枯盛衰などは絶えず人から人へと回っていき、一ヶ所にとどまらないということ。
浮世は夢(うきよはゆめ)
この世はまるで夢のようにはかなく短いものであるということ。
兎も七日なぶれは嚙みつく(うさぎもなぬかなぶれはかみつく)
おとなしい人でも、たびたび辱めを受けるとついには怒るというたとえ。おとなしい兎でも七日もいじめられればついには噛みつくというたとえ。
憂さを晴らす(うさをはらす)
苦しさやつらさを何かで紛らわすこと。気晴らしをすること。
牛の角を蜂が刺す(うしのつのをはちがさす)
なんとも感じないこと、あるいは効果がないことのたとえ。牛は蜂に角を刺されても、まったく痛くもかゆくも感じないことから。
牛は牛連れ、馬は馬連れ(うしはうしづれ、うまはうまづれ)
同類は同類同士で集まりやすく、その仲間同士で物事を行えばうまくいくということ。
後ろに柱前に酒(うしろにはしらまえにさけ)
快く気楽な気分のたとえ。 後ろにある柱にもたれかかり酒を飲むことから。
薄紙を剝ぐよう(うすがみをはぐよう)
薄い紙を一枚一枚剝ぐように病気が日ごとに快方に向かうようす。
嘘つきは泥棒の始まり(うそつきはどろぼうのはじまり)
平気で嘘をつくようになると、泥棒をするのも平気になるということ。
嘘八百(うそはっぴゃく)
やたらに嘘をつくこと。また、まったくのでたらめであること。「八百」は数が多いことの意。
疑いを挟む(うたがいをはさむ)
ある事柄に対して疑いの気持ちを抱くこと。
疑わしきは罰せず(うたがわしきはばっせず)
刑事訴訟で、犯罪事実がはっきりと証明されないときには、被告人を有罪にしてはならないという原則のこと。
歌は世につれ世は歌につれ(うたはよにつれよはうたにつれ)
歌は世相の変化に伴って変わっていき、世相も歌の流行に影響されるということ。
内で掃除せぬ馬は外で毛を振る(うちでそうじせぬうまはそとでけをふる)
家庭のしつけが悪い子どもは、外に出るとすぐにわかるということのたとえ。 飼い主の手入れの悪い馬は、外に出た時に毛を振って汚れを落とそうとするので、すぐにわかるとの意から。
内裸でも外錦(うちはだかでもそとにしき)
どんなに苦しくても世間体を繕わなければ世の中をうまく渡っていくことはできないというたとえ。 貧しくて家の中では裸同然の暮らしをしていても、外に出る時はきちんとした身なりをしなければならないとの意から。
鬱憤を晴らす(うっぷんをはらす)
心の中に抑えている怒りや恨みなどを発散させること。
美しい花には棘がある(うつくしいはなにはとげがある)
美しいものには人を傷つける一面があるということ。
移り変わるは浮き世の習い(うつりかわるはうきよのならい)
時代が移り変われば世の中も変わっていくのが当然だということ。 「移り変わるは浮き世の習い」ともいう。
独活の大木柱にならぬ(うどのたいぼくはしらにならぬ)
身体ばかり大きくて何の役にも立たない人のたとえ。 「独活」は植物の名。 独活は木のように大きくなるが、茎が柔らかいため材木にはならないことから。 「独活の大木柱にならぬ」ともいう。
優曇華の花(うどんげのはな)
きわめて珍しいことのたとえ。「優曇華」は三千年に一度咲くという、インドの想像上の植物。「盲亀の浮木、優曇華の花」と続けてもいう。
旨い事は二度考えよ(うまいことはにどかんがえよ)
うまい話には裏があったり危険が伴うことがあるので、すぐに飛びつかずにじっくり考えるのがよいという戒めの言葉。
旨い物は小人数(うまいものはこにんずう)
旨い物を食べる時は小人数の方がたくさん食べられるということ。また、儲け話も小人数でやる方が、分け前が多くなってよいということ。
旨い物は宵に食え(うまいものはよいにくえ)
良いことはためらわずに早くやるのがよいということ。 うまい物も一晩たつと味が落ちてしまうので、夜のうちに食べてしまったほうがよいとの意から。
馬に乗るまでは牛に乗れ(うまにのるまではうしにのれ)
高い地位につくためには、まず低い地位で力をつけよということ。また、最善の策がとれない時は、次善の策をとれということ。 馬は牛よりも速いが乗るのが難しいので、ひとまず牛に乗って練習せよとの意から。
