「み」を含む故事・ことわざ・慣用句
「み」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 888 件
女の髪の毛には大象も繋がる(おんなのかみのけにはたいぞうもつながる)
女の魅力には、男の心を引きつける強い力があるというたとえ。女の髪の毛で足を繋がれて動けなくなった大きな象を、煩悩にとらわれて悟れない人にたとえた仏教の経典から。
女は衣装髪かたち(おんなはいしょうかみかたち)
女は着る物と髪かたちによって見違えるほど美しくなれる。女にとって着る物と髪かたちはとても大切なものだということ。
女冥利に尽きる(おんなみょうりにつきる)
女に生まれてこれ以上の幸せはないということ。
隠密の沙汰は高く言え(おんみつのさたはたかくいえ)
秘密の話はこそこそ言わずに大きな声で話せということ。 ひそひそ話は人の好奇心をかきたて注意をひきやすいので、普通に話しているほうが目立たず秘密が守れるとの意から。
陰陽師、身の上知らず(おんようじ、みのうえしらず)
他人のことについてはいろいろと言えても、自分のことはよくわからないことのたとえ。 他人の運命を占う陰陽師も、自分の身の上についてはわからないとの意から。
恩を以て怨みに報ず(おんをもってうらみにほうず)
恨みのある者に対して、復讐するのではなく、逆に恩徳を施すような広い心で接すること。
貝殻で海を量る(かいがらでうみをはかる)
自分の狭い見聞や浅薄な知識で、大きな問題を議論することのたとえ。 貝殻で海の水をすくい、海の水の量をはかろうとすることから。
会心の笑みをもらす(かいしんのえみをもらす)
思い描いた通りの結果となり、満足して喜びの表情をすること。
海賊が山賊の罪をあげる(かいぞくがさんぞくのつみをあげる)
自分の悪行は棚に上げて他人の悪行を非難するたとえ。また、同類であっても利害が共通しない者は敵対するということ。 「山賊の罪を海賊があげる」ともいう。
櫂は三年、櫓は三月(かいはさんねん、ろはみつき)
櫂の扱い方は、櫓の扱い方に比べてずっと難しいということ。
顧みて他を言う(かえりみてたをいう)
答えに窮して、話題を逸らしたり話をはぐらかしたりすること。孟子に問い詰められた梁の恵王が、左右を顧みて、無関係な別のことを言ったという故事から。
蛙の面に水(かえるのつらにみず)
どんなことをされても気にせず平気でいることのたとえ。蛙は顔に水をかけられても平気でいることから。
顔色を見る(かおいろをみる)
相手の表情から、その人の機嫌の善し悪しを察すること。 「顔色を見る」「顔色を読む」ともいう。
顔に紅葉を散らす(かおにもみじをちらす)
若い女性が恥ずかしさのあまり、まるで紅葉の葉を散らすように顔をぱっと赤くする様子。 単に「紅葉を散らす」ともいう。
顔を見せる(かおをみせる)
会合に出席したり、人を訪問したりすること。
屈み女に反り男(かがみおんなにそりおとこ)
女は少しうつむき加減にしている姿が良く、男は少し胸を張った反り加減の姿が良いということ。
鏡は女の魂(かがみはおんなのたましい)
鏡は女にとって魂といえるほど大切なものだということ。
隠れ蓑にする(かくれみのにする)
正体や目的を見破られないために、代わりの何かを用いること。 「隠れ蓑」は、鬼や天狗が持つとされる蓑(衣服の上から着る雨具)で、それを身につけると姿を隠すことができることから。
影も形も見えない(かげもかたちもみえない)
そこに人や物が存在していたことを示すものがまったくない。跡形もない。 「影も形も見えない」ともいう。
陽炎稲妻水の月(かげろういなずまみずのつき)
捕らえがたいもの、実体のないもののたとえ。 「陽炎稲妻月の影」ともいう。
籠で水を汲む(かごでみずをくむ)
苦労しても効果のないことのたとえ。籠で水を汲んでも、編み目から水が漏れて溜まらないことから。
風上にも置けない(かざかみにもおけない)
性質や行動が下品で卑劣な人間をののしっていう言葉。 悪臭のある物は臭くて困るので、風上に置くわけにはいかないとの意から。 「風上に置けない」ともいう。
霞に千鳥(かすみにちどり)
ふさわしくないことのたとえ。また、あり得ないことのたとえ。霞は春のもの、千鳥は冬の鳥であることから。
霞を食う(かすみをくう)
俗世間を超越した生き方をすること。 仙人が、霞を食べて生きていると言われたことから。
稼ぐに追い抜く貧乏神(かせぐにおいぬくびんぼうがみ)
いくら働いても貧しい人は貧乏から抜け出すことができないというたとえ。
稼げば身立つ(かせげばみたつ)
一生懸命働けば、貧乏に苦しむことはないというたとえ。 「稼ぐに貧乏追い付かず」「辛抱に追い付く貧乏なし」「稼げば身立つ」ともいう。
風に櫛り雨に沐う(かぜにくしけずりあめにかみあらう)
風雨にさらされて苦労することのたとえ。 風で髪をとかし、雨で体を洗うことから。 「櫛風沐雨」ともいう。
肩身が狭い(かたみがせまい)
世間に対して面目が立たず、恥ずかしい思いをすること。「肩身」は、世間や他人に対する面目の意。
肩身が広い(かたみがひろい)
世間に対して面目がたち、得意げにするさま。
筐の水(かたみのみず)
ものごとの当てにならないこと。また、ものごとが頼りにならないこと。 「筐(かたみ)」は、竹で細かく編まれた籠。 筐で水を汲んでもすぐに漏れてしまうことから。
渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず)
どんなに困っていても、断じて不正には手を出さないというたとえ。「盗泉」は、中国山東省にある泉の名。孔子はのどが渇いていても、その名を嫌って泉の水を飲まなかったという故事から。
癩の瘡うらみ(かったいのかさうらみ)
大差のないものを見てうらやむこと。また、愚痴をいうこと。 「癩」はハンセン病、「瘡」は梅毒のこと。 「うらみ」は「うらやみ」がなまって変わったもの。また、一説に恨みのこと。 ハンセン病の患者が梅毒の患者をうらやむの意から。 「江戸いろはかるた」の一つであるが、現代では別の語に差し替えられることもある。
渇に臨みて井を穿つ(かつにのぞみていをうがつ)
必要に迫られてから慌てて対処しても間に合わないことのたとえ。事前に適切な対策や準備をしておかなければならないということ。 のどが渇いてから、ようやく井戸を掘るとの意から。
活路を見出す(かつろをみいだす)
行き詰った状況から抜け出す方法を見つけること。 「活路」は、生きるための方法。
悲しい時は身一つ(かなしいときはみひとつ)
困ったり落ちぶれたりすると、他人は当てにならず、頼りになるのは自分だけだということ。「身一つ」は財産もなく自分の体だけという意。
叶わぬ時の神頼み(かなわぬときのかみだのみ)
普段は信仰心を持たない者が、事が叶わない時だけ、神様に祈って助けてもらおうとすること。
金の光は阿弥陀ほど(かねのひかりはあみだほど)
金の力が絶大であることのたとえ。 金銭は阿弥陀如来の威光にも匹敵するという意味から。
蚊の涙(かのなみだ)
きわめて量の少ないことのたとえ。 蚊が流す涙ほどである意。
壁に耳あり障子に目あり(かべにみみありしょうじにめあり)
どこで誰が見たり聞いたりしているかわからないので、話す内容には十分気をつけなくてはいけないという戒めの言葉。 密かに話しているつもりでも、壁に耳を当てて聞いたり、障子に穴をあけてのぞいたりしている者がいるかもしれないとの意から。 「壁に耳障子に目」「壁に耳」「壁に耳あり」「障子に目」などともいう。
噛み合う犬は呼び難し(かみあういぬはよびがたし)
何かに熱中していると、他から何を言われても耳に入らないことのたとえ。 いくら呼んでも、夢中で噛み合っている犬の耳には入らないとの意から。
神掛けて(かみかけて)
神様に誓って。 自分の言動などに偽りがないことを強調するときに言う言葉。
紙子着て川へはまる(かみこきてかわへはまる)
軽率な行いによって、自ら破滅を招くことのたとえ。 「紙子」は、渋柿を塗った紙で仕立てた衣服。 紙の服を着て川の中へ入るという無謀なことをいう。
神様にも祝詞(かみさまにものりと)
わかりきったことでも、黙っていては相手に通じないので、口に出して言うほうがよいというたとえ。 いくら神様でも、お祈りの言葉を聞かなければその人の願いは分からないとの意から。
裃を着た盗人(かみしもをきたぬすびと)
役人でありながら私腹を肥やす者のたとえ。
裃を着る(かみしもをきる)
礼儀正しさが、かえって堅苦しくなること。言動が堅苦しいさま。 「裃」は、江戸時代の武士の正装。
裃を脱ぐ(かみしもをぬぐ)
相手に対する警戒心がなくなり、気楽に打ち解けた態度をとること。 「裃」は、江戸時代の武士の正装。
剃刀の刃を渡る(かみそりのはをわたる)
非常に危険で、失敗したら身を損ない兼ねない行動をすること。
神ならぬ身(かみならぬみ)
全知全能の神ではない我が身。人間の能力には限界があるということ。
雷が落ちる(かみなりがおちる)
目上の人からひどく叱られること。
髪の毛を逆立てる(かみのけをさかだてる)
はげしく怒るさま。
神は正直の頭に宿る(かみはしょうじきのこうべにやどる)
正直で誠実な人には必ず神の助けがあるということ。
神は非礼を受けず(かみはひれいをうけず)
礼にはずれたことを願っても、神は聞き届けてはくれないということ。
神は見通し(かみはみとおし)
神様は人々のどんなに小さい行為でも見抜いているので誤魔化すことはできないということ。 「神様はお見通し」「天道様はお見通し」「天は見通し」「神仏は見通し」「仏は見通し」などともいう。
紙一重の差(かみひとえのさ)
差が極めてわずかなこと。 単に「紙一重」ともいう。
神も仏もない(かみもほとけもない)
困難な状況から救ってくれる神様も仏様もいないと嘆いていう言葉。
髪結い髪結わず(かみゆいかみゆわず)
日頃から仕事で使用しているものは、自分のためには使用しないということ。 また、他人の面倒を見るばかりで、自分のことには手が回らないこと。 「駕籠舁き」は、駕籠に人を乗せて運ぶことを職業にしている人。 駕籠舁きは、自分の駕籠には乗らないとの意から。
髪結いの亭主(かみゆいのていしゅ)
妻の稼ぎで養われている男のたとえ。 髪結いの女房をもつと、その稼ぎで、働かずに遊んで暮らせる意から。
髪を下ろす(かみをおろす)
頭髪を剃り落として尼僧になること。 「頭を下ろす」ともいう。
鴨の水搔き(かものみずかき)
気楽そうに見えても、人知れぬ苦労があることのたとえ。のんびりと浮かんでいるように見える鴨も、水の中では絶えず足で水を掻いていることから。
芥子は気短に搔かせろ(からしはきみじかにかかせろ)
からしは手早くかかないと辛みがぬけるので、気の短い者に勢いよくかかせろということ。
川に水運ぶ(かわにみずはこぶ)
むだなことのたとえ。
皮引けば身が付く(かわひけばみがつく)
密接な関係にあるものは、一方に何かが生じると他方にも影響が及ぶことのたとえ。 皮を引っ張れば、その下の肉も一緒に付いてくることから。 「皮引けば身が痛い」ともいう。
邯鄲の歩み(かんたんのあゆみ)
むやみに人の真似をしていると、自分本来のものも忘れて、どちらも失うことのたとえ。 中国燕の青年が、趙の都邯鄲で都会風の歩き方を習おうとしたが、習得できないばかりか故国の歩き方まで忘れてしまい、這って故郷へ帰ったという故事から。
堪忍は身の宝(かんにんはみのたから)
怒りを抑えたり痛みや苦しみをこらえたりすることができると、一生の宝を持っているように安らかで幸福に生きていくことができるので、生涯心がけていくべきであるということ。 「堪忍は身の宝」ともいう。
肝脳、地に塗る(かんのう、ちにまみる)
戦場で惨たらしい死に方をすることのたとえ。また、忠誠のために犠牲を惜しまないことのたとえ。 「肝脳」は肝臓と脳髄。 死者の肝臓や脳髄が地面に散らばって泥まみれになるとの意から。
餓鬼の目に水見えず(がきのめにみずみえず)
熱心になりすぎて捜し求めるものが身近にあっても気がつかないたとえ。「餓鬼」は餓鬼道におち飢えと渇きに苦しんでいる亡者。餓鬼は喉の渇きに苦しむあまり、近くにある水に気がつかない意から。
聞いた百文より見た一文(きいたひゃくもんよりみたいちもん)
人から百文の値打ちと聞かされるよりも、自分の目で見たほうが値打ちがあるということ。
聞いて極楽、見て地獄(きいてごくらく、みてじごく)
話に聞くのと実際に見るのでは大差があるというたとえ。
聞いてびっくり、見てびっくり(きいてびっくり、みてびっくり)
聞かされた話が意外であることにびっくりし、実際に見てみると聞いた話とまったく違うので、またびっくりすること。
気が短い(きがみじかい)
せっかちで、すぐに怒ったりいらいらしたりする性質のこと。
聞き耳を立てる(ききみみをたてる)
話や音をよく聞こうとして、注意を集中すること。
飢饉は海から(ききんはうみから)
海の不漁は飢饉の前兆であるということ。
聞くと見るとは大違い(きくとみるとはおおちがい)
人から聞いたのと実際に見るのとでは大きな違いがあるということ。
聞けば気の毒、見れば目の毒(きけばきのどく、みればめのどく)
聞けば聞いたで心を悩ませ、見れば見たで心を悩ませる。聞くもの見るものすべて煩悩の種となり気にかかるということ。
北に近ければ南に遠い(きたにちかければみなみにとおい)
一方に都合がよければ、他方には都合が悪いということのたとえ。また、あたりまえであることのたとえ。
来て見ればさほどでもなし富士の山(きてみればさほどでもなしふじのやま)
何事もおおげさに言われるもので、実際に見てみると想像していたほどのものではないことが多いというたとえ。 富士山はすばらしいと言われているけれども、来てみればそれほどの山ではなかったとの意から。
昨日は人の身、今日は我が身(きのうはひとのみ、きょうはわがみ)
人の運命は予測しがたく、他人にふりかかった災難が、いつ自分にもふりかかるかわからないということ。
気の毒は身の毒(きのどくはみのどく)
「気の毒」は自分の気持ちの毒になることの意で、心配事は身体に悪いということ。
君、君たらずと雖も臣は臣たらざるべからず(きみ、きみたらずといえどもしんはしんたらざるべからず)
主君が主君としての徳を持っていなくても、臣下は臣下としての道を守って忠義をつくさなければならないということ。
君、辱めらるれば臣死す(きみ、はずかしめらるればしんしす)
主君が恥辱を受けた時には、臣下は命を投げ出しても、主君の恥辱をすすがなければならないということ。