「ら」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「ら」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 66 件
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
いつ何が起こるかわからない、人生や世の中の無常をいった言葉。 桜の花が、明日も咲いているだろうと安心していると、夜中の嵐で散ってしまうかもしれないとの意から。 「夜半に嵐の吹かぬものかは」という句がこれに続く。
頭から(あたまから)
状況や事情などを考慮せず、一方的な態度をとるようす。
言う口の下から(いうくちのしたから)
言ったとたんに。言ったすぐあとから。
家柄より芋茎(いえがらよりいもがら)
良い家柄より、食べられる芋がらの方が値打ちがあるということ。「家柄」と「芋茎」の語呂合わせで、落ちぶれた名家をあざける言葉。
いざ鎌倉(いざかまくら)
重大事件が起こった場合をいう言葉。鎌倉時代、幕府に一大事が起こった時、諸国の武士が我先に馳せ参じたということから。謡曲「鉢木(はちのき)」にある言葉。
一張羅(いっちょうら)
所有している衣服の中で最も質の良いもの。
芋頭でも頭は頭(いもがしらでもかしらはかしら)
どんなに小さな集団の長でも、長にかわりはないということ。「芋頭」は里芋の球茎、親芋。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
どんなつまらないものでも、信じる心があれば尊く思われるということ。節分の夜、鰯の頭をひいらぎの枝に刺して門口に置くと鬼気を追い払うといわれてきたことから。
海魚腹から川魚背から(うみうおはらからかわうおせから)
海の魚は腹から、川の魚は背から裂くのがよいということ。
噂は遠くから(うわさはとおくから)
噂は事情を知っている人間からではなく、外部から生じることが多いということ。
お家がらがら(おいえがらがら)
家柄のよさを自慢する者を嘲笑する言葉。 「がらがら」は中身のないことの形容で、家柄の柄(がら)とかけたもの。
お先真っ暗(おさきまっくら)
将来の見通しがまったく立たないこと。
男心と秋の空(おとこごころとあきのそら)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男は妻から(おとこはめから)
男の出世や幸福は妻しだいだということ。
女心と秋の空(おんなごころとあきのそら)
秋の空模様のように、女性の心の変わりやすいということ。
火事場の馬鹿力(かじばのばかぢから)
切迫した状況に置かれると、普段なら考えられないようなすごい力を発揮するということのたとえ。火事の時に、ふつうでは持ち上げることのできないような重い物を動かす力が出ることから。
邯鄲の枕(かんたんのまくら)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
堪忍は一生の宝(かんにんはいっしょうのたから)
怒りを抑えたり痛みや苦しみをこらえたりすることができると、一生の宝を持っているように安らかで幸福に生きていくことができるので、生涯心がけていくべきであるということ。 「堪忍は身の宝」ともいう。
餓鬼に苧殻(がきにおがら)
まったく頼りにならないことのたとえ。「餓鬼」は餓鬼道におち飢えと渇きに苦しんでいる亡者、「苧殻」は皮をはいだ麻の茎。やせおとろえた餓鬼に苧殻を持たせても何の役にも立たないことから。
飢饉は海から(ききんはうみから)
海の不漁は飢饉の前兆であるということ。
聞けば聞き腹(きけばききばら)
聞かなければ知らずにすんだのに、聞いたばかりに腹立たしくなるということ。
木もと竹うら(きもとたけうら)
木は根元のほうから、竹は先のほうから割るとうまく割れるということ。物事にはやりやすい方法や順序があるというたとえ。「うら」は、「末」で先の方の意。
器用貧乏人宝(きようびんぼうひとだから)
器用な人は人の役に立って重宝がられるが、その人自身は大成せずに貧乏しているということ。 「細工貧乏人宝」「職人貧乏人宝」「巧者貧乏人宝」などともいう。
口の下から(くちのしたから)
言ったとたんに。言ったすぐあとから。
食わず貧楽高枕(くわずひんらくたかまくら)
貧しい暮らしでも、気楽で穏やかに暮らしていることのたとえ。
子三人、子宝(こさんにん、こだから)
子どもは三人ぐらいが理想的で、子宝というのにふさわしいということ。
財は一代の宝(ざいはいちだいのたから)
財産はその人一代限りのものであり、その後はどうなるかわからないということ。
正直は一生の宝(しょうじきはいっしょうのたから)
正直者は人から信頼され、それによって成功や幸福を手にすることができる。正直こそ一生を通じて大切に守るべき宝だというたとえ。
信心も欲から(しんじんもよくから)
信心も、結局はよいご利益を欲するためということ。
十七八は藪力(じゅうしちはちはやぶぢから)
男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。
関ヶ原(せきがはら)
勝敗や運命が決まる大事な戦いや場面のたとえ。岐阜県南西端の地名で、ここで慶長五年(1600年)に石田三成らの西軍と徳川家康の東軍が天下を争って戦ったことから。
世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)
厳しい現実も知らずに、のんびり平然と暮らしている人を皮肉っていう言葉。
背より腹(せよりはら)
大事のためには、犠牲を払うのもやむを得ないというたとえ。 腹には大切な臓器が詰まっており、その腹を守るためであれば背中が犠牲になってもやむを得ないとの意から。 「背より腹」ともいう。
先祖に討ち死にさせて高枕(せんぞにうちじにさせてたかまくら)
先祖が戦いで手柄を立てて討ち死にし、財産を残してくれたおかげで、子孫が安楽に暮らしているということ。家代々の資産で安逸な生活をおくっている者をあざけっていう言葉。「高枕」は、安心しきっていることのたとえ。
千の蔵より子は宝(せんのくらよりこはたから)
たくさんの財産よりも子どもの方が大切だということ。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
わずかな油断や不注意が元で大事を引き起こすというたとえ。 千里の堤防も蟻の穴が原因で崩れることもあるとの意から。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
鯛の尾より鰯の頭(たいのおよりいわしのかしら)
大きな集団の最後についているよりも、たとえ小さな集団でもその先頭に立つほうがいいというたとえ。
竹に油(たけにあぶら)
口が達者なこと、よくしゃべることのたとえ。また、若々しくて美しいことのたとえ。 つるつるしている竹に油を塗るとさらによく滑ることから。 単に「竹に油」ともいう。
他事ながら(たじながら)
「あなたには直接関係のないことですが」の意。 手紙で自分の出来事や様子などを述べるときに用いる語。
駄賃馬に唐鞍(だちんうまにからくら)
つり合わない飾りや装いのたとえ。 つまらないものが、身分不相応に華やかに飾り立てられること。 「唐鞍」は、儀式用のきらびやかな馬具。唐風の鞍。 荷物を運ぶだけの駄賃馬に、儀式用の豪華な鞍をつけることから。
知恵は万代の宝(ちえはばんだいのたから)
すぐれた知恵は後世まで役立つ宝であるということ。
ちゃんちゃんばらばら(ちゃんちゃんばらばら)
刀で斬り合う音や様子。または、けんか。乱闘。
月の影取る猿(つきのかげとるましら)
自分の能力をわきまえず、欲張ったまねをして失敗することのたとえ。 猿が水に映った月を取ろうとしたとき、枝が折れ水に落ちて溺れ死んだという故事から。 「猿猴が月」「水の月取る猿」「月の影取る猿」ともいう。
手は一生の宝(てはいっしょうのたから)
文字を巧みに書くことは、一生の宝だということ。
尊い寺は門から(とうといてらはもんから)
尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。
年寄りは家の宝(としよりはいえのたから)
経験の豊かな年寄りは何でもよく知っていて、家の宝のような存在だということ。
富は一生の宝、知は万代の宝(とみはいっしょうのたから、ちはばんだいのたから)
財産は一代限りの宝であるが、すぐれた知恵は後世の人にも役立つ宝であるということ。
土用布子に寒帷子(どようぬのこにかんかたびら)
物事が逆さまであること。また、季節はずれで役に立たないことのたとえ。 「帷子」は裏地をつけない夏物の衣類、「布子」は木綿の綿入れのこと。 冬の寒い時に単衣の帷子を着て、夏の暑い時に綿入れを着るということから。 「土用布子(綿入れ)に寒帷子」「夏布子の寒帷子」ともいう。
握れば拳、開けば掌(にぎればこぶし、ひらけばてのひら)
たとえ同じものでも、気持ちや状況次第で変化することのたとえ。 手を握ると人を殴る拳になり、手を開けば人をなでる掌(てのひら)になるとの意から。
憎い憎いはかわいいの裏(にくいにくいはかわいいのうら)
男女間の愛情表現は、わかりにくく微妙なもので憎いという表現も、裏を返せば、かわいいと言っている場合もあるということ。
はやる芝居は外題から(はやるしばいはげだいから)
内容も大切だが、まずは見た目が良くなければならないということ。 人々の話題になるような芝居は、題名からして人をひきつけるものであるとの意から。
張子の虎(はりこのとら)
虚勢を張って、空威張りする人。また、首を振る癖がある人。張子の虎は、虎の形をしていても中が空洞だから恐くもなんともないし、首を振り動かすしくみのおもちゃであることから。
弁当は宵から(べんとうはよいから)
何事も準備は早めのほうがよいということ。 何が起こるかわからないから、翌日に必要な弁当も前日の夕方から準備しておくべきであるとの意から。
頬は面(ほおはつら)
呼び方は違っても、実質的には同じものであるということ。 「頬は面(つら)」ともいう。
牡丹に唐獅子、竹に虎(ぼたんにからじし、たけにとら)
絵になる取り合わせのよいもののたとえ。
水と油(みずとあぶら)
水と油が混じり合わないように、二つのものが調和しないこと。互いに性質が合わないこと。
三日見ぬ間の桜(みっかみぬまのさくら)
桜の花があっという間に散ってしまうように、世間の移り変わりは激しいものだということ。 もとは江戸時代の俳人大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から。 この句は「桜が散ってしまうこと」ではなく「桜が咲きそろうこと」を詠んだもの。 単に「三日見ぬ間の桜」ともいう。
蛻の殻(もぬけのから)
人が抜け出たあとの住居や寝床のたとえ。「蛻」は蛇や蝉が脱皮することで、その抜け殻の意から。
物は祝いがら(ものはいわいがら)
縁起が悪いとされていることでも、やり方や言い方を変えれば、めでたく祝えるようになるということ。
藪の中の荊(やぶのなかのうばら)
人は悪い仲間と交流していると、悪い人間になってしまうというたとえ。 「荊」は、いばらのこと。 藪の中のいばらは、他の草木に邪魔されて真っ直ぐには育たないとの意から。
病は気から(やまいはきから)
病気は心の持ち方しだいで良くも悪くもなるということ。
よい花は後から(よいはなはあとから)
優れたものは後から現れるということ。 はじめに咲く花より、後から咲く花のほうが美しいという意味から。
嫁は下から婿は上から(よめはしたからむこはうえから)
婿は自分の家より家柄がよい家から貰うと家の格が上がり、嫁は自分の家より低い家柄から貰うと威張らずによく働くので家のためによいということ。 「婿は大名から貰え嫁は灰小屋から貰え」「嫁は下から婿は上から」ともいう。
老化は足から(ろうかはあしから)
老化現象は、足の痛みやもつれなど、足に関する症状から現れるということ。
禍は口から(わざわいはくちから)
うっかり言ってしまった言葉が災いを招くこともあるため、口は慎まなければならないという戒め。 「口は禍の門」「禍は口から」ともいう。
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