「死亡」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 127 件
「死亡」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全127件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
青柿が熟柿弔う(あおがきがじゅくしとむらう)
人間はいつか必ず死ぬのだから、弔う者も弔われる者も大差ないというたとえ。まだ青い柿が、熟して地面に落ちた柿を弔うが、青柿もやがては熟柿になることから。
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる(あしたにこうがんありてゆうべにはっこつとなる)
無常のこの世では、人の生死は予測できないということ。 朝血色のよい顔をしていた人が、夕方には死んで白骨となるという意味から。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
あだし野の露、鳥辺野の煙(あだしののつゆ、とりべののけむり)
人生の無常、はかなさのたとえ。 「あだし野」は、京都の嵯峨野にあった墓地。 「鳥辺野」は、京都の東山にあった火葬場。 人生を、はかなく消える墓地の露と火葬場の煙にたとえた言葉。 「あだし野」は「仇野」「徒野」、「鳥辺野」は「鳥部野」とも書く。 「鳥辺野」は「鳥部山」ともいう。
後の雁が先になる(あとのかりがさきになる)
後から来た者が、先の者を追い抜いてしまうこと。また、年上の者より年下の者が先に死んだ時にも使う。列をなして飛ぶ雁行のようすから。「雁」は「がん」とも読む。
跡を追う(あとをおう)
追い掛ける。また、亡くなった人への思慕から自ら命を絶つこと。
在りての厭い、亡くての偲び(ありてのいとい、なくてのしのび)
生きている間は悪いところばかり目について疎ましかった人が、いざ亡くなってみると今度は良いところばかり思い出されて、恋しくなるということ。
異域の鬼となる(いいきのおにとなる)
外国で死ぬこと。「異域」は外国、「鬼」は死者の意。
生きている犬は死んだライオンに勝る(いきているいぬはしんだらいおんにまさる)
どんな偉人でも死んでしまってはおしまいだから、凡人でも生きている方がいいということ。
息の根を止める(いきのねをとめる)
殺す。また、二度と立ち直れないように、徹底的に打ち負かす。
生き身は死に身(いきみはしにみ)
この世に生きているものは、いつかは必ず死ぬものであるということ。
生きるべきか死すべきかそれが問題だ(いきるべきかしすべきかそれがもんだいだ)
生きるか死ぬか、どちらの方法を選ぶべきなのかなど、選択すべき状況で思い悩む気持ちを表す言葉。 父を殺した叔父に復讐すべきかどうか決めかねた王子が、ひとり胸のうちを口にする場面の科白から。
息を引き取る(いきをひきとる)
死ぬ。呼吸が止まる。
一度死ねば二度死なぬ(いちどしねばにどしなぬ)
人間死ぬのは一度きりと、事に当たる時決死の覚悟を決めて自分自身に言い聞かせることば。
一命を取り止める(いちめいをとりとめる)
あやうく死にそうなところで、かろうじて生き延びられる。
一巻の終わり(いっかんのおわり)
一巻からなる物語が終了すること、転じて死ぬこと。または、手遅れであること。 活動写真の弁士(上映の進行を説明する人)が上映の終わりに言う決まり文句。
命は鴻毛より軽し(いのちはこうもうよりかろし)
守るべき筋の重さの前には、一身の生き死になど後回しになる。 同じ死でも、その場面によって値打ちがまるで違うとする。
今際の際(いまわのきわ)
臨終の時。死に際。
今際の念仏誰も唱える(いまわのねんぶつだれもとなえる)
不信心な人でも、死に際には念仏を唱えて仏にすがるということ。
引導を渡す(いんどうをわたす)
最終的な宣告をして相手をあきらめさせること。 また、相手の命がまもなくなくなることをわからせること。 「引導」は、葬式の際、死者の霊を極楽浄土に導くために僧が経文や仏語を唱えること。 その引導を授けるの意から。
お陀仏になる(おだぶつになる)
死ぬこと。また、物事が途中でだめになること。 阿弥陀仏を唱えて往生するとの意から。
落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)
たどってきた道筋がどれほど隔たっていても、終いには互いを見分けられなくなる。 また、位の高下も懐の厚薄も、命が終われば残らない。 「雨霰雪や氷と隔つらん落つれば同じ谷川の水」という一休の歌の下の句から。 「落つれば同じ谷川の水」「解ければ同じ谷川の水」ともいう。
お迎えが来る(おむかえがくる)
死期が近づくこと。あの世へ行くこと。 仏が浄土から迎えに来るとの意から。
海中より盃中に溺死する者多し(かいちゅうよりはいちゅうにできしするものおおし)
海で溺れて死ぬ人より酒の飲みすぎで死ぬ人の方が多いということ。
帰らぬ人となる(かえらぬひととなる)
死ぬこと。亡くなること。
火事と葬式に行けば勘当もゆりる(かじとそうしきにいけばかんどうもゆりる)
火事や葬式の時にわびに行って手伝えば、勘当された者も許されるということ。「ゆりる」は、許されるという意。
餓えて死ぬは一人、飲んで死ぬは千人(かつえてしぬはひとり、のんでしぬはせんにん)
餓えて死ぬ人間は少ないが、酒の飲みすぎが原因で死ぬ人間は非常に多いということ。
門松は冥土の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)
正月ごとに立てるあの飾りは、行き着く先までの道のりを一区切りずつ数える標でもある。 一休の狂歌とされ、「めでたくもありめでたくもなし」と続けていう。 「冥土」はあの世、「一里塚」は、どこまで来たかを知らせる道しるべとして街道に築かれた塚。
金は命の親、命の敵(かねはいのちのおや、いのちのかたき)
金によって命を助けられることもあれば、逆に命を落とすこともあるというたとえ。
棺桶に片足を突っ込む(かんおけにかたあしをつっこむ)
死期が迫っていることのたとえ。
肝脳、地に塗る(かんのう、ちにまみる)
戦場で惨たらしい死に方をすることのたとえ。また、忠誠のために犠牲を惜しまないことのたとえ。 「肝脳」は肝臓と脳髄。 死者の肝臓や脳髄が地面に散らばって泥まみれになるとの意から。
棺を蓋いて事定まる(かんをおおいてことさだまる)
息のあるあいだは、その人への見方が高くも低くも振れて据わらない。幕が下りたところで、一生ぶんの重さがはじめて形になる。
鬼籍に入る(きせきにいる)
死亡すること。「鬼籍」は寺で、檀家の死者の氏名などを記録する名簿のことで、それに記入される意から。
九死に一生を得る(きゅうしにいっしょうをえる)
まず生きて戻れまいという瀬戸際を切り抜けて、辛くも生き延びること。 「九死」は十のうち九まで死に傾いていること。残る一つの目に賭けて助かる意。
今日あって明日ない身(きょうあってあすないみ)
人の命のはかないことや、人生の無常なことのたとえ。 また、死期が迫っていることのたとえ。
巨星墜つ(きょせいおつ)
偉大な人物が死ぬことのたとえ。「巨星」は、輝かしい業績をあげた偉大な人物の意。
魚腹に葬らる(ぎょふくにほうむらる)
海や川で水死するたとえ。 海や川で溺れ死んで魚の餌となり、その腹に葬られるとの意から。
孔丘盗跖、倶に塵埃(こうきゅうとうせき、ともにじんあい)
聖人と呼ばれた孔子も、名うての盗賊も、死ねば等しく土くれに戻る。 身分や善悪の隔ては生きている間のものにすぎない、という詠嘆。 杜甫が「酔時歌」でうたった句から。孔丘は孔子、盗跖は春秋時代の大盗賊の名。
黄泉の客(こうせんのきゃく)
この世を去った人のこと。 「黄泉」はもともと地の底を流れる泉を指し、そこがあの世と考えられた。死者はその地へ招かれた客、という見立てである。
最後は人の嗜み(さいごはひとのたしなみ)
人は死ぬときにこそ、日頃の心がけがもっともよく現れるということ。
最期を遂げる(さいごをとげる)
息を引き取るまでの一部始終を、その人らしい終わり方として言うときの形。 「壮絶な」「非業の」など、幕切れの様子を表す語を前に置いて使う。
簀を易う(さくをかう)
学徳にすぐれている人の死を敬っていう言葉。 「簀」は、寝台の上に敷くむしろ。 中国の孔子の弟子の曽子が、死の間際に大夫用の簀は自分には相応しくないとして質素な簀に変えさせたという故事から。 「易簀」ともいう。
去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)
死んだ人は、月日が経つとだんだんと忘れられていく。また、親しくしていた人も、遠く離れてしまうとしだいに疎遠になるということ。
死しての千年より生きての一日(ししてのせんねんよりいきてのいちにち)
死んでからの千年より、この世での一日のほうが大事だということ。
死屍に鞭打つ(ししにむちうつ)
もう口をきけない相手の落ち度を、あとから声高に並べ立てること。 応じる者のいない場所で咎めるので、聞く側には後味の悪さが残る。 楚の平王に父と兄を殺された伍子胥が、のちに都を落としたとき、すでに葬られていた王を墓から引き出して鞭を振るったという故事から。 「屍に鞭打つ」「死者に鞭打つ」ともいう。
死生、命あり(しせい、めいあり)
人の生死は天命によるもので、人の力ではどうすることもできないということ。「死生」は、死ぬことと生きること。
死線をさまよう(しせんをさまよう)
生きるか死ぬかの危険な状態が続くこと。
舌の剣は命を絶つ(したのつるぎはいのちをたつ)
舌は刃物と同じで、そこから放たれた一言が人の命さえ奪いかねないということ。 刃を交えずに人を倒してしまうものだけに、口の利きようには重々気を配らねばならない。
四大空に帰す(しだいくうにきす)
肉体が消滅すること。死ぬこと。肉体が四大に戻るという意味から。 「四大」は地・水・火・風のことで、仏教ではこれによって肉体が構成されているということから肉体という意味。
死に花を咲かせる(しにばなをさかせる)
死に際が立派で、名誉を死後に残すこと。
死に水を取る(しにみずをとる)
死ぬまで世話をすること。死ぬ間際の人の唇を水で濡らすということから。
死に別れより生き別れ(しにわかれよりいきわかれ)
死に別れもつらいが、生き別れのほうがもっとつらいということ。
死人に口なし(しにんにくちなし)
もう物を言えない相手には、どんな筋書きでも押しつけられる。反証の出しようがないのをいいことに、都合の悪いところをそちらへ回してしまう場合にいう。
死ぬ死ぬと言う者に死んだ例なし(しぬしぬというものにしんだためしなし)
死ぬ死ぬと言う者にかぎって、本当に自殺する者はいないということ。
死ぬ者貧乏(しぬものびんぼう)
生きてさえいれば、どんな幸運にめぐり合うかもしれないのに、死んでしまってはどうにもならない。死んだ者が一番損だということ。
死ぬる子は眉目よし(しぬるこはみめよし)
早死にする子にかぎって器量がよく、ふびんで惜しまれるということ。
死ぬるばかりは真(しぬるばかりはまこと)
世間には偽りが満ちていて何一つ確かなものは無いように見えるが、人がいつか死ぬことだけは誰にも動かせない。 嘘の通らないただ一つのこととして、死を持ち出したのである。
死ねば死に損、生くれば生き得(しねばしにぞん、いくればいきどく)
生きていればいつか幸運にめぐり合うかもしれないから生き得と言えるが、死ねばそれで終りだから死に損である。人は生きていなければどうにもならないということ。
死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し(しはあるいはたいざんよりおもく、あるいはこうもうよりかろし)
人の死には、山のように重いものと、羽毛のように軽いものとがある。何のために命を投げ出すのかによって、その重みは大きく隔たるということ。 「泰山」は中国山東省にそびえる名山、「鴻毛」はおおとりの羽毛。重さの両極を持ち出して言い分けたものである。
首足処を異にす(しゅそくところをことにす)
胴を断たれて命を絶たれること。刑場で処せられる、むごい最期を指した古い言い方。
生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)
命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるということ。
白髪は冥土の使い(しらがはめいどのつかい)
年をとって増えてくる白髪は、死が近づきつつある証拠であるということ。
死を鴻毛の軽きに比す(しをこうもうのかるきにひす)
大義の前では、おのれの一命など物の数に入れない。 ためらわず身を投げ出す姿勢をさす。
身首処を異にす(しんしゅところをことにす)
首と体が離れること。首を切られること。 「処」は「所」とも書く。
死んだ子は賢い(しんだこはかしこい)
死んでしまった子は良い所だけが思い出され、親の記憶の中ではいつまでも賢いということ。
死んだら褒められる(しんだらほめられる)
生前悪評のあった人でも、死んでしまうと懐かしがられ、褒められるようになるということ。
死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか)
人間死んでしまえば万事おしまいである。どんな状況にあっても、生きていればこそいいこともあるということ。死んだ木に花が咲いたり実がなったりしないことから。
銃弾に倒れる(じゅうだんにたおれる)
銃弾に当たって死ぬこと。
末の露、本の雫(すえのつゆ、もとのしずく)
人間の命には多少の長い短いの差はあるが、いつかは必ず死が訪れるということ。 人の命のはかなさをいう言葉。 葉末の露も、根元から落ちる雫も、早い遅いはあっても、やがてどちらも消えてしまうとの意から。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
息をするものはみな、いつかその終わりの日を迎える。 逃れる道のない定めとして、命の限りを言い切った言葉。
生は難く、死は易し(せいはかたく、しはやすし)
苦しみに耐えて生きるのは難しいが、苦しみに耐えられず死を選ぶのは容易であるということ。
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
生は死の始め(せいはしのはじめ)
この世に生まれる時は、死に向かう道のりの始まりでもあるということ。
生を偸む(せいをぬすむ)
死ぬべき時に死なずに恥を忍んで生きながらえること。また、何もせず、ただいたずらに生きていること。「生」は生命・生活、「偸む」は貪るという意。
葬礼九つ酒七つ(そうれいここのつさけななつ)
葬儀は昼の十二時頃、酒宴は午後四時頃に行うのが習わしだということ。
即時一杯の酒(そくじいっぱいのさけ)
死んでから受ける名誉より、今すぐ飲める一杯の酒のほうがありがたいということ。
斃れて後、已む(たおれてのち、やむ)
命がある限り精一杯努力し続けること。 死んではじめてやめるとの意から。
畳の上で死ぬ(たたみのうえでしぬ)
事故死や変死などではなく、自分の家で穏やかに死ぬ。
旦夕に迫る(たんせきにせまる)
危機が間近に迫っている様子。 「旦夕」は朝晩のこと。 この朝か晩かというほどに危機が迫っているとの意から。 多く、「命(めい)旦夕に迫る」の形で、死期が間近に迫っている様子を表す。
荼毘に付す(だびにふす)
死者を火葬にする。 「荼毘」は、火葬を表す仏教用語。
断末魔(だんまつま)
死に際。また、息を引き取るまぎわの苦しみのこと。「末魔」は仏教語で、何かがこれに触れると必ず死ぬという身体内にある特殊な急所で、そこを断つということから。
終の住処(ついのすみか)
死ぬまで住むと決めた場所。
土に還る(つちにかえる)
命が尽きて、体が大地に溶けていくこと。人の死をやわらげて言うときに使う。
土になる(つちになる)
体が分解されて土に変わること。死ぬこと。 「土となる」ともいう。
冷たくなる(つめたくなる)
命がなくなること。死ぬこと。 または、愛情がさめて思いやりがなくなること。
露の命(つゆのいのち)
草の葉に置いた露は、風にひと揺すりされただけでこぼれ落ちる。 そのように、いつ絶えてもふしぎのない、あすをあてにできない命のこと。
手に掛かる(てにかかる)
ある人に直接取り扱われること。 または、殺されること。
手に掛ける(てにかける)
自分で実際に物事を行うこと。特に人を殺すことをいう。
天寿を全うする(てんじゅをまっとうする)
長生きして老衰によって自然に死ぬこと。寿命が尽きて死ぬこと。
出る息、入る息を待たず(でるいき、いるいきをまたず)
人の命ははかなく、いつどうなるかわからないということ。 吸った息を吐き出すくらいの一瞬の間にも、人の命はどう変わるかわからないとの意から。
屠所の羊(としょのひつじ)
屠殺場に引かれていく羊のように、刻々と死期が近づいてくることのたとえ。また、打ちひしがれて気力をなくしていることのたとえ。
虎は死して皮を留め、人は死して名を残す(とらはししてかわをとどめ、ひとはししてなをのこす)
虎は死後立派な皮を残して珍重され、人は死後その功績により名声が語り継がれるということ。 「虎」は「豹」、「留め・留む」は「残し・残す」ともいう。
鳥の将に死なんとする、その鳴くや哀し(とりのまさにしなんとする、そのなくやかなし)
終わりが近い生き物の声は、聞く者の耳に長く残る。 「人の将に死なんとする、その言や善し」と対をなし、去り際に出る言葉には飾りがないと説く。 病の床にあった曾子が、見舞いの相手に向けて引いた一節。
毒を仰ぐ(どくをあおぐ)
自らの意思で毒を一気に飲むこと。
永い眠りにつく(ながいねむりにつく)
死ぬことを眠りに見立てた婉曲(えんきょく)表現。直接的な死の表現を避け、穏やかな眠りにたとえることで、故人への哀悼と慎ましさを表す。
亡き数に入る(なきかずにいる)
死んだ人の仲間になること。死亡すること。
亡き者にする(なきものにする)
この世から消してしまうこと。殺すこと。 「亡き」は「無き」とも書く。
二鼠藤を嚙む(にそふじをかむ)
この世に生きる人間には刻々と死期が近づいていることのたとえ。 「二鼠」は日月(昼夜)の意。 「藤」は生命の意。 「嚙」は「噛」とも書く。
灰になる(はいになる)
物が燃え尽きて形がなくなること。また、人が亡くなって火葬され骨と灰だけになることや、比喩的に持っている力を出し尽くして気力がなくなる様子を指す。
伯牙、琴を破る(はくが、ことをやぶる)
心の通じ合った無二の親友と死別して悲観にくれるたとえ。中国、春秋時代に琴の名手の伯牙が、その琴の音を理解してくれた友人鐘子期の死後、二度と琴を弾かなかったという故事から。
白玉楼中の人となる(はくぎょくろうちゅうのひととなる)
文人が死ぬことのたとえ。 「白玉楼」は文人が死後に行くといわれる白玉造りの高楼のことで、その中の人となるとの意から。
白鳥の歌(はくちょうのうた)
人が亡くなる直前に、人生でもっとも優れた仕事や作品を残すこと。また、その最後に残された作品。 白鳥は死の直前に、最も美しい声で歌うという言い伝えに由来する。
日、西山に薄る(ひ、せいざんにせまる)
年老いて、死期が間近に迫っていることのたとえ。太陽が西の山に今にも沈もうとしている意から。
羊の歩み(ひつじのあゆみ)
一足ごとに終わりへ近づいていく足取り。転じて、押しとどめようもなく過ぎ去る歳月。屠所へ送られる羊の歩みに人の一生を映した仏典の言葉。
人手に掛ける(ひとでにかける)
自分では手を下さず、別の者にその始末をさせる。多くは人を殺めさせる意で使い、育てる役を他人へ預ける意にもなる。
人の将に死なんとするその言や善し(ひとのまさにしなんとするそのげんやよし)
もはや取り繕う相手も先もない者の言葉には、飾りが残らない。 最期の一言だけは、聞くに値するものになる。
人は一代、名は末代(ひとはいちだい、なはまつだい)
人のからだは死ねば滅びてしまうが、その人の名は後世にまで残るので、死後に名前を残すような立派なことをせよということ。
百歳の後(ひゃくさいののち)
人の死んだ後。人の死後。 百歳を越えることは稀との意から。
不帰の客となる(ふきのきゃくとなる)
死ぬこと。「不帰」は、再び帰ってこないこと。
仏になる(ほとけになる)
息が絶えて、この世の側から拝まれる側へ移ること。亡くなった人をそのまま「仏」と呼ぶ言い習わしに沿った形で、死をじかに口にせずに済む。
骨になる(ほねになる)
亡骸が焼かれ、遺骨だけの姿になること。人が死ぬことを遠回しにいう。 遠い土地で命を落とした者が、遺族のもとへ帰り着く場面にも使う。
骨を埋むとも名を埋めず(ほねをうずむともなをうずめず)
亡骸は墓の土に隠せても、その人の名までは土に隠せないということ。 書き遺したものが世にあるかぎり、名は消えないという意。 白居易が亡き友の詩文集に寄せた詩「故元少尹集の後に題す」から。
骨を埋める(ほねをうずめる)
その地で死ぬこと。 または、一つの物事に生涯を捧げること。
菩提を弔う(ぼだいをとむらう)
死者の冥福を祈ること。また、そのための仏事などを行うこと。
身を投げる(みをなげる)
自らの身を高所や水中に投げ出すこと。主に投身自殺を指す。 また、比喩的に、ある物事に全力で取り組み、身を犠牲にする意でも用いられる。
虫の息(むしのいき)
呼吸が弱弱しくて今にも止まりそうなようす。
無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
風が咲いている花を散らすのに時を選ばないように、人の命もいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。
命旦夕に迫る(めいたんせきにせまる)
死期が間近に迫っている様子。 「旦夕」は朝晩のこと。 命の終わりがこの朝か晩かというほどに迫っているとの意から。
冥土の道には王なし(めいどのみちにはおうなし)
現世での身分の上下、貧富の差は、死ねばいっさい無くなるということ。また、死は誰にも等しく訪れるということ。「冥土」は「冥途」とも書き、死者の霊魂が行くという世界のこと。
冥土の土産(めいどのみやげ)
もう思い残すことはないと感じられるほどの、うれしい出来事や見聞。
命は天に在り(めいはてんにあり)
授かった生涯の長さは初めから決まっていて、こちらの手では延ばせない。 病を得た者にどれだけ手を尽くしても、その区切りまでは動かせないという見方。
藻屑となる(もくずとなる)
海で死ぬこと。海上の事故などで死ぬこと。
刃に掛かる(やいばにかかる)
刃物によって命を奪われること。
焼けたあとは立つが死んだあとは立たぬ(やけたあとはたつがしんだあとはたたぬ)
家は焼けてもまた建てられるが、一家の主を失えば、暮らしそのものが立ち行かなくなるということ。 焼けた物は取り返しがつくのに、人の命だけは取り返せない。
幽明境を異にする(ゆうめいさかいをことにする)
死に別れること。 「幽」はあの世。「明」はこの世。 死んであの世とこの世の境界を越え、別々になるという意味から。 「幽明処を隔つ(ゆうめいところをへだつ)」ともいう。
世を去る(よをさる)
この世から去る。死ぬ。
世を背く(よをそむく)
出家する。また、死ぬ。
