「い」を含む故事・ことわざ・慣用句
「い」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2678 件
旭日昇天の勢い(きょくじつしょうてんのいきおい)
天に昇る朝日のように、勢いが盛んなようす。「旭日」は、朝日の意。
曲水の宴(きょくすいのえん)
平安時代、陰暦の三月三日の節句に宮中で行われた行事の一つ。庭園の曲水に臨んで座し、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、その杯を取って酒を飲むという遊び。「ごくすいのえん」とも読む。
巨星墜つ(きょせいおつ)
偉大な人物が死ぬことのたとえ。「巨星」は、輝かしい業績をあげた偉大な人物の意。
虚勢を張る(きょせいをはる)
実力のない人が自分の弱さを隠すために、うわべだけ威勢よく振舞ったりすること。から威張りをすること。
清水の舞台から飛び降りる(きよみずのぶたいからとびおりる)
思い切った大きな決断し、覚悟を決めて物事を行うことのたとえ。 「清水の舞台」は、京都の清水寺にある、山の斜面にせり出すように造られた観音堂の舞台のこと。 その舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行することから。
嫌いは知らぬの唐名(きらいはしらぬのからな)
負け惜しみの強い人は「知らない」とは言いたくないので、「嫌い」と言ってごまかすというたとえ。「唐名」は、別名の意。
機を逸する(きをいっする)
ある事をおこなうのにちょうどよい機会を逃すこと。
軌を一にす(きをいつにす)
やり方や立場が同じであること。 「軌」は、車輪の跡のこと。 車の通った跡が同じとの意から。
気を入れる(きをいれる)
やる気をだして物事に取り組むことのたとえ。
木を見て森を見ない(きをみてもりをみない)
小さいことに気を取られて、全体を見ないことのたとえ。
錦衣を着て故郷に帰る(きんいをきてこきょうにかえる)
立派な着物を着ること。転じて、成功して晴れがましい姿で故郷に帰ること。 単に「錦を飾る」、また「錦衣を着て故郷に帰る」ともいう。
槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)
栄華が長続きしないことのたとえ。 「槿花」は、むくげの花。 朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうむくげの花のように、はかない栄華との意から。 「槿花一朝の夢」ともいう。
琴瑟相和す(きんしつあいわす)
夫婦の仲が非常によいたとえ。「瑟」は、大琴。琴と大琴の合奏は音がよく調和することから。
金的を射落とす(きんてきをいおとす)
誰もがあこがれるものを、自分のものにすること。 「金的」は、金色の弓の的。 小さい的のため射落とすことが難しいことから、あこがれの的を意味するようになった。 「金的を射当てる」「金的を射止める」ともいう。
金時の火事見舞い(きんときのかじみまい)
飲酒などで真っ赤になった顔のたとえ。「金時」は、源頼光の四天王の一人、坂田金時のこと。赤ら顔の金時が火事見舞いに行くと、ますます赤くなることから。
勤勉は成功の母(きんべんはせいこうのはは)
勤勉こそ成功を生み出す根本だということ。
犠牲を払う(ぎせいをはらう)
目的を果たすために、命や大事なものを失ったりすること。
義理が悪い(ぎりがわるい)
付き合い上、相手に対してしなければならないことをしていないため、体裁が悪いこと。
株を守りて兎を待つ(くいぜかぶをまもりてうさぎをまつ)
古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり、進歩や向上がないことのたとえ。 中国・宋の農民が農作業をしていると、兎が木の切り株にぶつかって死んだ。農民は労せず兎を手に入れることができたその経験以来、農作業をせずに毎日切り株を見張っていたという故事から。 「守株」ともいう。
食い足りない(くいたりない)
物事の内容が不十分で、不満のあるさま。 食べても食べても満足できないとの意から。
食い溜め寝溜めは何にもならぬ(くいだめねだめはなんにもならぬ)
余分に食べたり寝たりしても、時間が経てば腹も空くし眠くもなるので無駄であるということ。
食い付き馬に乗ったよう(くいつきうまにのったよう)
危険なことをやめることができないたとえ。 食いつく癖のある馬に乗ると、乗っているのも危ないが、降りると馬に食いつかれるので降りられないとの意から。
食いつく犬は吠えつかぬ(くいつくいぬはほえつかぬ)
自信や実力のある者はむやみに騒ぎ立てたりしないというたとえ。 臆病な犬はむやみに吠えるが、強い犬はむやみに吠えたりせず行動に出るということから。
食い物と念仏は一口ずつ(くいものとねんぶつはひとくちずつ)
食べ物は一口ずつでもみんなで分け合って食べたほうがよいということ。また、念仏は一人が一口ずつ唱えてもご利益があるということ。 「食い物」は「食べ物」ともいう。
食うことは今日食い、言うことは明日言え(くうことはきょうくい、いうことはあすいえ)
食べ物は早く食べたほうがおいしく味わえるが、ものを言うのはよく考えてからのほうが賢明だということ。
空腹は最上のソース(くうふくはさいじょうのそーす)
空腹の時は何を食べてもおいしいということ。
食えない(くえない)
ずるがしこく、気を許すことができない。油断ができない。
「―人だ」臭い飯を食う(くさいめしをくう)
刑務所にはいること。 刑務所の飯が臭かったことから。
臭い物に蓋をする(くさいものにふたをする)
人に知られて困る悪事や醜聞などを、一時しのぎで隠そうとするたとえ。容器に蓋をして悪臭が漏れないようにする意から。
臭いもの身知らず(くさいものみしらず)
自分の悪臭に気がつかないように、欠点は自覚しにくいというたとえ。
腐っても鯛(くさってもたい)
優れたものは、痛んでもそれなりの値打ちがあるというたとえ。
九尺二間に戸が一枚(くしゃくにけんにとがいちまい)
間口が九尺、奥行き二間、入り口の戸が一枚だけというような、きわめて狭く粗末な家のたとえ。
口が多い(くちがおおい)
よく喋るさま。 「口数が多い」ともいう。
口が重い(くちがおもい)
言葉数が少なく、積極的には人と喋らないようす。
口が堅い(くちがかたい)
他人に言ってはいけないことを軽々しく口にしない様子。
口が軽い(くちがかるい)
言ってはいけないことまでも軽率に話してしまうこと。
口が寂しい(くちがさびしい)
口に何かを入れておかないと物足りなくて落ち着かない様子。
口が減らない(くちがへらない)
あれこれと屁理屈をつけて反論したり、負け惜しみを言ったりするようす。
口が悪い(くちがわるい)
人の心を傷つけるようなことを平気でいう様子。
口と財布は締めるが得(くちとさいふはしめるがとく)
口と財布はきちっと締めておいたほうが得策だから、おしゃべりと浪費は慎めということ。
口には関所がない(くちにはせきしょがない)
人の口から出る言葉をさまたげる関所はない。だから何を言っても自由だというたとえ。
口は災いの元(くちはわざわいのもと)
うっかり言ってしまった言葉が災いを招くこともあるため、口は慎まなければならないという戒め。 「口は禍の門」「禍は口から」ともいう。
嘴が黄色い(くちばしがきいろい)
年が若くて経験が浅いことをあざけっていう言葉。ひな鳥の嘴が黄色いことから。
口弁慶(くちべんけい)
口先だけで、行動が伴なわない人のたとえ。
口を入れる(くちをいれる)
他人の話に割り込むこと。 また、よけいな口出しをすること。
国に盗人、家に鼠(くににぬすびと、いえにねずみ)
物事には、その内部に害をなすものがあるというたとえ。
苦杯を嘗める(くはいをなめる)
つらく苦しい経験をすることのたとえ。 「苦杯」は、にがい酒を入れた杯。
首が危ない(くびがあぶない)
解雇されそうな状態のこと。
首が回らない(くびがまわらない)
借金が重なって、お金の遣り繰りがつかなくなるさま。
首の皮一枚(くびのかわいちまい)
ほんの僅かではあるが、可能性がのこっている様子。 もとは、斬首刑で斬られた首と胴体が皮一枚でつながっている状態をいった言葉で、現在用いられる意味とは異なる。
窪い所に水溜まる(くぼいところにみずたまる)
土地の窪みに水が溜まるように、人や物も集まるべきところに、自然に寄り集まってくるということ。
雲行きが怪しい(くもゆきがあやしい)
ものごとの成り行きや情勢が不穏で、これから波乱が起きそうな様子。 天候が崩れそうであるという意味から。
位人臣を極める(くらいじんしんをきわめる)
その世界で最高の地位・権力を得ること。 臣下として最高の位に就くとの意から。
食らえどもその味わいを知らず(くらえどもそのあじわいをしらず)
何事も精神を集中しないと、身につかないというたとえ。ただ食べていたのでは、その食べ物の味はわからないという意味から。
鞍掛け馬の稽古(くらかけうまのけいこ)
なんの役にも立たない無駄な練習のたとえ。「鞍掛け馬」は木馬のことで、木馬に乗って乗馬の練習をしても役に立たないことから。
水母の風向かい(くらげのかぜむかい)
いくらあがいても無駄なことのたとえ。水母が風上に向かっても進めないことから。
苦しい時には親を出せ(くるしいときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。
苦しい時の神頼み(くるしいときのかみだのみ)
信仰心のない者が、苦しい時だけ神に祈って助けてもらおうとすること。
苦しい時は鼻をも削ぐ(くるしいときははなをもそぐ)
急を要する場合には、どんな手段でも取った方がよいというたとえ。 緊急の場合には、自分の鼻を削ぎ落とすような非常手段を取るのもやむを得ないとの意から。 「苦しい時は鼻をも削ぐ」ともいう。
紅は園生に植えても隠れなし(くれないはそのうにうえてもかくれなし)
すぐれている人は、どんな所にいても目立つというたとえ。 「紅」は、紅花(べにばな)のこと。 紅花はどんな花園に植えても際立つとの意から。
食わず嫌い(くわずぎらい)
食べてみないで嫌いだと決めつけること。
食わせておいて扨と言い(くわせておいてさてといい)
ご馳走した後に、「さて」と頼み事を切り出すこと。
鍬を担げた乞食は来ない(くわをかたげたこじきはこない)
働く者は貧乏になることはないことのたとえ。 鍬を持ってしっかり働く人は乞食にはならないので、鍬をかついだ乞食などは来るはずがないとの意から。
君子に三戒あり(くんしにさんかいあり)
人格者が自ら慎む三つのこと。青年期の色欲、壮年期の争い事、老年期の強欲をいう。
君子は交わり絶ゆとも悪声を出さず(くんしはまじわりたゆともあくせいをださず)
徳のある人は人と絶交することがあっても相手の悪口は決して言わないということ。
葷酒、山門に入るを許さず(くんしゅ、さんもんにいるをゆるさず)
葷酒は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込むのを許さないということ。「葷酒」は、強い臭気のねぎやにらなどの野菜と酒。禅寺の山門の脇に立つ石碑に刻まれた言葉。
ぐうの音も出ない(ぐうのねもでない)
他人から間違いなどを指摘されても、一言も言い返すことができない様子。 「ぐう」は苦しいときに出る声のこと。
愚者の百行より知者の居眠り(ぐしゃのひゃっこうよりちしゃのいねむり)
愚か者の数々の行いは、優れた人の居眠りにも及ばないということ。転じて、つまらないものが数多くあるより、よいものが少しあるほうがいいというたとえ。
愚者も千慮に一得有り(ぐしゃもせんりょにいっとくあり )
愚か者でも、たまにはいい考え方をすることがあるということ。 「愚者も一得」「愚者にも一得」「愚者の一得」ともいう。
形影相同じ(けいえいあいおなじ)
心の善悪が行動に出ること。 形が曲がれば影も曲がり、形がまっすぐであれば影もまっすぐであるように、心が正しければ行いも正しいということ。
形影相弔う(けいえいあいとむらう)
誰かが来ることもなく、一人で寂しい様子。 「形影」は形と影。 「弔う」はあわれむこと。 自分と自分の影で慰め合うことから孤独の意。
形影相伴う(けいえいあいともなう)
夫婦などがいつも一緒で、仲むつまじい様子。 「形影」は形と影。 「相伴う」は常に一緒にいること。
圭角が取れる(けいかくがとれる)
角が取れて人柄が円満になること。 「圭角」は玉(ぎょく)のとがったところのことで、それが取れることから。
傾蓋、旧の如し(けいがい、きゅうのごとし)
会ったばかりで旧友でもあるかのように親しく打ち解けることのたとえ。 「傾蓋」は孔子(こうし)と程子(ていし)がたまたま道で出会って車の蓋(かさ)を傾けて語りあったという故事から。
謦咳に接する(けいがいにせっする)
尊敬している人と会い、直接話を聞くこと。また、会うことの敬称。
「謦」「咳」とも咳払いのことで、間近で直接咳払いを聞けることもありがたいことから。荊棘の道(けいきょくのみち)
困難で苦しい人生のたとえ。「荊」「棘」とも茨の意で、困難や障害がある道ということ。
景気を付ける(けいきをつける)
なんらかの刺激をあたえて、雰囲気や気分が盛り上がるように活気付けること。
鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
平凡な人の中に、一人だけ際立ってすぐれた者がいることのたとえ。 鶏の群の中に鶴が一羽混じっているということから。「群鶏の一鶴」ともいう。
経験は愚か者の師(けいけんはおろかもののし)
愚か者に教えるには、実際に経験させてみるのがいいということ。経験の大切さをいった言葉。
経験は知恵の父記憶の母(けいけんはちえのちちきおくのはは)
人間の知恵は、経験とその記憶によって成り立っているということ。