「が」を含む故事・ことわざ・慣用句
「が」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1359 件
下手の考え休むに似たり(へたのかんがえやすむににたり)
よい考えも出ないのにあれこれ考えるのは、時間の無駄だということ。 もとは将棋や碁で、下手な人の長考をあざけって言った言葉。 「下手の思案は休むに同じ」ともいう。
下手の長糸遣い(へたのながいとづかい)
下手な人ほど無駄なことをして、上手な人ほど要領よくやるというたとえ。 裁縫の下手な人はむやみに長い糸を針につけるが、上手な人は必要な長さだけの糸をつけて縫いやすくすることから。 単に「上手の小糸」とも、また「下手の長糸遣い」ともいう。
下手の長談義(へたのながだんぎ)
話の下手な人にかぎって、長々と話をするということ。 上方いろはがるたの一つ。 「下手の」は「下手な」ということもある。 また「下手の長口上」ともいう。
反吐が出る(へどがでる)
その物事に対して酷く不愉快な気持ちになること。 または、一度飲み込んだものを吐き出すこと。
弁が立つ(べんがたつ)
聞いている人を引き付けたり、納得させたりすることがうまいこと。弁舌が巧みであること。
ぺんぺん草が生える(ぺんぺんぐさがはえる)
建物や土地などが手入れされずに荒れ果てている様子。 「ぺんぺん草」はアブラナ科の植物のナズナの別称。 雑草であるナズナが生えたままになっている様子からいう言葉。
矛先が鈍る(ほこさきがにぶる)
追及や非難などをする言葉に鋭さがなくなること。
星が割れる(ほしがわれる)
犯人が分かること。 「星」は犯人や容疑者の別称。
細く長く(ほそくながく)
目立ちはしないものの、地道に長く続く様子。 また、力強くはないものの、細々と長く続く様子。
細くも長けれ(ほそくもながけれ)
たとえ細々とでも長生きするのが大事だということ。
ほとぼりが冷める(ほとぼりがさめる)
事件などに対する関心が薄れること。 「ほとぼり」は物が燃えた後の余熱のこと。 「熱が冷める」ともいう。
程がある(ほどがある)
適切とされる程度を超えていることに対して非難したり、呆れたりする時に用いる言葉。
骨がある(ほねがある)
周りからの圧力に負けず、信念を貫き通す性質であること。
骨が折れる(ほねがおれる)
その物事を行うには、多くの手間が必要であること。
骨が舎利になっても(ほねがしゃりになっても)
たとえ死んでも。どんなに辛くても。 強い決意を表す言葉。 「舎利」は火葬した後の骨のこと。
洞ケ峠(ほらがとうげ)
有利なほうにつこうとして、なりゆきをうかがうこと。京都府と大阪府の境にあるこの峠で、筒井順慶が山崎の合戦の形勢を見て、優勢なほうに味方しようとしたという故事から。
洞が峠(ほらがとうげ)
有利なほうに付こうとして、なりゆきをうかがうこと。
筒井順慶が[1]の峠から山崎の合戦の形勢ををうかがい、優勢なほうに付こうとしたと伝えられたことから。史実に反しており、実際には撤兵して中立を保ったといわれている。洞が峠を決め込む(ほらがとうげをきめこむ)
有利なほうに付こうとして、形勢をうかがうこと。 「洞が峠」は、京都府と大阪府の境にある峠の名。 筒井順慶が洞が峠から山崎の合戦の形勢ををうかがい、優勢なほうに加勢しようとしたと伝えられたことから。史実に反しており、実際には撤兵して中立を保ったといわれている。
彫りが深い(ほりがふかい)
顔の凹凸の差が大きいこと。
惚れたが因果(ほれたがいんが)
惚れてしまった以上、苦労するのもやむを得ないということ。
本卦還り(ほんけがえり)
数え年六十一歳のこと。六十年で再び生まれた年の干支に還ることから。 「本卦還り」ともいう。
本卦還りの三つ子(ほんけがえりのみつご)
年をとって、まるで幼児のように無邪気なってしまうこと。「本卦還り」は、還暦のこと。
ホーマーにさえ眠いところがある(ほーまーにさえねむいところがある)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
暴虎馮河の勇(ぼうこひょうがのゆう)
血気にはやり無鉄砲なことをすることのたとえ。「暴虎」は素手で虎を打つこと、「馮河」は大きな河を徒歩で渡ることで、そのような無謀な勇気の意から。
棒ほど願って針ほど叶う(ぼうほどねがってはりほどかなう)
大きな望みがあっても、叶うのはごくわずかだということ。
ボタンを掛け違える(ぼたんをかけちがえる)
食い違いや矛盾などがあったことに後になってから気づくこと。 衣服のボタンを掛けるときに一つ間違えるとその後が全てずれるということから。
盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)
うれしいことが重なることのたとえ。また、非常に忙しいことのたとえ。
枚挙に遑がない(まいきょにいとまがない)
余りに多くて、いちいち数えきれないようす。「枚挙」はひとつひとつ数えあげること。「遑」は余裕のこと。
間がいい(まがいい)
運が良いこと。タイミングや都合がちょうど良いこと。
紛いもない(まがいもない)
疑う余地がなく、明白である。誤解や誤認の可能性がなく、確実であることをいう。
魔が差す(まがさす)
悪魔が心の中に入りこんでしまったかのように、一瞬の判断や行動を誤ってしまうこと。
曲がった釜には曲がった甑(まがったかまにはまがったこしき)
どんなものにも、それにふさわしい相手や形があるというたとえ。 また、夫婦は似た者同士がつり合いがとれてうまくいくということ。 ゆがんだ釜であっても、それに合うゆがんだ甑があるとの意から。 「甑」は、釜の上にのせて穀物を蒸す道具。
間がな隙がな(まがなすきがな)
少しでもひまがあれば。
間が抜ける(まがぬける)
ものごとの大事な点が欠けており、馬鹿げたように見えること。
間が延びる(まがのびる)
間が空きすぎて、物事にしまりがなくなること。進行がだらだらと続き、緊張感や緊迫感に欠けるさま。
間が持てない(まがもてない)
何もすることがなく、空いた時間の扱いに困ること。また、会話などが途切れて気まずい時間ができること。 「間が持たない」ともいう。
曲がらねば世が渡られぬ(まがらねばよがわたられぬ)
道理や正義だけでは世の中はうまく渡っていけない。時には自分の意を曲げて相手に合わせることも必要だということ。
曲がりなりにも(まがりなりにも)
不十分ではあるが、どうにかこうにか整っているさま。
曲がる枝には曲がれる影あり(まがるえだにはまがれるかげあり)
原因が悪ければ悪い結果が生じるというたとえ。曲がった枝には、その曲がった枝の影ができるという意味から。
間が悪い(まがわるい)
その場に居ることが気まずいと感じること。 また、運やタイミングが悪いこと。
幕が開く(まくがあく)
ものごとが始まること。催しものが始まること。幕が開き芝居が始まること。
幕が下りる(まくがおりる)
芝居などの催しものが終わること。また、物事に決着がついて終わること。
負けが込む(まけがこむ)
勝負などで、負けた回数が多くなること。
負けるが勝ち(まけるがかち)
相手に勝ちを譲っておくほうが、結局は得策だということ。
まだ早いが遅くなる(まだはやいがおそくなる)
まだ早いとのんびり構えていると、結局は手遅れということになりかねない。何事も油断は禁物だということ。
待つうちが花(まつうちがはな)
物事はあれこれ想像して待っている間が楽しいものであるということ。 「待つ間が花」ともいう。
的が外れる(まとがはずれる)
意見や批判などが、ものごとの核心からそれていること。 的に矢が当たらないという意味から。
豆を煮るに豆がらを燃く(まめをにるにまめがらをたく)
兄弟や仲間どうしが傷つけあったり争ったりすることのたとえ。 豆を煮るために豆がら燃やすとの意から。 魏の曹植は、兄の文帝から詩の才能を憎まれ、七歩歩く間に詩を作らなければ処罰すると言われて作ったとされる兄弟の不和を嘆く詩による。
眉に火がつく(まゆにひがつく)
危険が差し迫っていること。また、事態が切迫していること。 「焦眉」は眉毛がこげること。 眉毛がこげるほど近くまで火が迫っているとの意から。 「眉(眉毛)に火がつく」ともいう。
ミイラ取りがミイラになる(みいらとりがみいらになる)
人を連れ戻しに出かけた者が帰って来ないことのたとえ。また、説得しようとした者が、逆に相手に同調してしまうというたとえ。
見栄も外聞もない(みえもがいぶんもない)
人の評判や世間体を気にする余裕もないさま。
身が軽い(みがかるい)
からだの動きが軽快な様子。 また、責任や負担などがなく身軽な様子。
右に出る者がない(みぎにでるものがない)
一番すぐれていて、その人に優る者がいないということ。昔、中国で右を上席としたことから。
水が合わない(みずがあわない)
その土地の環境や風土にうまく馴染めない様子。 また、所属している組織の体質に馴染めない様子。
水に流す(みずにながす)
過去のいざこざを、すべてなかったことにして和解することのたとえ。
水の低きに就くが如し(みずのひくきにつくがごとし)
水が低い方へ流れていくように、物事のなりゆきは止めようとしても止められないということ。
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)
人は交友関係や環境しだいで、良くも悪くもなるというたとえ。 「方円」は四角形と円形のこと。水は容器の形によって四角にも丸くもなるということから。
見たら見流し、聞いたら聞き流し(みたらみながし、きいたらききながし)
見たり聞いたりしたことは、みだりに口外しないほうがよいということ。
道が開ける(みちがひらける)
問題を解決する方法がみつかること。 また、進むべき方向がわかって、希望が持てるようになること。
見所がある(みどころがある)
将来性があり、期待できることのたとえ。
源清ければ流れ清し(みなもときよければながれきよし)
清らかな水源を持った川は、下流も自然に清らかになるように、上に立つ者の行いが正しければ、下の者の行いも正しくなるということ。
見ぬが花(みぬがはな)
物事は実際に見るまでの間に心の中であれこれと想像しているときが楽しいということ。 「見ぬが心憎し」ともいう。
見ぬ京の物語(みぬきょうのものがたり)
実際には知らないことをいかにも知っているかのように話すこと。また、その話。 実際には行ったことがない京について、いかにも見てきたかのように話すとの意から。 「知らぬ京物語」「似ぬ京物語」ともいう。
身の置き所がない(みのおきどころがない)
申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちなどから、その場に居続けることが難しい様子。
身の毛がよだつ(みのけがよだつ)
恐ろしい目にあって全身の毛が逆立つほど、ぞっとする様子。
実るほど頭の下がる稲穂かな(みのるほどあたまのさがるいなほかな)
人は学問や徳が深まると、かえって謙虚になることのたとえ。 稲穂は実が入ると重くなり頭を下げることから。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「実る稲田は頭垂る」ともいう。
耳が痛い(みみがいたい)
他人の発言が、自らの弱点・欠点を指摘しているように聞こえて、聞いているのがつらく感じる様子。
耳学問(みみがくもん)
人の話を聞いて得た知識。
耳が遠い(みみがとおい)
加齢や病気などで聴力が弱まり、音をよく聞き取れないこと。
耳が早い(みみがはやい)
噂などを聞きつけるのがはやい様子。
耳に胼胝ができる(みみにたこができる)
何度も同じ事を聞かされてうんざりすることのたとえ。皮膚を繰り返し圧迫すると、たこができるということから。
耳を疑う(みみをうたがう)
想像や予測をしていなかったことを聞いて、信じることができない様子。
耳を汚す(みみをけがす)
つまらない話や嫌な話を聞かせ、相手を不快にさせること。
耳を信じて目を疑う(みみをしんじてめをうたがう)
遠くのものを尊重して、近くのものを軽んじることのたとえ。また、昔を重んじて今を軽視することのたとえ。 人から聞いたことは信じて、自分の目で見たものは信じないとの意から。 「耳を信じて目を疑う」ともいう。
見ると聞くとは大違い(みるときくとはおおちがい)
実際に見るのと人から聞いたのとでは大きな違いがあるということ。また、噂と事実が違うことにもいう。
見る目がある(みるめがある)
物事を正しく判断したり性質を見抜いたりする能力があること。
身を焦がす(みをこがす)
恋慕の情に苦しむこと。恋焦がれること。
昔の剣、今の菜刀(むかしのつるぎ、いまのながたな)
昔は有能であった人も、年をとると役に立たなくなるというたとえ。また、いくら良いものでも今の役にたたないものより、つまらないものでも今の役にたつもののほうがいいということ。
昔は今の鏡(むかしはいまのかがみ)
昔のことは現代の手本になるので、歴史を学ぶことが将来に役立つということ。
麦と姑は踏むが良い(むぎとしゅうとめはふむがよい)
麦は根の張りをよくするために芽を足で踏むほうがよいが、姑に対しても下手にばかり出ないで、時には抵抗するのも必要であるということ。