「く」を含む故事・ことわざ・慣用句
「く」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1857 件
どこの烏も黒さは変わらぬ(どこのからすもくろさはかわらぬ)
どこに行っても、そう目新しいものはないということ。また、どこの国でも人間の本性同じだということ。 「どこの烏も黒い」「どこの鶏も裸足」ともいう。
どこ吹く風(どこふくかぜ)
自分には関係ないものとして、知らん顔する様子。まったく気にかけない様子。
どさくさに紛れる(どさくさにまぎれる)
混乱や混雑などの状況を利用して勝手なことをすること。
どすが利く(どすがきく)
声や話し方に、相手を脅すような凄みがあること。
怒髪、冠を衝く(どはつ、かんむりをつく)
すごい剣幕で怒る様子。また、そのような形相のたとえ。 烈しい怒りのために逆立った髪の毛が冠を突き上げるとの意から。 「かんむり」は「かん」とも読む。 「冠を衝く」は「天を衝く」ともいう。
泥を吐く(どろをはく)
隠していた悪事などを、追及されて白状すること。
団栗の背比べ(どんぐりのせいくらべ)
どれも平凡で、特に目立つような優れたものがないことのたとえ。団栗を比べてみても、みんな同じような大きさでほとんど違いがないことから。
貪欲は必ず身を食う(どんよくはかならずみをくう)
強すぎる欲望は身を滅ぼすという戒め。
ないが極楽、知らぬが仏(ないがごくらく、しらぬがほとけ)
貧しい者は贅沢を知らないので、欲に悩むこともなく幸せに暮らしていけるということ。
ない子に泣かないが有る子に泣く(ないこにはなかないがあるこになく)
子育てには苦労があり時には泣かされることもあるが、たとえ苦労させられても子どもはいたほうがよいということ。 「ない子に泣かないが有る子に泣く」「ない子では泣かである子に泣く」などともいう。
内証は火の車(ないしょうはひのくるま)
外見は裕福そうに見えても、内実は非常に苦しく、家計や経済状況が極めて厳しいこと。 外部からはその困窮が分かりにくいが、内輪では財政的に追い詰められている様子。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生(ないてくらすもいっしょう、わらってくらすもいっしょう)
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)
規律や秩序を維持するために私情を捨て、たとえ愛する者であっても違反した場合には厳しく処罰することのたとえ。 中国の三国時代、蜀の諸葛孔明は、臣下の馬謖が命令に従わずに魏に大敗したため、泣きながら馬謖を斬ったという故事から。
ない時の辛抱、ある時の倹約(ないときのしんぼう、あるときのけんやく)
金がない時はじっと辛抱し、金のある時は倹約を心がけよということ。
無い物食おう(ないものくおう)
十分にある物は欲しがらず、ないとわかっている物をほしがること。わがままを言うこと。 「無い物食おうが人の癖」ともいう。
鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥(なかぬならなくまでまとうほととぎす)
好機が来るまで、辛抱強く待つということ。徳川家康が詠んだとされ、家康の辛抱強い性格を表した句。 これに対し、織田信長が「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」、豊臣秀吉が「鳴かぬなら鳴かしてみせよう時鳥」と詠んだとされている。
仲を裂く(なかをさく)
親しい者同士や愛し合う者同士を無理に引きはなすこと。
永い眠りにつく(ながいねむりにつく)
死ぬことを眠りに見立てた婉曲(えんきょく)表現。直接的な死の表現を避け、穏やかな眠りにたとえることで、故人への哀悼と慎ましさを表す。
長追いは無益(ながおいはむやく)
勝ちに乗じて深追いすると、思わぬ反撃を受け不利な立場に陥ることもあるので、ほどほどにするのが賢明ということ。 「長追いは無用」ともいう。
長口上は欠伸の種(ながこうじょうはあくびのたね)
長話は人を退屈させるから、話は簡潔にせよということ。
流し目を送る(ながしめをおくる)
異性の気を引こうとして色目を使うこと。 「流し目」は、顔はそのままで瞳だけを横にむけること。
名が泣く(ながなく)
高い名声や評判にそぐわないようなことをして、評価を下げること。
長持枕にならず(ながもちまくらにならず)
大は小を兼ねるとはいえ、大き過ぎるものは、必ずしも小さなものの代わりを果たせるわけではないということ。 長持(衣装箱)が大きくて枕に似ているからといって、その大きさゆえに枕としての役割を果たせないことから。
流れに枕し石に漱ぐ(ながれにまくらしいしにくちすすぐ)
負け惜しみが強いことのたとえ。また、屁理屈をつけて自分の間違いを正当化することのたとえ。晋の孫楚が「石に枕し、流れに漱ぐ」というべきところを間違えて「石に漱ぎ、流れに枕す」といった時、「石に漱ぐとは歯を磨くこと、流れに枕すとは耳を洗うことだ」とこじつけた故事から。夏目漱石の号もこの故事から。
流れる水は腐らず(ながれるみずはくさらず)
常に動いているものは、停滞することがないということ。
流れを汲みて源を知る(ながれをくみてみなもとをしる)
末を見て、その本(もと)を推し量ること。 また、言動を見れば、その人の人柄や気持ちが自然にわかるというたとえ。 流れている水を汲み取り、水源の様子を察知するとの意から。
流れを汲む(ながれをくむ)
家系・流儀・流派などを受けつぐこと。
泣きべそをかく(なきべそをかく)
今にも泣きそうな顔をすること。
泣く口は物食う(なくくちはものくう)
泣いているときであっても、食べることだけはやめられないということ。
泣く子と地頭には勝てぬ(なくことじとうにはかてぬ)
道理の通じない相手にはかなわないから、争っても無駄ということのたとえ。 「地頭」は、中世の荘園管理に当たった権力ある役人。
泣く子に乳(なくこにちち)
効果がすぐに現れることのたとえ。泣いている赤ん坊に乳を与えれば、すぐに泣きやむことから。
泣く子は育つ(なくこはそだつ)
大きな声でよく泣く子どもは元気で、丈夫にたくましく育つということ。
泣く子も黙る(なくこもだまる)
泣きじゃくっている子どもが泣き止んでしまうほど、ひどく恐ろしい存在であることのたとえ。
泣く子も目を見る(なくこもめをみる)
無分別な者や一見何も考えていないように見える者であっても、多少は周囲の状況を考慮して振る舞うものであるというたとえ。 泣きわめいている子供でも、時折目を開けて周囲の状況や相手の態度をうかがっているとの意から。
鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす(なくせみよりもなかぬほたるがみをこがす)
態度に出す者よりも態度に出さない者のほうが、心の中に切実な思いを秘めているというたとえ。 激しく鳴く蝉よりも、鳴くことのない蛍のほうが強い思いを秘めていて、その思いから身を焦がすように光っているとの意から。 単に「鳴かぬ蛍が身を焦がす」ともいう。
無くて七癖、有って四十八癖(なくてななくせ、あってしじゅうはっくせ)
人は誰でも、多少の癖があるということ。 癖がないように見える人でも七つ、癖の多そうな人には四十八もあるとの意から。 単に「無くて七癖」、また「難無くして七癖」ともいう。
泣く時は泣いて渡れ(なくときはないてわたれ)
その時々の状況や心情に応じて世間を渡って行けという教え。
泣く泣くもよい方を取る形見分け(なくなくもよいほうをとるかたみわけ)
どんな時でも、人間は欲だけは忘れないということ。親などが死んで悲しんでいる時でも、形見分けで良い物を選ぶということから。
泣くに泣けない(なくになけない)
泣きたくても泣けないほど無念で悔しい様子。
鳴く猫は鼠を捕らぬ(なくねこはねずみをとらぬ)
口数が多い者は、とかく口先だけで実行が伴わないというたとえ。よく鳴く猫は鼠を捕らないということから。
泣くほど留めても帰れば喜ぶ(なくほどとめてもかえればよろこぶ)
帰る客を泣くように引き止める人でも、帰ってしまえば喜ぶものだということ。
鳴くまで待とう時鳥(なくまでまとうほととぎす)
好機が来るまで、あせらずに辛抱強く待つということ。徳川家康が「鳴かぬなら」という言葉に続けて詠んだとされ、家康の辛抱強い性格を表した句。織田信長は「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」、豊臣秀吉は「鳴かぬなら鳴かしてみせよう時鳥」と詠んだとされている。
鳴く虫は捕らえられる(なくむしはとらえられる)
芸があるために、身を誤ることのたとえ。鳴く虫は、その鳴き声のために捕まえられるということから。
仲人の嘘八百(なこうどのうそはっぴゃく)
仲人は縁談を成立させるために、双方の欠点を隠し、長所を誇張して話を進めることが多く、結果として嘘が多くなるということ。 または、調子のよいことを言って話をまとめようとするため、注意が必要であるということ。
仲人は宵の口(なこうどはよいのくち)
仲人は結婚式での務めを終えたら、長居せずに引き上げたほうがよいということ。 「仲人は宵のうち」「仲人は宵の程」ともいう。
仲人は草鞋千足(なこうどはわらじせんぞく)
縁談をまとめる仲人の苦労をたとえた言葉。 縁談成立のためには、千足の草鞋を履きつぶすほど、何度も双方の家を訪ねて調整を重ねなければならないとの意から。
情け容赦もなく(なさけようしゃもなく)
相手に対して遠慮や手加減をすることなく、物事を進める様子。
夏歌う者は冬泣く(なつうたうものはふゆなく)
働ける時に働いておかなければと、後になって暮らしに困るということ。 夏に歌など歌って遊んで暮らしている者は、冬になったときに蓄えがないので飢えや寒さに泣く羽目になるとの意から。
七つ下がりの雨と四十過ぎての道楽はやまぬ(ななつさがりのあめとしじゅうすぎてのどうらくはやまぬ)
七つ下がりから降り出した雨と、中年になってから覚えた道楽はなかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
七つ七里憎まれる(ななつななさとにくまれる)
七歳頃の男の子はいたずら盛りで、近くの村々の憎まれっ子になるということ。「七里」は、多くの村々の意。
七尋の島に八尋の船を隠す(ななひろのしまにやひろのふねをかくす)
やっても無駄なことのたとえ。 「尋」は長さの単位。 七尋しかない島に八尋の船を隠すとの意から。
何くれとなく(なにくれとなく)
特にこれと決まったこと以外にも、あれこれと些細なところにまで気を配るさま。
何食わぬ顔(なにくわぬかお)
事実を知っていながら、何も知らないような顔つきをすること。またはそのような態度をとること。
名に背く(なにそむく)
名声や評判を裏切ること。 また、名声と実力が一致しないこと。
何はなくとも(なにはなくとも)
他にこれといったものが何もなくても、そのものさえあれば十分満たされているという気持ちを表す言葉。
何もせずにいることは悪を為していることなり(なにもせずにいることはあくをなしていることなり)
何もしないでいることは、それだけでもう悪行を為しているのと同じことであるということ。
何を隠そう(なにをかくそう)
なにも隠すつもりはない。 秘密や真実などを述べる前にいう言葉。
生木を裂く(なまきをさく)
相思相愛の男女を無理に別れさせること。 地に根を張って生きている木を無理に裂くとの意から。
怠け者の節句働き(なまけもののせっくばたらき)
ふだん怠けている者が、世間の人が休む節句などに限ってわざと忙しそうに働くことをあざけっていう言葉。
涙に暮れる(なみだにくれる)
悲しみのため、泣いて日々を過ごすこと。
蛞蝓に塩(なめくじにしお)
苦手なものに出会って萎縮してしまうことのたとえ。
奈落の底(ならくのそこ)
底の知れない深い所。また、脱け出すことのできない不幸な境遇のたとえ。「奈落」は、仏教で地獄の意。
名を腐す(なをくたす)
名誉に反する行為をして、その名誉を傷つけること。
名を竹帛に垂る(なをちくはくにたる)
長く歴史に名を残すような功績を上げること。「竹帛」は、竹の札と絹のこと。中国で、紙の発明以前に、これに文字を記したところから書物または歴史の意。「垂る」は、残すという意。
名を取るより得を取れ(なをとるよりとくをとれ)
名誉や名声を得るより、実際の利益を得るほうがよいということ。
難癖を付ける(なんくせをつける)
些細なミスや欠点などを取りあげて、あれこれと非難すること。荒さがしをすること。
難色を示す(なんしょくをしめす)
相手の提案や行動などに対して、賛成できないという意思を表情や態度で示すこと。
憎い憎いはかわいいの裏(にくいにくいはかわいいのうら)
男女間の愛情表現は、わかりにくく微妙なもので憎いという表現も、裏を返せば、かわいいと言っている場合もあるということ。
肉が落ちる(にくがおちる)
一目でわかるほど、痩せること。
憎さも憎し(にくさもにくし)
憎んでも憎みきれないほど憎らしいこと。
肉付けをする(にくづけをする)
全体の構成がある程度出来上がってから、細かなところに手を加えて、より内容を充実させること。
憎まれ口を叩く(にくまれぐちをたたく)
人から嫌われたり憎たらしく思われるような言い方をすること。
憎まれっ子世に憚る(にくまれっこよにはばかる)
人から憎まれるような者にかぎって、世の中では幅をきかせているということ。 「憚る」とは幅をきかすこと。 「憎まれっ子」は「憎まれ子」ともいう。 また、「憎まれ子国にはびこる」「憎まれ子国にはだかる」「憎まれ子世に出ず」「憎まれ者世に憚る」などともいう。
逃げも隠れもしない(にげもかくれもしない)
責任や追及から逃げず、堂々とその事に当たる様子。
錦の袋に糞を包む(にしきのふくろにふんをつつむ)
外観が立派で中身が見劣りすることのたとえ。
錦を衣て昼行く(にしきをきてひるゆく)
出世して故郷に帰り、成功や栄誉を人々に示すことのたとえ。 昼の光の下で錦の衣をまとい、きらびやかに町を歩くさまから。 「錦」は色糸で華やかな模様を織り出した高価な布地。 「繍(しゅう)を衣て昼行く」ともいう。
錦を衣て夜行くが如し(にしきをきてよるゆくがごとし)
暗い夜道を錦を着て歩いても誰にもわかってもらえないのと同じで、いくら出世しても故郷に帰らなければ人々に知ってもらうことはできないので、出世した甲斐がないということ。 「繍(しゅう)を衣て夜行くが如し」ともいう。
西向く侍(にしむくさむらい)
1ヶ月が31日に満たない月を覚えるための語。 「二月・四月・六月・九月・十一月」」がそれにあたり、「に(2)・し(4)・む(6)・く(9)・さむらい(11)」と語呂合わせで覚えやすくしたもの。 「侍(さむらい)」は、「十」に「一」を加えてできる形「士(さむらい)」をもとにしたもので、「十一」を一字に表したもの。
二十五菩薩もそれぞれの役(にじゅうごぼさつもそれぞれのやく)
二十五菩薩にもそれぞれの役目があるように、人間にも各自の役目があるということ。「二十五菩薩」とは、往生を願う信者が臨終の時に、阿弥陀仏とともに迎えに来るといわれる二十五体の菩薩のこと。
二足の草鞋を履く(にそくのわらじをはく)
両立しないような二つの職業を一人で同時に兼ねることのたとえ。 単に「二足の草鞋」ともいう。
