「け」を含む故事・ことわざ・慣用句
「け」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 687 件
血相を変える(けっそうをかえる)
怒ったり驚いたりして、顔色や顔の表情を変えること。 「血相」は、顔色や顔の表情のこと。
尻の穴が小さい(けつのあながちいさい)
心が狭いこと。度量が狭いこと。 「尻」は「けつ」とも読む。
血涙を絞る(けつるいをしぼる)
悲しみや憤りのあまりに涙を流す。
血路を開く(けつろをひらく)
困難な状況から抜け出す方法を見つけること。 敵の包囲を破って逃れるとの意から。
決を採る(けつをとる)
議案の可否を賛成者の数できめること。
尻を捲る(けつをまくる)
穏やかな態度から急に喧嘩腰な態度を取ること。居直ること。 素行の悪い人が着物の裾をまくって座り込む様子から。 「尻」は「けつ」とも読む。
褻にも晴れにも歌一首(けにもはれにもうたいっしゅ)
普段の時も晴れの席でも、同じ歌一首しか詠めないということ。無能無芸を嘲笑う言葉。「褻」は、普段。
毛のない猿(けのないさる)
人情や良心がない人のたとえ。 体に毛がないことだけが、猿との違いだとの意から。 「毛のない犬」ともいう。
螻蛄才(けらざい)
多芸多才でありながら、特に上手なものがないことのたとえ。 「螻蛄」は、土の中にいる虫で、飛ぶ、登る、潜る、掘る、走るの五つの能力があるが、どれも特別上手ではないことから。 「螻蛄芸」ともいう。
螻蛄の水渡り(けらのみずわたり)
初めは熱心で、途中でやめてしまうことのたとえ。また、努力しても成し遂げられないことのたとえ。土の中にいる螻蛄は水中に入ると泳ぎだすが、大きな川などは泳ぎきることができないことから。
けりが付く(けりがつく)
物事が決着すること。終了すること。 和歌や俳句などが、助動詞「けり」で終わることが多いことから。
けりを付ける(けりをつける)
物事に決着をつけて終わりにすること。 和歌や俳句などが、助動詞「けり」で終わることが多いことから。
蹴る馬も乗り手次第(けるうまものりてしだい)
乱暴で扱いにくい者でも頭の上がらない相手がいる、または上手い扱い方があるということのたとえ。 暴れ馬でも乗り手の調教次第でおとなしくなるとの意から。
毛を吹いて疵を求む(けをふいてきずをもとむ)
毛を吹き分けて隠れた小さな傷を探すようにして、むやみに人の欠点を暴き立てようとすること。 また、そのように人の過ちを暴こうとしているうちに自分の弱点をさらけ出してしまうこと。
毛を見て馬を相す(けをみてうまをそうす)
外見だけで物事の価値を判断することのたとえ。毛並みだけを見て馬の値打ちを判断する意から。
犬猿の仲(けんえんのなか)
仲の悪い関係のたとえ。 単に「犬猿」、また「犬と猿」ともいう。
喧嘩過ぎての空威張り(けんかすぎてのからいばり)
喧嘩の最中は意気地なくこそこそし、喧嘩が終わったとたん虚勢を張って強がること。 「喧嘩過ぎての向こう鉢巻」ともいう。
喧嘩過ぎての棒乳切り(けんかすぎてのぼうちぎり)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
喧嘩は降り物(けんかはふりもの)
喧嘩は雨などのように、いつどこで身に降りかかってくるかわからないということ。
喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)
喧嘩や争いをした者を、理非を問わず、双方とも同じように処罰すること。「成敗」は、処罰の意。
喧嘩を売る(けんかをうる)
わざと人に喧嘩をしかけること。
懸河の弁(けんがのべん)
すらすらと流れるような弁舌のこと。「懸河」は、勢いよく流れる川のことで、その川のような弁舌の意から。
剣が峰(けんがみね)
相撲の土俵の円を作っている俵の表面の名称。
健康は富に勝る(けんこうはとみにまさる)
財産より健康が大事だということ。
賢者ひだるし、伊達寒し(けんじゃひだるし、だてさむし)
人並みのことをしない者はつらい目に遭うということ。 「ひだるし」は、ひもじいの意。 賢者は富を求めず質素な生活をするのでひもじい思いをし、伊達者は見栄を張って薄着でいるので寒い思いをするとの意から。
献上の鴨(けんじょうのかも)
着物は汚くみすぼらしいが、足袋や履物だけは綺麗にしている者をののしって言うことば。 江戸時代、将軍へ鴨を献上する際に、鴨の足を白紙で包んだことから。
健全なる精神は健全なる身体に宿る(けんぜんなるせいしんはけんぜんなるしんたいにやどる)
身体が健康であれば、それに伴って精神も健全であるということ。ローマの詩人ユウェナリスの詩集から出た言葉。本来は「健やかな身体に健やかな精神が宿るように望むべきである」の意。
軒輊(けんち)
上がり下がりや高低。転じて、優劣のこと。「軒」は車の前が高い、「輊」は車の前が低いという意。
犬兎の争い(けんとのあらそい)
無益な争いをしている間に、第三者に利益を横取りされてることのたとえ。 犬が兎を追いかけている間に、両者とも力尽きて死んでしまった。 それを通りかかった農夫が自分の獲物として手にいれたという故事から。
犬馬の心(けんばのこころ)
臣下が主君のために尽くし、恩に報いようとする忠誠心のこと。
犬馬の養い(けんばのやしない)
父母をただ養うだけで、尊敬する気持ちのないこと。 父母を養うのに、ただ衣食の面倒をみるだけで、まるで犬や馬を養うように敬う気持ちがないとの意から。
犬馬の齢(けんばのよわい)
自分の年齢をへりくだっていう言葉。 大きな功績を残すわけでもなく、犬や馬のようにただ重ねただけの年齢との意から。 「犬馬の年」ともいう。
犬馬の労(けんばのろう)
他人のために力を尽くして働くことをへりくだっていう言葉。犬や馬程度の苦労や労働の意から。
堅白同異の弁(けんぱくどういのべん)
こじつけの論理、詭弁のこと。中国戦国時代、趙の公孫竜が説いた論法。 「固くて白い石は、目で見た時に白さはわかるが堅さはわからない。手で触れた時は堅さはわかるが白さはわからない。ゆえに、堅いことと白いことは同時には成り立たない」と論じたものから。
けんもほろろ(けんもほろろ)
人の頼みや相談にまったく取り合わず冷たく断る様子。「けん」も「ほろろ」も雉の鳴き声で、無愛想に聞こえることから。
倹約と吝嗇は水仙と葱(けんやくとけちはすいせんとねぎ)
倹約とけちは、水仙と葱のように見た目は似ているが、実はまったく違うということ。
権輿(けんよ)
ものごとの始まり、発端。「権」は重り、「輿」は荷台の意で。秤を作るときは重りから、車は荷台から作り始めることから。
姸を競う(けんをきそう)
女性たちが美しさを競い合うようす。
芸が身を助けるほどの不仕合わせ(げいがみをたすけるほどのふしあわせ)
落ちぶれて不幸な生活のたとえ。 生活に余裕があったころに趣味や道楽で習い覚えた芸事で、なんとか生計を立てるような不幸な身の上になってしまうとの意から。
芸は身を助ける(げいはみをたすける)
一芸にすぐれていると、万一の時には生計の助けになるということ。
下戸と化け物はない(げことばけものはない)
世の中に化け物がいないように、まったく酒の飲めない人間はいないということ。
下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)
戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。
下駄も仏も同じ木の切れ(げたもほとけもおなじきのきれ)
尊卑の違いはあっても、もとは同じであることのたとえ。また、出発点が同じでも、その人の心がけ次第で後に大きな差が出てくることのたとえ。 足で踏まれる下駄も、人から拝まれる阿弥陀の仏像も、もとは同じ木から作られたものであるとの意から。 「下駄も仏も同じ木の切れ」ともいう。
下駄を預ける(げたをあずける)
相手に物事の処理や責任などを委ねること。相手に下駄を預けると、自分は歩き回ることができなくなることから。
肯綮に当たる(こうけいにあたる)
要所・要点を逃さず押さえること。急所をぴたりと突くこと。「肯」は骨につく肉、「綮」は筋と肉を結ぶところで急所の意。「当たる」は「中る」とも書く。
膏血を絞る(こうけつをしぼる)
人が苦労して得たものを取り上げること。重税を取り立てることのたとえ。「膏血」は人の油と血の意で、苦労して得た利益のたとえ。
小馬の朝駆け(こうまのあさがけ)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
声を掛ける(こえをかける)
呼びかけたり話しかけたりすること。 また、なにかを一緒にするように誘うこと。
苔が生える(こけがはえる)
長い年月を経て古びる様子。役に立たなくなる様子。
こけた上を踏まれる(こけたうえをふまれる)
不幸に見舞われている時に、さらなる不幸に見舞われること。 不幸が重なることのたとえ。 「こける」は、転ぶこと。 転んで倒れた上を踏まれるとの意から。
虎穴に入らずんば虎子を得ず(こけつにいらずんばこじをえず)
危険なことも避けていては、大きな成功は得られないということ。 虎の住む穴に入らなければ、虎の子をつかまえることは出来ないとの意から。
虚仮にする(こけにする)
人を見下して馬鹿にした態度をとること。 「虚仮」は愚かなこと。また、そのような人のこと。
虚仮の一心(こけのいっしん)
愚かな者でも物事を一心に行えば、すぐれたことが出来るというたとえ。 「虚仮」は、愚か者のこと。 「虚仮の一念」ともいう。
こけら落とし(こけらおとし)
劇場や映画館、競技場などの新築や改築を祝って行う最初の興行のこと。「こけら」は、材木の削りくずのことで、新築や改築の最後の仕上げに、それを払い落としたことから。
沽券に関わる(こけんにかかわる)
品位や体面にさしさわることをいう。「沽券」は、土地や家の売買契約の証文のこと。転じて、体面の意。
虎口を逃れて竜穴に入る(ここうをのがれてりゅうけつにいる)
次から次へと災難にあうことのたとえ。 虎に食われる危険から逃れたら、今度は竜の住む穴に入り込んでしまうことから。
心に掛ける(こころにかける)
忘れないように、心にしっかりと覚えておくこと。
心を傾ける(こころをかたむける)
一つのことに集中すること。
腰が砕ける(こしがくだける)
物事をやり遂げようとする気力が途中でなくなること。 また、腰の力が抜けて体が安定しないこと。
腰が抜ける(こしがぬける)
驚きや恐怖で、腰の力がぬけて立ち上がれなくなること。 また、気力が抜けて茫然(ぼうぜん)とすること。
腰を落ち着ける(こしをおちつける)
転職や転居などをくり返していた人が一つの所に長く留まること。 また、ものごとにじっくりと取り組むこと。
乞食の系図話(こじきのけいずばなし)
言ってもどうにもならない愚痴をこぼしたり、見栄を張ったりすること。 「系図」は、代々の家系の系統を書き表したもの。 乞食が落ちぶれる前の系図の自慢話をするとの意から。
事ある時は仏の足を戴く(ことあるときはほとけのあしをいただく)
普段は不信心な人でも、困ったときには仏の足元にひれ伏して救いを求めるというたとえ。
事を分ける(ことをわける)
聞く人が理解できるように、筋道をたてて丁寧に説明すること。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方する愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
転がる石には苔が生えぬ(ころがるいしにはこけがはえぬ)
活発に行動をしている人は常に健康で生き生きしていられることのたとえ。また、転職や転居を繰り返す人は地位も得られず金も貯まらないことのたとえ。 「転石苔を生せず」「転石苔むさず」ともいう。
今度と化け物には行き会った事がない(こんどとばけものにはいきあったことがない)
「今度はきっと」などという約束があてにならないことを皮肉った言葉。
御意見五両、堪忍十両(ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。 人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあるということ。
五指のこもごも弾くは捲手の一挃に若かず(ごしのこもごもはじくはけんしゅのいっちつにしかず)
ばらばらな個々の力は、団結した力には及ばないことのたとえ。 五本の指をばらばらにはじく力は、握りこぶしで叩いた一撃には及ばないとの意から。
碁で負けたら将棋で勝て(ごでまけたらしょうぎでかて)
あることで失敗してもくよくよせず、別の事で取り返せということ。
五両で帯買うて三両で絎ける(ごりょうでおびこうてさんりょうでくける)
肝心なものより、付随するものに予想以上にお金がかかるということ。「絎ける」は、表から縫い目が見えないように縫うこと。五両で買った帯をさらに三両かけて絎けるということから。
彩ずる仏の鼻を欠く(さいずるほとけのはなをかく)
念を入れすぎたため、かえって大切な部分をこわしてしまうたとえ。「彩ずる」は彩色を施して飾る意。仏像を作り上げるのに、もう少し良くしようと手を加えているうちに肝心な鼻を欠いてしまうことから。
財布の紐は首に掛けるより心に掛けよ(さいふのひもはくびにかけるよりこころにかけよ)
財布の紐を首に掛けて金を盗まれないようにするより無駄遣いしないように心がけるほうが大事だということ。、
竿竹で星を打つ(さおだけでほしをうつ)
不可能なことをしようとする愚かさのたとえ。また、思うところに手が届かないもどかしさのたとえ 竿竹で天にある星を打ち落とすとの意から。
酒買って尻切られる(さけかってしりきられる)
好意でしたことを仇で返されるたとえ。酒を奢った相手に尻を切られるような目に遭わされるということから。
酒が酒を飲む(さけがさけをのむ)
酒の酔いが回ると、その勢いでさらに大酒を飲むということ。
酒極って乱となる(さけきわまってらんとなる)
酒席も酒がすすむにつれて酔いがまわり、しまいには喧嘩などで乱れてしまうということ。
酒と朝寝は貧乏の近道(さけとあさねはびんぼうのちかみち)
酒を飲み過ぎ、朝寝をして怠けていれば、たちまち貧乏になってしまうということ。
酒と産には懲りた者がない(さけとさんにはこりたものがない)
酒の飲みすぎも出産も辛く苦しいものだが、もうやめたという者もない。酒を飲むこと、子どもを持つことはやはり楽しみがあるということ。
酒なくて何の己が桜かな(さけなくてなんのおのれがさくらかな)
花見に酒はつきもので、酒を飲まない花見はおもしろくないということ。