「さん」を含む故事・ことわざ・慣用句
「さん」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 153 件
三千の寵愛一身にあり(さんぜんのちょうあいいっしんにあり)
皇帝の後宮に仕える多くの女性の中で、ひとりだけが特別に寵愛されていることのたとえ。
三代続けば末代続く(さんだいつづけばまつだいつづく)
家は三代続けて栄えれば、基礎も固まって長く続くということ。
山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し(さんちゅうのぞくをやぶるはやすくしんちゅうのぞくをやぶるはかたし)
山中にいる賊を討伐するのは簡単だが、心の中の邪念に打ち勝つのは難しいというたとえ。
山中暦日なし(さんちゅうれきじつなし)
山の中で俗世間を離れて暮らしていると、月日の経つのも忘れるということ。「暦日」は、月日の意。
三度の火事より一度の後家(さんどのかじよりいちどのごけ)
三度火事に遭うより、一度だけでも夫に先立たれるほうが精神的打撃が大きくて立ち直りにくいというたとえ。
三度の飯も強し柔らかし(さんどのめしもこわしやわらかし)
世の中のことは、なかなか自分の思う通りにはならないというたとえ。 毎日炊いている飯でさえ、固すぎたり柔らかすぎたりして思うようにはいかないだから、世の中のことが思い通りにいかないのは当然だということから。
三度の飯より好き(さんどのめしよりすき)
他の何よりも好きであること。 一日三回の食事がどうでもいいと思うほどに好むということから。
三度目の正直(さんどめのしょうじき)
物事は一度目や二度目はだめでも、三度目はうまくいくということ。
三度目は定の目(さんどめはじょうのめ)
物事は一度目や二度目の結果は当てにならないが、三度目ともなれば確実だということ。「定の目」は、定まった賽の目のこと。
三人、市虎を成す(さんにん、しこをなす)
事実ではないことでも、多くの人が同じことを言えば、やがては信じられるようになることのたとえ。 「市」は街、また市場のこと。 一人や二人では信じないが、三人もの人が市に虎がいると言えば、事実でなくても信じ込んでしまうとの意から。 「市に虎あり」「三人、虎を成す」「市に虎あり」「市虎三伝」「三人成虎」などともいう。
三人行えば必ずわが師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
三人で一緒に事を行えば、他の二人の中に良い所、悪い所が必ず見いだせる。どちらにしても自分の学ぶべき相手が必ずみつかるということ。
三人子持ちは笑うて暮らす(さんにんこもちはわろうてくらす)
子どもを持つなら三人くらいがちょうどよく、幸せな暮らしができるということ。
三人知れば世界中(さんにんしればせかいじゅう)
人が三人集まる所で話したことは、秘密にするのはむずかしく、世界中に知れ渡ってしまったのと同じことになるというたとえ。
三人旅の一人乞食(さんにんたびのひとりこじき)
三人で旅をする時には、その中の一人が仲間はずれになりがちだということ。また、三人で事をすると、貧乏くじをひいて損をすることが多いということ。
三人寄れば姦しい(さんにんよればかしましい)
女はおしゃべりで、三人も集まればやかましくてかなわないということ。「女」の字を三つ合わせて「姦」という字になるところから。
三人寄れば公界(さんにんよればくがい)
人が三人集まれば、そこはもう公の場所と考えるべきであり、そこでの言動を秘密にするのは難しいということ。 「公界」は、公の場所。世間。
三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)
たとえ凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵がでるというたとえ。「文殊」は、知恵をつかさどる菩薩の名前。
三年、飛ばず鳴かず(さんねん、とばずなかず)
大いに活躍する機会を、長い間じっと待っていることのたとえ。 三年間飛びも鳴きもしない鳥は、ひとたび飛べば大空高く飛び上がり、ひとたび鳴けば人を驚かすとの意から。
三年経てば三つになる(さんねんたてばみっつになる)
生まれた子も三年経てばちゃんと三歳になるように、どんな物事も時が経てば変化し成長するということ。 「乞食の子も三年経てば三つになる」ともいう。
三拝九拝する(さんぱいきゅうはいする)
何度も頭を下げて頼み込んだり、敬意や感謝を表したりすること。
三拍子揃う(さんびょうしそろう)
必要な三つの条件が揃うこと。また、全ての条件が備わること。「三拍子」は、能楽の囃子で小鼓・大鼓・太鼓などの三種の楽器でとる拍子のこと。
酸鼻を極める(さんびをきわめる)
戦争や災害、事故などによって目を覆いたくなるほど悲惨な状態になること。 また、その状態に触れて心を痛めること。
三遍回って煙草にしょ(さんべんまわってたばこにしょ)
休むことは後回しにして、念入りに物事に取り組むこと。 「煙草」は休憩のたとえ。 夜回りをしっかりと三回してから休憩するとの意から。
三余(さんよ)
学問に励むために最もよい三つの余暇。年の余りで農業のない冬(年の余)、一日の余りである夜(日の余)、雨が降っている日(時の余)、これらの屋外で働けない三つの時。
算を乱す(さんをみだす)
散り散りばらばらになる様子。 「算」は算木のことで、占いや計算用具として使われた長方形の木片。 その算木を乱したようにばらばらになるとの意から。
舌三寸に胸三寸(したさんずんにむねさんずん)
ちょっと口から出た言葉や、ふと思いついたことが、重大な事を引き起こすことがあるので、むやみに言葉にしたり行動してはいけないということ「舌三寸」はちょっとしゃべること、「胸三寸」は心の中にある考えの意。
七年の病に三年の艾を求む(しちねんのやまいにさんねんのもぐさをもとむ)
事態が差し迫って慌てても間に合わないので、日ごろの心がけが大事だということ。七年もの間病気に苦しんだあとで、三年乾かさないといけない上等の艾を求めるということから。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
主従は三世(しゅじゅうはさんぜ)
主従の間柄は、前世・現世・来世の三世にもわたるほど深いということ。
辛酸を嘗める(しんさんをなめる)
辛く苦しい目に遭うこと。「辛酸」は、辛い目や苦しい思いのこと。
十三日の金曜日(じゅうさんにちのきんようび)
西洋で不吉とされて忌み嫌われる日のこと。キリストが弟子のユダに裏切られた日が十三日の金曜日だった、など俗説はいろいろある。
末四十より今の三十(すえしじゅうよりいまのさんじゅう)
将来多く得ることができるよりも、たとえ少なくても今すぐ確実に得たほうがよいということ。 「四十」を「始終」に掛けた言葉。
杜撰(ずさん)
仕事のやり方や物事の内容が、いいかげんで誤りが多いこと。また、詩や文章の典拠が不確かなさま。
「杜」は中国宋の詩人、杜黙のこと。「撰」は詩文を作ること。
杜黙の詩が詩の決まりにほとんど合っていなかったということから。太山を挟んで北海を超ゆ(たいざんをわきばさんでほっかいをこゆ)
人間の力では出来るはずがないことのたとえ。 「太山」は泰山、「北海」は中国北東部にある渤海湾(ぼっかいわん)のこと。 泰山を小脇にかかえて渤海湾を飛び越えるとの意から。
足らず余らず子三人(たらずあまらずこさんにん)
子どもは三人いるのが、多過ぎず少な過ぎずでちょうどいいということ。
亭主三杯客一杯(ていしゅさんばいきゃくいっぱい)
客をもてなすために、主人が客よりたくさん酒をのむこと。また、客をだしにして主人がふだんより多く酒を飲むことにもいう。
何事も三度(なにごともさんど)
一度や二度の失敗であきらめず、せめて三度はやってみよということ。
二度あることは三度ある(にどあることはさんどある)
同じようなことが二度続けば、もう一度起こる可能性が高いということ。
二度目の見直し三度目の正直(にどめのみなおしさんどめのしょうじき)
物事は一度目はあてにならず、二度目も見直すことがあり、三度目なら確実だということ。
盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり)
どんなことでも、こじつければ理屈はつけられるということ。 盗みは悪いことだが、それを正当化する三分ほどの理屈があるとの意から。 「泥棒にも三分の道理」「盗人にも一理屈」ともいう。
猫は三年の恩を三日で忘れる(ねこはさんねんのおんをみっかでわすれる)
猫は三年飼われても、飼い主への恩を三日で忘れてしまうくらい薄情な動物だということ。
白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)
長年の悲しみや心配のために、白髪が非常に長く伸びることを誇張して言った言葉。
鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり(はとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり)
子の親に対する礼儀や孝行の大切さをいう言葉。 鳩は親鳥よりも三本下の枝にとまり、烏は恩を忘れずに老いた親鳥の口に餌を運んで孝行するといわれる。 鳥でさえ親の恩に報いるのだから、人間はなおさら礼儀を尊び親孝行しなければならないということ。
早起き三両、倹約五両(はやおきさんりょう、けんやくごりょう)
早起きと倹約はどちらも大きな利益になるというたとえ。 「朝起き三両始末五両」ともいう。
早起きは三文の徳(はやおきはさんもんのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
春の晩飯後三里(はるのばんめしあとさんり)
春は晩飯を食べたあとでも三里の道を歩けるほど日が長いということ。 「春の夕飯食って三里」ともいう。
馬鹿の三杯汁(ばかのさんばいじる)
何杯も汁のおかわりをする作法知らずをあざけっていう言葉。また、愚か者にかぎって大食をすることのたとえ。 「阿呆の三杯汁」ともいう。
祖母育ちは三百安い(ばばそだちはさんびゃくやすい)
祖母に育てられた子どもは、甘やかされ大切にされるので、わがままで出来の悪い子になるということ。
飛脚に三里の灸(ひきゃくにさんりのきゅう)
勢いのあるものにさらに勢いをつけるたとえ。「三里」は、膝頭の下の灸点で、ここに灸をすえると足を丈夫にするといわれている。足の速い飛脚が三里に灸をすえれば、さらに足が強くなることから。
引っ越し三両(ひっこしさんりょう)
引っ越しをすれば、いろいろと費用がかかるということ。
一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。 「ひととき」は「いっとき」ともいう。 また「一時三里」ともいう。
人の痛いのは三年でも辛抱する(ひとのいたいのはさんねんでもしんぼうする)
他人の苦痛は自分とは無関係だから平気であるということ。
一人の文殊より三人のたくらだ(ひとりのもんじゅよりさんにんのたくらだ)
優れた人物が一人で考えるより、愚か者でも何人かで考えたほうが良い考えが浮かぶことのたとえ。 「文殊」は知恵をつかさどる菩薩のこと。 「たくらだ」はじゃこう鹿に似た獣。じゃこう鹿を狩る時に、猟師が飛び出してきたたくらだを誤って狩ったことから、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりする者のこと。転じて、愚か者・まぬけのことをいう。
美味も喉三寸(びみものどさんずん)
どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通るの間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん)
貧乏な人にかぎって子どもが多いということ。
法三章(ほうさんしょう)
簡単な法律のこと。また、法律を簡略化すること。漢の高祖が厳しい法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗だけを処罰するとした三章からなる簡略な法律を定めたという故事から。
仏の顔も三度(ほとけのかおもさんど)
どんなに温和な人でも、繰り返しひどい仕打ちをされると腹を立てるというたとえ。 慈悲深い仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てるとの意から。 「地蔵の顔も三度」ともいう。
ぽつぽつ三年、波八年(ぽつぽつさんねん、なみはちねん)
何事も一人前になるには、それなりの年月が必要だということ。 日本画の修行では、ぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに三年、波を描けるようになるのに八年かかるとの意から。
前十両に後ろ三両(まえじゅうりょうにうしろさんりょう)
前から見ると美しいが、後姿はそれほどでもないということ。
松の木柱も三年(まつのきばしらもさんねん)
その場だけを切り抜けるなら、どんなものでも役に立つというたとえ。腐りやすい松の柱でも三年くらいは持つということから。
無患子は三年磨いても黒い(むくろじはさんねんみがいてもくろい)
生まれつきの性質は変えることはできないというたとえ。 「無患子」は、山地に生える落葉高木。種子は黒色で羽根つきの羽根の玉に使われる。 その黒色の種子をいくら磨いても白くはならないとの意から。
娘三人持てば身代潰す(むすめさんにんもてばしんだいつぶす)
娘を三人持てば、その嫁入り支度で財産がなくなるということ。
娘一人に婿三人(むすめひとりにむこさんにん)
一つの物事に対しての希望者が多くいること。 一人の娘に対して婿を希望する人が八人もいるとの意から。 「娘一人に婿三人」「娘一人に婿十人」ともいう。
胸三寸に納める(むねさんずんにおさめる)
すべてを心に納めて、顔にも言葉にも出さないこと。 「胸三寸」は胸の中のこと。 「胸三寸」は単に「胸」、「納める」は「畳む」ともいう。 また「腹に納める」ともいう。
目を三角にする(めをさんかくにする)
怒って、目尻の吊り上がったこわい目付きをすること。
孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)
子どもの教育には良い環境を選ぶことが大切だという教え。 孟子は幼い頃墓地の近くに住んでいたが、孟子が葬式の真似をして遊ぶので母は市場の近くに居を移した。すると孟子は売買の真似をはじめたので、今度は学校のそばに転居した。すると礼儀作法を真似るようになったので教育に最適な場所として安住したという故事から。 「三遷の教え」「孟母の三遷」「孟母の三居」「孟母三遷」などともいう。
桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
芽が出てから実が成るまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も相応の年数がかかることのたとえ。このあとに「枇杷(びわ)は九年でなりかねる」「柚は九年になりかかる」「梅は酸いとて十三年」などと続けてもいう。
宿取らば一に方角、二に雪隠、三に戸締り、四には火の元(やどとらばいちにほうがく、ににせっちん、さんにとじまり、しにはひのもと)
昔、旅先で宿を取る時に、確認しておくべき事柄を順序だてて並べた言葉。「雪隠」は、便所のこと。
有知無知三十里(ゆうちむちさんじゅうり)
知恵のある者と知恵のない者には、大きな差があることのたとえ。 魏の曹操が楊脩を従えて曹娥の墓碑のそばを通ったとき、碑文の意味を楊脩はすぐに理解できたが、曹操は三十里先でやっと理解できたという故事から。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
律義者の子沢山(りちぎもののこだくさん)
律義者は、品行方正で家庭円満なので、夫婦仲もよく子どもが多く生まれるということ。
禍も三年経てば用に立つ(わざわいもさんねんたてばようにたつ)
時が経てば、災いが幸いに転じることもある。どんなものでも、役に立たないものはないというたとえ。