「ば」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ば」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 627 件
葬礼帰りの医者話(そうれいがえりのいしゃばなし)
言ってもどうにもならない愚痴を言うたとえ。また、手遅れで間に合わないことのたとえ。葬式からの帰り道に、医者のよしあしなどを話すということから。
謗れば影さす(そしればかげさす)
悪口を言っていると、その噂の当人がひょっこりその場に現れること。
備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
普段から非常時の準備をしておけば、緊急の事態が起こっても心配する必要がないということ。
その国に入ればその俗に従う(そのくににいればそのぞくにしたがう)
その土地に行ったら、その土地の習慣やしきたりに従うべきであるということ。
その子を知らざればその友を視よ(そのこをしらざればそのともをみよ)
その子のことがわからない時は、付き合っている友達を見ればわかるということ。
傍杖を食う(そばづえをくう)
自分と関係のないことで、思いがけない災難を受けること。 喧嘩している近くにいたために、打ち合っている杖で打たれることから。 「側杖を食う」とも書く。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
算盤が合う(そろばんがあう)
計算の結果が正しいこと。計算が合うこと。 または、収支を計算して収入のほうが多いこと。採算がとれること。
算盤高い(そろばんだかい)
なにかを行う際に、損になるか得になるかを考えるさま。
大海は芥を択ばず(たいかいはあくたをえらばず)
度量が広く、どんな相手でもすべて受け入れるというたとえ。 「芥」はごみのこと。 大海はごみであっても気にせずに受け入れるという意味から。
太鼓判を押す(たいこばんをおす)
絶対に間違いないと保証するたとえ。太鼓のように大きな判を押す意から。
太鼓も撥の当たりよう(たいこもばちのあたりよう)
こちらのやり方次第で相手の出方も違ってくるというたとえ。 太鼓はたたき方ひとつで、音の強弱がかわるとの意から。 「撥」は「桴」や「枹」とも書く。
太鼓を打てば鉦が外れる(たいこをうてばかねがはずれる)
一方に気を取られると、もう一方がおろそかになるというたとえ。 太鼓に気を取られると、鉦を打つ手がゆるみ、打ち損じることから。
太山を挟んで北海を超ゆ(たいざんをわきばさんでほっかいをこゆ)
人間の力では出来るはずがないことのたとえ。 「太山」は泰山、「北海」は中国北東部にある渤海湾(ぼっかいわん)のこと。 泰山を小脇にかかえて渤海湾を飛び越えるとの意から。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
大珠小珠、玉盤に落つ(たいじゅしょうじゅ、ぎょくばんにおつ)
大小の真珠が玉の皿に落ちるように、美しく澄んだ琵琶の音色が響き渡ること。
鯛なくば狗母魚(たいなくばえそ)
最善のものがない時には、それよりも劣っていても代わりのもので間に合わせなければならないということ。 「狗母魚」は、かまぼこの材料となる魚。 鯛がなければ狗母魚で我慢するとの意から。
叩けば埃が出る(たたけばほこりがでる)
どんなものであっても細かく調べれば、欠点や弱点が出てくるものだということ。
叩けよ、さらば開かれん(たたけよ、さらばひらかれん)
積極的に努力すれば、必ず成功への道は開けてくるということ。 ただ待っているだけでは神の国の門は開かれないが、ひたすら神に祈り、救いを求めれば門は開かれるだろうという意味。新約聖書に由来する言葉。
立場が無い(たちばがない)
信用を失ったり評価が下がったりして、面目を失う。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花(たてばしゃくやく、すわればぼたん、あるくすがたはゆりのはな)
美人の容姿や立ち居振る舞いを形容することば。
立てば芍薬、座れば牡丹(たてばしゃくやくすわればぼたん)
美人の容姿や立ち居振る舞いを形容することば。 続けて「歩く姿はゆりの花」とも言う。
他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ(たにんのめしをくわねばおやのおんはしれぬ)
親元を離れ、他人と暮らし、世間で苦労してみなければ、親の恩は知れないということ。
狸が人に化かされる(たぬきがひとにばかされる)
相手を甘く見て油断したために、だまそうとした相手から逆にだまされることのたとえ。 人をだますと言われている狸が、人からだまされてしまうことから。
田の事すれば畑が荒れる(たのことすればはたけがあれる)
一方に気をとられていると他方がおろそかになってしまうので、両方同時にはできないということ。 田んぼのことをすれば、畑まで手が回らずに荒れてしまうとの意から。
頼めば越後から米搗きにも来る(たのめばえちごからこめつきにもくる)
真心をつくして頼めば、人は嫌とは言えないもので、難しいことであっても承知してくれるというたとえ。 「越後」は、現在の新潟県。ここでは遠いの場所のたとえ。 心から頼めば、遠い場所からでも米搗きに来てくれるとの意から。
束になって掛かる(たばになってかかる)
大勢の人が一緒になって、一つのものに向かったり、一人に対抗したりすること。
他聞を憚る(たぶんをはばかる)
他人に聞かれると不都合があること。
玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
才能や素質に恵まれていても、努力しなければ立派な人間になることはできないというたとえ。 どれほどすばらしい玉でも、磨かなければ光を放たないとの意から。 「玉磨かざれば器を成さず」ともいう。
溜め息をすれば親の寿命が縮む(ためいきをすればおやのじゅみょうがちぢむ)
子どもがため息をつけば、親は寿命が縮むほど心配するから、親にそんな態度を見せてはいけないということ。
乃公出でずんば(だいこういでずんば)
「もし自分がやらなければ、いったい他の誰ができるのというのか」の意。 「乃公」は男子が自分のことを尊大に言う語。俺さま・吾輩の意。
橙が赤くなれば医者の顔が青くなる(だいだいがあかくなればいしゃのかおがあおくなる)
橙が色づく秋頃は過ごしやすく病人も少なくなり、仕事が減った医者の顔が青くなるということ。
抱けばおんぶ(だけばおんぶ)
人の親切心に甘えて、つけあがること。親切に抱いてやると、次はおんぶをせがむの意。
伊達の素足もないから起こる、あれば天鵞絨の足袋も履く(だてのすあしもないからおこる、あればびろうどのたびもはく)
どうしようもなくて我慢することのたとえ。 粋だと言われている伊達の素足も、実は足袋を買う金がないからだとの意から。 「伊達の素足も貧から起こる」ともいう。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
断じて行えば鬼神も之を避く(だんじておこなえばきしんもこれをさく)
断固たる決意で物事を行えば、困難なことでも成し遂げることができるというたとえ。 断固とした態度で決行すれば、鬼神でさえその勢いに押されて避けていくとの意から。
知恵多ければ憤り多し(ちえおおければいきどおりおおし)
知恵を多く身につけてくると、世の中の矛盾や不合理に気づくようになり、腹が立つことが多くなるということ。
知恵は万代の宝(ちえはばんだいのたから)
すぐれた知恵は後世まで役立つ宝であるということ。
力及ばず(ちからおよばず)
精一杯努力したが、力不足で残念な結果に終わる様子。
竹馬の友(ちくばのとも)
子供のころからの親友や幼馴染のこと。 「竹馬」は一本の竹の棒を馬に見立てたもの。 幼いころから竹馬で駆け回って一緒に遊んだ友達という意味から。
馳走終わらば油断すな(ちそうおわらばゆだんすな)
人がご馳走してくれる時は何か魂胆があるかもしれないので油断するなということ。
茶腹も一時(ちゃばらもいっとき)
わずかなことでも一時しのぎにはなることのたとえ。空腹の時もお茶でしばらくはしのげるということから。
ちゃんちゃんばらばら(ちゃんちゃんばらばら)
刀で斬り合う音や様子。または、けんか。乱闘。
忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず(ちゅうならんとほっすればこうならず、こうならんとほっすればちゅうならず)
主君に忠義を尽くそうとすれば親に逆らうこととなり孝行できず、親に孝行しようとすれば主君に背くことになり不忠となる。大切な二つのものの板ばさみになって進退きわまった状態のたとえ。平重盛が、父の清盛と朝廷との間で苦悩したときの言葉。
中流に船を失えば一瓢も千金(ちゅうりゅうにふねをうしなえばいっぴょうもせんきん)
つまらないものでも、場合によってはとても価値があるというたとえ。 流れの真ん中で船を失ったときには、ひょうたん一個でも浮き袋の代わりになるとの意から。
町内で知らぬは亭主ばかりなり(ちょうないでしらぬはていしゅばかりなり)
女房の浮気を町内の者はみんな知っていて、亭主だけが知らないという間抜けぶりをあざけった言葉。
塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)
塵のようなわずかなものでも、たくさん積み重なれば山のように大きなものになるというたとえ。小さなことでもおろそかにしてはいけないということ。
つうと言えばかあ(つうといえばかあ)
お互いの気持ちが理解できていて、ちょっと言うだけで相手の意図がわかる様子。 「[[つうかあ*https://kokugo.jitenon.jp/word/p33650]]」ともいう。
月日変われば気も変わる(つきひかわればきもかわる)
月日が経てば人の気持ちも変わる。人の心は定まったものではなく、変化していくということ。
月満つれば則ち虧く(つきみつればすなわちかく)
何事も頂点に達したあとは、必ず衰え始めるというたとえ。 月は満月のあと徐々に欠けていくことから。 「満つれば虧く」ともいう。
月を指せば指を認む(つきをさせばゆびをみとむ)
物事を説明しても、その文字や言葉にこだわって本質を理解しないということ。 月の説明をするために月を指さしても、月を見ずに指している指を見るとの意から。
漬物褒めれば嬶褒める(つけものほめればかかほめる)
漬物の味をほめると、それを漬けた主婦をほめるのと同じことになり、亭主がやきもちを焼く原因になるから気をつけよということ。
付け焼き刃(つけやきば)
一時しのぎのために、急いで覚えた知識や技術のこと。切れ味の悪い刀にはがねの焼き刃を付けても、見た目は切れそうであるが実際は脆くてすぐ駄目になることから。
付け焼き刃はなまり易い(つけやきばはなまりやすい)
一時しのぎで身に付けたものは、すぐにぼろが出てしまうということ。 「付け焼き刃」は、切れ味の悪い刀に鋼(はがね)の焼き刃を付けること。転じて、その場しのぎの急いで覚えた知識や技術。 付け焼き刃は、切れ味の良さそうな見た目をしているが、実際にはもろくてすぐに駄目になることから。 「付け焼き刃は剥げ易い」ともいう。
角ある獣に上歯なし(つのあるけものにうわばなし)
一人でいくつも優れたものを兼ね備えるのはむずかしいというたとえ。「上歯」は牙の意で、角がある獣には牙がないということから。
鍔迫り合いを演じる(つばぜりあいをえんじる)
同じくらいの力のもの同士が激しく争うこと。 「鍔迫り合い」は互いの刀を鍔で受け止めながら押し合うこと。
唾を付ける(つばをつける)
他の人に取られないように事前に自分のものであることを示しておくこと。 食べ物に唾を付けて他人が食べられないようにするとの意から。
詰め腹を切らされる(つめばらをきらされる)
責任を取ることを強いられて、辞職させられたり減俸されたりすること。 「詰め腹」は強制的に切腹させられること。
詰め腹を切らせる(つめばらをきらせる)
辞職させるなどして、強制的に責任を取らせること。 「詰め腹」は強制的に強いられる切腹のこと。
面の皮千枚張り(つらのかわせんまいばり)
きわめて恥知らずで厚かましいことのたとえ。 顔の皮が千枚張り合わせたほど厚いとの意から。
釣りする馬鹿に見る阿呆(つりするばかにみるあほう)
魚釣りをする人間も、それを見ている人間も、どちらも無駄な時間を過ごしている、と釣り好きをあざけった言葉。
手足を伸ばす(てあしをのばす)
ゆっくりと休むこと。のんびりとくつろぐこと。
亭主三杯客一杯(ていしゅさんばいきゃくいっぱい)
客をもてなすために、主人が客よりたくさん酒をのむこと。また、客をだしにして主人がふだんより多く酒を飲むことにもいう。
手が空けば口が開く(てがあけばくちがあく)
仕事がなくなり手が空けば、食べる物もなくなり口も開いてしまう。また、暇になればつい無駄話をしがちだということ。
手が入れば足も入る(てがいればあしもいる)
一度気を許すと次々と入り込まれることのたとえ。また、次第に深入りすることのたとえ。
手出し十層倍(てだしじっそうばい)
喧嘩は、初めにしかけた者に、他の者の十倍の罪があるということ。
手に唾する(てにつばきする)
物事を行う前に気持ちを奮い立たせる様子。 重い物を持つ前に手に唾をかけるということから。
寺から出れば坊主(てらからでればぼうず)
そう思われても仕方がないことのたとえ。 寺から出てくる者は僧侶と思われても仕方がないとの意から。
手を延ばす(てをのばす)
新しい方面や分野に進出すること。
手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる(てをひるがえせばくもとなり、てをくつがえせばあめとなる)
人の心の変わりやすいことのたとえ。 手のひらを上に向ければ雲がわき、手のひらを下に向けると雨が降るとの意から。
天地は万物の逆旅(てんちはばんぶつのげきりょ)
この世のすべてのものは、うつろいやすくはかないということのたとえ。 「逆旅」は宿屋のことで、天地はあらゆる生物が生まれてから死ぬまでのわずかな間に泊まる宿屋に過ぎないとの意から。
天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝(てんにあらばひよくのとりちにあらばれんりのえだ)
男女・夫婦の仲がきわめてむつまじいことのたとえ。 「比翼」は、雌雄それぞれが目と翼を一つずつ持ち、二羽がいつも一体となって飛ぶとされる想像上の鳥。 「連理」は、一本の木の枝が他の木の枝とくっついて木目が連なっていること。 略して「[[比翼連理*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1402.html]]」ともいう。
天に唾す(てんにつばきす)
他人に害を与えようとして、逆に自分がひどい目に遭うことのたとえ。 上を向いて唾をはくと、自分の顔に落ちてくることから。 「天を仰いで唾す」「天を仰いで唾する」「仰いで唾を吐く」などともいう。
天馬空を行く(てんばくうをゆく)
天馬が、天空を自由に駆け巡るように、着想や行動が自由奔放である様子。
出端を挫く(でばなをくじく)
物事をし始めたばかりのところを妨害して、中断させたり意欲をなくさせたりすること。 「出端」は「出鼻」とも書き、「ではな」ともいう。 「出端を折る」ともいう。
デマを飛ばす(でまをとばす)
根拠のない嘘や噂話などを言いふらすこと。
問い声よければいらえ声よい(といごえよければいらえごえよい)
こちらの出方しだいで、相手の態度も変わるというたとえ。聞き方が良ければ相手の答え方も良いということ。
冬至十日経てば阿呆でも知る(とうじとおかたてばあほうでもしる)
冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。
遠くなれば薄くなる(とおくなればうすくなる)
親しかった者でも、遠ざかればだんだん情が薄れていくということ。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)
子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。