「花」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 102 件
「花」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全102件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
朝顔の花一時(あさがおのはなひととき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。 あまり好まれない薊の花も、美しい時期があることから。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
今できることを明日に延ばしていると、その機会は二度と来ないかもしれないということ。思い立ったらすぐ行えという戒め。 また、人の命がいつまで続くか分からないことのたとえ。 咲きそろった桜も、その夜のうちに嵐が来れば残らないとの意から。 歌は「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。親鸞が詠んだものと伝える。
徒花に実は生らぬ(あだばなにみはならぬ)
見かけだけが立派でも、内容や実力が伴わなければ、よい成果には結びつかないということ。 「徒花」は咲いても実を結ばずに散る花で、花の美しさだけでは実りにならない意から。 「徒花」は「仇花」、「生らぬ」は「成らぬ」とも書く。 また、見かけこそ華やかであるが、実質が伴わず、期待したような良い結果が得られないことを「徒花を咲かせる」という。
雨は花の父母(あめははなのふぼ)
花にとって雨は、養い育ててくれる父母のようなものだということ。
石に花咲く(いしにはなさく)
現実には起こるはずのないことのたとえ。
いずれ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)
どちらもすぐれていて優劣をつけにくく、選択に迷うたとえ。菖蒲も杜若もよく似た美しい花で区別がむずかしいことから。
一輪咲いても花は花(いちりんさいてもはなははな)
たとえ小さく目立たない存在でも、その存在自身には何ら変わりはないということ。
炒り豆に花が咲く(いりまめにはながさく)
衰えていたものが、再び栄えることのたとえ。また、ありえないことが実現することのたとえ。 炒った豆に芽が出て花が咲くということから。 「炒り豆に花」ともいう。
言わぬが花(いわぬがはな)
はっきりと口に出していうより、黙っていたほうが趣があるということ。
美しい花には棘がある(うつくしいはなにはとげがある)
美しいものには人を傷つける一面があるということ。
優曇華の花(うどんげのはな)
そうそうは巡ってこない、きわめてまれなことのたとえ。 優曇華はインドに伝わる想像上の木で、三千年に一度だけ花を開き、そのときには世を治める理想の王が現れるという。 「盲亀の浮木、優曇華の花」と重ねてもいう。
梅に鶯(うめにうぐいす)
美しく調和する二つのもののたとえ。鶯が梅の枝にとまっている光景がよく似合っていることから。
埋もれ木に花咲く(うもれぎにはなさく)
長い間不運だった人に意外な幸運が訪れることのたとえ。また、世間から忘れ去られていた人が再び脚光を浴びて世に出ることのたとえ。 土の中に埋もれていた木に花が咲くとの意から。
売り物には花を飾れ(うりものにははなをかざれ)
売る品は見た目を整えてこそ手に取ってもらえる。 中身だけで勝負せず、体裁にも手をかけよという商いの心得。
枝を矯めて花を散らす(えだをためてはなをちらす)
姿かたちを整えようと手を入れるうちに、咲くはずのものを落としてしまう。 見場を気にしすぎて、肝心の実りが残らない。
老い木に花咲く(おいきにはなさく)
老木に再び花が咲くように、一度衰えたものが再び盛んになることのたとえ。 「枯れ木に花咲く」ともいう。 また単に「老い木に花」や「枯れ木に花」ともいう。
男は松、女は藤(おとこはまつ、おんなはふじ)
男は大地にしっかりと根を張る松のようなもので、女はその松にからむ藤のように男を頼りにするものだということのたとえ。
男鰥に蛆が湧き、女寡に花が咲く(おとこやもめにうじがわき、おんなやもめにはながさく)
連れ合いを欠くと、男の側は身のまわりが荒れていく一方で、女の側はかえって手入れが行き届き、人目を引くようになる。 「やもめ」は、対を失って独りでいる者。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
咲いた花がひとつ残らず実を結ぶ作物と同じで、親が子に向ける言葉には外れがない。 空振りに終わる一言は出てこない。
女寡に花が咲く(おんなやもめにはながさく)
夫に先立たれた女が、かえって前より艶やかに見えるようになる。 気を配る先が自分ひとりに戻るからである。
解語の花(かいごのはな)
美しい女性をいう言葉。「解語」は言葉が通じることで、物言う花の意。 唐の玄宗が宮中の池に咲く白蓮を臣下と眺めていたとき、かたわらの楊貴妃を指して、この花の見事さもわたしの解語の花には及ばぬ、と語ったと伝える。
火事と喧嘩は江戸の花(かじとけんかはえどのはな)
江戸は人家が密集していたため大火事が多く、火消しの働きぶりが華やかであった。また、江戸っ子は気が短いため喧嘩も威勢がよく派手であった。この二つが江戸の名物だったということ。
餓鬼の花争い(がきのはなあらそい)
貧しい者が生活に関係ない趣味に熱中するたとえ。「餓鬼」は餓鬼道におち飢えと渇きに苦しんでいる亡者。餓鬼が食べられない花のことで争うことから。
桐一葉(きりひとは)
桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の訪れを知ること。転じて、小さなできごとから衰亡の兆しを感じ取ることのたとえ。
器量は当座の花(きりょうはとうざのはな)
器量がいいなどというのは、人生の中のほんの一時のものに過ぎないということ。
綺麗な花は山に咲く(きれいなはなはやまにさく)
見事なものほど、人の足が向かない奥まった場所にひそむということ。 里に咲く花と違い、山中の花は分け入った者の目にしか触れない意から。
槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)
栄華が長続きしないことのたとえ。 「槿花」は、むくげの花。 朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうむくげの花のように、はかない栄華との意から。 「槿花一朝の夢」ともいう。
錦上に花を添える(きんじょうにはなをそえる)
申し分のないものに、いっそう見栄えのするものが添えられること。めでたい上にめでたさが重なる場合にもいう。錦の織地の上へ花をあしらうという、詩の一句から。
金蘭の契り(きんらんのちぎり)
きわめて親密な交わりのこと。 その交わりの堅さは金をも断つほどであり、その美しさは薫り高い蘭のようであるとの意から。
楠の木分限、梅の木分限(くすのきぶげん、うめのきぶげん)
生長は遅いが、着実に根を張り大木となる楠の木のように堅実な金持ちと、生長が早い梅の木のようなにわか成金のたとえ。「分限」は、「ぶんげん」とも読み、金持ちのこと。
紅は園生に植えても隠れなし(くれないはそのうにうえてもかくれなし)
すぐれている人は、どんな所にいても目立つというたとえ。 「紅」は、紅花(べにばな)のこと。 紅花はどんな花園に植えても際立つとの意から。
後家花咲かす(ごけばなさかす)
夫を亡くした女のまわりに、男たちが寄って賑わうということ。 「花を咲かす」は、その人を中心に人が集まって華やぐこと。 男の側を言う「男鰥に蛆が湧く」と対をなす言い方。
桜折る馬鹿、柿折らぬ馬鹿(さくらおるばか、かきおらぬばか)
桜は枝を折ると枯れてしまうことがある。一方、刃物を嫌う柿は枝を折るほうが新しい枝が茂って多くの実をつけるということ。
桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿(さくらきるばか、うめきらぬばか)
樹木の剪定(せんてい)方法をいったことば。桜は枝を切ると枯れることがあるのでそのままがいいし、梅は無駄な枝が伸びないように切ったほうがよいということ。
桜は花に顕われる(さくらははなにあらわれる)
ふだんは平凡な人々に紛れていた人間が、何らかの機会に優れた才能を発揮するたとえ。他の雑木に交って目立たなかった桜の木も、花が咲いて初めて桜の木だと気づかれるということから。
酒なくて何の己が桜かな(さけなくてなんのおのれがさくらかな)
花見に酒はつきもので、酒を飲まない花見はおもしろくないということ。
三十九じゃもの花じゃもの(さんじゅうくじゃものはなじゃもの)
三十九歳はまだ三十代、これからが盛りで人生の花を咲かせる時期だということ。「四十四十と人言うけれど三十九だもの花だもの」という俗謡から。
死に花を咲かせる(しにばなをさかせる)
死に際が立派で、名誉を死後に残すこと。
春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
おぼろ月に花の香りの漂う春の夜は、そのひとときが千金にも換えがたいということ。 「一刻」はほんのわずかな間、「千金」は多額の金銭のたとえ。 「値」は原詩では「直」と書き、あたいする意。
芝蘭の室に入るが如し(しらんのしつにいるがごとし)
すぐれた人物のそばに身を置いていると、教わるでもなくその人となりが移ってくる。 香草を満たした部屋にいた者から、いつしか同じ匂いがするように。
死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか)
人間死んでしまえば万事おしまいである。どんな状況にあっても、生きていればこそいいこともあるということ。死んだ木に花が咲いたり実がなったりしないことから。
沈丁花は枯れても香し(じんちょうげはかれてもかんばし)
もともと良いものは、たとえ盛りが過ぎても値打ちがあるというたとえ。沈丁花は枯れてもなおよい香りがすることから。
栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)
大成する人は幼少期から優れているというたとえ。 「栴檀」は、香木の名。白檀の異称。 白檀は発芽の頃から芳香を放つことから。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
添わぬうちが花(そわぬうちがはな)
結婚して一緒に生活するようになると、お互いの欠点が目立つようになるので、結婚前が一番楽しい時期だということ。
高嶺の花(たかねのはな)
高い嶺に咲くきれいな花のように、遠くから見るだけで手に入れることの出来ないもののたとえ。
薪に花(たきぎにはな)
姿は上品ではなくても、内にはやさしさや風雅の心を秘めていることのたとえ。 薪を採る山人が、積んだ薪に野山の花を添えるの意。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花(たてばしゃくやく、すわればぼたん、あるくすがたはゆりのはな)
立っているときも腰を下ろしたときも、歩き出してからも、どの構えを切り取っても崩れがない。 女の姿かたちをほめるのに、これ以上ない並べ方をした言葉。 「立てば芍薬、座れば牡丹」ともいう。
他人は時の花(たにんはときのはな)
季節の花が咲いてすぐ散るように、他人の好意も長続きしないものだから、あまり頼りにしてはいけないという教え。「時の花」は季節に咲く花。
蝶よ花よ(ちょうよはなよ)
親が自分の娘をかわいがり大事にするたとえ。「蝶よ花よと育てられる」の形で使われることが多い。
沈魚落雁、閉月羞花(ちんぎょらくがん、へいげつしゅうか)
この上ない美女のこと。 あまりの美しさに、魚は沈み、雁は落ち、月は雲間に隠れ、花は恥じてしぼむとの意から。
月に叢雲、花に風(つきにむらくも、はなにかぜ)
良いことや楽しいことには邪魔が入りやすく長続きしないということ。 名月には雲がかかって見えなくなったり、満開の花には風が吹いて花びらを散らしてしまったりすることから。
月雪花は一度に眺められぬ(つきゆきはなはいちどにながめられぬ)
望ましいものが一度に手に入ることはないというたとえ。 澄んだ月の夜に雪は舞わず、雪の日には花もうずもれて見えず、花の盛りの真昼に月は照らない。三つの眺めが同時にそろうことはない。
泥中の蓮(でいちゅうのはす)
汚れた環境の中でも、それに染まらず清らかに生きていることのたとえ。汚い泥の中でも蓮は清らかな花を咲かせることから。
桃源郷(とうげんきょう)
俗世間を離れた平和な別天地のこと。 中国晋の時代、武陵の漁師が川を水源までさかのぼり、桃の花が咲き乱れる林に迷い込むと、秦の時代の戦乱を避けた人々が平和に暮らす理想郷があったという説話から。 「武陵桃源」「桃源」ともいう。
桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)
中身の備わった人は、こちらから触れ回らずとも人を引き寄せる。聞き及んだ者が次々に足を運び、いつしかそこへ向かう往来が絶えなくなる。 「蹊」は人が踏み分けてできた細道。 「成蹊」ともいう。
十日の菊、六日の菖蒲(とおかのきく、むいかのあやめ)
たった一日ずれただけで、それまでの値打ちが丸ごと消えてしまう。 物には出しどきがあり、外せば同じ品でも用をなさない。 「六日の菖蒲、十日の菊」ともいう。 また、単に「十日の菊」「六日の菖蒲」ともいう。
遠きは花の香(とおきははなのか)
離れているものほど値打ちがあるように映り、手元にあるものは粗末に思える。品物そのものの差ではなく、間にある隔たりがそう見せている。
時の花を挿頭にせよ(ときのはなをかざしにせよ)
時流に乗って世渡りすることがよいということ。 「挿頭」は髪や冠に挿す飾り花のこと。 その時季に咲く花を飾るように、その時代の風潮や傾向に合わせて暮らすべきであるということ。
隣の花は赤い(となりのはなはあかい)
他人の物はなんでもよく見えてうらやましく思えるというたとえ。 隣の家に咲いている花は、自分の家の花より赤く見えるという意味から。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子は咲いた分だけ実がつく。 親が口にする戒めもそれと同じで、聞き流してよいものは一つも混じっていない。
二鼠藤を嚙む(にそふじをかむ)
この世に生きる人間には刻々と死期が近づいていることのたとえ。 「二鼠」は日月(昼夜)の意。 「藤」は生命の意。 「嚙」は「噛」とも書く。
二桃三士を殺す(にとうさんしをころす)
巧妙な計略を用いて人を自滅させることのたとえ。 また、策をめぐらして争わせ、互いに滅びへ導くこと。 中国・春秋時代、斉の景公(けいこう)に仕える三人の勇士、公孫接(こうそんしょう)、田開疆(でんかいきょう)、古冶子(こやし)は、功を誇ってわがままに振る舞い、国の秩序を乱していた。 そこで、宰相の晏嬰(あんえい)は、景公に進言して策をめぐらした。 景公は三人を集め、「そなたたちの功績を比べ、功の大きい二人がこの二つの桃を食べよ」と告げた。 三人はそれぞれ自らの功を誇り、二人が桃を取って食べた。 ところが、桃を食べなかった者こそ功が最も大きいことが分かり、桃を取った二人は恥じて自害した。 残された一人も「自分だけが生き残るのは義に反する」と恥じて命を絶ち、三人はそろって自滅した。 こうして、晏嬰は智略のみで三人を排除したという故事から。
根がなくても花は咲く(ねがなくてもはなはさく)
根がない生け花にも花が咲くように、まったく事実無根のことでも噂が立つことがあるということ。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
花一時、人一盛り(はないっとき、ひとひとさかり)
花が咲き誇るのもほんの一時であるように、人も盛んな時はごく短い一時期に過ぎないということ。
花多ければ実少なし(はなおおければみすくなし)
上辺を飾る人は、誠実さに欠けるということのたとえ。 たくさんの花が咲く木にかぎって、実は少ししかならないものであるとの意から。
話に花が咲く(はなしにはながさく)
一つの話題から別の話題へと広がって、会話がにぎやかになること。 思い出話などで、話す材料が尽きないさまにいう。 やり取りの調子をいう「話が弾む」に対して、こちらは話題の広がりをいう。 花が次々に開くさまにたとえた言葉。
花七日(はななぬか)
盛りの時期の短いことのたとえ。桜の花の盛りが七日しかない意から。
花に嵐(はなにあらし)
良い物事には邪魔が入りやすいということのたとえ。 きれいに咲いた桜の花が嵐で散ってしまうとの意から。
花盗人は風流のうち(はなぬすびとはふうりゅうのうち)
美しい花を、つい一枝折ってしまうのは風流というもので、とがめるほどのことではないということ。
花の下より鼻の下(はなのしたよりはなのした)
花を楽しむより、鼻の下にある口に食べさせることのほうが大事だということ。
花は折りたし梢は高し(はなはおりたしこずえはたかし)
欲しいけれど手に入れる方法がないこと、また思うようにいかないことのたとえ。 「梢」は、木の幹や枝の先の部分。 花のついた枝を折りたいが、梢が高くて届かないことから。
花は桜木、人は武士(はなはさくらぎ、ひとはぶし)
花は桜が最も美しく、人は武士が一番だということ。桜がぱっと咲いて散るように、武士の死に際も潔いことから。
花は根に鳥は古巣に(はなはねにとりはふるすに)
物事はすべて、その根源に戻るということ。咲いた花は木の根元に落ちて肥やしになり、空を飛ぶ鳥もやがては巣に帰ることから。
花開いて風雨多し(はなひらいてふううおおし)
花が咲けばきまって風雨に見舞われる。世は思うにまかせぬものだから、めぐり合った今この時を惜しめということ。唐の于武陵が、酒を勧める詩で別れの多い人生を嘆いた一節。
花も折らず実も取らず(はなもおらずみもとらず)
欲張って両方を手に入れようとして、結局どちらも得られないことのたとえ。
花も実もある(はなもみもある)
外観と内容がともに充実していること、または人情も道理もわきまえていることのたとえ。 花が咲いて美しいうえに実までなることから。
花より団子(はなよりだんご)
外観より実利があるもののほうがよいということ。 食べられない花より、団子のほうがありがたいという意味から。
花を咲かせる(はなをさかせる)
すぐれた成果を上げて著名になること。 または、盛んにすること。盛り上げること。
花を添える(はなをそえる)
美しいものを加えること。華やかさを増すこと。
花を持たせる(はなをもたせる)
身を退いて、勝利や名誉などを人に譲ること。
薔薇に棘あり(ばらにとげあり)
美しい薔薇に棘があるように、美しいものには人を傷つける一面があるということ。
貧乏花好き(びんぼうはなずき)
身分不相応なことのたとえ。 貧乏人が花作りを好むとの意から。
牡丹に唐獅子、竹に虎(ぼたんにからじし、たけにとら)
並べて置くと互いを引き立て合う、決まり切った組み合わせのこと。片方だけでは物足りず、そろって初めて形が締まる間柄をいう。
待つうちが花(まつうちがはな)
物事はあれこれ想像して待っている間が楽しいものであるということ。 「待つ間が花」ともいう。
三つ子に花(みつごにはな)
そぐわない人に大事なものを預けて安心できないことのたとえ。また、ものの値打ちがわからない者に優れた物を与えても何の役にも立たないことのたとえ。 幼い子に花を持たせてもすぐにめちゃくちゃにしてしまうとの意から。
見ぬが花(みぬがはな)
物事は実際に見るまでの間に心の中であれこれと想像しているときが楽しいということ。 「見ぬが心憎し」ともいう。
実の生る木は花から知れる(みのなるきははなからしれる)
実をたわわに付ける木は、花の付きようからしてすでに違う。 のちに大を成す者は、幼いうちからどこか常の子とは異なる何かを見せるということ。 「実を結ぶ木は花より知らるる」「生る木は花から違う」ともいう。
物言う花(ものいうはな)
美人のたとえ。言葉を話す美しい花の意。
桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
芽が出てから実が成るまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も相応の年数がかかることのたとえ。このあとに「枇杷(びわ)は九年でなりかねる」「柚は九年になりかかる」「梅は酸いとて十三年」などと続けてもいう。
柳は緑花は紅(やなぎはみどりはなはくれない)
柳は緑色、花は紅色をしているように、自然があるがままの美しい姿で人工が加わっていないこと。また、物事には自然の理が備わっていることのたとえ。春の美しい景色の形容としても使われる言葉。
やはり野に置け蓮華草(やはりのにおけれんげそう)
人にもその人にふさわしい環境があるということのたとえ。蓮華草は野原で自然のままに咲いているからこそ美しいの意。 江戸時代、播磨の瓢水(ひょうすい)という俳人が、遊女を身請けしようとする友人をいさめて詠んだ句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」から。
幽霊の正体見たり枯れ尾花(ゆうれいのしょうたいみたりかれおばな)
見きわめもつかないうちは、たいそうな怪物のように思える。近づいて確かめてしまえば、あれほど身構えたのが馬鹿らしいほど他愛ない。 「尾花」は穂の開いたすすきのこと。
よい花は後から(よいはなはあとから)
優れたものは後から現れるということ。 はじめに咲く花より、後から咲く花のほうが美しいという意味から。
余桃の罪(よとうのつみ)
主君の寵愛が気まぐれであてにならないことのたとえ。 昔、中国の衛(えい)で弥子瑕(びしか)という美少年が食べかけの美味な桃を主君に献上し喜ばれたが、寵愛を失ってからはそれを理由に罰せられたという故事から。
世の中は三日見ぬ間の桜かな(よのなかはみっかみぬまのさくらかな)
桜の花があっという間に散ってしまうように、世間の移り変わりは激しいものだということ。 もとは江戸時代の俳人大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から。 この句は「桜が散ってしまうこと」ではなく「桜が咲きそろうこと」を詠んだもの。 単に「三日見ぬ間の桜」ともいう。
落花枝に返らず、破鏡再び照らさず(らっかえだにかえらず、はきょうふたたびてらさず)
一度こわれた男女の仲は、再びもとに戻ることはないというたとえ。散り落ちた花は再びもとの枝に返ることはなく、割れた鏡は再び物をうつすことはできない意から。
落花情あれども流水意なし(らっかじょうあれどもりゅうすいいなし)
一方には恋しく思う気持ちがあるのに、相手に思いが通じないことのたとえ。 散る花は流れる水を慕うが、川はそしらぬ顔で流れていくことから。
落花流水の情(らっかりゅうすいのじょう)
男女が慕い合う気持ちを持っていることのたとえ。散る花は、流れのままに流されて行きたいと思い、流れる水は散った花を浮かべて流れたいと思っている意から。
両手に花(りょうてにはな)
人がうらやむものを両の手に一つずつ抱えている形。とくに男が女を左右に連れているさまをからかい半分に評していう。
