「い」を含む故事・ことわざ・慣用句
「い」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2678 件
鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
たとえ小さな集団でもその頭になるほうが、大きな集団で人の尻についているよりもよいというたとえ。 「鶏口」は、鶏の口のことで小さな集団の長のたとえ。 「牛後」は、牛の尻のことで強大な者につき従って使われる者のたとえ。 略して「[[鶏口牛後(けいこうぎゅうご)*https://yoji.jitenon.jp/yoji/351.html]]」ともいう。
荊妻(けいさい)
自身の妻を謙遜していう言葉。中国の後漢の梁鴻の妻である孟光がいばらのかんざしを身に付けていたという故事から。[[愚妻*13408]]。
計算高い(けいさんだかい)
なにかを行う際に、損になるか得になるかを考えるさま。
敬して遠ざく(けいしてとおざく)
うわべは敬うふりをして、内心はうとんじて近づかないこと。
蛍雪(けいせつ)
苦労を重ねながら学問に励むこと。中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は雪明りで書物を読み勉学に励んだという故事から。
蛍雪の功(けいせつのこう)
苦労を重ねて勉学に励んだ成果のこと。「蛍雪」は苦労して勉学に励むことで、中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は窓の外の雪明りで読書し勉学に励んだという故事から。
継続は力なり(けいぞくはちからなり)
小さなことでも続けていけば、いつか大きなことが成し遂げられるということ。
兄たり難く、弟たり難し(けいたりがたく、ていたりがたし)
両方ともすぐれていて、優劣がつけ難いことのたとえ。 「兄」は上位、優れていること。 「弟」は下位、劣っていること。 優れているとすることも難しく、劣っているとすることも難しいとの意から。
兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐ(けいていかきにせめげどもそとそのあなどりをふせぐ)
普段は喧嘩ばかりしている兄弟も、外部から侮辱を受けると協力してこれを防ぐということ。 「牆」は垣根、「鬩ぐ」は争うことから、「牆に鬩ぐ」は垣根の中(家の中)で争うこと。 「務り」は「侮り」と同じく侮辱のこと。
啓発(けいはつ)
普通の人が気付かないことを教え悟らせること。
桂馬の高上がり(けいまのたかあがり)
身分や実力に不相応な地位につくと、とかく失敗するおそれがあるということ。将棋で桂馬が進みすぎると歩に取られてしまうことがあることから。
毛色の変わった(けいろのかわった)
同じようなもの中で、様子や性質などが他とは異なっていること。
決河の勢い(けっかのいきおい)
猛烈な勢いのたとえ。「決」は、切れる意。川の水の流れが堤防を決壊するようなすさまじい勢いであるということ。
結構毛だらけ猫灰だらけ(けっこうけだらけねこはいだらけ)
「大変結構だ」ということをおかしくいったもの。 「結構毛だらけ猫灰だらけ」「結構毛だらけ灰だらけ」ともいう。
血涙を絞る(けつるいをしぼる)
悲しみや憤りのあまりに涙を流す。
褻にも晴れにも歌一首(けにもはれにもうたいっしゅ)
普段の時も晴れの席でも、同じ歌一首しか詠めないということ。無能無芸を嘲笑う言葉。「褻」は、普段。
毛のない猿(けのないさる)
人情や良心がない人のたとえ。 体に毛がないことだけが、猿との違いだとの意から。 「毛のない犬」ともいう。
螻蛄才(けらざい)
多芸多才でありながら、特に上手なものがないことのたとえ。 「螻蛄」は、土の中にいる虫で、飛ぶ、登る、潜る、掘る、走るの五つの能力があるが、どれも特別上手ではないことから。 「螻蛄芸」ともいう。
蹴る馬も乗り手次第(けるうまものりてしだい)
乱暴で扱いにくい者でも頭の上がらない相手がいる、または上手い扱い方があるということのたとえ。 暴れ馬でも乗り手の調教次第でおとなしくなるとの意から。
毛を吹いて疵を求む(けをふいてきずをもとむ)
毛を吹き分けて隠れた小さな傷を探すようにして、むやみに人の欠点を暴き立てようとすること。 また、そのように人の過ちを暴こうとしているうちに自分の弱点をさらけ出してしまうこと。
喧嘩過ぎての空威張り(けんかすぎてのからいばり)
喧嘩の最中は意気地なくこそこそし、喧嘩が終わったとたん虚勢を張って強がること。 「喧嘩過ぎての向こう鉢巻」ともいう。
喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)
喧嘩や争いをした者を、理非を問わず、双方とも同じように処罰すること。「成敗」は、処罰の意。
健全なる精神は健全なる身体に宿る(けんぜんなるせいしんはけんぜんなるしんたいにやどる)
身体が健康であれば、それに伴って精神も健全であるということ。ローマの詩人ユウェナリスの詩集から出た言葉。本来は「健やかな身体に健やかな精神が宿るように望むべきである」の意。
犬兎の争い(けんとのあらそい)
無益な争いをしている間に、第三者に利益を横取りされてることのたとえ。 犬が兎を追いかけている間に、両者とも力尽きて死んでしまった。 それを通りかかった農夫が自分の獲物として手にいれたという故事から。
犬馬の養い(けんばのやしない)
父母をただ養うだけで、尊敬する気持ちのないこと。 父母を養うのに、ただ衣食の面倒をみるだけで、まるで犬や馬を養うように敬う気持ちがないとの意から。
犬馬の齢(けんばのよわい)
自分の年齢をへりくだっていう言葉。 大きな功績を残すわけでもなく、犬や馬のようにただ重ねただけの年齢との意から。 「犬馬の年」ともいう。
堅白同異の弁(けんぱくどういのべん)
こじつけの論理、詭弁のこと。中国戦国時代、趙の公孫竜が説いた論法。 「固くて白い石は、目で見た時に白さはわかるが堅さはわからない。手で触れた時は堅さはわかるが白さはわからない。ゆえに、堅いことと白いことは同時には成り立たない」と論じたものから。
倹約と吝嗇は水仙と葱(けんやくとけちはすいせんとねぎ)
倹約とけちは、水仙と葱のように見た目は似ているが、実はまったく違うということ。
芸が細かい(げいがこまかい)
細かいところにまで工夫を凝らしているようす。
芸が身を助けるほどの不仕合わせ(げいがみをたすけるほどのふしあわせ)
落ちぶれて不幸な生活のたとえ。 生活に余裕があったころに趣味や道楽で習い覚えた芸事で、なんとか生計を立てるような不幸な身の上になってしまうとの意から。
芸術は長く、人生は短し(げいじゅつはながく、じんせいはみじかし)
人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も後世に残るということ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉「医術をきわめるには長い年月がかかるが、人の一生は短い」から転じたもの。
芸人に年なし(げいにんにとしなし)
役者はどんな年齢の役でも巧みに演じ、また気が若く年齢を感じさせないということ。 「芸人に年なし」ともいう。
芸は道によって賢し(げいはみちによってかしこし)
一芸に通じた人は、その道に関しては何でもよく知っているということ。専門家は専門とする分野については精通しているということ。
芸は身につく(げいはみにつく)
いったん習い覚えた芸は、一生その人の能力として使うことができるということ。
芸は身の仇(げいはみのあだ)
習い覚えた芸事に夢中になり、身を滅ぼすことがあるというたとえ。
芸は身を助ける(げいはみをたすける)
一芸にすぐれていると、万一の時には生計の助けになるということ。
下戸と化け物はない(げことばけものはない)
世の中に化け物がいないように、まったく酒の飲めない人間はいないということ。
下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)
戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。
下種の謗り食い(げすのそしりぐい)
品性の卑しい人間は、まずいとけちをつけながらも、意地汚くたくさん食べるということ。「謗り食い」は文句を言いながら食べること。
外面似菩薩、内心如夜叉(げめんじぼさつ、ないしんにょやしゃ)
外面は菩薩のようにやさしく美しいが、内面は夜叉のように邪悪で恐ろしい人のこと。 仏教で、女性が修行の妨げになることを戒めていった言葉。 「外面如菩薩、内心如夜叉」ともいう。
げらげら笑いのどん腹立て(げらげらわらいのどんばらたて)
大声で笑っていたかと思うと突然腹を立てるような感情の起伏の激しい人のこと。 「どん腹立て」の「どん」は、腹を立てることを強める接頭語。 「げたげた笑いのどん腹立て」ともいう。
験がいい(げんがいい)
縁起がいいことのたとえ。 「験」は吉凶の兆しや前兆のこと。
言言、肺腑を衝く(げんげん、はいふをつく)
一語一語に誠意がこもっていて説得力があり、聞く人を深く感動させること。 「肺腑」は、心の底。 一つ一つの言葉が、聞く人の心に響くとの意から。 「衝く」は「突く」とも書く。
言を俟たない(げんをまたない)
わかりきっていることで、あらためて言う必要がないこと。
鯉口を切る(こいぐちをきる)
すぐに刀を抜けるように身構えること。または、刀を抜きかけること。
「鯉口」は、刀の鞘(さや)の口のこと。鯉の開けた口に似ていることから。恋いたほど飽いた(こいたほどあいた)
恋が激しければ激しいほど、早く飽きてしまうということ。 恋というものは熱しやすくさめやすいということ。
恋に師匠なし(こいにししょうなし)
恋というものは人から教えられなくても、年ごろになれば自然に覚えるものだということ。
恋に上下の隔てなし(こいにじょうげのへだてなし)
恋愛感情を抱くのに、身分や地位などの上下は関係ないということ。
恋の遺恨と食べ物の遺恨は恐ろしい(こいのいこんとたべもののいこんはおそろしい)
恋愛の恨みと食べ物の恨みは、根深く恐ろしいということ。
恋の鞘当て(こいのさやあて)
ある一人の女性を巡って、二人の男性があらそうこと。 「鞘当て」は、武士がすれ違うときに、お互いの刀の鞘尻が触れたことを咎めて争うこと。
鯉の滝登り(こいのたきのぼり)
立身出世のたとえ。中国の黄河上流にある竜門という急流を登りきった鯉は竜になるという故事から。
鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意味から。
恋の道には女がさかしい(こいのみちにはおんながさかしい)
恋に関しては、女は男が足元にも及ばないほど知恵がはたらくということ。「さかしい」は賢い意。
恋の病に薬なし(こいのやまいにくすりなし)
恋わずらいは病気ではないから治す薬はないということ。
恋の山には孔子の倒れ(こいのやまにはくじのたおれ)
どんなにすぐれた人でも、色恋のこととなると思慮分別を失い、間違いを犯してしまうというたとえ。「孔子」は孔子(こうし)の呉音読み。
恋の闇(こいのやみ)
恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。
恋は曲者(こいはくせもの)
恋は理性を失わせるから、恋をした人は常識では考えられないような、とんでもないことをするおそれがあるということ。
恋は思案の外(こいはしあんのほか)
恋愛は理性を失わせため、常識や理屈で理解できるものではないということ。 「恋」は「色」、「思案」は「心」ともいう。
恋は仕勝ち(こいはしがち)
恋は、周りの事情など考えずに、積極的に自分から仕掛けたほうがうまくいくということ。
恋は盲目(こいはもうもく)
恋をすると、人は理性を失い、他の事が見えなくなるということ。
好一対(こういっつい)
よく似合っている一組。好ましい組み合わせの一対。男女の間などについてよく用いられる。
紅一点(こういってん)
多数の男性の中に女性が一人混じっていることのたとえ。見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。「[[万緑叢中紅一点*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1213.php]]」の略。
光陰、矢の如し(こういん、やのごとし)
月日が経つのが早いことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月のこと。 月日は、矢が飛ぶようにあっという間に過ぎ去るという意味から。
光陰に関守なし(こういんにせきもりなし)
月日がとどまることなく、過ぎていくことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月、「関守」は関所の番人。 月日の流れをとめる番人などいないということ。
後悔、先に立たず(こうかい、さきにたたず)
事が済んでしまったあとで後悔しても取り返しがつかない。だから、物事を行う前に十分考えることが大切だということ。
後悔は知恵の緒(こうかいはちえのいとぐち)
後悔することによって、次から事に備えることができる。後悔は気付きのきっかけであるということ。
好機逸すべからず(こうきいっすべからず)
絶好の機会は逃してはならないということ。
肯綮に当たる(こうけいにあたる)
要所・要点を逃さず押さえること。急所をぴたりと突くこと。「肯」は骨につく肉、「綮」は筋と肉を結ぶところで急所の意。「当たる」は「中る」とも書く。
攻撃は最大の防御(こうげきはさいだいのぼうぎょ)
守りにまわらず、積極的に攻めることが一番の防御の方法であるということ。
巧言令色、鮮なし仁(こうげんれいしょく、すくなしじん)
口先だけで上手を言い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、最高の徳である仁の心が欠けているということ。 「巧言」は巧みな言葉遣い、「令色」は顔色をとりつくろうこと。 「鮮なし」は「少なし」と同じ意味。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親が元気な時は、有難みや苦労がわからず、それに気がつく年になった時には、親はもうこの世にいないということ。親が元気なうちに孝行せよという戒め。
後顧の憂い(こうこのうれい)
あとあとの心配のこと。 「後顧」はあとあとの心配をすること。あとをふりかえること。
光彩を放つ(こうさいをはなつ)
他よりも優れていて、ひときわ目立つさま。 「光彩」はうつくしい輝き。
巧詐は拙誠に如かず(こうさはせっせいにしかず)
巧みに偽りごまかすことは、たとえ拙くても誠意があるものには及ばないということ。
功罪相償う(こうざいあいつぐなう)
功績と罪過がともにあるために、お互いに打ち消されてしまうこと。 また、功績のおかげで罪過が大目に見られること。
功罪相半ばする(こうざいあいなかばする)
功績と罪過とが半々で、よいとも悪いともいえないということ。
高山の巓には美木なし(こうざんのいただきにはびぼくなし)
地位の高い人は、人からねたまれたり批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。 高山の頂上は雨風の激しい過酷な環境なので、そこに立つ木は美しい姿を保つことができないとの意から。
好事門を出でず、悪事千里を行く(こうじもんをいでず、あくじせんりをいく)
善い行いは、なかなか世間に知られず、悪い行いは、すぐに世間に知れ渡るということ。
後塵を拝する(こうじんをはいする)
地位や権力のある人を羨ましく思うこと、または優れた人物のあとにつき従うこと、または人に先んじられることのたとえ。 「後塵」は車馬が通り過ぎたあとの土ぼこりのことで、それを浴びて見送るとの意から。
後生、畏るべし(こうせい、おそるべし)
若い人はいろいろな可能性を持っていて、将来どんな力量を現すかわからないので恐れなければならないということ。「後生」は、あとから生まれる人、後輩の意。