「木」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 114 件
「木」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全114件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
青葉は目の薬(あおばはめのくすり)
青葉のみずみずしい緑色を見ると目の疲れが癒されるということ。
雨塊を破らず、風枝を鳴らさず(あめつちくれをやぶらず、かぜえだをならさず)
世の中が太平であることのたとえ。周公が中国を統治していた頃は天下泰平で、雨は静かに降って土のかたまりを壊さず、風は木の枝も動かないように静かに吹いたという故事から。
石が流れて木の葉が沈む(いしがながれてこのはがしずむ)
物事の道理が逆であることのたとえ。
一葉落ちて天下の秋を知る(いちようおちててんかのあきをしる)
わずかな前兆を見て、その後の大事を予知するたとえ。
移木の信(いぼくのしん)
約束を確実に実行すること。中国秦の商鞅は法令を徹底させるために、都の南門に立てた木を北門に移した者に懸賞金を与えると布告し、その約束を守り人民を欺かないと実証したという故事から。
植木屋の庭できが多い(うえきやのにわできがおおい)
気が多いこと。 「気が多いこと」と「木が多いこと」をかけて言ったしゃれ。
魚の木に登るが如し(うおのきにのぼるがごとし)
魚が木に登ろうとするように、不可能なことをしようとするたとえ。
独活の大木(うどのたいぼく)
身体ばかり大きくて何の役にも立たない人のたとえ。 「独活」は植物の名。 独活は木のように大きくなるが、茎が柔らかいため材木にはならないことから。 「独活の大木柱にならぬ」ともいう。
漆は剝げても生地は剝げぬ(うるしははげてもきじははげぬ)
人の持って生まれた素質は変わることはないというたとえ。 漆器の表面の漆は剝げ落ちても、下の生地は剝げることはないことから。
枝は枯れても根は残る(えだはかれてもねはのこる)
災いや悪事を根絶するのは難しいということ。 たとえ枝は枯れても、根は土の中に残っているとの意から。
枝を伐って根を枯らす(えだをきってねをからす)
手近なところから処理していき、順次に根本まで始末することのたとえ。 木を枯らす時には、いきなり根に手を加えず、まず枝を切り落として最後に根を枯らすのがよいということ。
枝を鳴らさず(えだをならさず)
世の中が平穏無事な様子。
越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く(えっちょうなんしにすくい、こばほくふうにいななく)
生まれた土地は、遠く離れても身のうちに残り続ける。 渡ってきた鳥が巣がけの枝を選ぶにも、連れられて来た馬が風に首をもたげるにも、もといた方角がおのずと出ることから。 出典の詩句は「胡馬北風に依り、越鳥南枝に巣くう」の対になっている。
榎の実はならばなれ、木は椋の木(えのみはならばなれ、きはむくのき)
取り違えだった証拠が目の前に出ても、一度口にした言い分は引っ込めない。誤りを認めるくらいなら通し続けるという構え。 榎と椋は見分けのつきにくい木。
老い木は曲がらぬ(おいきはまがらぬ)
老人の頑固さのたとえ。 また、欠点は若いうちになおさないと年をとってからでは手遅れであるということ。 老木は弾力性に乏しく曲げようとしても曲がらないことから。
大木の下に小木育たず(おおきのしたにおぎそだたず)
大きな権力の庇護の下では立派な人間は育ちにくいということ。 大きな木の下は採光や風通しが悪く、小さな木が育たないとの意から。
大木の下に小木育つ(おおきのしたにおぎそだつ)
強大な権力を持つ人物のもとには、その庇護を受けている者がたくさんいることのたとえ。
顔に紅葉を散らす(かおにもみじをちらす)
若い女性が恥ずかしさのあまり、まるで紅葉の葉を散らすように顔をぱっと赤くする様子。 単に「紅葉を散らす」ともいう。
陰に居て枝を折る(かげにいてえだをおる)
恩を受けた人にひどいことをするたとえ。 木陰で涼んでいた者がその木の枝を折ることから。また、恩人の見ていない所で恩人の家の木の枝を折ることから。
風に柳(かぜにやなぎ)
柳が風になびくように、巧みに受け流すこと。 「柳に風」ともいう。
堅い木は折れる(かたいきはおれる)
ふだんは強情な人が、何か問題にぶつかると意外にもろく、くじけやすいことのたとえ。また、頑丈な人が急に大病で倒れることのたとえ。柔軟性のない堅い木は、風が吹けば折れやすいことから。
金のなる木(かねのなるき)
いくら使っても無くならない財源のたとえ。
株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ)
古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり、進歩や向上がないことのたとえ。 中国・宋の農民が農作業をしていると、兎が木の切り株にぶつかって死んだ。農民は労せず兎を手に入れることができたその経験以来、農作業をせずに毎日切り株を見張っていたという故事から。 「守株」ともいう。
枯れ木も山の賑わい(かれきもやまのにぎわい)
つまらないものでも、ないよりはあったほうがましだというたとえ。枯れ木でもいくらかは山に風情を添えるという意で、自分のことをへりくだって言う言葉。
木から落ちた猿(きからおちたさる)
頼みとするものを失って、途方にくれている状態のたとえ。
木七竹八塀十郎(きしちたけはちへいじゅうろう)
木を切るには七月、竹を切るには八月、土塀を塗るのは十月が適しているということ。月はいずれも陰暦で、人名のように語呂をあわせて覚えやすくしたもの。 「木六竹八塀十郎」ともいい、その場合は木を切るのを陰暦六月とする。
木で鼻をくくる(きではなをくくる)
無愛想に応対するたとえ。冷淡にあしらうたとえ。 「くくる」は、こするという意の「こくる」が変化したもの。 略して「木で鼻」ともいう。
木に竹を接ぐ(きにたけをつぐ)
性質の異なるものを無理につなぎ合わせること。前後が調和せず、不自然で筋道が通らないことのたとえ。 性質の違う竹を木に接ごうとしてもうまくいかないことから。 略して「木に竹」ともいう。
木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ)
方法を誤ると目的を達成できないことのたとえ。 木に登って魚を探すとの意から。
木登りは木で果てる(きのぼりはきではてる)
人は得意なことほど油断して、かえって身を滅ぼすことがあるというたとえ。 木登りが上手な者は、結局は木登りで死んでしまうとの意から。
木の股から生まれる(きのまたからうまれる)
人の情、特に男女間の情愛を理解しないことのたとえ。
木の実は木の本(きのみはきのもと)
どんなものも行き着く先は生まれ出たところだということ。 実は熟しても真下に落ちるだけで、育てた木の根方より遠くへは行かないという見立て。
木は木、金は金(きはき、かねはかね)
物事はきちんとけじめをつけるべきだということ。
木仏、金仏、石仏(きぶつ、かなぶつ、いしぼとけ)
融通の利かないひと。特に男女の情愛に疎いひとのこと。
木もと竹うら(きもとたけうら)
木は根元のほうから、竹は先のほうから割るとうまく割れるということ。物事にはやりやすい方法や順序があるというたとえ。「うら」は、「末」で先の方の意。
朽木は雕るべからず(きゅうぼくはえるべからず)
刻もうとしても刃の立たない材がある。同じように、当人に張りがなければ、どれほど手を掛けても形は付かない。惜しいのは掛けた側の手間のほうだという嘆きである。 ぼろ土の塀は上塗りしても持たないという「糞土の牆は杇るべからず」の句が、これと並べて置かれている。
胸中、成竹あり(きょうちゅう、せいちくあり)
事をするにあたって、あらかじめ十分な見通しが立っていることのたとえ。 「成竹」は、事前に心の中で考えている計画のこと。 竹の絵を描くときには、胸の中に竹の形を思い浮かべてから描きはじめるとの意から。
木を見て森を見ず(きをみてもりをみず)
小さいことに気を取られて、全体を見ないことのたとえ。
禁断の木の実(きんだんのこのみ)
禁じられているが、魅惑的な快楽のたとえ。「禁断」は、かたく禁じること。エデンの園の神から食べることを禁じられていた知恵の木の実を、蛇にそそのかされて食べてしまったアダムとイブが楽園から追放されたという話から。
草木も靡く(くさきもなびく)
権力や勢力が盛んで、多くの人々が従う様子。
草木も眠る(くさきもねむる)
真夜中になり、辺りが静まり返っている様子。 「草木も眠る丑三つ時」の形で使われることが多い。
草木も眠る丑三つ時(くさきもねむるうしみつどき)
物音の絶えた深夜。動くものが何ひとつ見当たらず、生き物どころか庭の枝先までまどろんでいるように思われる刻限をいう。 「丑三つ時」は丑の刻を四つに割った三番目にあたり、今でいえば夜中の二時前後。
朽ち木は柱にならぬ(くちきははしらにならぬ)
芯まで傷んだ木で柱は組めない。性根の据わらない者に重い役目が回ってこないのも同じ理屈で、人柄が定まらなければ才があっても使いようがない。
下駄も阿弥陀も同じ木の切れ(げたもあみだもおなじきのきれ)
踏まれる側と拝まれる側に分かれてはいても、削り出された素はどちらも一本の幹だった。 扱いの高低は後から付いたもので、はじまりのところに上下はない。
高山の巓には美木なし(こうざんのいただきにはびぼくなし)
地位の高い人は、人からねたまれたり批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。 高山の頂上は雨風の激しい過酷な環境なので、そこに立つ木は美しい姿を保つことができないとの意から。
膠漆の交わり(こうしつのまじわり)
きわめて親しく堅い交わりのたとえ。 「膠漆」は、にかわとうるし。 にかわとうるしで塗り固めて離れられないような交わりとの意から。
木陰に臥す者は枝を手折らず(こかげにふすものはえだをたおらず)
世話になった相手を傷つけまいとするのが人の心である。木の下で涼をとった者はその枝を折らず、食事をした者は使った器を壊さない。身を助けてくれたものは粗末にしない、という教えから。
志は木の葉に包め(こころざしはこのはにつつめ)
粗末な包みしか用意できなくても、贈るのをためらわなくてよい。中身の値より、手を動かしたことのほうが物を言う。
木っ端を拾うて材木を流す(こっぱをひろうてざいもくをながす)
小事にかまけて大事に失敗するたとえ。木のきれはしを集めて材木を流してしまうということから。
竿竹で星を打つ(さおだけでほしをうつ)
不可能なことをしようとする愚かさのたとえ。また、思うところに手が届かないもどかしさのたとえ。 竿竹で天にある星を打ち落とすとの意から。
笹の葉に鈴(ささのはにすず)
よくおしゃべりする人のこと。笹の葉に鈴をつけると、風に吹かれて鈴が鳴り続けることから。
猿に木登り(さるにきのぼり)
その事を、よく知っている相手にわざわざ教えること。無駄なことをするたとえ。
猿の水練、魚の木登り(さるのすいれん、うおのきのぼり)
見当違いのことをするたとえ。
猿も木から落ちる(さるもきからおちる)
その道の達人でも、たまには失敗することもあるということ。 木登りが得意な猿でも、ときには誤って落ちることもあるとの意から。
辛抱する木に金がなる(しんぼうするきにかねがなる)
辛抱強くこつこつ努めれば、いつか成功して財産もできるというたとえ。「木」は「気」にかけて言ったもの。
地震の時は竹薮に逃げろ(じしんのときはたけやぶににげろ)
地震の時は竹やぶが避難場所としてすぐれているということ。竹は根を広く張っているため地割れが少なく、竹は倒れにくく、もし倒れても軽いため怪我が少ないことなど、経験からいわれている言葉。
入木道(じゅぼくどう)
書道のこと。 中国晋の書家王羲之(おうぎし)が書いた文字は筆勢が強く、書かれた板の三分の深さにまで墨が入り込んでいたという故事から。 「にゅうぼくどう」ともいう。
好いた水仙好かれた柳(すいたすいせんすかれたやなぎ)
お互いに好き合った男女を水仙と柳になぞらえたもの。
脛に疵持てば笹原走る(すねにきずもてばささはらはしる)
自分の身にやましいところのある者は、落ち着いて生活することができないということ。 脛に傷のある者は笹が傷にふれると痛いので笹原を走り抜ける、または後ろめたいことがある者は笹の葉のそよぐ音にもおびえて走り出すとの意から。
銭あれば木仏も面を返す(ぜにあればきぶつもつらをかえす)
情の通わぬ相手でも、金子を積めばこちらを向く。 人の心は銭の多寡で動くと言いたてた句。
滄海変じて桑田となる(そうかいへんじてそうでんとなる)
世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 桑畑だった所が大海になるような変化が起こるとの意から。 「桑田変じて滄海となる」「滄桑の変」ともいう。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
屋台骨ごと傾きはじめた組織は、誰か一人が踏ん張ったところで持ち直さない。 崩れは全体に回っており、そこへ差し出せる手は小さすぎる。 「大廈」は高く構えた建物をいう。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
大木は風に折らる(たいぼくはかぜにおらる)
高く伸びた者ほど、四方からの当たりをまともに受ける。 伸びた分だけ、支えきれずに折れる危うさも増す。 「高木は風に折らる」「喬木は風に折らる」ともいう。
竹と人の心の直ぐなのは少ない(たけとひとのこころのすぐなのはすくない)
竹は意外に真っ直ぐなものは少なく、人も心が曲がらず正直な者は少ないということ。
竹に油を塗る(たけにあぶらをぬる)
口が達者なこと、よくしゃべることのたとえ。また、若々しくて美しいことのたとえ。 つるつるしている竹に油を塗るとさらによく滑ることから。 単に「竹に油」ともいう。
竹に雀(たけにすずめ)
取り合わせのよい一対のもののたとえ。竹にとまった雀が図柄として取り合わせのよい画であるところから。
竹の子生活(たけのこせいかつ)
たけのこの皮を一枚ずつはいでいくように、身の回りの物を少しずつ売りながら暮らす生活。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
竹屋の火事(たけやのかじ)
怒って、言いたい放題にぽんぽんものを言うこと。竹屋が火事になると、竹がはじけてぽんぽん音を出すところから。
竹を割ったよう(たけをわったよう)
さっぱりしていて、わだかまりのない気性のたとえ。竹が一直線に割れることから。
頼む木陰に雨が漏る(たのむこかげにあめがもる)
逃げ込んだ先が、いちばん先に破れる。 すがった相手に限って、こちらを守りきる力を持っていない。 「頼む木の下に雨漏る(たのむこのもと(きのした・きのもと)にあめもる)」ともいう。
頼むと頼まれては犬も木へ登る(たのむとたのまれてはいぬもきへのぼる)
人に懇願されると、出来るはずのないことまで、なんとかやってみようという気になるというたとえ。 折り入ってお願いされると、木登りができない犬も木に登ってみようという気持ちになるとの意から。
矯めるなら若木のうち(ためるならわかぎのうち)
樹木の枝などの形を整えるなら柔らかい若木のうちにせよということ。 人間の悪い癖や欠点なども若いうちになおすのがよいというたとえ。 「矯める」は曲げたり伸ばしたりして形を整えること。
竹馬の友(ちくばのとも)
子供のころからの親友や幼馴染のこと。 「竹馬」は一本の竹の棒を馬に見立てたもの。 幼いころから竹馬で駆け回って一緒に遊んだ友達という意味から。
竹林の七賢(ちくりんのしちけん)
中国晋代に、俗世間を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠者のこと。阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎の七人。
天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝(てんにあらばひよくのとりちにあらばれんりのえだ)
生まれ変わってもひとつの体でいたい、根のところで繋がっていたいと誓い合う。 添い遂げたいという願いを、天と地の二つになぞらえて並べた言い方。 「比翼の鳥」は目も翼も片方ずつしかなく、二羽並んで初めて飛べるという想像上の鳥。 「連理の枝」は別々の木の枝が途中でつながり、一本になったもの。 略して「比翼連理」ともいう。
灯心で竹の根を掘る(とうしんでたけのねをほる)
一生懸命努力しても効果のないことのたとえ。 「灯心」は、灯油に浸して火をともす柔らかいひも状の芯のこと。 柔らかい灯心では、堅い竹の根を掘れるはずがないことから。
鳥疲れて枝を選ばず(とりつかれてえだをえらばず)
生活のためには職業を選んではいられないということ。疲れた鳥は枝を選ばずに、どこにでもとまるということから。
苗の莠有るが若し(なえのゆうあるがごとし)
善人の中に悪人が交じっていることのたとえ。 「莠」は、はぐさ。穀物の稲に似た雑草で、稲の苗の成長を害する。 悪人が善人の中に紛れ込んでいる状況を、稲の苗の中に雑草である莠(はぐさ)が混じっている様子にたとえた言葉。
直き木に曲がる枝(なおききにまがるえだ)
どんなに正しい人でも欠点や弱点があることのたとえ。 まっすぐな木にも曲がった枝がついているとの意から。
七日通る漆も手に取らねばかぶれぬ(なぬかとおるうるしもてにとらねばかぶれぬ)
物事に直接かかわらなければ、害を受けることはないというたとえ。 漆の木のそばを何度通っても、手で触れなければかぶれることはないことから。
生木を裂く(なまきをさく)
相思相愛の男女を無理に別れさせること。 地に根を張って生きている木を無理に裂くとの意から。
根浅ければ則ち末短く、本傷るれば則ち枝枯る(ねあさければすなわちすえみじかく、もとやぶるればすなわちえだかる)
基礎がしっかりしていない物事は発展せず、いずれ衰えるということのたとえ。 「末」は枝や葉、「本」は幹のこと。 根が十分張っていなければ枝葉も成長しない、幹がいためばいずれ枝も枯れることから。
猫でない証拠に竹を描いておき(ねこでないしょうこにたけをかいておき)
へたな絵をあざけっていう言葉。描いた虎が猫に間違えられないように、「竹に虎」の取り合わせで知られる竹を描き足すという意の川柳から。
猫に木天蓼(ねこにまたたび)
大好物のたとえ。また、それを与えれば非常に効き目があることのたとえ。
根を断ちて葉を枯らす(ねをたちてはをからす)
災いのもとをすべて取り除くことのたとえ。根を断ってしまえば自然と葉も枯れてしまうことから。
登れない木は仰ぎ見るな(のぼれないきはあおぎみるな)
自分の力や立場に見合わない望みを持つなという戒め。 できもしないことを求めず、身のほどをわきまえよということ。
破竹の勢い(はちくのいきおい)
一度動き出したら誰にも押しとどめられない進み方。序盤で流れをつかんだ側が、そのまま最後まで押し切っていく形をいう。 呉を攻めた晋の杜預が、いまの軍の勢いは竹を割るのと同じで、初めの数節さえ裂ければあとは刃を迎えて自ずと割れると言い、そのまま攻め落とした。
鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり(はとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり)
巣立つ前の鳥でさえ、育ててくれた相手への向き合い方を心得ている。 まして人が、親に対する筋目をないがしろにしてよいはずがない。
葉を欠いて根を断つ(はをかいてねをたつ)
整えるつもりで先を刈ったところ、鋏が生きる元まで及ぶ。 刈り込みが過ぎると、育つ力そのものを奪う。
人、木石に非ず(ひと、ぼくせきにあらず)
感情を持たない木や石とは違い、人は喜怒哀楽をさまざまな形で表す感情豊かな動物であるということ。 「人は岩木に非ず」ともいう。
人の女房と枯れ木の枝ぶり(ひとのにょうぼうとかれきのえだぶり)
どうでもいいことのたとえ。また、良し悪しをとやかく言うべきでないことのたとえ。人の妻のことや枯れ木の枝ぶりは、あれこれ言ってもしようがないことから。
百丈の木に登って一丈の枝より落つる(ひゃくじょうのきにのぼっていちじょうのえだよりおつる)
気が緩んだ時に、危険が潜んでいるから気をつけよという戒めの言葉。高い木に登った時は用心しているので落ちることはないが、低い所まで降りると油断して落ちるということから。
吹く風枝を鳴らさず(ふくかぜえだをならさず)
世の中がよく治まり平和なようすのたとえ。 吹く風が静かで枝は音も立てないとの意から。
古木に手を掛くるな、若木に腰掛くるな(ふるきにてをかくるな、わかぎにこしかくるな)
先の短いものに身を預ければ折れ、これから伸びるものに重みを掛ければ育たない。 頼る相手と、育てる相手とを取り違えるなという句。
豚もおだてりゃ木に登る(ぶたもおだてりゃきにのぼる)
おだてられて気をよくすると、能力以上のことでもできるというたとえ。
蒲柳の質(ほりゅうのしつ)
からだが弱く、病気になりやすい体質のこと。「蒲柳」は、川柳の異名。細く弱そうで、秋になると他の木々より早く散ることから。
曲がる枝には曲がれる影あり(まがるえだにはまがれるかげあり)
原因が悪ければ悪い結果が生じるというたとえ。曲がった枝には、その曲がった枝の影ができるという意味から。
目には青葉、山時鳥、初鰹(めにはあおば、やまほととぎす、はつがつお)
夏の入り口を、目に映るもの・耳に届くもの・舌に乗るものの三つで言い切った一句。 どれもこの時季を過ぎれば手に入らない。 江戸前期の俳人山口素堂の発句による。
盲亀の浮木(もうきのふぼく)
出会うことがきわめて難しいことのたとえ。また、めったにない幸運にめぐりあうことのたとえ。 百年に一度海面に浮かび上がるとされる目の見えない亀が、海に漂う浮木の穴に入ろうとするが、容易には入れなかったという仏教の説話から。 「盲亀の浮木、優曇華の花」と続けてもいう。
本木に勝る末木なし(もときにまさるうらきなし)
何度取り換えてみても結局は最初のものよりすぐれたものはないというたとえ。 特に男女関係についていう言葉。 「本木」は幹、「末木」は枝のこと。 幹より太い枝はないとの意から。
焼け木杭に火が付く(やけぼっくいにひがつく)
別れて他人に戻ったはずの二人が、ふとした行き会いを境にまた寄り添い出す。 覚えのある間柄は深まり直すのも早いといい、別れた男女を念頭に使われるのが常。
柳に雪折れなし(やなぎにゆきおれなし)
受け流すものは壊れない。突っ張らずに撓む側のほうが、押しの強さを最後まで持ちこたえる。
柳の下にいつも泥鰌はいない(やなぎのしたにいつもどじょうはいない)
まぐれ当たりは、同じ場所で二度は起きない。うまくいった手口をそのまま繰り返しても、次は空振りに終わる。
柳を折る(やなぎをおる)
旅に出発する人を見送ること。 昔、中国で柳の枝を折って旅に出発する人を見送ったことから。
藪の外でも若竹育つ(やぶのそとでもわかたけそだつ)
藪の外でも竹が育つように、たとえ保護するものがいなくても、子どもはなんとか成長するものだということ。
柚の木に裸で登る(ゆずのきにはだかでのぼる)
幹という幹に棘が並んだ木へ、素肌のまま取りつくようなもの。 取りかかること自体が身を削る、手のつけようのない仕事をさす。
寄らば大樹の陰(よらばたいじゅのかげ)
人を頼るなら、社会的に勢力がある人がよいというたとえ。 身を寄せるなら、大きな木の下が安全であることから。 「立ち寄らば大木の陰」「立ち寄らば大樹の陰」「寄らば大木の下」ともいう。
柳絮の才(りゅうじょのさい)
詩文にすぐれた女性の才能をたたえていう言葉。「柳絮」は風に飛ぶ柳の綿毛。 晋の謝安が雪の日に一族を集め、この降りようは何に似るかと問うたとき、甥は空にまく塩と答えたが、姪の謝道韞は風に舞い立つ柳の綿毛には及ぶまいと答え、大いに喜ばれた。
良禽は木を択んで棲む(りょうきんはきをえらんですむ)
賢い鳥は木を選んで巣を作るということ。賢い臣下は主君を選んで仕えるというたとえ。
林間に酒を煖めて紅葉を焼く(りんかんにさけをあたためてこうようをたく)
林の中で紅葉を燃やして酒を暖めて飲み、秋の風情を楽しむこと。
連理の枝(れんりのえだ)
根を別にして生えた木が、途中から一体になって育つ。もとは他人だった二人が、もう切り分けようのない仲に至った姿をいう。
若木に腰掛けな(わかぎにこしかけな)
若者は頼りにならないことのたとえ。また、将来性のある若者を踏みつけにするなということ。 若い木は折れやすいから腰掛けてはいけないということ。
若木の下で笠を脱げ(わかぎのしたでかさをぬげ)
若木が将来どんな大木に育つのかわからないように、若者も将来どんなに偉くなるかわからないので、ばかにしないで敬意を表して接すべきだということ。
