「うし」を含む故事・ことわざ・慣用句
「うし」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 137 件
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
商売のこつは牛のよだれのように細く長く切れ目なく、気長に辛抱して続けることだということ。
朝起き三両始末五両(あさおきさんりょうしまつごりょう)
早起きと倹約はどちらも大きな利益になるというたとえ。 「朝起き三両始末五両」ともいう。
足場を失う(あしばをうしなう)
物事を行うときの拠り所がなくなってしまうこと。
明日食う塩辛に今日から水を飲む(あすくうしおからにきょうからみずをのむ)
手回しがいいように見えて、実は無意味なことのたとえ。
新しき葡萄酒は新しき革袋に入れよ(あたらしきぶどうしゅはあたらしきかわぶくろにいれよ)
新しい内容を表現するためには、新しい形式が必要であるということ。
暗夜に灯火を失う(あんやにともしびをうしなう)
暗闇で明かりを失うように、頼りにしていたものを失って途方にくれることのたとえ。
家給し人足る(いえきゅうしひとたる)
全ての家庭と人々が豊かで満足のいく生活を送り、盗みや争いがなく、社会が平和で安定している様子。
家貧しくして孝子顕る(いえまずしくしてこうしあらわる)
貧乏な家庭では、子どもも親を助けるために働いたりするので、その孝行ぶりが目立って人に知られるようになるということ。 逆境のときに、それを助けるものが現れること。
痛いのは辛抱しても痒いのは辛抱できぬ(いたいのはしんぼうしてもかゆいのはしんぼうできぬ)
痒みは、どうにも我慢できないということ。
いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)
いとこ同士の夫婦は、味がよいとされる鴨肉のように仲がよいということ。
色を失う(いろをうしなう)
思いがない事態に直面して、驚きや恐怖で顔色が青ざめる。
浮世は衣装七分(うきよはいしょうしちぶ)
とかく世間では外見を重んじ、うわべで内容を判断しがちだということ。七分は十分の七のことで、衣装で七分がた評価が下される意から。
牛に対して琴を弾ず(うしにたいしてことをだんず)
愚か者にいくら立派な道理を説いても何の役にも立たないことのたとえ。牛に琴を聞かせても反応がないことから。
牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
人に連れられてある場所へ出かけて行くこと。また、自分の意思ではなく他人の誘いによって、よい方向に導かれることのたとえ。 善光寺の近くに住んでいた不信心な老婆が布をさらしていると、その布を牛が角にひっかけて逃げてしまった。老婆は牛を追いかけて善光寺に着き、その縁によって信仰するようになったという故事から。
牛の歩み(うしのあゆみ)
ゆっくりと歩く牛のように、ものごとの進み方が遅いことのたとえ。
牛の一散(うしのいっさん)
日頃は決断の遅い人が、深く考えもせずむやみに行動することのたとえ。 歩みののろい牛が、何かのはずみで一目散に走り出すことから。
牛の角突き合い(うしのつのつきあい)
仲が悪く、何かにつけて争い合うこと。
牛の角を蜂が刺す(うしのつのをはちがさす)
なんとも感じないこと、あるいは効果がないことのたとえ。牛は蜂に角を刺されても、まったく痛くもかゆくも感じないことから。
牛の涎(うしのよだれ)
細く長くだらだらと続くことのたとえ。
牛は牛連れ、馬は馬連れ(うしはうしづれ、うまはうまづれ)
同類は同類同士で集まりやすく、その仲間同士で物事を行えばうまくいくということ。
牛も千里馬も千里(うしもせんりうまもせんり)
早い遅い、上手い下手の違いがあっても結局は同じところに到達するというたとえ。牛がゆっくりと歩いても馬が早く走っても千里の道のりはやはり千里で、同じ目的地に着くことから。
羽觴を飛ばす(うしょうをとばす)
宴会などで人々が盛んに酒杯のやりとりをするようす。「羽觴」は羽を広げた雀をかたどった觴(さかずき)のことでそれを人々の間を飛ぶようにまわして酒盛りをする意から。
後ろ髪を引かれる(うしろがみをひかれる)
まるで後ろ髪を引っ張られるような未練にとらわれ、心が残って思い切れないようす。
後ろ千両前一文(うしろせんりょうまえいちもん)
後ろ姿はとても美しいのに、前から見ると全然美しくないこと。
後ろに柱前に酒(うしろにはしらまえにさけ)
快く気楽な気分のたとえ。 後ろにある柱にもたれかかり酒を飲むことから。
後ろに目なし(うしろにめなし)
背後にあるものが見えないように、誰にでも気がつかないことがあるということ。
後ろ弁天、前不動(うしろべんてん、まえふどう)
後ろから見るとまるで弁天様のように美しいが、前から見ると不動明王のようにこわい顔をした女性のこと。
後ろ指を指される(うしろゆびをさされる)
他人から非難されること。「後ろ指」は他人を後ろから指差して陰口を言うこと。
後ろを見せる(うしろをみせる)
相手に背を向けて逃げ出すこと。また、弱みを見せること。
牛を馬に乗り換える(うしをうまにのりかえる)
不利な方から有利な方へ乗りかえることのたとえ。 足ののろい牛から足の速い馬に乗り換えることから。
牛を食らうの気(うしをくらうのき)
幼い頃から大きな目標を持っていることのたとえ。 虎(とら)や豹(ひょう)は、子どもの時から自分より大きな牛を食おうとするほどの激しい気性を持っているの意から。 「食牛の気」ともいう。
馬に乗るまでは牛に乗れ(うまにのるまではうしにのれ)
高い地位につくためには、まず低い地位で力をつけよということ。また、最善の策がとれない時は、次善の策をとれということ。 馬は牛よりも速いが乗るのが難しいので、ひとまず牛に乗って練習せよとの意から。
馬を牛に乗り換える(うまをうしにのりかえる)
すぐれたものを捨て、劣っているものに換えること。 足の速い馬から足の遅いうしに乗り換えることから。
海の事は漁師に問え(うみのことはりょうしにとえ)
その道のことは、その道の専門家に相談するのが最善の方法だということ。
王侯将相寧んぞ種あらんや(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)
王や諸侯、将軍、大臣になるには家柄や血統など関係なく、必要なのはその人の才能や努力だということ。「種」は家柄、血統の意。
遅牛も淀、早牛も淀(おそうしもよど、はやうしもよど)
早い遅いの差はあっても、結果は同じだからあわてることはないということ。 「淀」は京都市伏見区にある地名で、集荷場として栄えた場所。 荷物を運ぶ牛の歩みに多少の差があっても、結局行き着く所は淀であるとの意から。 「早牛も淀、遅牛も淀」ともいう。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
女賢しゅうして牛売り損なう(おんなさかしゅうしてうしうりそこなう)
女は利口そうに見えても、目先の利にとらわれて大局を見通せずに失敗するというたとえ。 女がでしゃばりすぎて売り物の牛について余計なことを言い、売り損なってしまったという話から。
火事と葬式に行けば勘当もゆりる(かじとそうしきにいけばかんどうもゆりる)
火事や葬式の時にわびに行って手伝えば、勘当された者も許されるということ。「ゆりる」は、許されるという意。
片腕を失う(かたうでをうしなう)
最も信頼していた人を失い、ひどく悲しむさま。 「片腕」は、自分の腕のように信頼できて頼りになる人のことで、その人を失うとの意から。
金を貸せば友を失う(かねをかせばともをうしなう)
金の貸し借りには問題が起こりやすく、親しい友人同士でも金の貸し借りはするべきではないという戒め。
堪忍五両思案十両(かんにんごりょうしあんじゅうりょう)
世の中を生きていくためには、腹の立つことをじっと我慢し、よく考えて慎重に行動することが大切だということ。 忍耐には五両、熟慮には十両の価値があるとの意から。
眼光紙背に徹る(がんこうしはいにとおる)
書物の表面上の意味だけでなく、背後にある真意も読み取ること。読解力が鋭いことのたとえ。 紙の裏まで見通すとの意から。 「眼光紙背に徹る」ともいう。
九死に一生を得る(きゅうしにいっしょうをえる)
ほとんど助かる見込みがないと思われる危険な状態に陥りながら、かろうじて助かること。 「十のうち、九が死、一が生」のような助かる見込みがほとんどない状況で生き残るとの意から。 「万死に一生を得る」「万死の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇う」「九死一生」などともいう。
急所を衝く(きゅうしょをつく)
物事の核心となる部分を鋭く指摘すること。
急所を握る(きゅうしょをにぎる)
相手の致命的な弱点や嫌がる所を的確に見抜くこと。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず(きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず)
窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。
挙措を失う(きょそをうしなう)
取り乱した行いをすること。「挙措」は、立ち居振る舞いのこと。
気を失う(きをうしなう)
意識がなくなることのたとえ。
草木も眠る丑三つ時(くさきもねむるうしみつどき)
夜が更けて、すっかり静かになった真夜中のこと。「丑三つ時」は、昔の時刻で牛の刻を四分した三番目の時刻のことで、現在の午前二時から二時半頃。人だけでなく、草木までも眠って静まりかえった真夜中の意から。
食ってすぐ寝ると牛になる(くってすぐねるとうしになる)
食べてすぐ横になる行儀の悪さを戒めることば。
国乱れて忠臣見る(くにみだれてちゅうしんあらわる)
泰平の時には誰が忠臣かわからないが、国が乱れて危機に直面すると、真の忠臣が誰かがはっきりするということ。
暗がりから牛を引き出す(くらがりからうしをひきだす)
区別がつきにくいこと。また、動作が鈍いこと。 暗い所に黒い牛がいても姿がはっきりしないことから。 単に「暗がりから牛」、または「暗がりの牛」「闇から牛を引き出す」「暗闇から牛を引き出す」ともいう。
恒産なき者は恒心なし(こうさんなきものはこうしんなし)
一定の財産や職業がなければ、正しく落ち着いた心を持つことができないということ。「恒産」は一定の財産や安定した職業、「恒心」は正常な心という意。
膠漆の交わり(こうしつのまじわり)
きわめて親しく堅い交わりのたとえ。 「膠漆」は、にかわとうるし。 にかわとうるしで塗り固めて離れられないような交わりとの意から。
孔子も時に遇わず(こうしもときにあわず)
どんなに優れた人でも機会に恵まれなければ才能を発揮できずに終わることもあることのたとえ。 立派な才能を持っていた孔子も、時勢に乗れず生涯不遇であったとの意から。
巧者貧乏人宝(こうしゃびんぼうひとだから)
器用な人は人の役に立って重宝がられるが、その人自身は大成せずに貧乏しているということ。 「細工貧乏人宝」「職人貧乏人宝」「巧者貧乏人宝」などともいう。
攻守所を変える(こうしゅところをかえる)
攻め手と守り手の立場が逆転すること。互いの立場が逆転すること。
小糠三合あったら養子に行くな(こぬかさんごうあったらようしいにいくな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
細工は流流仕上げをご覧じろ(さいくはりゅうりゅうしあげをごろうじろ)
仕事のやり方はいろいろあるので、途中であれこれ言わずに出来上がりを見てから評価してほしいということ。
左右の手を失うが如し(さゆうのてをうしなうがごとし)
まるで両方の手を同時に失ったかのように、最も信頼していたものを失って落ち込むこと。
三十振袖、四十島田(さんじゅうふりそで、しじゅうしまだ)
女性が年齢に不相応な若づくりをすること。 若い女性が着る振袖を三十代の女性が着たり、四十代の女性が年頃の女性のように島田まげを結ったりするとの意から。
三拍子揃う(さんびょうしそろう)
必要な三つの条件が揃うこと。また、全ての条件が備わること。「三拍子」は、能楽の囃子で小鼓・大鼓・太鼓などの三種の楽器でとる拍子のこと。
釈迦に宗旨なし(しゃかにしゅうしなし)
仏教の開祖である釈迦には、何宗何派という宗派があったわけではない。仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派の争いは無意味であるということ。
釈迦に説法、孔子に悟道(しゃかにせっぽう、こうしにごどう)
その道を知り尽くしている人に物事を教える愚かさのたとえ。または、必要のないことを長々しく繰り返し言うこと。 仏教の開祖である釈迦に仏の教えを説いたり、儒教の開祖である孔子に人の道を説いたりするという意味から。 単に「釈迦に説法」ともいう。
宗旨の争い釈迦の恥(しゅうしのあらそいしゃかのはじ)
仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派間の争いは開祖である釈迦の恥になるということ。宗派間の争いの愚かさをあざけっていう言葉。
終止符を打つ(しゅうしふをうつ)
物事を終わりにすること。「終止符」は、欧文などで文の終わりに打つ符号。
宗旨を変える(しゅうしをかえる)
それまでの主義や主張、趣味、仕事などを別のものにすること。信仰する宗教や宗派を別のものにするということから。
修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
天下を治めるには、まず自分の心と行いを正しくし、次に家庭を整え、次に国家を治めて天下を平和にすべきだということ。
姑の十七、見た者ない(しゅうとめのじゅうしち、みたものない)
姑は自分の若い頃のことを引き合いに出して嫁に小言を言うが、誰も姑の若い時を知らないので当てにはならないということ。
尚歯(しょうし)
老人を敬うこと。「尚」は尊ぶこと。「歯」は年齢の意。
白豆腐の拍子木(しらどうふのひょうしぎ)
見かけは立派でも、実際は役に立たないもののたとえ。豆腐で作った拍子木が使えるはずがないことから。
十七八は藪力(じゅうしちはちはやぶぢから)
男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。
従心(じゅうしん)
七十歳のこと。「七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」から。
上梓する(じょうしする)
書物を出版すること。昔、木版印刷の版木に梓(あずさ)の木を使ったことから。
上昇気流に乗る(じょうしょうきりゅうにのる)
運が上向き、物事が順調に進むようになること。
仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず(じんしゃはうれえず、ちしゃはまどわず、ゆうしゃはおそれず)
仁徳の備わった者はものの道理に従って行動するから、何ひとつ心配することがない。知恵を備えた者は道理をわきまえているので事をなすにあたって迷いがない。勇気がある者は信念を持って行動しどのような事態にも臆することがないということ。
好いた同士は泣いても連れる(すいたどうしはないてもつれる)
お互いに好き合った男女は、辛さに泣きながらでも離れず連れ添うものだということ。
先入主となる(せんにゅうしゅとなる)
前から持っている固定的な観念が、新しい考えの妨げになってしまうこと。 前もって抱いている考えが主となり、後からの考えが従となるとの意から。 この語から「先入観」や「先入主」という語ができた。