「が」を含む故事・ことわざ・慣用句
「が」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1359 件
山高きが故に貴からず(やまたかきがゆえにたっとからず)
外観がよくても、内容が伴わなければ立派とはいえないということ。物事は見かけだけで判断してはいけないというたとえ。
湯上りにはおじ坊主が惚れる(ゆあがりにはおじぼうずがほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
融通が利く(ゆうずうがきく)
状況に応じた適切な対応や処理ができること。
夢が覚める(ゆめがさめる)
心の迷いがなくなり、正気を取り戻すこと。
夢を描く(ゆめをえがく)
将来の希望を心の中に思い描くこと。
夜上がり天気雨近し(よあがりてんきあめちかし)
夜のうちに雨が上がり晴れた天気は、長く続かないということ。
夜明け前が一番暗い(よあけまえがいちばんくらい)
どん底の後には必ずいいことがあるというたとえ。日が昇る直前に一番暗い時間があるということから。
酔いが回る(よいがまわる)
酒に酔って、判断力や感覚が鈍くなること。
酔いどれ怪我せず(よいどれけがせず)
酔っ払いは足もとがおぼつかないが、案外怪我をしない。我を忘れて無心な人は、大きな失敗をしないものだというたとえ。
用ある時の地蔵顔、用なき時の閻魔顔(ようあるときのじぞうがお、ようなきときのえんまがお)
人にものを頼む時はお地蔵様のようにやさしいにこにこ顔をするが、用事がない時は閻魔様のように不機嫌な顔つきになるということ。
用が足りる(ようがたりる)
十分に間に合う。役に立つ。
養生に身が痩せる(ようじょうにみがやせる)
養生のために気を使ったり、金銭の心配をして、かえって心労で痩せてしまうということ。
夜討ち朝駆け(ようちあさがけ)
記者などが、早朝や深夜に取材先を突然訪問すること。
要領がいい(ようりょうがいい)
物事の処理の仕方がうまいこと。 また、自分に有利になるように、巧みに立ち回ること。
欲が深い(よくがふかい)
欲求や願望が度を越えていること。
欲に目が眩む(よくにめがくらむ)
欲のために理性を失い、正常な判断ができなくなること。 「欲には目見えず」「欲に目が無い」ともいう。
欲に欲がつく(よくによくがつく)
欲というものは、いくら満足させても限りがないということ。
欲を知らねば身が立たぬ(よくをしらねばみがたたぬ)
人並みに欲望がなければ、暮らしていくことはできないということ。
横紙破り(よこがみやぶり)
自分の考えを無理に押し通すこと。また、そういうことをする人。和紙は縦に目が通っているため、横には破りにくいが、それを無理やり横に破ることから。
涎が出る(よだれがでる)
何かを見て、それが欲しくてたまらなくなること。
世の中は九分が十分(よのなかはくぶがじゅうぶ)
世の中はすべてが自分の思い通りにいくとはかぎらないから、望んだことの九分が叶ったら満足すべきだということ。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
呼び声が高い(よびごえがたかい)
有力な候補者として噂されること。評判が高いこと。
読みが深い(よみがふかい)
物事の真相を理解する能力がすぐれていること。 また状況の移り変わりを先まで見通していること。
世を遁れる(よをのがれる)
俗世間を逃れて隠れ住むこと。また、出家すること。
来年の事を言えば鬼が笑う(らいねんのことをいえばおにがわらう)
来年のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
埒が明かない(らちがあかない)
物事が片付かないこと。決着が付かないこと。 「埒」は馬場を囲う柵のこと。転じて、物事の区切りのたとえ。
理外の理(りがいのり)
普通の道理では判断することの出来ない難しい道理。「理外」は理屈だけでは説明のつかないことで、常識を超えた理の意から。
理が非になる(りがひになる)
説明不足や他人の思惑などによって、正しいことが誤りとされてしまうこと。
理屈を言えば腹が立つ(りくつをいえばはらがたつ)
自分の正当性を主張しても腹が立つばかりだから、理屈にこだわず適当に妥協したほうが得策であるということ。
溜飲が下がる(りゅういんがさがる)
不平や不満が消え去り、すっきりした気分になること。「溜飲」は消化不良の時に、胃から突き上げてくる酸っぱい液で、それがなくなるということから。
竜を画いて狗に類す(りゅうをえがいていぬにるいす)
凡人が優れた人の真似をして、軽薄になることのたとえ。また、立派過ぎるものを求めて失敗することのたとえ。 「虎を描いて狗に類す」に同じ。
良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)
賢者は自分の才能や知識をみだりにひけらかしたりしないことのたとえ。 「良賈」はすぐれた商人の意。 すぐれた商人は商品を店の奥にしまっておくため、一見商品が乏しいように見えることから。
猟は鳥が教える(りょうはとりがおしえる)
何事も実際に行っているうちに覚えて、身に付けていくものであるということのたとえ。 鳥を撃つこつは、実際に猟をするうちに覚えるもので、いわば獲物の鳥が教えてくれるようなものだということ。
両方立てれば身が立たぬ(りょうほうたてればみがたたぬ)
一方に良いようにすれば、他方が不満に思う。どちらにも都合の良いようにするのは難しく、中に入った自分が苦しい立場に立ち、犠牲になってしまうということ。
良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)
よく効く薬ほど苦くて飲みにくいこと。ためになる忠告ほど、当人は耳が痛くて聞きづらいというたとえ。
涙腺が緩む(るいせんがゆるむ)
涙を流すこと。 または、ちょっとしたことでも涙が出るようになること。涙もろくなること。
例外のない規則はない(れいがいのないきそくはない)
どんな規則にも、それが適用しきれない事態が必ずあり、例外はつきものだということ。
礼は宜しきに随うべし、令は俗に従うべし(れいはよろしきにしたがうべし、れいはぞくにしたがうべし)
決まった形式がある礼儀も、時に応じて変えてもよい。また、法令はその土地の風俗に合うように定めるのがよいということ。
碌でなしが人の陰言(ろくでなしがひとのかげごと)
役に立たない者が他人の悪口を言うこと。
呂律が回らない(ろれつがまわらない)
酒に酔った人や子どもなどが、舌が滑らかに動かず、言葉がはっきりしないようす。「呂律」は和音階を表す呂律(りょりつ)が転じて、言葉の調子の意。
ローマにいる時はローマの人がするとおりにせよ(ろーまにいるときはろーまのひとがするとおりにせよ)
土地によって風俗や習慣が違うから、自分が住む場所のそれに合わせて生活するのが処世の手段だということ。
若い時旅をせねば老いての物語がない(わかいときたびをせねばおいてのものがたりがない)
若い時に旅をしておかなければ、年をとってから人に話す話題がないということ。
我が頭の蠅を追え(わがあたまのはえをおえ)
他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の問題を始末せよということ。 他人にたかる蠅を追い払うより、まずは自分にたかる蠅を追い払えとの意から。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
我が家、楽の釜盥(わがいえ、らくのかまだらい)
盥(たらい)を買えずに釜で代用しているような貧乏な暮らしをしていても、我が家ほど楽しい所はないということ。
我が意を得たり(わがいをえたり)
物事が自分の考えていた通りになる。自分の考えにぴったり合う。
我が上の星は見えぬ(わがうえのほしはみえぬ)
誰にも自分の運命はわからないということ。「星」は運命の意。
我が面白の人泣かせ(わがおもしろのひとなかせ)
自分が面白くて楽しんでいることが、人に迷惑をかけていることがあるということ。
我が刀で首切る(わがかたなでくびきる)
自分のおこないで自分自身が苦しむ結果になるたとえ。
我が門で吠えぬ犬なし(わがかどでほえぬいぬなし)
弱い者も自分の家では威張ることのたとえ。 どんなに臆病な犬でも、自分の家の前ではよく吠えるとの意から。
我が糞は臭くなし(わがくそはくさくなし)
自分の欠点には気がつかないというたとえ。
我が口に甘ければ人の口にも甘し(わがくちにあまければひとのくちにもあまし)
自分の好むことは他人もまた好むものである。 自分がよいと思うことは人にも施すべきであるということ。
我が心石に非ず、転ずべからず(わがこころいしにあらず、てんずべからず)
心が確固として不動であることのたとえ。 自分の心は石ではないから、転がして動かすことはできないということ。
吾が心秤の如し(わがこころはかりのごとし)
私の心は、秤(はかり)のように公平であるということ。 どちらか一方に偏ったり、私情を交えたりしないという意味。
我が心を獲たり(わがこころをえたり)
他人の言葉や行いが、自分の心にぴったり適っていること。
我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね)
親は誰でも我が子を自慢したがるということ。
我が事終わる(わがことおわる)
自分が関わっていることが全て終わること。なすべきことがないこと。
我が事と下り坂に走らぬ者なし(わがこととくだりざかにはしらぬものなし)
自分に関することとなれば、下り坂で自然と早足になるように、自ら進んで走りまわるということ。
我が子の悪事は見えぬ(わがこのあくじはみえぬ)
親は自分の子をひいきしがちで、欠点や過ちに気づかないものだということ。
我が好きを人に振る舞う(わがすきをひとにふるまう)
相手の好き嫌いを考えずに、自分の好みを人に押し付けること。
我が脛に鎌(わがすねにかま)
自らの行為によって自分を傷つけることのたとえ。
我が田に水を引く(わがたにみずをひく)
他人のことを考えず、自分の利益のみを優先して行動すること。また、自分に都合のよい理屈をこねること。[[我田引水*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1264]]。
我が田への水も八分目(わがたへのみずもはちぶんめ)
自分の利益を優先しすぎず、欲を抑えて周囲との調和を図るべきであるということ。 田に水を引く際、自分の田だけに満水まで引くのではなく、他者の田にも配慮し、適度なところで止めるべきであるという考えから。 独占や過度な利己主義を戒める言葉。
我が亡き後に洪水よ来たれ(わがなきあとにこうずいよきたれ)
自分が死んだ後なら、洪水でもなんでも来てよい。今さえよければ、あとはどうなってもかまわないということ。
我が仏尊し(わがほとけとうとし)
自分の信じるものや大切にしているものが、番尊いと信じこむことのたとえ。 「我が寺の仏尊し」「我が家の仏尊し」ともいう。
我が身の臭さ我知らず(わがみのくささわれしらず)
自分の欠点はなかなか気がつかないというたとえ。
我が身の事は人に問え(わがみのことはひとにとえ)
自分のことはわかりにくいから、人の意見を聞くのがよいということ。
我が身を立てんとせばまず人を立てよ(わがみをたてんとせばまずひとをたてよ)
自分の身を立てたいと望むなら、まず人を引き立てるように心がけよということ。
我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)
自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。
我が物と思えば軽し笠の雪(わがものとおもえばかるしかさのゆき)
つらいことも苦しいことも、自分のためだと思えば苦にならないものだというたとえ。 笠に降り積もる重い雪も自分のものだと思えば軽く感じられるということ。 江戸時代の俳人、宝井其角の句「我が雪と思へば軽し笠の上」から。
我が世の春(わがよのはる)
物事が全て望み通りになる絶頂期。
脇が甘い(わきがあまい)
隙だらけで守りが弱い様子。 相撲で、脇を締める力が弱く、回しを簡単に取られるということから。
忘れたと知らぬには手がつかぬ(わすれたとしらぬにはてがつかぬ)
忘れたとか知らないという者には、何を言っても無駄であるということ。
私としたことが(わたしとしたことが)
注意していた上で起こした失敗などを悔やんでいう言葉。
笑いが止まらない(わらいがとまらない)
予想外の利益によって、嬉しくてたまらない様子。
藁苞に黄金(わらづとにこがね)
容器が粗末でも中に価値があるものが入っていること。 または、外見からでは真価をはかることはできないということのたとえ。 藁包みの中に金が入っているとの意から。
藁にも縋る(わらにもすがる)
せっぱつまって、まったく頼りにならないものでも頼りにすること。 「縋る」は「攀る」とも書く。
割が悪い(わりがわるい)
利益よりも損失の方が多いこと。または、他よりも損な立場であること。
我を非として当う者は吾が師なり(われをひとしてむかうものはわがしなり)
自分の欠点を注意してくれる人は、誰でも自分にとっての先生だということ。