「き」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「き」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 262 件
客と白鷺は立ったが見事(きゃくとしらさぎはたったがみごと)
客は長居をしないで、早く帰るほうがよいということ。白鷺の美しい立ち姿に掛けていった言葉。
客の朝起き(きゃくのあさおき)
泊り客がその家の人より早く起きるのは、対応に困って迷惑するということ。 「客の朝起き宿の迷惑」ともいう。
脚光を浴びる(きゃっこうをあびる)
世間から広く注目されること。 「脚光」は舞台で役者の足もとを照らす光(フットライト)のこと。 「スポットライトを浴びる」ともいう。
久闊を叙する(きゅうかつをじょする)
無沙汰をわびる挨拶をすること。「久闊」は、久しく会わないことや便りをしないこと。「叙する」は、述べるという意。
九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
多数の中のわずかな一部分のこと。取るに足りないことのたとえ。 「九牛」は、多くの牛のこと。 多くの牛の中の一本の毛のことから。
九死に一生を得る(きゅうしにいっしょうをえる)
ほとんど助かる見込みがないと思われる危険な状態に陥りながら、かろうじて助かること。 「十のうち、九が死、一が生」のような助かる見込みがほとんどない状況で生き残るとの意から。 「万死に一生を得る」「万死の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇う」「九死一生」などともいう。
急所を衝く(きゅうしょをつく)
物事の核心となる部分を鋭く指摘すること。
急所を握る(きゅうしょをにぎる)
相手の致命的な弱点や嫌がる所を的確に見抜くこと。
九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)
長い間の努力も最後のわずかなところでやめてしまえば無駄になることのたとえ。 「九仞」は非常に高い、「一簣」は一杯のもっこの意。 高い山を築くのに、最後のもっこ一杯の土を虧く(欠く)と完成しないとの意から。
窮すれば通ず(きゅうすればつうず)
行き詰って困りきると、かえって思いがけない道が開けてくるということ。
窮鼠、猫を噛む(きゅうそ、ねこをかむ)
弱い者も追いつめられると、必死になって強い者に反撃することがあるということ。 追いつめられた鼠が猫にかみつくとの意から。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず(きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず)
窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。
旧套を脱する(きゅうとうをだっする)
古くからのやり方を廃止して、新しい方式や方向を目指すこと。 「旧套」は、古くからの形式や慣習のことで、それから脱却するとの意から。
朽木は雕る可からず(きゅうぼくはえるべからず)
やる気のない怠け者は教育のしようがないことのたとえ。 「雕る」は、彫刻すること。 朽ちた木は彫刻できないとの意から。 このあとに「糞土の牆は塗るべからず」と続く。
窮余の一策(きゅうよのいっさく)
追いつめられて困ったあげく、苦しまぎれに思いついた一つの方法のこと。「窮余」は、行き詰まった末という意。
久離を切る(きゅうりをきる)
親族などの縁を永久に断つこと。勘当すること。江戸時代、不品行の者の親族が連帯責任を逃れるために、奉行所に願い出てその者と縁を切ったことから。「久離」は「旧離」とも書く。
笈を負う(きゅうをおう)
故郷を離れて勉学すること。 「笈」は、本を入れて背負う箱。 笈を背負って遠くに勉学に行くとの意から。
灸を据える(きゅうをすえる)
懲らしめるために、強く叱ったり罰を与えたりすること。
杞憂(きゆう)
心配する必要のない事柄について心配すること。取越し苦労。古代中国の杞の人が、天が崩れ落ちはしないかと心配したという故事から。
今日あって明日ない身(きょうあってあすないみ)
人の命のはかないことや、人生の無常なことのたとえ。 また、死期が迫っていることのたとえ。
胸襟を開く(きょうきんをひらく)
心の中に思っていることをすっかり打ち明けること。「胸襟」は、胸と襟から転じて心の中の意。
強将の下に弱卒なし(きょうしょうのもとにじゃくそつなし)
上に立つ者がすぐれていれば、その部下もまたすぐれているということ。 勇敢な大将の下に弱い兵士はいないという意味から。 「強将の下に弱卒なし」ともいう。
兄弟は他人の始まり(きょうだいはたにんのはじまり)
兄弟姉妹も成長すれば利害関係や結婚などによって、お互いの愛情が薄れ、やがて他人のようになってしまうというたとえ。
胸中、成竹あり(きょうちゅう、せいちくあり)
事をするにあたって、あらかじめ十分な見通しが立っていることのたとえ。 「成竹」は、事前に心の中で考えている計画のこと。 竹の絵を描くときには、胸の中に竹の形を思い浮かべてから描きはじめるとの意から。
今日できることを明日まで延ばすな(きょうできることをあすまでのばすな)
やればすぐできることはを、明日やろうと一日延ばしにしないで思いついたらすぐにやれという戒めの言葉。
橋頭堡(きょうとうほ)
事に着手する時の足がかり・拠点。本来は、橋を守るために橋のたもとに構築した陣地や、川・湖・海を渡った敵地につくる上陸拠点のこと。もとの読みは「きょうとうほう」。
京に田舎あり(きょうにいなかあり)
にぎやかな都にも、田舎のような寂しい場所や風習があるということ。
興に入る(きょうにいる)
面白がったり夢中になったりすること。
興に乗る(きょうにのる)
物事を進行するうちに面白くなり、ますます調子づくさま。 「興に乗じる」ともいう。
京の着倒れ、大坂の食い倒れ(きょうのきだおれ、おおさかのくいだおれ)
京都の人は衣装にお金をかけ、大阪の人はぜいたくな飲食をして、そのために財産をなくしてしまう人さえあるということ。
今日の襤褸、明日の錦(きょうのつづれ、あすのにしき)
今はぼろを身につけているが、努力を怠らなければ苦労が実って、そのうち美しい衣服を着るほど出世できるだろうということ。「襤褸」はぼろ、「錦」は美しい衣服。
今日の後に今日なし(きょうののちにきょうなし)
今日という日は二度とやってくることはない。だから今日できることは今日やっておけという戒めの言葉。
今日の一針、明日の十針(きょうのひとはり、あすのとはり)
すぐにしなければならないことを先延ばしすると、余計に手間がかかるということのたとえ。 今日なら一針縫えば済むのに、明日に延ばせばほころびが広がり、十針も縫わなければならなくなるとの意から。
京の夢、大阪の夢(きょうのゆめ、おおさかのゆめ)
京都の夢がふっと大阪に変わるように夢はとりとめのないものだということ。また、夢では大阪のことも京都のこともたやすく見られるように、夢でなら様々な願望が叶うものだということ。 夢の話や夢のような話をする前に唱える言葉。江戸いろはがるたの最後の句。
今日は人の上、明日は我が身の上(きょうはひとのうえ、あすはわがみのうえ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
京へ筑紫に坂東さ(きょうへつくしにばんどうさ)
方向を示す助詞を京都では「へ」、九州では「に」、関東では「さ」を用いるように、地方によって方言に特徴があるということ。
喬木は風に折らる(きょうぼくはかぜにおらる)
優れた人や高い地位の人ほど、人からねたまれて身を滅ぼしやすいことのたとえ。 高い木ほど強い風を受けて折れやすいことから。 「高木は風に折らる」「喬木は風に折らる」ともいう。
狂瀾を既倒に廻らす(きょうらんをきとうにめぐらす)
形勢がすっかり傾いた状態を、元の状態に引き戻すことのたとえ。 「狂瀾」「回瀾(廻瀾)」は荒れ狂う大波。 「既倒」は既に倒れたという意味。 荒れ狂う大波を、向こうへ押し返すとの意から。 「狂瀾を既倒に返す」「回瀾(廻瀾)を既倒に反す」ともいう。
興を添える(きょうをそえる)
その場の雰囲気をよりいっそう楽しいものにするため、何かをして盛り上げること。
旭日昇天の勢い(きょくじつしょうてんのいきおい)
天に昇る朝日のように、勢いが盛んなようす。「旭日」は、朝日の意。
曲水の宴(きょくすいのえん)
平安時代、陰暦の三月三日の節句に宮中で行われた行事の一つ。庭園の曲水に臨んで座し、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、その杯を取って酒を飲むという遊び。「ごくすいのえん」とも読む。
跼蹐(きょくせき)
ひどく怯えて、恐る恐る行動することのたとえ。また、肩身が狭く隠れるように生活することのたとえ。 高い天の下で体を屈め、厚い大地の上を抜き足でひっそりと歩くとの意から。 略して「跼蹐」「[[跼天蹐地*https://yoji.jitenon.jp/yojie/2227.html]]」ともいう。
巨星墜つ(きょせいおつ)
偉大な人物が死ぬことのたとえ。「巨星」は、輝かしい業績をあげた偉大な人物の意。
虚勢を張る(きょせいをはる)
実力のない人が自分の弱さを隠すために、うわべだけ威勢よく振舞ったりすること。から威張りをすること。
挙措を失う(きょそをうしなう)
取り乱した行いをすること。「挙措」は、立ち居振る舞いのこと。
居は気を移す(きょはきをうつす)
住む場所や地位によって、人の性格や考え方は変わるということ。
虚を衝く(きょをつく)
相手の弱点や無防備な所につけ込んで攻撃すること。
器用貧乏人宝(きようびんぼうひとだから)
器用な人は人の役に立って重宝がられるが、その人自身は大成せずに貧乏しているということ。 「細工貧乏人宝」「職人貧乏人宝」「巧者貧乏人宝」などともいう。
清水の舞台から飛び降りる(きよみずのぶたいからとびおりる)
思い切った大きな決断し、覚悟を決めて物事を行うことのたとえ。 「清水の舞台」は、京都の清水寺にある、山の斜面にせり出すように造られた観音堂の舞台のこと。 その舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行することから。
嫌いは知らぬの唐名(きらいはしらぬのからな)
負け惜しみの強い人は「知らない」とは言いたくないので、「嫌い」と言ってごまかすというたとえ。「唐名」は、別名の意。
綺羅星の如し(きらぼしのごとし)
立派な人や明るいものが、ずらりと並ぶ様子のたとえ。「綺羅、星の如し」からできた語で、「綺羅」は、美しい衣服の意。転じて、外見が華やかなこと、栄華をきわめること。本来「綺羅と星と」と、美しいものを列挙した語が、のちに誤って「綺羅星」と一語化された語になった。
錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)
すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
桐一葉(きりひとは)
桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の訪れを知ること。転じて、小さなできごとから衰亡の兆しを感じ取ることのたとえ。
切り札を出す(きりふだをだす)
いざという時に有力な手段を使うこと。 「切り札」はトランプなどのカードゲームでの強力な札のこと。
器量は当座の花(きりょうはとうざのはな)
器量がいいなどというのは、人生の中のほんの一時のものに過ぎないということ。
器量より気前(きりょうよりきまえ)
器量がいいことより、気立てのいいことのほうが大事だということ。
器量を下げる(きりょうをさげる)
世間からたいしたことのない人物だと思われてしまうようなことをして、人としての価値を落とすこと。
切りを付ける(きりをつける)
一段落させることのたとえ。
麒麟児(きりんじ)
才能・技芸の天分に恵まれ、将来性のある若者。「麒麟」は中国の想像上の動物で聖人が出現する前兆として現れるといわれた。体は鹿、ひづめは馬、尾は牛に似て、頭に一本の角があり、一説に麒は雄、麟は雌という。その麒麟の児の意から。
切る手遅かれ(きるておそかれ)
事を決行したり、決断を下したりする前によく熟慮せよということ。
岐路に立つ(きろにたつ)
将来を決定するような重要な場面に直面することのたとえ。 「岐路」は分かれ道。
機を逸する(きをいっする)
ある事をおこなうのにちょうどよい機会を逃すこと。
軌を一にす(きをいつにす)
やり方や立場が同じであること。 「軌」は、車輪の跡のこと。 車の通った跡が同じとの意から。
気を入れる(きをいれる)
やる気をだして物事に取り組むことのたとえ。
気を失う(きをうしなう)
意識がなくなることのたとえ。
気を落とす(きをおとす)
物事が自分の思い通りにならず失望すること。
気を利かせる(きをきかせる)
相手の気持ちや周りの状況を配慮し、ふさわしい対応をすること。
気を配る(きをくばる)
さまざまな方面に配慮したり、注意を払ったりすること。
気を静める(きをしずめる)
気持ちをおちつかせること。
気を確かに持つ(きをたしかにもつ)
気持ちを抑えてしっかりと意識を保つこと。
気を使う(きをつかう)
周りの人などに配慮しながら、細かいところにまで意識をかたむけること。 「使う」は「遣う」とも書く。
気を付ける(きをつける)
注意すること。
奇を衒う(きをてらう)
わざと変な真似をして人の注意を引こうとすること。
気を取られる(きをとられる)
他のことに興味・関心が向いてしまい、気持ちが逸らされること。
気を取り直す(きをとりなおす)
失望したり不快な気持ちを切り替えて、もう一度元気を出すこと。
気を抜く(きをぬく)
それまでの緊張感を緩め、リラックスすること。
気を呑まれる(きをのまれる)
相手の勢いやその場の雰囲気に圧倒されて萎縮すること。
気を吐く(きをはく)
威勢のいいことを得意げに言ったり、意気盛んなところを見せたりすること。
気を引く(きをひく)
相手の気持ちをそれとなく探ること。 また、相手の関心を自分に向けさせようとすること。
気を回す(きをまわす)
相手の気持ちをあれこれと必要以上に推量すること。