「ぎ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ぎ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 251 件
合うも不思議合わぬも不思議(あうもふしぎあわぬもふしぎ)
夢はそもそも不思議なものだから、現実が夢のとおりになっても不思議ではないということ。
秋の扇(あきのおうぎ)
男性の愛を失った女性のたとえ。夏に重宝された扇も秋には必要なくなることから。 中国漢の成帝の寵愛を失った班倢伃(はんしょうよ)という女性が自身を秋の扇に例えた詩「怨歌行」を詠んだという故事から。
悪縁契り深し(あくえんちぎりふかし)
悪い縁ほど結びつきが強く断ち切りにくいということ。
阿漕が浦に引く網(あこぎがうらにひくあみ)
人に隠れて行う事も、度重なると人に知られてしまうということのたとえ。 「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸で、伊勢神宮に奉納する魚を捕るため一般人は禁猟区であったが、ある漁夫がたびたび密漁を行い捕らえられたということから。
麻に連るる蓬(あさにつるるよもぎ)
人はよい環境で育てば、自然と感化されて善人になるということ。 曲がりやすい蓬のつるも、麻の中で育てばまっすぐ伸びることから。 「麻の中の蓬」「麻中の蓬」ともいう。
足を限りに(あしをかぎりに)
歩ける限り。足の力が続く限り。
足を擂り粉木にする(あしをすりこぎにする)
長い間歩いたり立ち続けたりして、足が棒にように固く突っ張るほど、疲れ切ること。 「擂り粉木」は、すり鉢でものをすり潰すときに用いる棒。
あの声で蜥蜴食らうか時鳥(あのこえでとかげくらうかほととぎす)
人や物事は、見かけでは判断できないということ。美しい声で鳴く時鳥が蜥蜴を食べることに驚いた、という意味で、江戸時代の俳人、宝井其角の句から。
荒肝を抜く(あらぎもをぬく)
ひどく驚かすこと。また、恐れさせること。 「荒肝」は、荒々しいこころ。また、肝っ玉の意。
争い果てての棒乳切り(あらそいはててのぼうちぎり)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
晏子の御(あんしのぎょ)
他人の威光によりかかって得意になること。中国斉の宰相晏嬰(あんえい)の御者が、自分が宰相の馬車の御者であることを得意がり、その妻がそれを恥じて離縁を求めた。御者は大いに恥じて精励し、晏嬰に認められて出世したという故事から。
家売れば釘の価(いえうればくぎのあたい)
どんなに高価な家でも、売るときには釘の値段ほどの価値しか残らないということ。
生き肝を抜く(いきぎもをぬく)
人をひどく驚かせる。 「生き胆」は生きている動物の肝。
息切れがする(いきぎれがする)
呼吸が苦しくなること。また、物事を長く続けられなくなること。
威儀を正す(いぎをただす)
身なりを整えて、作法にかなった振る舞いをすること。
潔しとしない(いさぎよしとしない)
自分の信念に照らし合わせて、許すことが出来ない。
石に漱ぎ、流れに枕す(いしにくちすすぎ、ながれにまくらす)
負け惜しみが強いことのたとえ。また、屁理屈をつけて自説を正当化することのたとえ。晋の孫楚が「石に枕し、流れに漱ぐ」というべきところを「石に漱ぎ、流れに枕す」といい誤ったとき、「石に漱ぐとは歯を磨くこと、流れに枕すとは耳を洗うことだ」とこじつけた故事から。夏目漱石の号もこの故事から。
意地汚い(いじぎたない)
食べ物や金銭などに対する欲が深い。 「意地汚い」ともいう。
急ぎの文は静かに書け(いそぎのふみはしずかにかけ)
急ぎの手紙ほど大事な用件が多く、あせって早く書こうとすると間違うことが多いので、落ち着いてゆっくり書いとほうがいいということ。
磯際で船を破る(いそぎわでふねをやぶる)
物事が達成する直前で失敗してしまうこと。 港の近くまできた船が難破してしまうとの意から。
一議に及ばず(いちぎにおよばず)
わざわざ議論する必要もない。
命に過ぎたる宝なし(いのちにすぎたるたからなし)
命以上に大切なものはこの世にないということ。
慇懃を通ずる(いんぎんをつうずる)
男女がひそかに情交を結ぶ。 「慇懃」は、親しい交際のこと。
上を下への大騒ぎ(うえをしたへのおおさわぎ)
上にあるべきものが下へ、下にあるべきものが上へというような、ごった返した大騒動のこと。
兎の罠に狐がかかる(うさぎのわなにきつねがかかる)
思いがけない幸運や収穫を得ることのたとえ。
兎も七日なぶれば噛みつく(うさぎもなぬかなぶればかみつく)
おとなしい人でも、たびたび辱めを受けるとついには怒るというたとえ。おとなしい兎でも七日もいじめられればついには噛みつくというたとえ。
兎を見て犬を呼ぶ(うさぎをみていぬをよぶ)
事を見極めてから対策をしても遅くないということ。 また、一見手遅れに見えても、対策次第で間に合うこともあるので、あきらめてはいけないということ。 兎を見つけてから猟犬を呼ぶという意味から。 また、兎を見つけてから猟犬を呼んでも遅すぎるとの意味で、手遅れのたとえとして用いられることもある。
鰻の寝床(うなぎのねどこ)
間口が狭く、奥行きの長い建物や場所のたとえ。
鰻登り(うなぎのぼり)
物事の段階がみるみるうちに急上昇することのたとえ。うなぎが水中をくねくねと真っ直ぐに上ることから。
埋もれ木に花咲く(うもれぎにはなさく)
長い間不運だった人に意外な幸運が訪れることのたとえ。また、世間から忘れ去られていた人が再び脚光を浴びて世に出ることのたとえ。 土の中に埋もれていた木に花が咲くとの意から。
鰓が過ぎる(えらがすぎる)
人を顧みずに言いたいことを言う。言葉が度を越して強く、高慢な物言いになること。 「鰓」は魚のえらのことで、人のあごに見立てて、口の利き方を卑しめた言葉。
鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)
夫婦仲の睦まじいことのたとえ。「鴛」はおしどりの雄、「鴦」はおしどりの雌で、雌雄がいつも寄り添っていることから。
縁起でもない(えんぎでもない)
悪いことが起こりそうで不安だ。縁起が悪い。 不吉なことを言った相手をとがめる言葉として使われる。
縁起を担ぐ(えんぎをかつぐ)
縁起がよいのか縁起が悪いのかを気にすること。 「担ぐ」は何かを気にしたり、とらわれたりすること。
扇忌忌し(おうぎゆゆし)
扇は男女の仲にとって不吉であるということ。 漢代の班婕妤(はんしょうよ)が、秋風が吹く頃に捨てられる扇に自分を見立てた詩に由来する。
往生際が悪い(おうじょうぎわがわるい)
諦めなければならない状態なのに、未練がましく執着しているさま。 「往生際」は、死に際の意。
大木の下に小木育たず(おおきのしたにおぎそだたず)
大きな権力の庇護の下では立派な人間は育ちにくいということ。 大きな木の下は採光や風通しが悪く、小さな木が育たないとの意から。
大木の下に小木育つ(おおきのしたにおぎそだつ)
強大な権力を持つ人物のもとには、その庇護を受けている者がたくさんいることのたとえ。
男は辞儀に余れ(おとこはじぎにあまれ)
男は謙遜しすぎるくらいでちょうどよいということ。 「女は会釈に余れ」と続けても言う。 「辞儀」は遠慮の意。
思い半ばに過ぎる(おもいなかばにすぎる)
考えてみると思いあたるふしが多く、十分に推し量ることができるということ。 思い当たるところが全体の半分以上あるとの意から。
親の恩より義理の恩(おやのおんよりぎりのおん)
親から受けた恩より、恩義を受けた人に報いるほうが先決だということ。
泳ぎ上手は川で死ぬ(およぎじょうずはかわでしぬ)
自分の力を過信するあまり、得意なことで失敗してしまうことのたとえ。 泳ぎの上手な人が油断して、川で死んでしまうことがあるとの意から。
替え着なしの晴れ着なし(かえぎなしのはれぎなし)
いつもいい服を着ているが、それ一枚だけで他に着替えを持ってないことをいう。
蝸牛、角上の争い(かぎゅう、かくじょうのあらそい)
狭い世界でのつまらない争いのこと。 「蝸牛」はかたつむり、「角上」はつのの上のこと。 かたつむりの左の角の上にある触という国と右の角の上にある蛮という国が、領土を争ったという寓話から。 「蝸角の争い」ともいう。
限りを尽くす(かぎりをつくす)
持てるかぎりのものを全て出し尽くすこと。
鍵を握る(かぎをにぎる)
ものごとの最も重要な手掛かりをもっていることのたとえ。
火事あとの釘拾い(かじあとのくぎひろい)
大損や浪費の後に、少しの節約をしたところで何の足しにもならないということ。 火事で家屋敷を焼失した後に、焼けた釘を拾っても役に立たないことから。
風に柳(かぜにやなぎ)
柳が風になびくように、巧みに受け流すこと。 「柳に風」ともいう。
金釘流(かなくぎりゅう)
文字を書くことが下手なことを「金釘を連ねたようだ」と、書の流派の一つに見立てて馬鹿にした言葉。
蕪は鶉となり、山芋は鰻となる(かぶらはうずらとなり、やまいもはうなぎとなる)
起こるはずのないことが時には起こることのたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。 いくら形が似ていても、蕪(かぶら)が鶉(うずら)になったり山芋が鰻になったりすることなどありえないが、それが起こるとの意から。 「山の芋鰻になる」ともいう。
株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ)
古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり、進歩や向上がないことのたとえ。 中国・宋の農民が農作業をしていると、兎が木の切り株にぶつかって死んだ。農民は労せず兎を手に入れることができたその経験以来、農作業をせずに毎日切り株を見張っていたという故事から。 「守株」ともいう。
鴨が葱を背負って来る(かもがねぎをしょってくる)
好都合な状況が重なり、さらに良い結果が生まれることのたとえ。 鍋料理で用いる鴨が自ら葱を背負ってやってくるような、非常に都合の良い状況を表す言葉。 特にお人好しが自らの行動で他人に利益をもたらす場合によく使われ、略して「鴨葱」ともいう。
烏の行水(からすのぎょうずい)
入浴時間が、きわめて短いことのたとえ。烏が短い時間で水浴びをする様子から。
烏を鷺(からすをさぎ)
明らかな間違いを正しいと言い張ること。また、強引に押し通そうとすること。 烏(黒い鳥)を鷺(白い鳥)だと言い張るとの意から。
借り着より洗い着(かりぎよりあらいぎ)
人に頼ってぜいたくな暮らしをするより、自分の力で分相応な生活をするほうがよいということ。 人に借りた晴れ着より、洗いざらしでも自分の着物のほうがよいとの意から。
枯れ木も山の賑わい(かれきもやまのにぎわい)
つまらないものでも、ないよりはあったほうがましだというたとえ。枯れ木でもいくらかは山に風情を添えるという意で、自分のことをへりくだって言う言葉。
勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
ふだん見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くというたとえ。 「勧学院」は、平安時代に藤原氏の子弟を教育した学校。 「蒙求」は、中国唐の時代に書かれた歴史教訓書。 勧学院の雀は、学生が蒙求を読むのを聞き覚えて、それをさえずるようになったということから。
気が利きすぎて間が抜ける(きがききすぎてまがぬける)
気を利かせすぎて、肝心なところが抜けているということ。
気が紛れる(きがまぎれる)
何か他のことをすることで、一時的に嫌な気持ちなどを忘れること。
客と白鷺は立ったが見事(きゃくとしらさぎはたったがみごと)
客は長居をしないで、早く帰るほうがよいということ。白鷺の美しい立ち姿に掛けていった言葉。
九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
多数の中のわずかな一部分のこと。取るに足りないことのたとえ。 「九牛」は、多くの牛のこと。 多くの牛の中の一本の毛のことから。
急所を握る(きゅうしょをにぎる)
相手の致命的な弱点や嫌がる所を的確に見抜くこと。
金魚の糞(きんぎょのふん)
一人の人物の後ろを大勢の人がぞろぞろついて回るさま。また力のある人の周りを弱い人が付き従って離れないさま。 金魚の糞が切れずに長くつながっている様子から。 「金魚のうんこ」ともいう。
金銀は回り持ち(きんぎんはまわりもち)
金は人から人へと渡り回っていくもので、いつか自分の所にも回ってくるはずなので、今は貧しくてもくよくよするなということ。
金蘭の契り(きんらんのちぎり)
きわめて親密な交わりのこと。 その交わりの堅さは金をも断つほどであり、その美しさは薫り高い蘭のようであるとの意から。
疑心、暗鬼を生ず(ぎしん、あんきをしょうず)
疑いの心を持つと、何でもないことまで恐ろしく、不安になること。
犠牲を払う(ぎせいをはらう)
目的を果たすために、命や大事なものを失ったりすること。
牛耳を執る(ぎゅうじをとる)
集団の中心となって思うままに主導権を握ること。中国の春秋戦国時代、諸侯が同盟を結ぶ時、中心となる人物が牛の耳を裂いて出した血をすすって結束を誓い合ったという故事から。「牛耳る」という言葉もここから出たもの。
行間を読む(ぎょうかんをよむ)
書物の表面上には表れていない、背後にある筆者の真意を読みとることのたとえ。
堯の子堯ならず(ぎょうのこぎょうならず)
親が賢くても子どもは凡庸な場合もあるというたとえ。「堯」は古代中国の伝説上の聖王で、帝位を自分の子どもではなく、よりふさわしい人間へと、摂政の舜に譲った。堯の子であっても堯のように賢明とはかぎらないということ。
玉山崩る(ぎょくざんくずる)
容姿の立派な人が酔いつぶれるたとえ。「玉山」は、珠玉のとれる山から転じて、容姿のあでやかなことのたとえ。
玉斧を乞う(ぎょくふをこう)
人に詩や文章の添削を頼むことのたとえ。「玉斧」は、他人が詩文の添削をすることを、敬っていう言葉。
魚腹に葬らる(ぎょふくにほうむらる)
海や川で水死するたとえ。 海や川で溺れ死んで魚の餌となり、その腹に葬られるとの意から。
漁夫の利(ぎょふのり)
両者が争っている隙につけ入り、第三者が利益を横取りすることのたとえ。 「漁夫」は漁師のこと。漁父とも書く。 鴫(しぎ)と蛤(はまぐり)が争っている間に、漁師が両方とも捕まえたという中国の故事から。 「鷸蚌の争い」ともいう。
義理が悪い(ぎりがわるい)
付き合い上、相手に対してしなければならないことをしていないため、体裁が悪いこと。
義理と褌、欠かされぬ(ぎりとふんどし、かかされぬ)
男が常に身につけている褌のように、世間に対する義理は欠くことのできない大事なものだということ。
義理にも(ぎりにも)
本心では無いにしても。仮にも。 あとに打ち消しの語を伴う。
義理張るより頬張れ(ぎりばるよりほおばれ)
義理を欠くまいと無理な付き合いをするより、自分の利益や暮らしを優先せよということ。
義理を立てる(ぎりをたてる)
受けた恩に対して、適切な見返りを与えること。
義を見てせざるは勇なきなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)
人として正しいことと知りながら実行しないのは、勇気がないからであるということ。
