「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 868 件
七下がり七上がり(ななさがりななあがり)
人生は不安定で、何度も浮き沈みを繰り返すということ。
七つ下がりの雨と四十過ぎての道楽はやまぬ(ななつさがりのあめとしじゅうすぎてのどうらくはやまぬ)
七つ下がりから降り出した雨と、中年になってから覚えた道楽はなかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
七つ七里憎まれる(ななつななさとにくまれる)
七歳頃の男の子はいたずら盛りで、近くの村々の憎まれっ子になるということ。「七里」は、多くの村々の意。
何事も三度(なにごともさんど)
一度や二度の失敗であきらめず、せめて三度はやってみよということ。
何はさておき(なにはさておき)
他の事はひとまず後回しにして、真っ先にそのことを取り上げるときにいう言葉。
生木を裂く(なまきをさく)
相思相愛の男女を無理に別れさせること。 地に根を張って生きている木を無理に裂くとの意から。
涙を誘う(なみだをさそう)
おもわず涙を流してしまうさま。
煮え湯を飲まされる(にえゆをのまされる)
信頼していた人に裏切られ、ひどい目にあわされることのたとえ。
逃がした魚は大きい(にがしたさかなはおおきい)
手に入れそこなったものは惜しさが加わって、特にすぐれたもののように感じられるというたとえ。「魚」は「うお」とも読む。 「逃した魚は大きい」「逃げた魚は大きい」「釣り落とした魚は大きい」ともいう。
二月は逃げて去る(にがつはにげてさる)
正月が終わったと思っていると、二月もあっという間に終わり、すぐに三月がやってくる。二月は、まるで走って逃げるかのように早く過ぎ去るように感じるということ。 「二月」と「逃げる」の「に」を掛けて言ったもの。 「二月は逃げて去る」ともいう。
憎さも憎し(にくさもにくし)
憎んでも憎みきれないほど憎らしいこと。
西と言ったら東と悟れ(にしといったらひがしとさとれ)
人の言葉には表と裏があるもので、言葉の裏に隠された真意を察することが大切であるということ。 人が西と言っても、本意は東だと悟らなければいけないとの意から。
西の海へさらり(にしのうみへさらり)
厄払いを行う際、末尾につける文句のこと。
二十五菩薩もそれぞれの役(にじゅうごぼさつもそれぞれのやく)
二十五菩薩にもそれぞれの役目があるように、人間にも各自の役目があるということ。「二十五菩薩」とは、往生を願う信者が臨終の時に、阿弥陀仏とともに迎えに来るといわれる二十五体の菩薩のこと。
日計足らずして歳計余りあり(にっけいたらずしてさいけいあまりあり)
一見、利益が上がっていないように思えるが、長い目で見ると確実に利益があるということ。 日々の計算では儲けがないように見えるが、一年を通じるとちゃんと利益があるとの意から。
二進も三進も行かない(にっちもさっちもいかない)
物事が行き詰まってどうにもならない様子。 「二進(にっち)」「三進(さっち)」は、そろばんの割り算から出た語で、計算のやりくりの意。
二度あることは三度ある(にどあることはさんどある)
同じようなことが二度続けば、もう一度起こる可能性が高いということ。
二度目の見直し三度目の正直(にどめのみなおしさんどめのしょうじき)
物事は一度目はあてにならず、二度目も見直すことがあり、三度目なら確実だということ。
女房の悪いは六十年の不作(にょうぼうのわるいはろくじゅうねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にしてしまうということ。 悪い妻をもらうと六十年の不作に匹敵するとの意から。
鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん(にわとりをさくにいずくんぞぎゅうとうをもちいん)
小さな事柄を処理するのに、大がかりな手段は必要ないということ。 「焉んぞ」は、どうしての意。 「牛刀」は、牛を料理するときに使う大きな包丁。 鶏をさばくのに、どうして牛刀を使う必要があるだろうかという意味から。
糠味噌が腐る(ぬかみそがくさる)
調子外れの下手な歌いぶりをからかうことば。
糠味噌臭い(ぬかみそくさい)
家事に追われて所帯じみている。
抜き足差し足(ぬきあしさしあし)
物音を立てないように、そっと静かに歩くこと、また、そのさま。
抜き差しならない(ぬきさしならない)
動きがとれない、のっぴきならない様子。 抜くことも差すこともできないことから。
盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり)
どんなことでも、こじつければ理屈はつけられるということ。 盗みは悪いことだが、それを正当化する三分ほどの理屈があるとの意から。 「泥棒にも三分の道理」「盗人にも一理屈」ともいう。
盗人の逆恨み(ぬすびとのさかうらみ)
捕えられた盗人が自らの悪事を反省することもなく、捕えた人や被害者をうらむこと。
濡れぬ先こそ露をも厭え(ぬれぬさきこそつゆをもいとえ)
一度過ちを犯すと、その後はもっと大きな過ちも平然と犯すようになるというたとえ。 濡れる前は露(つゆ)に濡れることさえ嫌がるが、いったん濡れてしまうといくら濡れても平気になるとの意から。 男女間の過ちについていうことが多い言葉。
濡れぬ先の傘(ぬれぬさきのかさ)
失敗しないように前もって準備することのたとえ。 雨が降る前から傘を用意するとの意から。 「降らぬ先の傘」ともいう。
根浅ければ則ち末短く、本傷るれば則ち枝枯る(ねあさければすなわちすえみじかく、もとやぶるればすなわちえだかる)
基礎がしっかりしていない物事は発展せず、いずれ衰えるということのたとえ。 「末」は枝や葉、「本」は幹こと。 根が十分張っていなければ枝葉も成長しない、幹がいためばいずれ枝も枯れることから。
願うに幸い(ねがうにさいわい)
願っているところに訪れる幸いという意味。
根がなくても花は咲く(ねがなくてもはなはさく)
根がない生け花にも花が咲くように、まったく事実無根のことでも噂が立つことがあるということ。
猫の魚を食わぬ振り(ねこのさかなをくわぬふり)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
猫は三年の恩を三日で忘れる(ねこはさんねんのおんをみっかでわすれる)
猫は三年飼われても、飼い主への恩を三日で忘れてしまうくらい薄情な動物だということ。
猫を追うより皿を引け(ねこをおうよりさらをひけ)
その場のがれより、根本を正すことが大事だというたとえ。皿をねらっている猫を追い払うより、皿を片付けるほうがいいということから。
熱し易きは冷め易し(ねっしやすきはさめやすし)
物事に熱中しやすい人は、飽きるのも早いということ。
熱しやすく冷めやすい(ねっしやすくさめやすい)
物事に熱中しやすいが、飽きるのも早いさま。
熱に浮かされる(ねつにうかされる)
高熱によって、うわごとを言うような状態になること。 また、分別を失うほど一つのことに熱中すること。
寝ても覚めても(ねてもさめても)
いつでも。四六時中。
寝鳥を刺す(ねとりをさす)
相手が油断している隙に不意をついて陥れること。 「寝鳥」は、ねぐらで眠っている鳥。その鳥を捕まえるとの意から。
根太は敵に押させよ(ねぶとはかたきにおさせよ)
根太は憎しみを込めるかのように、力いっぱい強く押して膿を出さないと治らないということ。「根太」はおできの一種。
眠い煙い寒い(ねむいけむいさむい)
人間が我慢しにくいことを調子よく並べたことば。
狙いを定める(ねらいをさだめる)
目的達成のため、目標となる対象をしっかりと絞り込んで決めること。
年貢の納め時(ねんぐのおさめどき)
悪事を重ねてきた者が、ついに捕まって罪に服さなければならない時。また、長い間続けてきた物事をあきらめなくてはならない時。年貢の滞納を清算しなければならない時の意から。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
嚢中の物を探るが如し(のうちゅうのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
喉元過ぎれば熱さを忘れる(のどもとすぎればあつさをわすれる)
苦しいことも過ぎてしまえば忘れてしまうことのたとえ。また、苦しい時に受けた恩義も楽になったら忘れてしまうことのたとえ。 熱いものを飲んでも、のどを過ぎれば口に入れた時の熱さを忘れてしまうことから。
破鏡再び照らさず(はきょうふたたびてらさず)
離縁した夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないというたとえ。
白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)
長年の悲しみや心配のために、白髪が非常に長く伸びることを誇張して言った言葉。
梯子を外される(はしごをはずされる)
共に物事に取り組んでいた仲間に見捨てられること。孤立すること。 梯子を外されて、高い所から下りられなくなるとの意から。
始めの囁き後のどよみ(はじめのささやきのちのどよみ)
始めはわずかな人々の間で噂されていたことが、のちに世間中の評判になるということ。
肌身離さず(はだみはなさず)
常に持ち歩いている様子。 または、非常に大事にすることのたとえ。
八分されてもまだ二分残る(はちぶされてもまだにぶのこる)
仲間外れにされても負けないということをしゃれていった言葉。「八分」は「村八分」の略で、仲間外れの意。まだ二分残っているから、完全には負けていないといったもの。
八方塞がり(はっぽうふさがり)
すべてに差し障りがあってどうしようもないこと。「八方」は、東・西・南・北および北東・北西・南東・南西の八つの方角、つまりあらゆる方向の意。陰陽道で、どの方角に向かって行くのも凶で、行くべき方角がすべて塞がれているということから。
鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり(はとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり)
子の親に対する礼儀や孝行の大切さをいう言葉。 鳩は親鳥よりも三本下の枝にとまり、烏は恩を忘れずに老いた親鳥の口に餌を運んで孝行するといわれる。 鳥でさえ親の恩に報いるのだから、人間はなおさら礼儀を尊び親孝行しなければならないということ。
花一時、人一盛り(はないっとき、ひとひとさかり)
花が咲き誇るのもほんの一時であるように、人も盛んな時はごく短い一時期に過ぎないということ。
話に花が咲く(はなしにはながさく)
話題が尽きず、会話が盛り上がること。
花は桜木、人は武士(はなはさくらぎ、ひとはぶし)
花は桜が最も美しく、人は武士が一番だということ。桜がぱっと咲いて散るように、武士の死に際も潔いことから。
花を咲かせる(はなをさかせる)
すぐれた成果を上げて著名になること。 または、盛んにすること。盛り上げること。
浜の真砂(はまのまさご)
浜辺の砂。転じて、数がきわめて多いことのたとえ。
早起き三両、倹約五両(はやおきさんりょう、けんやくごりょう)
早起きと倹約はどちらも大きな利益になるというたとえ。 「朝起き三両始末五両」ともいう。
早起きは三文の徳(はやおきはさんもんのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
早く咲かば早く散る(はやくさかばはやくちる)
早熟な者や若くして成功した者は、人生の下り坂にさしかかるのも早いというたとえ。
腹が減っては戦ができぬ(はらがへってはいくさができぬ)
何事も空腹では十分な働きができないということのたとえ。
腸が腐る(はらわたがくさる)
精神が堕落して正しい心を失うこと。
腹を探る(はらをさぐる)
相手の考えていることなどをそれとなく知ろうとすること。
春の晩飯後三里(はるのばんめしあとさんり)
春は晩飯を食べたあとでも三里の道を歩けるほど日が長いということ。 「春の夕飯食って三里」ともいう。
腫れ物に触るよう(はれものにさわるよう)
相手の機嫌を損ねないように慎重に接する様子。
化かす化かすが化かされる(ばかすばかすがばかされる)
人をだまそうとしたのに、人からだまされてしまうことのたとえ。
馬鹿と鋏は使いよう(ばかとはさみはつかいよう)
人を使うときは、使い方次第で役に立たせることができるということ。 鋏(はさみ)も使い方次第で切れたり切れなかったりするように、愚かな人間も上手に使えば役に立つということ。
馬鹿の三杯汁(ばかのさんばいじる)
何杯も汁のおかわりをする作法知らずをあざけっていう言葉。また、愚か者にかぎって大食をすることのたとえ。 「阿呆の三杯汁」ともいう。
祖母育ちは三百安い(ばばそだちはさんびゃくやすい)
祖母に育てられた子どもは、甘やかされ大切にされるので、わがままで出来の悪い子になるということ。
馬齢を重ねる(ばれいをかさねる)
特に大きな成果や変化なく年齢が増えていくことを謙遜していう言葉。 ここでの「馬齢」は、自分の年齢をへりくだっていう語。 「馬齢を加える」ともいう。
日が浅い(ひがあさい)
その状態になったり、その物事を始めたりしてからそれほど日が経っていないこと。
蟇の息さえ天に昇る(ひきのいきさえてんにのぼる)
誰でも一心に事を行えば望みを遂げられるということ。 「蟇」は、ヒキガエルの別名。 一心に努力すればヒキガエルのような弱い生き物の吐息も、天まで届かせることができるとの意から。
飛脚に三里の灸(ひきゃくにさんりのきゅう)
勢いのあるものにさらに勢いをつけるたとえ。「三里」は、膝頭の下の灸点で、ここに灸をすえると足を丈夫にするといわれている。足の速い飛脚が三里に灸をすえれば、さらに足が強くなることから。
庇を貸して母屋を取られる(ひさしをかしておもやをとられる)
一部を貸したために、あとで全部を奪われてしまうことになるたとえ。また、恩を仇で返されることのたとえ。
ひそかに諌めて公に褒めよ(ひそかにいさめておおやけにほめよ)
人を叱ったり注意したりする時は、他の人の居ないところで行い、褒める時はみんなの前で行えということ。人の心を傷つけず、やる気にさせるには、それが良い方法だということ。
引っ越し三両(ひっこしさんりょう)
引っ越しをすれば、いろいろと費用がかかるということ。
人盛んにして神祟らず(ひとさかんにしてかみたたらず)
人の運勢が盛んな時は、神仏でもこれをとどめることが出来ないということ。
人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む(ひとさけをのむ、さけさけをのむ、さけひとをのむ)
酒の飲み始めは人に自制する心があるが、そのうちに惰性で酒を飲むようになり、やがては酒に飲まれて乱れてしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒めの言葉。