「し」を含む故事・ことわざ・慣用句
「し」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2073 件
五臓六腑に沁みわたる(ごぞうろっぷにしみわたる)
体のすみずみまで沁みとおること。 「五臓」は心臓・肝臓・肺臓・脾臓・腎臓のこと。 「六腑」は胃・胆・大腸・小腸・膀胱・三焦のこと。 五つの内臓と六つのはらわたのことで、転じて、腹の中や体全体のこと。
碁で負けたら将棋で勝て(ごでまけたらしょうぎでかて)
あることで失敗してもくよくよせず、別の事で取り返せということ。
五斗米のために腰を折る(ごとべいのためにこしをおる)
わずかな俸禄を得るために、人の機嫌をとってぺこぺこ頭を下げること。 中国唐の詩人陶淵明が、上役が視察に来るので礼服を着るよう求められた時、五斗米のために腰を折ってへつらうのは嫌だと言って断ったという故事から。 「五斗米」は五斗の米、転じてわずかな給料のこと。
ごまめでも尾頭つき(ごまめでもおかしらつき)
小さいながらも立派に形が整っていることのたとえ。「ごまめ」は片口鰯を干したもので、小さくても頭から尾までそろっていることから。
ごまめの歯軋り(ごまめのはぎしり)
実力のない者がいたずらにくやしがったり、いきりたったりすることのたとえ。また、実力のない者が、いくら悔しがっても無駄というたとえ。 「ごまめ」は片口鰯を干したもので、小さなごまめが歯軋りして憤慨しても、あまりに微力であることから。
才余りありて識足らず(さいあまりありてしきたらず)
才能にあふれているのに、見識が不足していること。
歳寒の松柏(さいかんのしょうはく)
逆境で苦しい状況でも、信念や志を貫くことのたとえ。 「歳寒」は季節の冬。または逆境や苦難という意味。 松や柏などの常緑樹は寒い季節でも緑の葉をつけていることから。 「松柏の操」ともいう。
細工は流流、仕上げをご覧じろ(さいくはりゅうりゅう、しあげをごろうじろ)
仕事のやり方はいろいろあるので、途中であれこれ言わずに出来上がりを見てから評価してほしいということ。
最後は人の嗜み(さいごはひとのたしなみ)
人は死ぬときにこそ、日頃の心がけがもっともよく現れるということ。
才子、才に倒れる(さいし、さいにたおれる)
優れた才能を持っている人は、その才能を過信しすぎて、かえって失敗することがあるということ。
最初で最後(さいしょでさいご)
一度だけで二度はないこと。一度きりであること。
妻子を置く所が故郷(さいしをおくところがこきょう)
故郷を出て来た人がそこで所帯を持ち、妻子のいるその場所を第二の故郷と思って頑張る覚悟をいう。
采薪の憂い(さいしんのうれい)
自分の病気をへりくだっていうことば。薪(たきぎ)をとりに行くことも出来ないほど身体が弱っているとの意から。
済世の志(さいせいのこころざし)
世の中の弊害を取り除いて、人々を救おうとする志。「済世」は世の中の人々を救うこと。
災難なら畳の上でも死ぬ(さいなんならたたみのうえでもしぬ)
災難はいつどこで起こるかわからないということ。 安全な畳の上でも滑って転び、打ち所が悪くて死ぬことがあるとの意から。
才に走る(さいにはしる)
能力や才能を過信して地道な努力や注意を怠ること。
竿竹で星を打つ(さおだけでほしをうつ)
不可能なことをしようとする愚かさのたとえ。また、思うところに手が届かないもどかしさのたとえ 竿竹で天にある星を打ち落とすとの意から。
逆立ちしても(さかだちしても)
どれだけ努力しても実現できないことのたとえ。
酒戻しはせぬもの(さかもどしはせぬもの)
酒を勧められたり贈られたりしたら辞退せずに受け取るのが礼儀だということ。また、借りた酒や贈られた酒の返礼はかえって失礼になるということ。
策士、策に溺れる(さくし、さくにおぼれる)
策略に秀でた人は策を練りすぎて、逆に失敗するということ。
酒買って尻切られる(さけかってしりきられる)
好意でしたことを仇で返されるたとえ。酒を奢った相手に尻を切られるような目に遭わされるということから。
酒飲み、本性違わず(さけのみ、ほんしょうたがわず)
酒に酔っても、その人の本来の性質は変わらないということ。 「酒飲み」は「生酔い」「上戸」ともいう。
酒は燗、肴は刺身、酌は髱(さけはかん、さかなはさしみ、しゃくはたぼ)
酒を飲むには、ほどよい燗で、酒の肴は刺身、酌は若い女性にしてもらうのがいいということ。「髱」は日本髪の後頭部の部分の髪。転じて若い女性。
酒は飲むべし飲むべからず(さけはのむべしのむべからず)
酒は適量を飲むのはよいが、それは実際には難しいから、まずは飲まないほうがいいという戒めの言葉。
酒は本心を現す(さけはほんしんをあらわす)
酒に酔うと、ふだんは隠している気持ちを表にさらけ出してしまうということ。
差しつ差されつ(さしつさされつ)
親しく酒を飲む様子。互いに酒を注ぎ合うという意味から。
差し出る杭は打たれる(さしでるくいはうたれる)
ひときわ優れた才能がある人は、妬まれたり憎まれたりするということ。また、出過ぎたことをする人は、非難されたり制裁を受けたりするということ。 並んだ杭の中に一本だけ高い杭があれば、高さを揃えるために打たれることから。 「出る釘は打たれる」「差し出る杭は打たれる」ともいう。
刺身のつま(さしみのつま)
あってもなくても影響がないもののたとえ。刺身に添える野菜や海藻のことから。
察しが付く(さっしがつく)
現在分かっているものから相手の事情や考えなどが推測できること。
寒さ小便、ひだるさ欠伸(さむさしょうべん、ひだるさあくび)
寒い時にはやたらと小便がしたくなり、空腹の時にはしきりに欠伸が出るということ。 「ひだるい」は、空腹であること。 「ひだるさ欠伸、寒さ小便」ともいう。
鞘走りより口走り(さやばしりよりくちばしり)
失言は鞘走りよりも危険であるということ。 「鞘走り」は刀の鞘が緩いために刀が抜け出ること。
左右の手を失うが如し(さゆうのてをうしなうがごとし)
まるで両方の手を同時に失ったかのように、最も信頼していたものを失って落ち込むこと。
晒し者になる(さらしものになる)
人々の前で恥をかかされること。
去り跡へ行くとも死に跡へ行くな(さりあとへゆくともしにあとへゆくな)
妻と離婚した男に嫁ぐのはいいが、妻と死別した男には嫁ぐものではないという戒め。 妻と死別した男の心には、亡き妻のよい思い出が残っていて、比較されることが多いことから。
猿に烏帽子(さるにえぼし)
外見だけ装って、実質の伴わないことのたとえ。また、ふさわしくないことをするたとえ。 猿に烏帽子をかぶせても似合わないことから。
猿の尻笑い(さるのしりわらい)
自分の欠点に気づかず、他人の欠点を嘲笑することのたとえ。 猿が自分の尻が赤いことに気付かずに、他の猿の尻を見て笑うことから。
去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)
死んだ人は、月日が経つとだんだんと忘れられていく。また、親しくしていた人も、遠く離れてしまうとしだいに疎遠になるということ。
触らぬ神に祟りなし(さわらぬかみにたたりなし)
何事も関係をもたなければ、災いを招くことはないということ。 神様と関わりをもたなければ、神様の祟りを受けることはないとの意から。
山雨来らんとして風楼に満つ(さんうきたらんとしてかぜろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。 「楼」は、高殿のこと。 山の雨が降り出す前には、前ぶれの風が高殿へ吹きつけることから。 「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
三軍も帥を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからず(さんぐんもすいをうばうべきなり、ひっぷもこころざしをうばうべからず)
大軍に守られている総大将でも討ち取ることは出来るが、たとえどんなに身分の低い男でも、意思が堅ければ、その志を変えさせることは出来ないということ。人の志は尊重すべきだということ。「三軍」は大軍、「帥」は大将、「匹夫」は身分のいやしい男の意。
三舎を避く(さんしゃをさく)
相手を恐れはばかって避けること。また、とても及ばないとして相手に一目置くことのたとえ。 「三舎」は、古代中国の軍隊が三日間に歩いた距離。一舎は約三十里。三舎、つまり九十里ほど遠くに退くとの意から。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
三尺下がって師の影を踏まず(さんじゃくさがってしのかげをふまず)
師につき従う時、弟子は三尺ほど後ろを歩いて、師の影を踏んではいけないということ。 弟子は師を敬い礼儀を失わないように心がけるべきであるという戒めの言葉。 「弟子七尺去って師の影を踏まず」「七尺去って師の影を踏まず(踏むな)」ともいう。
三十にして立つ(さんじゅうにしてたつ)
三十歳で自己を確立し独立すること。
三十の尻括り(さんじゅうのしりくくり)
三十歳にもなると、後始末すべき事柄もきちんとまとめて、堅実な生活をするようになるということ。
三十振袖、四十島田(さんじゅうふりそで、しじゅうしまだ)
女性が年齢に不相応な若づくりをすること。 若い女性が着る振袖を三十代の女性が着たり、四十代の女性が年頃の女性のように島田まげを結ったりするとの意から。
三十六計逃げるに如かず(さんじゅうろっけいにげるにしかず)
様々な計略があるが、困ったときは逃げるのが最良の策だということ。 「三十六計」は、古代中国の兵法で使われた三十六種類のはかりごと。 三十六種類の計略のうち、逃げるという計略に及ぶものはないとの意から。
三寸の舌に五尺の身を亡ぼす(さんずんのしたにごしゃくのみをほろぼす)
不用意な発言は、身を滅ぼしてしまう恐れがあるので、言葉は慎まなければいけないという戒め。 わずか三寸の舌が五尺の体を滅ぼしてしまうとの意から。
三寸の舌を掉う(さんずんのしたをふるう)
大いに弁舌をふるうこと。
三寸の見直し(さんずんのみなおし)
物事は、細かいところまで見ると多少の欠点は見つかるということ。また、多少の欠点は見慣れてしまえば気にならなくなるということ。 物の長さも測り方によっては三寸ほどの誤差があるとの意から。
三千の寵愛一身にあり(さんぜんのちょうあいいっしんにあり)
皇帝の後宮に仕える多くの女性の中で、ひとりだけが特別に寵愛されていることのたとえ。
山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し(さんちゅうのぞくをやぶるはやすくしんちゅうのぞくをやぶるはかたし)
山中にいる賊を討伐するのは簡単だが、心の中の邪念に打ち勝つのは難しいというたとえ。
山中暦日なし(さんちゅうれきじつなし)
山の中で俗世間を離れて暮らしていると、月日の経つのも忘れるということ。「暦日」は、月日の意。
三度の飯も強し柔らかし(さんどのめしもこわしやわらかし)
世の中のことは、なかなか自分の思う通りにはならないというたとえ。 毎日炊いている飯でさえ、固すぎたり柔らかすぎたりして思うようにはいかないだから、世の中のことが思い通りにいかないのは当然だということから。
三度の飯より好き(さんどのめしよりすき)
他の何よりも好きであること。 一日三回の食事がどうでもいいと思うほどに好むということから。
三度目の正直(さんどめのしょうじき)
物事は一度目や二度目はだめでも、三度目はうまくいくということ。
三人、市虎を成す(さんにん、しこをなす)
事実ではないことでも、多くの人が同じことを言えば、やがては信じられるようになることのたとえ。 「市」は街、また市場のこと。 一人や二人では信じないが、三人もの人が市に虎がいると言えば、事実でなくても信じ込んでしまうとの意から。 「市に虎あり」「三人、虎を成す」「市に虎あり」「市虎三伝」「三人成虎」などともいう。
三人行えば必ずわが師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
三人で一緒に事を行えば、他の二人の中に良い所、悪い所が必ず見いだせる。どちらにしても自分の学ぶべき相手が必ずみつかるということ。
三人知れば世界中(さんにんしればせかいじゅう)
人が三人集まる所で話したことは、秘密にするのはむずかしく、世界中に知れ渡ってしまったのと同じことになるというたとえ。
三人寄れば姦しい(さんにんよればかしましい)
女はおしゃべりで、三人も集まればやかましくてかなわないということ。「女」の字を三つ合わせて「姦」という字になるところから。
三拍子揃う(さんびょうしそろう)
必要な三つの条件が揃うこと。また、全ての条件が備わること。「三拍子」は、能楽の囃子で小鼓・大鼓・太鼓などの三種の楽器でとる拍子のこと。
三遍回って煙草にしょ(さんべんまわってたばこにしょ)
休むことは後回しにして、念入りに物事に取り組むこと。 「煙草」は休憩のたとえ。 夜回りをしっかりと三回してから休憩するとの意から。
材、大なれば用を為し難し(ざい、だいなればようをなしがたし)
立派すぎる人物は世の中になかなか受け入れられないというたとえ。 材木が大きすぎると使いづらいという意味から。
座が白ける(ざがしらける)
それまで盛り上がっていた楽しい雰囲気が壊れて面白味がなくなること。
坐しても食らえば山も空し(ざしてもくらえばやまもむなし)
働かずに暮らせば、山のような財産があってもやがては尽きてしまうということ。
座禅組むより肥やし汲め(ざぜんくむよりこやしくめ)
座禅を組んで修行する暇があるなら、肥やしを汲んで農作業に精を出せということ。時間や労力を実業以外のことに使うことを戒める言葉。
残念閔子騫(ざんねんびんしけん)
「残念」を洒落て言う言葉。 中国の孔子の弟子の「顔淵(がんえん)」を「残念」にかけて、同門の「閔子騫(びんしけん)」と続けた語呂合わせ。
仕上げが肝心(しあげがかんじん)
物事は途中よりも、最後の仕上げが大切であるということ。
思案投げ首(しあんなげくび)
よい案が浮かばずに悩み、首を傾けている様子。 「思案」はいろいろと考えること。 「投げ首」は首を傾げている様子。
思案に余る(しあんにあまる)
どれだけ考えてもよい案が浮かばないこと。
思案に暮れる(しあんにくれる)
どれだけ考えてもよい案が浮かばず思い悩むこと。
思案の案の字が百貫する(しあんのあんのじがひゃっかんする)
何事もよく考えてから行うことが大切であるというたとえ。 「百貫」は銭一貫の百倍。非常に価値があるもののたとえ。
塩辛を食おうとて水を飲む(しおからをくおうとてみずをのむ)
手回しがよすぎるとかえって間が抜けていたりすることのたとえ。または、物事の順序が前後することのたとえ。 塩辛を食べると喉が渇くであろうと考えて、前もって水を飲んでおくとの意から。
潮時を見る(しおどきをみる)
物事を行うのによい時期を見計らうこと。
塩にて淵を埋む如し(しおにてふちをうずむごとし)
やっても無駄なことや不可能なことをすること。 塩で深い水たまりを埋めようとするとの意から。
塩を売っても手を嘗めろ(しおをうってもてをなめろ)
塩を売る商人が、手に付いた塩も無駄にせず嘗めるように、細かな事にも注意して、無駄のないように気をつけよという戒めの言葉。
塩を売れば手が鹹くなる(しおをうればてがからくなる)
仕事の癖や習慣は、いつの間にか身について、生まれつきのようになっているというたとえ。毎日塩を売っていれば、自然と手が鹹くなっているということから。
死灰復燃ゆ(しかいまたもゆ)
一度燃え尽きた灰がもう一度燃え上がること。 転じて、失った勢いを取り戻すこと。 または、解決したはずの物事が再び問題になること。
四角な座敷を丸く掃く(しかくなざしきをまるくはく)
仕事の手を抜いたり、いいかげんなことをするたとえ。四角い座敷を隅を残して真ん中だけ丸く掃くことから。
死活に関わる(しかつにかかわる)
生きるか死ぬかというほどに重大であること。