「せ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「せ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 609 件
口裏を合わせる(くちうらをあわせる)
両者が事前に示し合わせて、話の内容が食い違わないようにすること。 「口を合わせる」ともいう。
口から出れば世間(くちからでればせけん)
いったん口出したことは、いつの間にか世間に広まるから、口は慎めということ。
口車に乗せる(くちぐるまにのせる)
巧みな言葉で言いくるめて人をだますことのたとえ。
口には関所がない(くちにはせきしょがない)
人の口から出る言葉をさまたげる関所はない。だから何を言っても自由だというたとえ。
口に任せる(くちにまかせる)
あまり深く考えず、言葉が口から出るままに発言すること。
供養より施行(くようよりせぎょう)
死んだ人の供養より、生きている人に施しをするほうが大切だということ。
苦しい時には親を出せ(くるしいときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。
食わせておいて扨と言い(くわせておいてさてといい)
ご馳走した後に、「さて」と頼み事を切り出すこと。
食わぬ殺生(くわぬせっしょう)
自分のためにもならないのに無益な殺生をすること。
君子は交わり絶ゆとも悪声を出さず(くんしはまじわりたゆともあくせいをださず)
徳のある人は人と絶交することがあっても相手の悪口は決して言わないということ。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(くんしはわしてどうぜず、しょうじんはどうじてわせず)
すぐれた人物は、人と仲良くするが自主性を失わずむやみに同調しない。つまらぬ人間は、すぐに同調し自主性を欠いているということ。
君臨すれども統治せず(くんりんすれどもとうちせず)
国王は君主として国を治めているが政治には直接かかわらないこと。 18世紀イギリスの政治体制に由来する言葉。 「王は君臨すれども統治せず」ともいう。
愚者も千慮に一得有り(ぐしゃもせんりょにいっとくあり )
愚か者でも、たまにはいい考え方をすることがあるということ。 「愚者も一得」「愚者にも一得」「愚者の一得」ともいう。
謦咳に接する(けいがいにせっする)
尊敬している人と会い、直接話を聞くこと。また、会うことの敬称。
「謦」「咳」とも咳払いのことで、間近で直接咳払いを聞けることもありがたいことから。蛍雪(けいせつ)
苦労を重ねながら学問に励むこと。中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は雪明りで書物を読み勉学に励んだという故事から。
蛍雪の功(けいせつのこう)
苦労を重ねて勉学に励んだ成果のこと。「蛍雪」は苦労して勉学に励むことで、中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は窓の外の雪明りで読書し勉学に励んだという故事から。
兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐ(けいていかきにせめげどもそとそのあなどりをふせぐ)
普段は喧嘩ばかりしている兄弟も、外部から侮辱を受けると協力してこれを防ぐということ。 「牆」は垣根、「鬩ぐ」は争うことから、「牆に鬩ぐ」は垣根の中(家の中)で争うこと。 「務り」は「侮り」と同じく侮辱のこと。
喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)
喧嘩や争いをした者を、理非を問わず、双方とも同じように処罰すること。「成敗」は、処罰の意。
健全なる精神は健全なる身体に宿る(けんぜんなるせいしんはけんぜんなるしんたいにやどる)
身体が健康であれば、それに伴って精神も健全であるということ。ローマの詩人ユウェナリスの詩集から出た言葉。本来は「健やかな身体に健やかな精神が宿るように望むべきである」の意。
倹約と吝嗇は水仙と葱(けんやくとけちはすいせんとねぎ)
倹約とけちは、水仙と葱のように見た目は似ているが、実はまったく違うということ。
芸が身を助けるほどの不仕合わせ(げいがみをたすけるほどのふしあわせ)
落ちぶれて不幸な生活のたとえ。 生活に余裕があったころに趣味や道楽で習い覚えた芸事で、なんとか生計を立てるような不幸な身の上になってしまうとの意から。
芸術は長く、人生は短し(げいじゅつはながく、じんせいはみじかし)
人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も後世に残るということ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉「医術をきわめるには長い年月がかかるが、人の一生は短い」から転じたもの。
下駄を履かせる(げたをはかせる)
物事を実際よりもよく見せたり多く見せたりすること。
恋は曲者(こいはくせもの)
恋は理性を失わせるから、恋をした人は常識では考えられないような、とんでもないことをするおそれがあるということ。
光陰に関守なし(こういんにせきもりなし)
月日がとどまることなく、過ぎていくことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月、「関守」は関所の番人。 月日の流れをとめる番人などいないということ。
巧詐は拙誠に如かず(こうさはせっせいにしかず)
巧みに偽りごまかすことは、たとえ拙くても誠意があるものには及ばないということ。
好事門を出でず、悪事千里を行く(こうじもんをいでず、あくじせんりをいく)
善い行いは、なかなか世間に知られず、悪い行いは、すぐに世間に知れ渡るということ。
後生、畏るべし(こうせい、おそるべし)
若い人はいろいろな可能性を持っていて、将来どんな力量を現すかわからないので恐れなければならないということ。「後生」は、あとから生まれる人、後輩の意。
孔席暖まらず、墨突黔まず(こうせきあたたまらず、ぼくとつくろまず)
道を説くために各地を飛びまわることのたとえ。孔子と墨子はあちこち遊説して回って家に落ち着くことがなく、孔子の席は暖まることがなく、墨子の家の煙突は黒くすすけることはなかったということから。
黄泉の客(こうせんのきゃく)
死者のこと。「黄泉」は地下の泉の意。転じて、死者の行くとされる所。
巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)
仕事の出来がよくて遅いよりは、下手でも速いほうがいいということ。
高慢は出世の行き止まり(こうまんはしゅっせのいきどまり)
自分の出世を自慢ばかりするようになると、その人は向上しないということ。また、人から嫌われてそれ以上の出世もできなくなるということ。
黒白を弁せず(こくびゃくをべんせず)
物事の善悪・是非・正邪がわからないこと。「黒白」は、善悪・是非・正邪の意。
心の鬼が身を責める(こころのおにがみをせめる)
良心に責められることのたとえ。「心の鬼」は、良心の呵責の意。
心の師とはなれ心を師とせざれ(こころのしとはなれこころをしとせざれ)
自分の心は自ら律するべきであり、心のままに感情に流されてはいけないということ。
心を合わせる(こころをあわせる)
こころを一つにすること。
心を躍らせる(こころをおどらせる)
期待や喜び、楽しさなどで胸がわくわくすること。
心を寄せる(こころをよせる)
ある人に好意をよせること。慕わしく思うこと。
小言八百愚痴千粒(こごとはっぴゃくぐちせんつぶ)
ささいな小言や愚痴など、言っても仕方がないことを延々と言う人のことを評した言葉。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
事ともせず(ことともせず)
まったく気にしない。問題にもしない。
子供は教え殺せ、馬は飼い殺せ(こどもはおしえころせ、うまはかいころせ)
子どもは徹底的に教育し、馬の調教も手加減するなということ。 「馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ」ともいう。
子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)
親は子どものことにとらわれて、終生自由を束縛されてしまうということ。「三界」は、過去・現在・未来の三世のこと。「首枷」は、罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。子どもは三界にわたって親の自由を拘束する首枷のようなものだということ。
子ほど喜ばせにくいものはなく親ほど喜ばせやすいものはない(こほどよろこばせにくいものはなくおやほどよろこばせやすいものはない)
親の愛情を当然と思っている子どもを喜ばせるのは難しいが、親は子どものわずかな孝養でも大喜びするということ。
済世の志(さいせいのこころざし)
世の中の弊害を取り除いて、人々を救おうとする志。「済世」は世の中の人々を救うこと。
財布の底と心の底は人に見せるな(さいふのそことこころのそこはひとにみせるな)
うまく世間を渡るためには、自分の財産や心のうちを他人に知られてはいけないということ。
魚は殿様に焼かせよ餅は乞食に焼かせよ(さかなはとのさまにやかせよもちはこじきにやかせよ)
人には向き不向きがあるので、しっかりと適した者を選べというたとえ。 魚はゆっくり火を通した方がいいので殿様のようにおっとりした人が適しており、餅は何度もひっくり返しながら焼くほうがよいので乞食のようにがつがつした人が適しているとの意から。 「餅は乞食に焼かせよ魚は殿様に焼かせよ」ともいう。
酒外れはせぬもの(さかはずれはせぬもの)
酒好きな人たちと一緒のときは、たとえ下戸でもほんの少しでも口をつけるものだということ。
酒戻しはせぬもの(さかもどしはせぬもの)
酒を勧められたり贈られたりしたら辞退せずに受け取るのが礼儀だということ。また、借りた酒や贈られた酒の返礼はかえって失礼になるということ。
先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)
人より先に事を行えば、有利な立場に立ち相手を制することができるということ。
囁き千里(ささやきせんり)
内緒話は漏れやすく、すぐに遠くまで伝わってしまうということ。 小声でひそひそ話したことが、またたく間に遠く千里も離れた所にまで伝わるとの意から。
三省(さんせい)
自分の言動を何度も反省すること。 中国の孔子の弟子の曾子は、自分の言動を毎日何度も反省していたということから。 「三」は数が多いこと。
三人知れば世界中(さんにんしればせかいじゅう)
人が三人集まる所で話したことは、秘密にするのはむずかしく、世界中に知れ渡ってしまったのと同じことになるというたとえ。
仕事幽霊飯弁慶、その癖夏痩せ寒細り、たまたま肥ゆれば腫れ病(しごとゆうれいめしべんけい、そのくせなつやせかんぼそり、たまたまこゆればはれやまい)
仕事は出来ないのに飯は山のように食べ、夏も冬のように痩せていて、たまに太ったかと思えば病気にかかっている。怠け者の大食漢の多病をあざけった言葉。
死しての千年より生きての一日(ししてのせんねんよりいきてのいちにち)
死んでからの千年より、この世での一日のほうが大事だということ。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり)
人生にはいい時も悪い時もある。悪いことばかりが続くわけでないから、くよくよするなということ。
死生、命あり(しせい、めいあり)
人の生死は天命によるもので、人の力ではどうすることもできないということ。「死生」は、死ぬことと生きること。
姿勢を正す(しせいをただす)
今までの態度ややり方などを反省して改めること。また、体の構え方を整えること。
咫尺(しせき)
距離が非常に近いこと。
「―の間」咫尺を弁せず(しせきをべんせず)
視界がきかず、ごく近くのものも見分けが付かないこと。「咫尺」は距離が非常に近いこと、「弁」は見分けるという意。
死せる孔明、生ける仲達を走らす(しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす)
生前の威信が死後も保たれ、人々を恐れさせるたとえ。 中国、蜀の諸葛孔明が魏の司馬仲達と対陣中病死した。退却しようとした蜀軍を仲達はただちに追撃したが、蜀軍は孔明の遺命に基づいて反撃の姿勢を見せたため、仲達は孔明がまだ死んでおらず、何か策略があるのではないかと恐れ退却したという故事から。
視線を浴びる(しせんをあびる)
多くの人から一斉に見つめられること。
死線をさまよう(しせんをさまよう)
生きるか死ぬかの危険な状態が続くこと。
親しき仲に垣をせよ(したしきなかにかきをせよ)
親しい間柄でも遠慮がなくなると不仲のもとになるので、節度を守れという戒めの言葉。 「思う仲には垣をせよ」「良い仲には垣をせよ」「睦まじき仲に垣をせよ」「近しき仲にも垣を結え」などともいう。
死中に生を求める(しちゅうにせいをもとめる)
助かる望みがない絶望的な状態の中で、なおも必死に活路を探し求めること。 「死中に生を求める」ともいう。
失敗は成功のもと(しっぱいはせいこうのもと)
失敗は、その原因を反省し改めていくことによって、成功につながるということ。 「もと」は「基」「因」とも書く。 「失敗は成功の母」ともいう。
死に花を咲かせる(しにばなをさかせる)
死に際が立派で、名誉を死後に残すこと。
死命を制する(しめいをせいする)
他人の生死に大事な所を押さえて、自分の思うままに操ること。
釈迦に説法、孔子に悟道(しゃかにせっぽう、こうしにごどう)
その道を知り尽くしている人に物事を教える愚かさのたとえ。または、必要のないことを長々しく繰り返し言うこと。 仏教の開祖である釈迦に仏の教えを説いたり、儒教の開祖である孔子に人の道を説いたりするという意味から。 単に「釈迦に説法」ともいう。
三味線を弾く(しゃみせんをひく)
相手の話に適当に合わせること。または、適当な嘘で話を誤魔化すこと。歌い手に合わせて三味線を演奏するという意味から。
衆寡敵せず(しゅうかてきせず)
多人数に対して少人数では、数の力で圧倒されてしまうので勝ち目がないということ。 「衆」は大人数、「寡」は少人数のこと。 「寡は衆に敵せず」ともいう。
習慣は第二の天性なり(しゅうかんはだいにのてんせいなり)
習慣はいつしか深く身について、まるで生まれつきの性質のように日常生活に影響を及ぼすということ。
修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
天下を治めるには、まず自分の心と行いを正しくし、次に家庭を整え、次に国家を治めて天下を平和にすべきだということ。
集大成(しゅうたいせい)
多くのものを集めて一つのものにすること。また、そうしたもの。
菽麦を弁せず(しゅくばくをべんせず)
愚かで物の区別もつかないことのたとえ。 「菽」は豆、「弁ずる」は区別すること。 豆と麦の区別もできないとの意から。
春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
おぼろ月夜に花の香りが漂う春の宵のひとときは、千金にも値するほどすばらしいということ。「一刻」はわずかな時間、「千金」は千両・大金の意。
焦点を合わせる(しょうてんをあわせる)
人々の関心や注意が向けられている、ある物事だけに狙いを定めて取り組むこと。
将を射んとせば先ず馬を射よ(しょうをいんとせばまずうまをいよ)
何かを達成したり手に入れたりしようとするときには、まずは周囲にあるものから狙うのがよいというたとえ。 敵将を射ようとするのであれば、まず敵将の乗っている馬を射止めるのがよいとの意から。 「将を射んとせば先ず馬を射よ」「人を射んとせば先ず馬を射よ」ともいう。
知らざるを知らずと為せ、是れしるなり(しらざるをしらずとなせ、これしるなり)
知ったふりをしないで、知らない事は知らないと自覚すること、これが本当に知るということであるということ。
白い歯を見せる(しろいはをみせる)
笑った顔を見せること。笑顔を見せること。
