「たん」を含む故事・ことわざ・慣用句
「たん」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 59 件
悪は一旦の事なり(あくはいったんのことなり)
一時的にうまくいっても悪は長続きせず、結局は正義に勝てないということ。
異端(いたん)
その世界や時代で正しいとされていない宗教や思想。
一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
一年の計は元旦にあり(いちねんのけいはがんたんにあり)
一年の計画は元旦に立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一旦緩急あれば(いったんかんきゅうあれば)
ひとたび大事が起きた時には、という意味。「一旦」はひとたび、「緩急」は差し迫った場合という意。
一箪の食、一瓢の飲(いったんのし、いっぴょうのいん)
わずかな飲食物のこと。また、きわめて貧しい生活のたとえ。 「箪」は竹製の食器、「瓢」は飲み物を入れるひさご。 食器一杯の食べ物と、ひさご一杯の飲み物との意から。
肝胆相照らす(かんたんあいてらす)
互いに心の底まで打ち解けて親しく付き合うことのたとえ。「肝胆」は、肝臓と胆嚢のことで、転じて心の奥底の意。
邯鄲の歩み(かんたんのあゆみ)
むやみに人の真似をしていると、自分本来のものも忘れて、どちらも失うことのたとえ。 中国燕の青年が、趙の都邯鄲で都会風の歩き方を習おうとしたが、習得できないばかりか故国の歩き方まで忘れてしまい、這って故郷へ帰ったという故事から。
邯鄲の枕(かんたんのまくら)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
肝胆を砕く(かんたんをくだく)
大変苦労して、努力するたとえ。心を尽くすたとえ。「肝胆」は、肝臓と胆嚢のことで、転じて心の奥底・真心の意。
肝胆を披く(かんたんをひらく)
心を開いて打ち明けること。
月旦評(げったんひょう)
人物の批評や品定めをすること。 「月旦」は、月の初めの日。 後漢の許劭が、いとこの許靖と毎月一日に郷里の人物の批評をしたという故事から。 単に「月旦」ともいう。
左袒(さたん)
味方すること。「袒」は着物を脱いで肩をあらわにするという意。中国前漢の周勃が呂氏を討とうとした時、呂氏に味方する者は右袒せよ、皇帝の劉氏に味方する者は左袒せよ、と申し渡したところ全軍が左袒したという故事から。
食後の一睡、万病丹(しょくごのいっすい、まんびょうたん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病丹」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
心胆を寒からしめる(しんたんをさむからしめる)
心の底から恐れおののかせること。震え上がらせること。 「心胆」は、きもったまのこと。 「心肝を寒からしめる」ともいう。
臍下丹田に力を入れる(せいかたんでんにちからをいれる)
「臍下丹田」は臍(へそ)のやや下の腹部のことで、そこに力を入れると健康が得られ勇気がわくととされる。転じて、度胸を据えてどっしり落ち着くことをいう。
千緒万端、遺漏あることなし(せんしょばんたん、いろうあることなし)
あらゆる点で、まったく手落ちがない様子。「千緒万端」は多くの事柄、「遺漏」は手落ち。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花(たてばしゃくやく、すわればぼたん、あるくすがたはゆりのはな)
美人の容姿や立ち居振る舞いを形容することば。
立てば芍薬、座れば牡丹(たてばしゃくやくすわればぼたん)
美人の容姿や立ち居振る舞いを形容することば。 続けて「歩く姿はゆりの花」とも言う。
啖呵を切る(たんかをきる)
歯切れのよい言葉でまくし立てること。 「啖呵」は、ひどく痰の出る病気のこと。もとは「痰火」と書く。 啖呵(痰火)を治療することを「啖呵(痰火)を切る」といい、啖呵(痰火)が治って胸がすっきりするとの意から転じたもの。
胆が据わる(たんがすわる)
どんな状況にも慌てたり恐れたりせず、落ち着いていて度胸がある様子。 「肝」は「胆」とも書く。 また、「胆が据わる」は「たんがすわる」とも読む。
短気は損気(たんきはそんき)
短気を起こすと、結局は失敗して自分の損になるということ。「短気」と「損気」の語呂合わせでできた言葉。
短気は未練の初め(たんきはみれんのはじめ)
短気を起こすと後悔することになり、未練が生じて苦しむことになるということ。
短気は身を亡ぼす腹切り刀(たんきはみをほろぼすはらきりかたな)
短気を起こせば、自滅を招いてしまうことのたとえ。 短気は自分の腹を切る刀と同じであるとの意から。
端倪すべからず(たんげいすべからず)
物事の成り行きを安易に推測することができないこと。 計り知れない、推しはかることができないといった意味で使われる。 「端倪」は、物事の初めと終わり、また物事の初めから終わりまで推測すること。
単糸、線を成さず(たんし、せんをなさず)
人間はひとりでは何もできないというたとえ。 「単糸」は一本の紡績糸のこと。これを何本か撚(よ)り合わせて撚糸(ねんし)にするが、一本の紡績糸だけではそれができないとの意から。
丹精を込める(たんせいをこめる)
真心を込めて物事を行うこと。 「丹精」は「丹誠」とも書く。
丹精を凝らす(たんせいをこらす)
真心を込めて物事を行うこと。 「丹精」は「丹誠」とも書く。
丹精を尽くす(たんせいをつくす)
真心を込めて物事を行うこと。 「丹精」は「丹誠」とも書く。
旦夕に迫る(たんせきにせまる)
危機が間近に迫っている様子。 「旦夕」は朝晩のこと。 この朝か晩かというほどに危機が迫っているとの意から。 多く、「命(めい)旦夕に迫る」の形で、死期が間近に迫っている様子を表す。
胆斗の如し(たんとのごとし)
肝が据わっていることのたとえ。度胸があって落ち着いていることのたとえ。 「斗」は、一斗(十升)入る枡(ます)のこと。 胆の大きさが一斗の枡ほどあるとの意から。
胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す(たんはだいならんことをほっし、こころはしょうならんことをほっす)
度胸は大きく持ちたいし、注意は細やかでありたいということ。 「胆大心小」ともいう。
短兵急(たんぺいきゅう)
だしぬけである様子。いきなり。 「短兵」は短い武器のことで、それを持って急に攻めるとの意から。
短を捨てて長を取る(たんをすててちょうをとる)
欠点や短所を除いて、長所のみを参考として取り入れること。
胆を練る(たんをねる)
物事を恐れたり気おくれしたりしないように、精神力を鍛える。
端を発する(たんをはっする)
そのことがきっかけとなり、物事が始まる。
端を開く(たんをひらく)
新たに物事が始まるきっかけをつくる。
長所は短所(ちょうしょはたんしょ)
自分の長所を過信すると思わぬ失敗をすることがある。長所も時には短所になるということ。
問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。
塗炭の苦しみ(とたんのくるしみ)
ひどい苦痛のたとえ。「塗炭」は、泥にまみれ火に焼かれること。
長崎ばってん、江戸べらぼう、神戸兵庫のなんぞいや、ついでに丹波のいも訛(ながさきばってん、えどべらぼう、こうべひょうごのなんぞいや、ついでにたんばのいもなまり)
各地の方言の特徴をとらえて語調よくいったことば。
鼻糞丸めて万金丹(はなくそまるめてまんきんたん)
薬の原料は案外つまらないものが多いということ。また、効き目がないことをあざけっていう言葉。 子どもが鼻糞を丸めたりしている時に、はやしたてる言葉としても使われる。 「万金丹」は、気つけや解毒などに使われる丸薬。
麦秀の嘆(ばくしゅうのたん)
故国の滅亡を嘆くこと。「麦秀」は麦の穂が伸びること。殷王朝滅亡後、殷一族の箕子が、母国の旧都の跡に生い茂った麦の穂を見て、亡国を嘆き詩を作ったという故事から。
人に勝たんと欲する者は必ず先ず自ら勝つ(ひとにかたんとほっするものはかならずまずみずからかつ)
人に勝とうと思うなら、まず自分自身の色々な欲望に打ち勝つ必要があるということ。
人の短を道うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ(ひとのたんをいうことなかれ、おのれのちょうをとくことなかれ)
人の短所をとがめず、自分の長所をひけらかさないようにという戒め。
髀肉の嘆(ひにくのたん)
功名を立てたり実力を発揮する機会がないのを嘆くこと。 「髀肉」は、股(もも)の肉のこと。中国蜀の劉備(りゅうび)が、平和な日々が長く続き、馬に乗って戦場に行くことがなかったため、内ももの肉が付きすぎたことを嘆いたという故事から。
氷炭相愛す(ひょうたんあいあいす)
性質が反対のもの同士が助け合うことのたとえ。 冷たい氷と熱い炭が愛し合うとの意から。
氷炭相容れず(ひょうたんあいいれず)
性質がまったく反対で合わないことのたとえ。 「氷炭」は、氷と炭のこと。 冷たい氷と熱い炭は、互いに相手を受け入れないとの意から。
瓢箪から駒が出る(ひょうたんからこまがでる)
思いがけない場所や状況から意外な出来事や物が現れることのたとえ。 または、冗談で言ったことが本当になることのたとえ。 「駒」は馬を意味し、普通なら瓢箪(ひょうたん)から出てくるはずのない馬が出てくるという意味から。
瓢箪で鯰を押さえる(ひょうたんでなまずをおさえる)
とらえどころがなく、いっこうに要領を得ないこと。 つるつるした瓢箪で、ぬるぬるした鯰を押さえようとする意から。 略して「瓢箪鯰」ともいう。
瓢箪に釣り鐘(ひょうたんにつりがね)
差がありすぎて比べものにならないことのたとえ。また、釣り合いがとれないことのたとえ。瓢箪も釣り鐘もつり下げることは出来るが、重さも大きさも比較にならないことから。
瓢箪の川流れ(ひょうたんのかわながれ)
瓢箪が川面をぷかぷかと流れていくように、浮かれて落ち着きのない様子のたとえ。
風樹の歎(ふうじゅのたん)
親に孝行したいと思ったときにはすでに親は無く、どうすることもできないという嘆きのことば。 「風樹」とは、風に吹かれて揺れ動く木のこと。 『韓詩外伝』「樹静かならんと欲すれども風止まず。子養わんと欲すれども親待たず。(木は静かに静止していたいのに、風がやまなければどうすることもできない。子どもが孝行したいと思っても親は待ってくれない。)」に基づく。
亡羊の嘆(ぼうようのたん)
学問の道があまりにも幅広いため、真理をとらえることの難しさを嘆くこと。また、どうしてよいかわからず、途方に暮れて嘆くことのたとえ。 逃げた羊を追いかけたが、道がいくつも分かれていたため途方に暮れたという故事から。
牡丹に唐獅子、竹に虎(ぼたんにからじし、たけにとら)
絵になる取り合わせのよいもののたとえ。
ボタンを掛け違える(ぼたんをかけちがえる)
食い違いや矛盾などがあったことに後になってから気づくこと。 衣服のボタンを掛けるときに一つ間違えるとその後が全てずれるということから。
命旦夕に迫る(めいたんせきにせまる)
死期が間近に迫っている様子。 「旦夕」は朝晩のこと。 命の終わりがこの朝か晩かというほどに迫っているとの意から。
両端を持す(りょうたんをじす)
どちらに付くか迷い、あいまいな態度をとること。
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